第26話 椎名耳かき店 張り付いた固い耳垢のお客様

 ガチッ。

 耳の中を触ったとは思えない音がする。

「今、ガチッって……」

 もう一度確かめてみようと、耳かきを入れかけて、慌てて引き抜く。

「いや、ダメだ。奥に詰め込んでしまうかもしれないから……」

 耳の中が気になるなら、今こそ行ってみよう。


 椎名耳かき店へ。


 白を基調した明るい店内。

 春を思わせる優しい店長さん。 

「それでは、どうぞこちらの席へ」

 柔らかな声に導かれて、席につき、頼んでおいたイヤースコープが運ばれてくるのを待つ。

「意外と小さいんですね」

 ボールペンくらいの大きさに驚くと、店長さんは小さく頷いた。

「はい、ここ数年で大きく進化して、スマホに映せる、持って歩けるといった大きさになっているんですよ」

「すごいなぁ」

 感心しながら、店長さんの様子を見る。

 看板を見てから気にはなっていたものの、ずっと入ったことのない店だ。

 でも、店長さんの穏やかな雰囲気のおかげで、思ったよりも緊張しなかった。

 イヤースコープが接続され、椅子の前の画面に映る。

「それでは始めていきますね」

「よろしくお願いします」

 画面のほうを見て、耳かきが始まるのを待つ。

 店長さんはイヤースコープの先を綺麗に除菌して、耳の入口に当てた。

「……あれ、綺麗ですね」

 自分でやったときに、ガチッなんて音がしたものだから、中がすごいかと思ったら、そんなことはなかった。

 想像以上に毛は多いが……。

「もう少し中に入れても大丈夫でしょうか?」

「あ、はい」

 店長さんに問われて、声だけで答えて画面を注視する。

 ゆっくりとカメラが進むと、耳の中が曲がっていた。

「耳ってこんな風に曲がってるんですか?」

「そうですね。耳の入口から鼓膜までの外耳道と言われる部分が3㎝ほどあるのですが、曲がりがあるんですよ。人によって異なりますが、一般的に子どものほうが大人より曲がってることが多いです」

 説明をしながら、店長さんがイヤースコープを中に入れていく。

 細く小さなものなので、痛くはなかったが、耳の中がすごかった。


「あ、これが……」

 ガチッと音がしたやつだと、すぐにわかった。

 なにせ厚みがすごい。

 薄くて白い感じではなく、厚くて黄色がかっている。

「取れますかね……?」

「はい、いけると思います」

 店長さんのほうは驚いた様子はなく、そう答えると耳かきを選び始めた。

 耳かき店の店長さんだけあって、固まった耳垢に慣れているのかもしれない。

「それでは失礼しますね」

 椅子に座っての耳かきははじめてなので、どういう風に耳かきが入るのか、ちょっとドキドキする。

 中にすすーっと入って来るのかと思ったが、店長さんは耳の入口のほうをカリカリかき始めた。

 そのあたりにも耳垢がついているのかなと思ったが……。

「どうでしょう、かきかたはこれくらいで大丈夫ですか?」

「あ、はい。痛くないし、ちょうどいいです」

 店長さんはいきなり耳かきを奥に入れるのではなく、試しにかいてみてくれたらしい。

 こちらがちょうどいいといったためか、そのかきかたで少しずつ進み、そして……。

 ガキッ!

 固い耳垢に耳かきが触れる音がした。

「……大丈夫ですか?」

「あ、はい。音はすごいですが、痛くはないです」

「そっと、かいてみますね」

 耳に集中していて忘れていたが、画面で店長さんがかく様子を見ることが出来るのを思い出す。

 画面の中の耳垢は本当にすごかった。

 耳の壁いっぱいに耳垢が張り付いている。

 表面がザラザラした感じなので、鼓膜ではないとわかるが、もう耳の穴を塞ぐ大きさだ。

 店長さんがそっと耳垢の上を撫でるように耳かきのさじで触ると、シャリ、シャリっと音がして、細かい耳垢が取れた。

 それを外にそっと出し、耳かきのさじをキレイにして、店長さんが再び耳かきを中に入れた。

 黒く見える部分に耳かきが近づき、そこに耳かきのさじが入る。

「あれ……!」

「この黒の部分、隙間だったようです。ただ、耳垢も少しありますので……」

 パリパリパリッ!

 店長さんの言葉通り、薄く耳垢があったらしく、耳かきが通る時に音がした。

 その音と感触がゾクゾクッとする。

 しかし、そういう感覚は序の口だった。

 奥に入った耳かきが、裏から耳垢をかくように動くと、これまで感じたことがないような感覚に襲われた。

 カリッという感覚と共に、耳垢がほんの少し動く感じがする。

 そのほんの少しの動きがもどかしい。

 もどかしい上に、その部分がかゆくなる。

 カリ、カリ……。

 店長さんがゆっくりとかき進めると、耳垢がより動いて、かゆさが増す。

 カリ、カリ、メリ…シャリ、パリ……。

 複数の音がする。

 かき進めた結果、大きな耳垢がメリッと剥がれて、そのそばにあった薄い耳垢がシャリッとかかれてパリッと剥がれて……。

 また画面を見忘れてるのを思い出し、画面に目を向けると、耳の壁いっぱいに張り付いていた耳垢が動いていた。

 張り付いていた部分が一部剥がれ、店長さんがそこをきっかけにかき始める。

 じっと画面を見ていると、店長さんが固い耳垢の様子を確かめるように、耳垢が耳壁についた部分をそっと丸くかいた。

「あ、ああっ……」

 思わずそんな声が出てしまう。

 今の部分を全部思い切りかいてと言いたくなるほどのかゆい。

 だが、こちらの思いとは逆に、店長さんは手を止めてしまった。

「固い耳垢ですので……どうしましょう。耳垢を柔らかくするものをいれて、それで綿棒で……にいたしますか」

「い、いえ、血が出るとか危険でない限り、そのまま耳かきでお願いします」

 早口でそう答えてしまう。

 もしかしたら、綿棒のほうが安全なのかもしれないが、あの、カリカリとかパリッという音がしなくなるのは惜しい。

「かしこまりました。それでは、耳かきでやってみますね」

 店長さんが再び耳かきを耳の中に入れる。

 その、再び耳かきを入れたときに、また、パリパリパリっと耳の中で音がして、耳垢が動くのを感じて、声を上げそうになる。

「あ、声は無理に抑えると苦しくなるので……どなたもいませんからどうぞ」

 こちらの様子に気づいて、店長さんがそう声をかけてくれる。

 ご好意はありがたいが、恥ずかしいので、やはり声を飲み込む。

 耳かきが動いて、先ほどのように一回丸くかいた後、外れそうな側からカリカリとかいていく。

 カリカリ……。

 カリッ……カリッ……。

 時々、様子を見て止まるのがもどかしい。

 いいところを触ってもらってるのに、途中で止められてるような感覚だ。

「んと……」

 店長さんが耳のふちを持って、少し後ろに引くと、耳垢が動いた。

 さらにそこにさじが入り、一気に耳垢がメリメリメリっとめくれる。

「あっ……!」

 その時に感じた爽快感は言い表せない。

 ただ、ただ、その後、耳かきのさじに引っ張り出される耳垢を見ていた。

 大きな耳垢が、ずる、ずるっと出てくる。

 最後にゴボッという音がして、外に出てきた。

 紙に置かれた耳垢が厚みも色もすごい。

「細かいものを取り出しても大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 しばらく放心した状態で、店長さんに耳をかいてもらう。

 それまで塞がっていた部分がぽっかりとなくなり、奥のほうに綺麗な鼓膜が見えた。

 細かい耳垢を取ってもらいながら、次は毛のカットもお願いしようと思うのだった──。

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椎名耳かき店 井上みなと @inoueminato

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