第26話

暗闇に羽ばたく翼。俺の頬を撫でる風。




 さらさらとした黒い毛に覆われた背に腰掛けたまま、俺は眠れる大地に目を凝らす。ヴィヴィアンの村を飛び立ってからいくつもの丘を越え、流れる川を越え、いくつかの森を越えた先に、やがて「それ」は見えてくる。静かな丘陵にぽつりぽつりと彷徨う、怪しげな灯り。死を経て器を失った生物の魂。死霊だ。




 尾を引いて泳ぐそれが向かう先に目を向ければ、丘の向こう一帯が眩しいほどの光に包まれているのが分かる。火のそれとは違う、青白い光。塗りつぶしたような夜闇に煌々と輝くそれは、目印には十分過ぎる。




「(予想はしていたが……すごいことになってるな)」




 暗闇に渦を巻いてうなる膨大な魔力。探知が決して得意ではない俺にも分かるほどの、おびただしい数の気配。やがて聞こえてくる陽気な歌と音楽、重なり合ういくつもの声。墓地というものは、生を全うした者たちが静かに眠る場所。だが今夜ばかりは、眠ってなどいられないというのだろうか。




「ここらで降りるぞ」




 その背をぽんと叩き、青白いランタンの灯りに照らされた通路に降り立つ。




 駆け寄ってくるリリアと手をつなぎ、片腕にガリアを抱いて顔を上げれば、青白い光と賑やかな声が溢れ出す格子の門が丘の上に佇んでいる。丘に連なる石壁の向こうは、魔王の領土。いわばひとつの国である。許可なくその国境を越えて中に飛び込むことは許されない。




 それは、俺たち魔王の間にいくつか存在する決まりごとの一つ。




 ヴィヴィアンの村も彼女の領土ではあるが、ヴィヴィアンの村は誰であっても出入り自由ということになっている。訪れた客を拒絶することはないが、エレオノールは違う。




 エレオノールの居城たるこの墓地に立ち入ることが許されるのは、気心の知れた数名の友人と、この墓場に死体を運び込む棺運びの連中と、ごくまれにやってくる死者の親族たちのみであるという。




 当然ながら、死霊たちは出入り自由だ。こうしている間にも、暗闇から出てきた死霊たちが次から次へと俺たちを追い越して門の向こうに消えてゆく。




『やっと着いたわい』




『年寄りにはつらいもんがあるのう』




『足も腰も痛くはなくなったが、やっぱり長い距離を歩くのはしんどいなあ』




 言葉を交わしながら通路を往く死霊たちの姿は、様々である。生前の姿のままの者もいれば、命を落とした瞬間の姿そのままの者や、骸骨だけとなった者もいる。その全てがぼんやりとした青白い光を纏っていることから、生者と見分けるのは容易い。




 死霊には決して詳しくないが、魂が肉体から抜け出た時の姿がそのまま死霊としての姿になるのだという。骸骨の死霊は、肉体が朽ち果てるまでその器を手放さなかったということなのだろう。




「行こうか。ぼうっとしてても仕方ない」




「は、はい」




 リリアの手を引き、死霊たちに続いて通路を歩いてゆく。やがて立派な門の前に立つと、その傍らに佇むかぼちゃ頭の紳士がその眼を光らせた。




「死霊の宴へようこそ。招待状はお持ちかな?」




「エレオノールに会いに来た。彼女に診てもらいたい者がいる」




「ふむ。どれどれ……」




 かぼちゃ頭はぐっと背を曲げ、その細い指を顎に添えてガリアの顔を覗き込む。くりぬいたかぼちゃの奥に光る黄色い眼が静かに細められた。




「これはこれは。死神様の呪い……いや、祝福だネ?幸運な子だ。よしよし、安らかにお眠りよ」




 そう言って、かぼちゃ頭はその指先でガリアを撫でる。




「祝福、だと?」




「そうとも!この子はもうじき、永久の幸せを手に入れるンだ。めでたいネ。とってもとっても、おめでたいことだヨ。死神様は気まぐれだ。寵愛のキスはそうそう頂けるものじゃあない。盛大なお祝いをしてあげようネ」




「……」




「さぁさぁ中へ。今宵は楽しいお祭りだ。じっくりまったり、心ゆくまでごゆっくり」




 踊るように身を翻し、深々と一礼するかぼちゃ頭。硬く閉ざされた門が開き、からんころんと鐘が鳴る。まるで吸い寄せられるかのようにその中へと足を踏み入れると、リリアと並んで息を呑む。それはまさしく、宴であった。




 ルナール様の存在を忘れるほどに明るく、賑やかな墓地。死霊たちが奏でる音楽に合わせて手を取り合って身を重ね、尾を引いて踊る男女の死霊。蹴飛ばされた頭を探して彷徨う哀れな男。肩を抱き合って身を揺らし、高らかに歌う骸骨の群れ。子供の死霊がそこらじゅうを駆け回り、空を舞い、いくつもの笑い声が重なり合って押し寄せる。その光景に、俺はしばしぼうっと立ち尽くしてしまう。




「はぁいようこそいらっしゃぁ~い!」




 どこからともなく現れ、俺の背をべしべしと叩いたそれは、酒瓶を片手にとろけた顔をした女。青白い肌に、無造作に束ねられた濃い紫の髪。もはや着ているというよりも羽織っているだけのローブから豊満なそれを覗かせ、俺の服を掴んでぎゅっと身を寄せてくるその様に、思わずぎょっとする。




「んもぅ、なぁにぼぉっとしてんのよぅ。ほらほらもっと楽しんで?って勢いで声かけてみたけど結構イケてるぅん。体格もばぁっちりあたしの好みぃ。でもでも子持ちかー。残念だなー。それにしても子持ちの死霊なんて珍しぃ…………うん……?」




「……よう、エレオノール。久しぶりだな」




 とろけた笑顔が、ぎくりと強張る。その顔が、みるみる赤くなる。




「…………えっ、嘘……ギルバ、ぁ、やだ、えっ待っ……違、あっ……」




 目を回しながら後ずさり、言葉にならない声を零しながら慌てて乱れた服を直す女、もとい、魔王エレオノール。負けじと身を寄せてくるリリアの肩を抱くと、エレオノールは小声で何やら呟きながら墓標の裏にさっと身を隠した。




「…………な、なななに。何しに、きたの?」




 その声は、陽気な音楽に掻き消されてほとんど聞こえない。俺は肩をすくめた。






「頼みがあるんだ」

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