第3話


「よっと。中々面白い魔法を使うじゃないか」


 床に手をつき、身を起こす。

 光の刃を砕いて引き抜き、鬱陶しい鎖を引き剥がすと、魔女はふらりと後ずさった。


「う、嘘……なんで……」


「嘘でも冗談でもねえよ。こんなもんで魔王を殺れると思っ――――」


 一歩踏み出したその足が、光の矢に縫い止められる。俺の魔力を吸って足枷となるそれに一瞬気を取られたその瞬間、頭上から振り下ろされる光の巨鎚。咄嗟に身を屈めて腕を交わすも、その衝撃は殺せない。文字通り脳天が揺さぶられ、骨が悲鳴を上げた。


「う、ぐ」


 縫い付けられた足は床から離れず、かかしのようになった俺の頭に巨鎚が何度も何度も振り下ろされる。そのたびに意識が揺らぎ、みしりと音を立てて床板が割れ、無意識に嗚咽が溢れた。


「死ねッ!死ねぇッ!ザコがッ、動くなぁッ!はやく、早く死んでよぉッ!!」


「ぁ……ぁあ……ァ……!」


 触れるたびに俺の魔力を貪る忌々しい光が、容赦なく俺の体力を削り取ってゆく。振り下ろされるたび、衝撃が重くなる。腕が、足が、俺の体が少しづつ動かなくなってゆく。内側から徐々に凍ってゆくような感覚に、俺は奥歯を噛む。これだから勇者は嫌なんだ。どいつもこいつも、可愛げの欠片もありゃしねえ。


「ぉ、っ……もい、んだよ…………ッ!」


 腕の痺れを噛み殺し、巨鎚を拳で迎え撃つ。ズンと重く伸し掛かるそれを手のひらで押し返しながら、深く息を吐いてその顔を睨みつけると、魔女は苦しげに息を切らしながらも柄を握る手に力を込める。大きく見開かれた眼には血が走り、苦痛に歪む顔はひび割れ、なおも魔女は俺を睨むが、やがてその瞳が大きく揺れた。


「……っ」


 その瞬間。足枷が砕け、光の巨鎚に亀裂が走る。重みが消える。奪われた力が舞い戻る。握りしめた拳は光を貫き、その薄い腹を壁に打ち付けた。


「ぁ」


 くの字に折れた魔女の体は糸が切れたように崩れ落ち、砕けた杖の穂先が床に散らばる。その破片を踏み潰してその首を掴み上げると、細い指が俺の腕に食い込み、小さな拳が弱々しくも懸命に俺の手首を叩く。投げ出された足がびくんと跳ねた。


「……さて、気は済んだか?少し落ち着いて、話をしようぜ」


「っ……ぁ……ま、魔王と話す、こと、な、んか……」


「お前に無くても、俺にはあるんだよ」


 俺はパッと手を離し、原型をとどめた机に腰掛ける。魔女は尻もちを付きながらも折れた杖に手を伸ばし、懲りずに光の刃を生み出すが、その切っ先はもう俺の肌には刺さらない。ガタガタと震えるその刃にもはや鋭さはなく、生み出されたそばからみるみるうちにその輝きを失ってゆく様は哀れですらある。魔女はその可愛らしい顔を悲痛に歪めた。


「…………っ」


 折れた杖を握りしめ、口を結んで俯く魔女。何粒もの涙がその頬を伝い、こぼれ落ちる。その様を静かに見下ろし、俺はため息を付いた。


「……っと、そうだな。まずは賛辞を送るとしよう。お前の魔法……あの光の刃。良い魔法だった。きっとお前は良き師のもと、その腕を磨いたのだろう。そうして何人も、何人も、俺の兄弟を殺してきたんだろうな。お前が疲弊してさえいなければ、俺も今頃は兄弟たちと同じ場所に居たかもしれない。お前の名前を聞かせてはくれないか」


「……」


 返事はない。


「…………それと、他の勇者の話も聞いておきたい。他の連中はどこにいる」


「……」


 やはり返事はない。魔女はじっと俯いたまま、時折すすり泣くばかり。ダメか。つまらん。せめて、名前くらいは覚えておきたかったんだがな。と、そんなことを考えていると、俺の手元に何かが落ちてきた。


「うん?なんだこれは」


 それは、血にまみれた銀のペンダント。裏返すと、そこにはユミナ・イーリアという名が刻まれていた。


「お前は、ユミナというのか?可愛らしい、良い名を貰ったな。そうかそうか。覚えておいてやろう。ユミナよ。お前は間違いなく強者だったぞ。そういえば、お前には連れが居たようだが……あいつも中々、強そうだったな」


 俺がそう言うと、魔女ユミナは俯いたままびくっと肩を震わせ、俺が手に持つそれと似たペンダントを握って何かを呟き始めた。


「……っ……ラグ……にげて、おねがい…………ラグ……」


「……」


 哀れな魔女を眺め、ため息をつく。そうか。そうか。心を通わせた相棒というものは、良いものだな。心の拠り所があるということは、それだけで幸せなことだ。なあ、そう思わないか?相棒。俺は天井を見やり、くっと笑う。


「さて。俺は言いたいことを言った。次はお前の番だ。何か言い残すことはあるかい」


「っ…………魔王と話すことなんか、ない……ッ!!」


「そうか。残念だ」


 天井からすいと手渡された剣を抜き、翻して一閃。崩れ落ちて光に包まれるそれを横目に、俺は部屋を後にする。やれやれ、自慢の一張羅が台無しだ。


「ギルバートさまぁ」


 振り返ると、俺に続いて部屋から出てきたリリアがぼろぼろと泣きながら駆け寄ってくる。その小さな体は口元から足に掛けて吐き出したように赤く染まり、てらてらと光っていた。きちんと留め具まで閉めて羽織らせた俺の上着は、言わずもがなである。


「どうした?口の中でも切ったか?」


「ごめんなさいぃ。ギルバートさま。お、お借りした上着、汚しちゃいました」


「あぁ、気にしなくていい。俺もボロボロにしちまった。また新しい服を用意しないとな」


 血がこびりついた口元や、その可愛い顔の汚れを拭ってやり、そっと抱き上げて一緒に階段を上ってゆく。


「美味かったか?」


「はいっ!」


「なら良かった」


 やがて階段を上り、入口の傍に出ると、真っ赤に汚れた水桶とブラシを手にした看板娘が近くの部屋から出てくる。どこかくたびれた様子でため息を付いたその口から細長い触手がぬるりと顔を出し、頬に跳ねた血を拭って口の中に引っ込んだ。


「……もう終わったんですか?」


「おかげさまで楽に済んだよ。ありがとうなヴィヴィアン」


「あ、ありがとうございました!ヴィヴィアンさま」


 看板娘、もとい魔王ヴィヴィアンは少し得意げにその平らな胸を張り、口の端から触手を覗かせながらにんまりと笑う。こいつは、人間に寄生することでその身を我が物とする魔王。この宿は、この村は、こいつの餌場。人間の村に見せかけた、魔王の食卓である。


「……けど、本当に良かったのか?まるごと貰っちまって」


「あなたたち二人に貸しを作れるのなら、勇者の一人や二人くらい安いもんです。どうせまたすぐ別のが来ますからね。それじゃあ、次そっち片付けますから」


「あぁ、すまん。なあ、出来れば服を一着譲って欲しいんだが」


「そこの部屋のクローゼットに綺麗な服が入ってますから、好きに使ってください。ついでにもうすぐ夕飯の用意が出来ますから、せっかくですし食べていってください。ゴミ片付け終わったら、呼びますので」


「あ、あぁ。ありがとう。頂くよ」


 すたすたと階段を下りてゆくその背を見送り、俺は肩をすくめた。

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