第25話 幻想の襲来③

 PGC神奈川支部、最上階にある司令室――。

 平時には数人しかいないはずの部屋が、今は数十人の人間に埋め尽くされていた。

 その五段五列に配置された数十台の操作盤コンソールは、すべて使用されていて。


「どうなっている! 各区の監視班からの連絡は!」


「ダメです! 監視班から応答ありません!」


 前面の巨大スクリーンには、現在の由々しき事態がまざまざと映し出されていて。


「衛星より確認! C級幻想種・キマイラが約二百八十体、第八区に侵攻中!」


「同じくC級幻想種・オルトロスが約二百九十体、第六区に侵攻しています!」


「C級幻想種・トロールが約三百二十体、第二区に侵攻中!」


 最上段にある司令席では、重悟が険しい顔つきで矢継ぎ早に指示を出していた。


「各区の駐在班は自衛隊、警察と連携し、市民誘導を最優先させろ!」


「第三PGC訓練校にも連絡! 戦闘準備の要請だ!」


「全戦闘班! 迎撃準備に移れ! 一~五班は――」



 

「……何だよ、これ……」


 騒然とした司令室の光景に、冬馬がかすれた声で呟いた。

 雪姫とフィオナも、青ざめた顔でその光景を見つめている。

 ――結局、あの後三人は観戦室で重悟と入れ違ってしまい、とりあえずフィオナの案内で重悟がいる可能性が最も高い司令室にまでやって来たのだ。

 そして、目撃したのが眼前の光景である。

 特に、前面の巨大スクリーンに三人の目は釘付けになった。

 三つに分割された大画面。そのそれぞれの画面に映っていたものは――。


「……幻想種……。けど何なの、この数は……」


 震える声で呟く雪姫。それに続いてフィオナも呻く。


「ま、まさか、次の《血戦》が始まったの、ですか……?」


 雪姫が愕然とフィオナを見つめた。


「そんな《血戦》って……まだ《首都血戦》から三年しか経ってないのよ!」


「だ、だけど、こんないっぱいの幻想種で考えられるのは……」


 怯えた瞳で雪姫を見つめ返すフィオナ。

 そんな少女の眼差しに、雪姫が「うっ」と声を詰まらせていると、


「……いや、多分これは《血戦》じゃないな」


 緊張した声音で冬馬が告げる。


「と、冬馬? そうなの……?」


「……ああ、ざっと見たところ、あいつらの総数は千にも届いていない。《血戦》と呼ぶにはあまりにも寡兵だ」


「え? お、お金、ですか?」


「……『貨幣』じゃないよ。少数の兵、という意味だ」


 こんな時にまでボケるフィオナと、真面目に答える冬馬。

 余裕にさえ見える二人の態度に、雪姫は、まったくもうと嘆息し、


「とりあえず《血戦》じゃないのは分かったけど、じゃあ一体これは何なの?」


「……分からないな。多分何かしらの狙いがあるとは思うけど……」


 冬馬は腕を組み、瞑想し始める。


(この中途半端な軍勢は一体何なんだ? 人間への牽制か? それとも――)


 と、その時だった。


「――なッ! こ、これは! B級幻想種・リンドブルム一体、第六区に出現!」


「「「ッ!」」」


 場が一瞬にして凍りついた。

 B級幻想種・リンドブルム。それは、かつて東京を襲った天空の覇者。

 あまりの緊急事態に、すべての視線が重悟に集中する。

 注目を浴びた偉丈夫は静かに瞳を閉じた。


 そして、重苦しい沈黙が場を包み――。

 遂に、重悟は双眸を見開き、力ある言葉を言い放つ!


「総員に告ぐ! 第六区には私と一~五班が向かう! 六~十二班は第八区へ! 指揮は六班隊長に任せる! そして十三班はッ!」


 そこでフィオナを一瞥し、


「服部総隊長の指揮の元、特殊迎撃士フィオナ=メルザリオを伴い第二区へ向かうこと! そこで訓練校生達と合流し、幻想種を迎撃せよ!」


「――えッ、ちょっと待って下さい! フィオちゃんを戦わせるんですか!」


 思わず雪姫が反論の声を上げるが、重悟は平坦な声で、


「……当然だ。メルザリオ団員はこの支部の最高戦力と言っても過言ではない。今は戦力を出し惜しみ出来る状況ではないのだ」


「で、でも、フィオちゃんは、あなたの――」


 と、なお言い募ろうとする雪姫を、当人であるフィオナ自身が止めた。


「雪ちゃん……。ありがとう。でも、いいん、です」


「フィオちゃん……」


 キュッと眉を寄せる雪姫に、フィオナは穏やかな笑みを向ける。

 そして、彼女は義兄を真直ぐ見つめて、たどたどしい手で敬礼した。


「特殊迎撃士フィオナ=メルザリオ。第二区に向かい、幻想種を迎撃し、ます」


 重悟は一瞬だけ辛そうに顔を歪めるが、すぐに表情を改めて告げる。


「うむ。ではメルザリオ団員。屋外駐車場にある装甲車に向かいたまえ。あれには《スプラッシュ》用の固定器具がある。服部総隊長ならば上手く活用してくれるはずだ」


 フィオナはこくんと頷いた。

 そして、一人背を向けたその時――。



「――待った。その装甲車、俺も同乗していいかな?」



 沈黙していた冬馬が、ぼそりと告げる。


「――冬馬!」


 雪姫が驚愕の声を上げる。フィオナ、重悟も驚いた表情をしていた。

 目を剥く三人に、冬馬はポリポリと頬をかいて、


「どうせ訓練校に向かうんだし、電車で帰るのも億劫だから送ってもらいたいだけだよ」


「………ふゆ君」


 雪姫は柔らかな笑みで冬馬を見つめる。彼の考えていることはすぐに分かった。

 要するに冬馬は、フィオナのボディガードを買って出たのだ。

 訓練生の身で分不相応な申し出かもしれないが、C級を複数相手にしても平然と撃破する冬馬の実力は間違いなく一級品。頼もしい人材である。

 そして、そんな少年の意図に重悟が気付かないはずもなく――。


「……いいのかね、冬馬君」


「別に構わないっすよ。まあ、運賃変わりと思って下さい」


 と、冗談めいた口調で答える冬馬。そんな少年に、重悟は笑みを浮かべて、


「ふふ、では頼もうか」


「はい。全力を尽くします」


 冬馬は真剣な眼差しで重悟に答える。と、


「冬馬」「クロさん」


 雪姫とフィオナに、左右からくいくいとコートの袖を引っ張られた。

 まず先に、左側のフィオナが言う。


「……クロさん。ありがとう、です」


 頬を染めて俯く姿がこれまた愛らしい。つい少女の頭を撫でそうになり、冬馬はハッと思い留まった。重悟が鬼の形相で睨んでいたからである。


(あ、危なかった。あと一瞬、気付くのが遅かったら……)


 戦場に出る前から肝を冷やす冬馬。と、そこへ、


「ねえ、冬馬」


 今度は右側の雪姫が言う。


「私も行くわよ」


「……ダメだ」


「なんで? 私も訓練生、それも白服生よ。戦うのは当然でしょう」


「雪姫にはD級以上との戦闘経験はないだろ。今はここに残るべきだ」


 冬馬の物言いに、ぷくうと雪姫が頬を膨らます。


「さっきの高崎支部長の話、聞いてたでしょう? 訓練生はみんな戦うのよ。なのに私だけ安全圏にいろって言うの? 第一、それだと命令違反でしょう」


「うっ、それは……」


 つい言い淀んでしまう冬馬。横目でちらりと重悟を一瞥し、


(高崎支部長に頼めば、それぐらいは便宜を図ってくれそうだけど……)


「どうなの、冬馬。私に命令違反しろっていうの?」


 やや挑発的な雪姫の言葉に、冬馬はやれやれと溜息をつく。


(……仕方がないか。これ以上強行すれば、雪姫の誇りを傷つけてしまう)


 彼女の命を守れても、彼女の心を傷つけてしまっては意味がない。

 甚だ不本意ではあるが、冬馬は折れることにした。


「……分かったよ。一緒に行こう」


「ホント! ありがとう冬馬!」


 無邪気に喜ぶ雪姫。これから戦場に赴く緊張感がまるでない。

 眉をしかめた冬馬は、真剣な表情で雪姫に忠告する。


「雪姫。C級は力だけのD級とは格が違う。気を引き締めるんだ。でないと――死ぬぞ」


 あまりに厳しい冬馬の言葉に、雪姫は一瞬ギョッとするが、


「……ごめん、はしゃぎすぎた。分かった。気をつける」


 すぐに心を改め、神妙な顔で頷く。

 その眼差しはすでに戦士のものになっていた。

 見事なまでの少女の佇まいに、冬馬は満足げな笑みを浮かべる。


「うん。それでいい。……ところで高崎支部長。服部総隊長はすでに駐車場に?」


「ああ、彼女は今、駐車場で各戦闘班を指揮している。すでに全班、出撃準備は完了済みだそうだ。そこまでは私も同行しよう」


 重悟の回答に冬馬は無言で頷く。そして守るべき二人の少女へと告げる。


「――それじゃあ、雪姫、フィオ。俺達も行こう。二人とも覚悟は出来てるよな」


 少女達は静かに頷き返した。

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