第2章(全5話)

第2話-1 視線と爪痕

 新学期がスタートして数日が経った。

 授業はまあ二年ということもあって慣れた先生に教わるのがだいぶ楽に感じた。物理の白石先生(白髪なので『白髪の白石』と呼ばれている)は相変わらずおじいちゃんらしい授業。一般的には楽しいのかもしれないが、俺は内容を追っていくだけで頭がショートしそうになる。数学は相変わらず面白かった。英語は宮城先生の英語を久しぶりに聞いて鳥肌が立った。留学が生かされたネイティブな発音はまるで子守唄のようで、たまにチャイムで目を覚ます日がかなりあった。

 

 そんな今日も無事に五限まで終わり、俺は部室棟に向かっていた。



「お疲れーっす」

「おう、お疲れ」

 三年の先輩が先に着替えていた。部の伝統として部室棟が使えるのは三年と二年だけ。一年は授業で使う更衣室で着替えることになっている。今年から部室棟が使えるのはめちゃくちゃ便利だ。

「それにしても有平も災難だな」

 先輩が声を掛けてくる。

「先輩からもなんかいってくださいよ。倍、疲れるんすから」

「それは聞けない頼みだな」


 部活はあの事件以降、阿久津が隅々まで目を光らせている。俺と後藤に対しては刑務所の囚人かってほどの監視体制で、ランニングもちょっと手を抜くと鬼の形相で蹴りを入れてくる。

 その上、後藤がさぼれば二人一緒にもう一周追加されるという謎の連帯プレーに俺は困り果てていた。

「あいつのせいで俺英語寝ちゃうんすよ」

「それは有平の問題でしょ。それにどうせ物理も寝てんだろ」

「ちゃんと聞いてますって!」

 届かぬ要望を投げつけていると後藤がやってきた。

「うぃーっす」

「おうお疲れ。じゃあ二人とも、遅れるなよ」

 先輩たちが先に出て行った。後藤が黒にオレンジのラインが入ったユニフォームを取り出す。

「後藤、お前もさぼるなよ」

「んあ? なになに」

「俺が被害を受けるから」

「――っしゃ! いこうぜ~」

「聞けよ!」

 そういって俺も、後藤と色が反転したユニフォームを着て体育館へと向かった。



 ◆



 体育館に入ると一年たちがネットを張り終え、モップ掛けをしている。俺たちも去年はこんなんだったな、と少ししみじみした。

 一年がこっちに気付き体育館の端から挨拶をしてくる。

「ちわーっす!!」

 軽く手を挙げてから柔軟とウォーミングアップを始めた。

 しばらくすると再び一年の挨拶がこだまする。ジャージ姿の仁美が片手にストップウォッチを持って入ってきた。そのままこっちに向かってくる。

「お疲れ様」

「おつかれ。今日も走んの?」

「ああこれ? 違うよ。サーブ練のとき時間決めるんだって」

「ふーん」

「ねえ、瞬が寝てて宮城先生が悲しんでるからね。そこんとこよろしく」

 そう言い残すと仁美は部長のもとへ駆けていく。しばらくして部長の号令で練習が始まった。


 バレーボールは六人でコートに立つ。そのうち一人だけ小柄な選手がいる。この部ではそれが俺。171センチを優位に生かしたリベロだ。

 リベロは守備を行う選手でアタックを打ったりすることができない。サーブも打てない。だからサーブ練のときは俺が逆コートに入って他の部員が打ってきた球を拾う練習をする。時折、拾う瞬間に俺めがけてボールが飛んでくることがあり、その時はたいてい後藤が犯人。

「いいか一年。サーブ練のときはおもいっきしあいつを狙え」

「えっ……いいんすか後藤先輩」

「――よくねーよ!!」

 今年の一年は真面目すぎて怖い。

「あの後藤が仮にも先輩だもんな~」「だな」

 二、三年から上がる意見に俺も賛成だ。

 横にいたもう一人のリベロである新入り一年を呼び、なんとか顔面は避けろよとアドバイスをした。



 ◆



「お疲れっしたー!!!!」

 練習が終わり皆が散り散りに解散していく。一年はモップをかけてネットを畳んでから解散だ。

 体育館の壁際で仁美がビミョーに目で呼んでいる気がする。スポドリの入った飲みかけのペットボトルを咥えながら隣に座った。

「今年の一年生、良さそうだね」

「あー、だな。センスあるやつ多いね」

「大会、どうかな」

「それは無理っしょ。うち、そういうの目的じゃないし」

 実際うちの高校なんてバレーボールの強豪校じゃない。みんなそれを分かってるし、誰も優勝目指そうなんて言ってないのが事実だ。

「ったくもう。誰一人として向上心がないんだから。リベロの一年生はどうなの?」

「いいんじゃね。俺より上手いかも」

 その後輩がボールをカゴに入れ終えて体育館の出入り口に近づいてくるのを俺たちは眺めていた。その視線に気付いたのか、背筋を伸ばして一礼された。同じタイミングで俺と仁美が手を振る。

「ふふっ。瞬のかわいい後輩だね」

 他の一年はプレーを真似できる先輩が大勢いるが、リベロの彼は俺しか先輩がいない。嬉しいようで申し訳ないような複雑な心境。

 そこへ近づいてきた後藤がニヤニヤと後輩の肩に腕を回す。

「なんだよ~狙ってんのか?」

「えっ……ち、ちがいますよ!!!」

 何を言ってるのか理解したらしい。俺は後藤にタオルを投げつけた。

「バカ、いじめんなよ」

 開放された後輩君が「失礼します!」と元気に挨拶をしてから出て行った。

 後藤がタオルを俺の頭にかけながら話す。

「そういえばさ、そろそろゴールデンウィークじゃん? みんなで遊ぼうぜ~」

「遊ぶってなにすんの」

「別にまだ決めてないけどさ~。二人はデートか?」

 全然そんなこと決めてもいなかった俺たちは微妙な間を作る。

「まだなんも」

 しょうがなく俺のほうから答えておく。仁美もどことなく頷く。


 体育館の電気を消してから部室棟に向かった。仁美が階段下で待つというので俺と後藤は急いで帰り支度をした。

 そのまま久しぶりに三人で坂道を下っていると、仁美が口を開いた。


「ゴールデンウィークだけどさ、どうせその後中間テストじゃん」

「うん」

 そうだ、すぐ後にテストあんだっけか。

「だったら勉強会ってのはどう! 理系と文系が揃ってていいと思うんだけど」

「なるほどいいねそれ! 宗孝はオールマイティーで使えるし」

「おー」

 宗孝は全科目優秀だから大富豪でいうとジョーカー的なポジションだな。

「じゃあそんな感じで俺、宗孝に伝えておくわ!」


 そうして、俺たちの勉強会の開催が決定されたのだった。

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