第1話-7 2年3組、有平 瞬。

 約束だった17時からすでに気付けば一時間。

 俺と仁美は車が増え始めた長い坂道を下っていた。


「誰かさんのせいでこんな時間になっちゃったなあ」

「しょうがないじゃん。まあ悪かったって」

「『悪かった』ってなに」

「いや……ごめんなさい」

 話を聞けば駅近くのパルコでコスメキットが無料配布されてたらしい。しかもカップルで来店したらもらえる限定品。だからか。

 痴話喧嘩を繰り返しながら坂を下っていき、商店街まで下りてきた。

「コホン。有平君。もしちゃんと反省してるんだったらさ」

 仁美の視線の先には「きだいパン」の看板があった。



「いらっしゃ――あら瞬君! 仁美ちゃんも!」

「こんばんは~お母さん。お久しぶりです」

 俺は今日も会ったけど。

「久しぶりじゃない、元気にしてた? ちょっと待っててね。宗孝~!」

「あ、いいっすよ。別にすぐ帰っちゃうんで」

「あら、そう?」

 といっても、店の奥からスウェット姿の宗孝が顔を出した。

「おう、二人とも今頃帰りか」

「それがさー。大事件なんだよ木代君」

 ついさっき生まれたホットな話題を、愚痴を交えながら仁美が話す。自然な流れで仁美にこしあんぱんをおごらされ、店の奥、木代家のリビングにお邪魔した。宗孝が牛乳を注ぎながら仁美のトークショーを聞く間、俺は所在なさげに本棚の漫画をめくっていた。


 話を飲み込むとケラケラ笑う宗孝。

「やっぱ瞬と後藤はバレー部の問題児ってことだよね」

「ちげーよ、問題児なのは後藤。俺はひ・が・い・しゃだから」

 漫画を戻しながら反論する。そして時計を見て気付く。

「やべ、そろそろ帰るわ俺」

「えーしょうがないなぁ」

「予習終わってないんだよ。帰ってやんないと」

「真面目な問題児か」


 宗孝に軽く蹴りをいれ、会計をしていたお母さんに会釈をして店を出た。商店街はこの時間でも熱気が溢れている。

 駅に着き、改札を抜けホームに降りる階段で、仁美とは方向が逆のためここで分かれる。

「じゃあまた明日ね! ばいばーい」

「じゃなー」

 結局あとで連絡するとはいえまた明日といってしまう不思議。

 そしてホームに向かう途中、改札内にある郵便ポストの前で立ち止まる。リュックの中からしわがついた封筒を取り出す。折れた角を逆に折り返してから投函する。スマホを取り出し、一通だけ件名も本文もない空メールを送る。

 今日の事件はまた今度にでも書こう、そう思いながら電車を待った。



 ◆



 俺の方面は最初こそ人が乗るけどそのうちガラガラになっていく。自宅の最寄り駅に着くころにはまばらな人しか乗っていない。それくらい田舎なんだ。

 定期を見せながら電車を降り、まばらな街灯が照らす農道を歩く。田んぼに水が入ればカエルの合唱が響く道。

 家の明かりがぼんやりと見えてくる。玄関の近くまで来るとピアノの音が聞こえた。クラシックでもなくジャズでもない。四拍子の中、二拍めと四拍めにアクセントが入り、フィルインがパラパラと入る。この弾き方は姉貴だ。


「ただいまー」

 玄関を開けると香辛料の香りが鼻をつく。たぶんカレー。

 リビングに入ると母さんがテレビを見ていた。

「ただいま」

「おかえり、遅かったのね。ご飯チンして」

「あー」

 リュックを壁際に放り、鍋を火にかける。溶けかかっている不揃いなじゃがいもは畑でとれたやつだろう。湯気の立つ皿にカレーを盛りテーブルに運ぶ。

「いただきます」

 とりわけ母さんは何も言わない。半分寝てるようなまったりとした空気だ。テレビの音に混じりまだピアノの音が途切れ途切れに聞こえる。アップテンポな曲調だが聞き覚えはない。

 静かに食べ終わった食器を下げ、荷物を持って部屋に向かった。

 その途中、姉貴が電子ピアノのある角部屋から出てきた。


「あ」

「――なに」

「校長にボール投げつけたらしいじゃん」

 事実は小説よりも奇なり。

「ちげーよ、阿久津にだし。てか投げてないし。俺じゃないし」

「あんたすごいね、新学期早々いきなり話題の人になって」

「なりたくてなったわけじゃない」

「あ」

「――こんどはなに」

 姉貴は俺が持っている袋を見ている。

「それちょうだいよ」

「は? ああこれ、別にいいよ」

 きだいパンのクリームパン。こしあんとクリームの二択を仁美に差し出したときの片割れ。

「じゃあお礼に来な」

「嫌だ」

 抵抗空しく、腕を掴まれて角部屋へ引きずられた。


 うちには母さんが若い頃使っていたというグランドピアノが一応ある。防音室じゃないけど防音シートを張った簡易防音室の中に。でも夜は電子ピアノで音を絞って弾く、それがハウスルールらしい。母さんと姉貴の決めたルールだった。

 俺も小さい頃ピアノを母さんから教わった。姉貴は喜んで弾いてたけど俺は音楽そのものが向いてなく、小学生のときにはもう触ってすらいなかった。姉貴はクラシックピアノを母さんから教わり、やがて作曲の真似事をし始めた。そして高校に入ってバンドを組み、作曲を引き受けるようになった。

 俺がたいていこの角部屋に連行されるときは決まって、姉貴が作曲にいきずまったりしたときだ。アドバイスを求められても俺にはなんのことかわからないのになぜ呼ぶのか。

「ねえどっちがいいと思う?」

 そういって姉貴は二パターンのメロディを弾く。

「どっちもいいんじゃね」

 仁美との買い物でだいたい正解は知ってる。否定をしたら終わり。肯定だけしていればいい。

「役に立たない弟」

「うっせーよ。俺興味ないし」

「音楽は興味じゃないの。ピーンと、ガーンとくるかの世界なの」

「春コン?」

「そー。あと三曲仕上げないといけないからもうギリギリー」

 春コンとは姉貴のまとめる軽音楽部が四月にやるライブのこと。軽音楽部だけではなく吹奏楽部など音楽モノを扱う部が一緒になって、新入生獲得のためにコンサートを開くのが恒例だ。

 仁美が吹部に呼ばれたのはこれか。

「あのさ俺予習すっからもう行くよ」

「ちょっと、一つくらい意見出してから行きなさいよ」

 俺は逃げるようにして部屋へと走った。



 ◆



 風呂上がり、机の上には昨日と全く同じ位置に教科書たちが散らばっていた。

 ルーズリーフを新しく一枚取り出し、ページ数と図を写す。矢印を一本二本と書き足していくたびに余計に混乱してくる。

 公式を照らし合わせながら使える数値を当てはめる。全く見当違いな答えが出てはシャーペンを消しゴムに持ち替える。

 そんな単純作業をしているとスマホが短く振動した。仁美だ。


『帰り道文句しかいってなかったから忘れてた』『私のクラス、宮城先生が担任だったよ』

 宮城涼子 先生。英語の教師で、かなり人気が高い先生。

『へぇいいな。よかったじゃん当たりで』

 仁美は文系だから英語の先生が担任をしてくれるのはいいことだと思った。

『まあね』 鶏がほほを赤らめて焦げているスタンプ。

『瞬だって担任、小倉先生でしょ。良かったね』

『うん』

『これで物理もカンペキじゃん!』

 仁美が何を言っているのかすぐにはわからなかったが、そういえば物理の白石先生は小倉先生と呑み仲間だった。だからといって物理が改善されるわけじゃないだろ。


『がんばれ!』

『さんきゅ』


 俺は帰りの電車でダウンロードした鶏スタンプを使ってみた。

 使いやすいな、これ。

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