乙女の重ねた時間



 春めいた天気はぽかぽかとした陽気で、裏庭にでも行って前に遭遇した猫でも探してみようかと思い立ったジゼルは、のんびりと廊下を歩いていた。


「ジゼル!」

「あら、クラウス」


 いつぶりか、いやそんなに日は経っていないか。

 大きな声で呼ばれて聞き逃す要素がなく反応すると、声の主クラウスは真後ろからやって来るところだった。

 立ち止まって思っているうちに、すぐ前にまで長身は来た。


 早いな、と変な感心をしつつ、いつぞやの旅装束ではなく貴族が着るべき服であるクラウスを頭まで眺める。

 すると髪が少々乱れているではないか。

 唯一の残念な点を見つけて直してやろうと手を伸ばすと、手を掴まれたものでジゼルは驚いてクラウスの頭に向けていた目を顔に向ける。

 いやに真剣に見つめ返す目があった。

 「なに?」と聞くまでもなく向こうから切り出される。


「俺の見合いの話、ジゼルが出したのは本当か」

「見合い、ああ、あのお見合いの話ね。ジュリアとの話でしょう? あなたが二十五になるのにとデレックが困っていたから」


 首都のノークレス家に行ったとき予定通りクラウスとの縁談の話をした。

 今は亡き実の兄のひ孫にあたるノークレス家現当主はジゼルを言葉よりも先の抱擁で熱烈な歓迎をしてくれ、色々積もる話を聞いていると、昼に行ったはずなのに何気なく外を窺うと夕日色を目撃したのだったか。

 さすがにまずいと、でも自然な流れにして話を切り出すと彼は渋い顔に早変わりした。「確かにデレックのことはよく知っていますが、知っているからこそあいつのところに娘を……」云々、色々思うところがあったらしい。


 それでもジゼルとて考えずに流れに任せるだけと行ったわけではない。

 それは当事者が決めることであるし、デレックのところだからこそ遠慮なく押し掛けることもできると彼のメリットも混ぜながら話してみた。

 彼の妻は特に反対する様子はなかった。

 そしてジュリア本人も呼んで意見を聞こうというところまで持ち込むと、そこにいたのかというくらい素早く来たジュリアは「わたしは構いません! むしろやり遂げてみせます!」とよく分からないやる気を見せていた。

 つまりは構わないということで。

 ノークレス家内では、そのようにして話がまとまった。


 話をしておくと言っていた以上、デレックが領地に帰ってしまうことはないはずだ。

 しかし、様子見で顔合わせの場を設けるだけなら早くしてもいいのではないかと、話はトントン拍子にシモンズ家まで伝えられ、当事者であるクラウスにまで伝えられたのだろう。


 それにジュリアは可愛い。

 それはそれは可愛いから、さすがのクラウスも気に入ること間違いなしだと思うし、中身ももちろん可愛らしい。

 内心うんうんと頷いたジゼルはジュリアのことを言うべきか迷って、直接会うのだからその方がいいかと止めた代わりに率直な感想を述べておく。


「それよりもう二十五だったのね」

「ふざけんな!」


 すると間髪入れずに返されたのが、それだった。荒々しい声だ。

 掴まれた、ジゼルの手にかかる力が強まった。痛い。

 でも、顔をしかめることを制御するより、


「俺はそういうことを言ってるんじゃない!」


 怒鳴り声が突き刺さらんばかりのいきおいで向けられて、ジゼルは目を見張る。

 さっきの驚きと比べものにならない、クラウスに怒鳴られた記憶がこれまでになくそれゆえに驚いたのだ。

 不機嫌な様子はまだしもこれほど怒っている様子ははじめて――いや、最近見たような気がする。気のせいか。気のせいだ。

 違和感を抱えたものの、一瞬。


 目の前のクラウスに引き戻される。

 こうしてみるとそれまでの声が努めて抑えて出されていた響きだったかもしれない、と今さら思う。気のせいかもしれない。

 今、このようになっているから思っただけかもしれない。


 とにかくジゼルは驚きを隠せず、実際表情に出ていたのだろう。

 クラウスがはっと我に返ったように見えた。次にジゼルの掴まれた手に加わる力が緩まる、が手は離されなかった。


「クラウス……?」


 見開いた目をクラウスから離せないままクラウスを凝視していたジゼルは小さく呼びかけた。

 呼びかけずにはいられなかった。

 怒りに満ちた声とは裏腹に声が消えて手の力が弱まって、クラウスの表情が見たことがないくらいに弱々しかったから。


 蒼い双眸が揺れて見えた。


 呼びかけると、クラウスは手のひらですくうだけの形にしていたジゼルの手を柔く包む。


「なんで俺に見合いなんて寄越すんだ、それもジゼルが」

「なんで、って……」


 デレックが困っていた。

 なぜか言うのを躊躇していると、クラウスが言う。


「俺はジゼルを、おまえだけを愛している」


 なんだかそのまま言ってはいけない気がすると何と言おうかと考え出していたジゼルは愛している、とこれまでは言われなかったことに再度目を見開いてしまう。


 けれど、すぐに目を細める。


「……まさか、本気なの」


 ジゼルはクラウスからの求婚は元々本気にしていなかった。自分は呪われているから論外だったのだ。

 それにクラウスはもう呪いの詳細を知ったようだからもう求婚めいたことも聞かなくなるだろうと……でも今この言葉が本当に本気なのだとしたら。

 ジゼルはまさか、という口調で訊ねた。


「当たり前だろう」


 確固とした口調で返ってきた。

 ジゼルは一瞬言葉を失い、何と言おうかまた迷うことになって口を開いたり閉じたりして、確認する。


「……あなた、私の呪いのことを知っているのよね」

「ああ」

「それなのに?」

「そうだ」


 呆れた。ジゼルは息を吐くか吸うか迷った。結果浅く吸って吐く。

 あのね、と言いはじめる。


「私は歳は重ね、死ぬわ。そして戻ってくる」

「知っている」


 知っている、だと。

 ジゼルこそ、その言葉に怒りに似た感情が生じたことを感じる。冷めた目でクラウスを映す。


「知っているって?」


 思ったより低い、冷えた声が出た。

 ああこの際言おうではないか、と頭のどこかで自分が囁いた。


「じゃあそれでもいいとあなたが万が一言ったことにしましょう――黙って聞いて」

「……」

「考える余地があるとして例えばあなたが良くて私が良いと言うとでも思うの? 私は途中まであなたと歳を重ねて死ぬわ、もしもそうなったときそうなると分かっているのよね。そういうことね。じゃあそのあとは? 生まれ変わったあとはどうなるの、私が死んで生まれ直したあとは。捨てるのは一つの手ね。それとも私の隣にいる人は歳をとって、私は生まれ変わり、そのたびに娶るのかしら? そして私を――――私は最後には置いていかれるのかしら?」


 ジゼルは自分で言っておいて泣きそうな自分がいることを感じていた。でも泣かない、実際に家族は見送った。兄の子どもも見送った。

 そのときジゼルは悲しんでいただろうか。泣いただろうか。

 泣いた。


 兄が死んだときには……そう、三度目のときだった。生まれ直して十年目でジゼルは自分から命を断ったときがあった。

 今から何十年前のことだろうか、年老いた兄が死んで、ジゼルは絶望したのだ。

 この先もこんなことがあるのか、と。

 絶望して、堕ちた神の呪いによる寿命で死ぬ前に自分で命を終わらせたのならばよいのではないかと考えたこの上なく愚かなときがあった。

 愚かだった。

 ジゼルは再び帰ってきたのだから。堕ちた神の前に。

 そのときが一番の絶望だったろう。

 後にも先にもそれ以上の絶望に巡り会ったことは、ない。




 ジゼルはクラウスが幼かった頃を知っている。そして今、幼かったはずの子どもがこうして大きくなっていることを知らしめられる。

 伸びた背に、大きくなった身体に、一回り以上大きな手に、低くなった声に。証なんて数えきれない。

 ああ本当に大きくなった。認めよう。認めるしかない。


 また時はこんなに経った。あのクラウスがもう二十五とは、ジゼルが一度目に死んだ歳に重なる。

 そしてジゼルは今回その歳に至らない歳で死を迎えるだろう。

 あのときを越える年数を生きることはできない、むしろ徐々に生きられる歳は削られていき今回はあと何年か。身体の変調で時はないと悟っている。


 生まれたばかりの赤ん坊が可愛かった、小さい頃も可愛かった、その一方でいつも心の片隅で強く思うことがある。



 ――自分はきっとこの子も見送る


「私にもかつて母がいた父がいた兄も姉もいたわ」


 ジゼルの口からは言葉が止まらなかった。クラウスにぶつけるみたいに話し続ける。

 辛そうな色を宿す目から目は逸らさない。でも止めてと、そんな目で見ないでと心が叫んでいる。


「でも死んだわ。随分前に、全員いなくなったのは私が三度目のときだったかしら」


 しかし、三度目という言い方にずっと黙っていたクラウスが制する声をあげた。


「三度目とか言うな」

「事実よ。私が死んでまた歳を重ね直す、一度目二度目三度目、こう数えることが正しいでしょう」

「ジゼル!」


 うるさい、今名前を呼ばないでほしい。感情のままにとられたままだった手を振り払おうと腕を乱暴に振り上げる。

 手は外れその手が追いかけてくるから避けようとするのに、掴まる。


「クラウス」

「ジゼル、俺が悪かったからもうそれ以上言うな」

「あなたに言われてもね」

「ジゼ――」


 急にクラウスの声が途切れた。

 中にしまってあったはずの感情が混ざりかけて、冷え冷えと言葉を突きつけていたジゼルは訝しげになる。何だ急に、それに目が合わなくなった――


「なんだこれ……?」

「――っ」


 捕まえられた手首に力が微妙に加わったことでクラウスが見ている場所が明らかになって、クラウスが呟くと同じ時にそちらを見た。

 瞬間、ジゼルは反射的にとっさに袖を押さえようするもクラウスに袖捲られる方が先だった。


 ジゼルの頭が真っ白になった。


 見られた。



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