第8話



 札を丁寧に財布にしまった結城は、机にあったカネがなくなって人垣の薄くなったマモンの肩を突いた。


「マモンちゃん、なんで柳生ん家にホームステイしてんの? 柳生とどういう関係?」


 ホームステイ以上に関係があるか、と言う前に「そうだ、柳生と付き合ってるってほんと!?」「嘘だよね!? 一晩同じベッドにいたとか嘘だよね!?」「くっ、あいつ、あんな巨乳に手を出すなんて……」と男子たちが騒ぎ始めた。


 マズい。

 ここでマモンが誤解を招く発言をしたら、一貫の終わりである。風紀委員長として窮地に立たされた零司は「おい、今は自習時間だぞ。いい加減にしろよ」と言うものの、誰も聞く耳は持ってくれず、




「授業時間だというのに、騒がしいわね」




 ドアの開く音と共に、凛とした声が響いた。


 ソフィアだった。

 降臨された銀の女王に教室が水を打ったように静まり返る。日傘をステッキのように持ったソフィアは、厚底のヒールを鳴らし教室へ足を踏み入れた。


「胡桃沢先生がどういうわけか授業を放棄し、学校を走り去るのを見たわ。校長先生のところへ行けば、多額の献金を受けたとかで、急遽、高等部の二年一組に一人の留学生を受け入れたとか」


 宝玉のような紅い瞳が教室を見渡し、マモンの元で止まる。


「貴女ね、留学生というのは」


 ソフィアの表情はどこか冷ややかだった。珍しいことに零司のほうが緊張する。 会長はその容姿や地位を鼻にかけることなく、他の生徒と接している。その会長がマモンを気に入らないとすれば、あれだ。校則違反の塊であることが気に障っているのだ。

 ソフィアの視線を受けたマモンは瞬きをして、


「ねえ、レイジ。あれ、誰?」

「バカ! 会長に向かってあれとはなんだ。そして指をさすな。あの方はうちの生徒会長だ。先輩なんだから、敬って接しろ」


 ふーん、と言ったマモンは、ニッと笑うとソフィアへ近付いた。


「じゃあ、よろしく、生徒会長さん」


 握手でもするような感じでマモンが差し出したのは、また札束。

 それを一瞥すると、ソフィアはふっと口元を緩めた。


「そんなちり紙は結構よ、留学生さん」


 クラス中がざわめいた。


 まさかあれがティッシュだと見破ったのか……?

 零司は驚いてソフィアを見つめるが、薄い微笑からその真意は読み取れない。対するマモンの表情が強張る。


「ち、ちり紙じゃないぞ! それともこの程度のカネ、ちり紙だとでも言いたいのか!? だったら、もっと出してやるぞ!」

「ちり紙だから、私はそう言ったまで。貴女と同じことをしている人を駅前で見かけたことがあるわ。貴女もそこへ加わってきたらどうかしら」

「それはティッシュ配りのバイトだろ! あたしは姫だぞ! そんなことするわけないだろ!」


 憤然とするマモンに、ソフィアは大仰に嘆息する。


「随分、だらしのない身なりのお姫様がいたものね。……柳生くん、風紀委員長の貴方が彼女と同じクラスだなんて、つくづく苦労をかけるわね」


 話を向けられた零司は反射的に「いえ……」と言いかけたが、


「はあ? どうしてあたしのレイジが苦労するんだ? 生徒会長さんには、あたしとレイジのことはカンケーないだろ」


 ソフィアの眉が、ぴくり、と動いた。

 財閥のお嬢様VS王国のお姫様の舌戦を見守っていたクラスのざわめきが大きくなる。零司の背に冷や汗が滲んだ。


「おいっ、誤解されるようなことを言うな! 会長、違うんです、こいつは……!」

「昨日しちゃったもんねー。言い逃れできない痕もレイジのカラダにしっかり残ってるし。あたしとレイジはもう一つなんだぞ!」


 ああ、終わった……。


 どっと沸いたクラスで、零司は脱力した。もうおしまいだ。不純異性交遊の噂は今、真実になってしまった。いくらこいつは悪魔で、それは契約の話だと言っても誰も信じてくれないだろう。


 真っ白に燃え尽きている零司へ、ソフィアが視線を投げた。どことなくその目が汚らわしいものを見るようで、零司はいたたまれなくなる。


「……これ以上、貴女と話すのは無意味ね。生徒会長として、どんな留学生が来たのか知っておきたかっただけだもの。いいこと、みなさん。今は授業中よ。席について静かになさい」


 毅然とした一言で教室を静かにさせたソフィアはドレスの裾を翻すと、入ってきたときと同じように足音高く教室を出て行った。


「えへへ、勝った勝ったー」


 自席で遠い目をして放心する零司の隣では、悪魔がニヤニヤと笑みを浮かべるのだった。



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