第2話 霧を纏う里

 野次馬に囲まれた公園を抜け、私はこそこそと近くの神社に逃げ込んだ。小さな社に手を合わせ、「ちょっとごめんよ」と断りを入れる。賽銭箱さいせんばこを跨いで社の中に入り、ポケットから札を漁った。


「確かこの辺に······」


 パーカーのポケットは、いくつもの札を適当にめちゃくちゃに詰め込んでいるからか、すぐに望んだ札が出てこない。次から小物入れでも持ち歩こうか、と考えたこともあったが、いざという時にもたついてしまう。

 いっその事、札を入れる場所を変えようか。


「あ、あった」


 ポケットから青い墨文字の札がクシャクシャになって出てきた。それを出来るだけ綺麗に伸ばし、床に叩きつけてしゅを唱える。



「姿映らぬ人の世よ 我が身を霧に眠らせよ

 浮世の里へ誘い給え」



 おまじないにすら聞こえない怪しげな文言をかけると、札から蜘蛛の巣のように光の筋が伸びて、床一面を包み込んだ。放たれる青い光が、目も開けられなくなるほどに輝くと騒がしかった音が消え、静かな空気が漂う。


 ──社の戸を開くと辺り一面を霧が包んでいた。その中をまっすぐ歩いていくと、天まで届きそうなほど大きな門が現れた。「万里の長城か!」と突っ込みたくなるほど長い塀があり、その向こう側は覗くことも出来ない。


 ありったけのチカラで木製の門を開けると、そこは華やかな江戸の街があり、隔絶された里とは思えない街並みが広がっていた。そもそもこれを、『里』と呼んで良いものか悩みどころだ。





 この江戸の街は『霧の里』と呼ばれる、不思議な世界だ。

 あの世とこの世の境を通る霊道のうち、使われなくなった霊道の一つに巣食った幽霊の里。

『恨み』を持った幽霊たちの溜まり場。

 行き場のない者の最後の拠り所。

 あらゆる言われ方をするが、私にとって馴染みのある言葉で言えば、『異次元』だろうか。


 の話によれば、平安から少しずつ組み立てては拡張し、江戸の頃までに今の形になったというのだから、人の持つ継続と創造の力の凄さを思い知らされる。

 だが江戸以降は全く誰も里に入ってこなかったようで、この里の新人は私だけだし、元々いた住民も成仏した。お陰で、ここに住まう人の大半は江戸時代の人間らしい。




 人の賑わう大通りを抜け、小高い丘の石段を上る。丘の上に構える大きなお屋敷に入ると、黒い和服の大男が玄関の掃除をしていた。

 私に気がつくなり、男はあからさまに不機嫌な表情になった。私はそれを、わざと気付かないふりをして屋敷に上がった。


「奏! ちゃんと挨拶をしろ。挨拶は人としての基本だぞ」

「お疲れさんで〜す」

「違うだろ! 俺が言いたいのは······」

「ご苦労さまで〜す」


 私が廊下に一歩踏み出した時、目と鼻の先で壁にほうきが突き刺さった。派手な音を立てて箒の柄が歪み、壁もパラパラと破片をこぼす。

 私は黙って大男の方を睨んだ。



「帰ってきたら、『ただいま』と言うのが基本だろう。やり直せ」



 まぁ、彼が正論だ。だが私はやり直す気はない。



「お前はっ! 物の正しい扱い方を覚えろよ!」



 突き刺さった箒を引き抜き、そのまま大男に投げつけた。片手で箒を受け止めると、大男は怒鳴り声をあげた。


「師匠に向かって! 『お前』とは何だ!」

「うるっさいなぁ! いちいち細けぇこといいやがって! 語源的には問題ないだろ!」

「語源があっているからといって目上の者に使うべき言葉ではない! 表に出ろ! もう一度礼儀を叩き込んでやる!」

「おうおう、いいよ。血の気の多い師匠め、またねじ伏せてやろうか!」


 そして案の定、喧嘩勃発。

 私と······もとい、祓い屋の師匠──望月夜来もちづきやらいは何かと気が合わない。そもそも、性格が正反対なのだ。

 毎日些細なことで口論になっては、屋敷を破壊するほどの大喧嘩を引き起こす、はた迷惑なトラブルメーカーとなっている。


 だがそれが私たちの日課だった。私は今日も望月を睨みつけ、外に出る。

 少しでも動いたら殴り合いの大喧嘩。そのきっかけを探り合い、どちらが先に飛び出すかを窺う。まさに一触即発。しかし、今日の喧嘩は不完全燃焼で終わった。



「たっ、助けてくれぇぇぇ!!」



 屋敷に一人の男が飛び込んできたのだ。着物問屋の裏の、長屋に住む藤次郎だ。望月の気はその男に注がれる。藤次郎は敷石に倒れ、苦しそうに空気を貪る。望月が血相を変えて駆け寄った。


「どうした、何かあったのか!?」

「むっ······むっ······むっ······むす······」


 慌ててきたのだろう。汗をダラダラ流して話せないくらい息が切れていた。でも話してもらえないと、私の頭の補填では「おむすび盗まれた」というなんとも小さな事件で終わってしまう。


 どうにか藤次郎を落ち着かせようと、私がそこにあったバケツの水を持ってくると、藤次郎は私のパーカーを掴んで揺さぶった。地面に撒いた水を踏みつけ、充血した目を顔を近づけ、切羽詰まった叫びを浴びせた。




「息子が攫われたんだぁぁぁぁぁ!」

「うーわ汗くせぇ······」

「こらっ! 事態を考えろ!」




 ──落ち着かせること数分が経ち、どうにか藤次郎を玄関に座らせて話を聞いた。藤次郎の話によると、息子と一緒に現世の山に山菜を採りに行ったらしい。

 ······幽霊が山菜を採る、と言っても物理的な意味合いではない。

 植物や食べ物が持つ霊体を、『拝借』といって貰っていくだけだ。別に、拝借されたかといって死ぬわけでもない。ただ、腐るのが少し早くなる程度だ。


 山を下りる途中で、綺麗な滝を見つけてそこで休んでいたら、息子がいきなり滝壺に引きずり込まれたとのことだった。


 望月が腕を組んで唸る。私は隠れて欠伸をする。

 緊急事態ということは分かっているが、私にはどうしても暇だった。


「奏、どう思う?」

「ふぁぁ〜······え? ああ、赤が良いんじゃない?」


 後頭部に走る衝撃に目が回った。強い力が無理やり脳を揺らす感覚に一瞬だけ理解が追いつかなかった。組んでいた望月の右腕がそこに無いことから、やられたことが分かる。私は苛立ちを覚えた。


「ま──」

「はいはいはい。『真面目に答えろ』って言うんでしょ。ゲンコツしなくたって分かってるっつーの、いったいなぁ······。ふ〜ん、滝壺に引きずり込まれたねぇ」

「行ってみんことには分からんが、アレだろう」


 察しろと言わんばかりに睨んでくるが、私はわざとらしくとぼけてみせる。望月は「いい加減にしろ」と私を叱る。

 私は望月の言いたいことなんて、最初から分かっていた。



 要は、妖怪の仕業だと言いたいのだ。



 望月が睨むとおり、確かに私は滝に棲む妖怪を知っている。男を引きずり込んだということから、相手が誰かも理解した。ただ望月の察してほしいことはもう一つある。



亜種デミでは無いね。もしそうなら藤次郎さんも一緒に引きずり込まれただろうから」



 望月が深いため息をついた。安堵のような、呆れているような。······気持ちは分からないでもない。

 そうか、と言って望月は私を見つめる。真剣な目だ。私と同じ、山吹色の双眸そうぼうは、私に嫌な予感をさせた。



「お前に任せるぞ。場合によっては



 突然、仕事の依頼をされて、私は表情筋が固まる。望月は眉間にシワを寄せ、顎を指で撫でる。「断るつもりじゃないだろうな?」と問いかける目に、私は全力で拒否しようとしたが、藤次郎に土下座で頼まれた。


「頼む! 息子を連れて帰ってきてくれ! 息子が帰ってくるなら何だってする!」

「いや、それはいい」


 ──どうせ嘘だ。


「奏、ここまで言われて拒むなら三年間毎日、かわやの掃除だからな」

「はっ!? 何それ! そんな横暴通るはずがねぇだろ! ······はいはいはい、分かりました。分かりましたよ! 行けばいいんだろっ!」


 全く······今帰って来たばかりだというのに、どうしてウチの師匠はこんなにも人使いが荒いのだろう。


 私が文句を垂らして玄関を出ると、望月の勝ち誇ったようなドヤ顔が頭に浮かんだ。後ろを見ていないから、本当はどんな表情カオをしているかなんて知らない。だが、その顔が脳裏をチラつくと段々腹立たしくなってくる。


「気をつけろよ」


 私を気遣う言葉も、何だか小馬鹿にしているように聞こえた。

 ······帰ってきた時、喧嘩になってもいい。いや、喧嘩する前提でやってやろう。

 ポケットに入った、今朝捕まえた瑠璃色の球体を握る。それを望月目掛けて、全力投球してやろう。

 そういえばさっき、望月が言っていたな。──『挨拶は人としての基本だ』と。




「行ってきまぁぁぁす!」




 私が投げた球体が、望月の額にクリーンヒットした。いい所に当たったのか、望月は倒れて動かなくなった。藤次郎が必死に体を揺すっても、望月に反応はなかった。

 私は逃げるように里を駆け抜けた。大通りの人混みを避け、米俵を詰んだ荷車を飛び越え、門を抜けたところでようやく望月の怒号が里中に響き渡った。

 私は舌を出して、濃ゆい霧に身を委ねる。大嫌いな現世が、私に腕を広げていた。

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