第四章 ふたりの居場所 2

 そんなこんなで、昼休みは旧校舎の屋上階で昼食を食べて、そのあとトランプに興じるという日々が続いた。

 そして、これはどんな娯楽にも避けられない運命なのだが、飽きというものは必ずやって来るのであった。

「トランプあきたねー」

 と白川が机の上に突っ伏して言う。白川の意見に、私も同意だった。私たちはトランプでババ抜きや大富豪、七並べやスピード、ダウトや果てはトランプタワー建設合戦など、ありとあらゆる遊びに手を出した。

 そして飽きた。しばらくトランプは見たくない。

「飽きたね……」と白川に返す。

 そんなやりとりを交わし、準備室は沈黙に包まれた。トランプ以外の娯楽を考える。出てきたのは、携帯ゲーム機であったり、ウノであったり、果てはトレーディングカードゲームだった。

「どう、何か出てきた?」良い案が出てこないので、白川に尋ねてみる。

「ふふふ、心配ご無用」

 特に心配はしていないが、白川に何か案があるみたいなので、おやと思い耳を傾ける。

「すぽーーーーーーてぃな遊びをしましょう」

 やたらと『ぽ』を伸ばす白川であった。

「ははあ、スポーティーと来たか。で、どこで?」

 準備室はお世辞にも広いとは言えない。むしろ狭いのである。そんな場所で出来るすぽーてぃーな遊びというものはあるのだろうか。

「もちろん、ここじゃないよ」

 白川はそう言って口を閉ざし、俯いて腕を組んで「ふっふっふ……」と笑い声を漏らす。

 勿体をつけなくていいぞ、と思った。

「で、どこ?」

「あそこさあ!」

 と白川は勢いよく言って、ずびしと一つの方向を指さす。

 そこは壁だった。

「…………どこのこと?」

「屋上のこと」

「なーる」

 白川の言葉を聞いた私は準備室を出て、屋上に続く扉の前に立つ。扉には窓がついており、屋上の景色を見ることができる。

 屋上は緑の鉄柵が張り巡らされている。またその柵とは別に、屋上の四隅には緑のポールが立ててあった。そのポール同士には、ゴルフ練習場にありそうな緑の網が、屋上をぐるりと囲むように張り巡らされている。なるほど、これだとボール遊びをしても不具合はなさそうだ。

 それはさておき、と私はドアノブを捻る。すると、準備室のときとは違い、しっかりと抵抗があった。

「……鍵、かかってるよ?」

「え、うそ。……ほんとだ」

 白川はしばらくの間ガチャガチャと手を捻ってドアを開こうとしたが、そのうちに諦めた。

「……いいじゃんか、開いてよー、なんだよー」

 そう言葉を漏らして肩を落とす白川を見ていると、少し居たたまれない気持ちになってしまう。

「仕方ない。ここは黒田さんが一肌脱いであげよう」

「ヌードになるの?」

「言葉をそのまま捉えないでくれない?」

「あはは、じょーだんだってば」

 本当に冗談なのだろうか。白川の言動は冗談かそうでないかが判別しにくい。

 目的を果たすため、私は階段を下りて校舎の外に向かう。白川もついてきた。

 私たちは中庭を抜ける。ちなみに、中庭は新・旧校舎のほぼ中央にあり、昼休みは昼食をとる人たちで溢れている。それも男女ペアが多い。

 そんな彼らのラブラブチュッチュ空間を、私たち二人は肩で風を切って歩き抜け、角を曲がる。そうして辿り着いたのは、旧校舎の非常階段だった。

「なるほどねー」

 と白川が後ろで納得していた。察しがよくて助かる。私たちは非常階段を上る。一階から二階、二階から三階、そして屋上へ。その途中、カップルが踊り場で乳繰り合っていたが見なかったことにした。

 それにしても思うのだが、私たちがヤンキー扱いされるのならば、今のカップルは何扱いされるのだろうか。そこまで尖った見た目ではなかったので、普段は極々普通の生徒という扱いをされているのだろうか。無論、不純異性交遊的な行為は校則違反のはずだ。男女交際を校則で規定されるというのも、何かおかしな感じではあるけれど。

 などと私が考えていると、後ろで白川が「わーきゃー」と小さく声を漏らしながら、小走りで階段を上ってきた。白川には少し刺激が強すぎたみたいだ。

「ねえねえ曜子ちゃん、今の見た⁉」

 白川が興奮気味にそう尋ねてくる。私は首だけ回して白川の方を見る。白川は頬を赤く染めていた。

「ああ、うん。見たけど」

「いやあ、若気が爆発ボンバってたね!」

 と大声で言う白川であった。若気を抑えきれてなかった先ほどの二人に、間違えなく聞こえているはずの声量だ。

「……ぼんば?」

「爆発してるの意」

 白川はそう言って胸を張った。

「……中々そんな表現使わないと思うけど」

「今考えたぜ」

「さいですか」

 そんなやりとりをしているうちに、階段の終わりに到着する。

 緑の鉄柵、緑の網の外側に、私たちは立っていた。

「……ビンゴ」

 そう私は漏らす。私の前には、外側から出入りするために設けられた鉄柵の扉がある。そして、その下には隙間があった。鉄柵の足部分、その高さだけ空いているのだ。ずさんな作りである。

「さて、白川、ちょっと待っててね」

 私はそう言って膝をつき、匍匐前進の要領で前に進む。隙間を通り抜け、柵の中に到着した。

「うんまあ、思ってはいたけど」

 と言って自分の制服を見る。汚れに汚れていた。これはクリーニング行きだな。

「曜子ちゃん汚れに耐えてよく頑張った! 感動した!」

 と白川が何代か前の総理大臣の真似をして、賞賛してくる。それを聞いた私は、苦笑しつつも「ありがと」と手を振って返した。

 さて、ここからが問題である。まあ、大した問題じゃないのだが。要は鍵が付いている方向の話だ。

 先ほどは開かなかった屋上の扉に向かう。やはり、ドアノブには鍵穴ではなく、サムターンがついていた。サムターンとはドアの室内側にある、手でつまんで捻れば開錠できるつまみのことである。

 要するに、あの扉は室内側と室外側が真逆に付けられていたのだ。おそらく、生徒が屋上に出ないようにするためだろう。目の前にあるサムターン、私はそれを捻って開錠する。その後、ノブを回すと扉が開き、先ほどまで私たちがいた空間がそこにはあった。

「白川、開いたよ」

 と相手に聞こえるか聞こえないかの声量で言い、頭上に両腕で丸を作る。

「ほんと⁉ やったー!」

 白川はそう喜びの声を上げて、どたどたと慌ただしく階段を下りていった。

 それから少しして、白川が屋上にやってくる。

「よっしゃボール遊びするぞー!」

 と意気込む白川であるが、しかしそうするには問題があった。

「ボール、持ってるの?」

「……いや、持ってないけど」

「でしょうね」

 さすがの白川も、トランプは携帯していても、ボールは携帯していなかった。

「さすがにもう時間ないし、諦める?」

 私はそう白川に提案する。白川はうむむと呻いて思案したあと、「仕方ないね」と明るく笑った。

「じゃあ、また……」

 明日、と私は言おうとした。すると、そんな私を遮って白川が口を開く。

「放課後で!」

「……放課後で?」

 そこまでしてボール遊びがしたいのか、と思う。放課後にボール遊びとは、小学生時代に戻ったみたいだ。

「ダメかな?」

 と白川が小首を傾げて尋ねてくる。そういう対応をされると、無碍には断りにくくなってしまうのであった。

 考えれば、放課後になったところで、私は別に何をするわけでもない。部活等には所属しておらず、やることといえば、家に帰ってそのまま適当に過ごすだけだ。

 だから別に、放課後ここでボール遊びをしたいという白川の要望は、断る理由がなかった。

「……いいよ。じゃあ放課後、適当にあそぼっか」

「よっしゃー!」

 と白川が喜色を露わにし、両腕を力強く天に捧げる。そのまま膝をつけば洋画で見たようなポーズになりそうだった。

 そんなこんなで、放課後ボール遊びをすることになった。……子供か。


 放課後、旧校舎屋上に私たちは集まる。私は制服姿だが、白川は体育用のジャージに着替えており、髪を結んでポニーテールにしている。見た目だけは運動部みたいだった。

 そしてその白川であるが、その手にはしっかりとボールが握られていた。ボールは小学校の体育で使われそうな、そこそこの大きさのものだ。ドッジボールとかでよく使ったものに酷似していた。

 しかし、ここで一つ疑問が浮かぶ。高校の体育でこのようなボールを使う授業というのはあまり見ない。というか、皆無かもしれない。では、白川はこのボールをどこから持ってきたのだろうか。

「これ、どうやって?」

「授業中抜け出して買ってきた」

 とのことだった。私たち二人はよく不良とかヤンキー的な扱いを受けるが(不本意ながら)、白川の場合は本人の自覚の有無を問わず、やっている行為は間違いなく不良だった。

「…………その行動力はまあ、うん、すごいとは思うけど」

 どれだけボール遊びがしたかったのだろうか、という疑問はどうしても浮かんでしまう。

 彼方では運動部のかけ声が聞こえている。部活によって声の出し方は様々だ。そんな彼らの声をBGMにしながら、私たち二人の放課後屋上ボール遊び活動は始まったのであった。

「で、何するの?」

「二人ドッジボールとかしてみる?」

「聞いたことないぞそんな競技」

 私がそう言うと、白川は「まあまあ、案ずるより産むが易しだよ」と言って、屋上の柵を指す。

「あの柵のところが、ちょうど屋上の半分ぐらいだから、そこからあっちが曜子ちゃんの陣地で、そこからこっちが私の陣地」

「ルールは?」

「ボール当てられたら負け」

「単純明快でなにより」

 そう言葉を交わし、私たちはジャンケンをしてボールの優先権を決める。先行は白川からだった。

 二人して陣地に分かれ、ゲームスタート。私の陣地は、屋上の正規入り口側にある。一方、白川の陣地は非常階段側だ。屋上はそれなりの広さがあり、使用しているのは私たち二人だけである。とにかく、自陣及び敵陣が広い。

 などと考えていると、白川がボールを持ってこちらに近寄って来た。白川は両手でボールを担ぎ、それをそのまま投げてくる。無論、そのようなフォームで投げられたボールの速度など、大したものでは……。

「わっ、ちょっ」

 と私は慌てた声を出して、ボールを回避する。白川の投げたボールは、思いのほか速かったのだ。

 私が避けたボールは、そのまま屋上の壁に当たって乾いた音を響かせる。私はそれを拾おうと近寄るが、壁にぶつかってもなお、速い。あと少しのところで、私は拾い損なってしまった。

「もらったぜぇ!」

 と白川がいつもとは違った猛々しい声を出しつつ、ボールを処理して第二投。今度も同様に両手で担いだような姿勢から、宙で一回転するような勢いで投球する。先ほどよりもさらに速度が乗ったそれを、回避するか受け止めるか、二択が私に提示される。

「それはどうかな!」

 と私も思わず声を張り上げてしまい、正面から白川のボールに対峙する。かなりの速度を持ったそれは、少しも“おじぎ”することなく飛来する。ボールを受け止めやすい場所は体の中心である腹部なのだが、ボールの高さは私の胸元ぐらいまであり、少々受け止め辛い。

 なので、私は身軽に跳躍し、そのボールの高さと自身の位置を合わせ、捕球する。ボールを取った瞬間、私の体に軽い衝撃が奔った。

「くく、やりおるわ」

 白川がそう余裕たっぷりに言う。何キャラだお前は、と思いつつ、その態度は私の闘争心を奮い立たせた。

「けっこうな余裕じゃない。凍り付かせてあげる」

「おっ、曜子ちゃんもノッてきたね」

「…………いくわよ」

 白川の言葉を聞いて我に返り、少しの羞恥を覚えながらも、ボールを持って白川に近づく。私は片手でボールを持ち、それを上手で投げた。それなりの速度が出たボールは、白川に難なくキャッチされる。

 これ、もしかして私に勝ち目がないのではなかろうか。今のボールは私のほぼ全力だし、白川の全力は先ほどの通りだ。いや、あれも全力ですらないかもしれない。

 などと考えていると、白川がボールを担ぎ、こちらに近寄る。

 攻撃がやってくる。


 そんなこんなで一進一退の攻防が続く。白川の方が私より白星が多いだろうが、それでもトータルの戦績で言えば四分六だろうか。四は無論、私である。

 遊んでいるうちに、時間は早く過ぎていった。彼方の空では夕日が綺麗な赤光を放ち、鮮烈なその光は見る者の網膜を傷つけるであろう。しかし、それでも魅了されたように見てしまう光だった。

 そんな光を浴びながら、私たちは屋上の隅に集まって膝をついていた。

 私たちの視線の先にあるのは、先ほど使っていたボールである。ボールは屋上を転がり、柵の下を潜り抜けて、屋上の端に到着して止まった。

「……どうしよっか」

 と私が言うと、白川は「心配ご無用!」と元気よく、そして明るく返してきた。

「というと?」

「さっきみたいに外から取れば大丈夫」

 なるほど、白川の言っていることには一理ある。しかし、今ボールがある場所は屋上の入り口側、つまり非常階段から反対側である。鉄柵の外側と、屋上の端にはそれなりの足場があるが、それでも危険なことには変わりない。

「……私、行くけど」

 白川に行かせるのは不安で仕方がなかった。だって白川だし。

「あ、ひょっとして私だと危なっかしいとか思ってるな」

 私の心中を察した白川が、そう言ってくる。私はそれを聞いて苦笑する。

「まあ、ね」

「おおぅ、特に誤魔化されることなく言われるとは」

「だって、普段の白川見てると、ねえ」

 遅刻はザラ。落とし物はしょっちゅう。授業は半分近く居眠りしている。とにかく、白川には安定感というものがないのだ。ぐらぐらとしている人間を、足場が悪い場所に行かせるのは気が引ける。

「それは……、否定できない。だがしかし、私を止めることなど、誰にもできないのだわっはっは」

 と白川は高笑いして、屋上を走り去ってしまう。その背中を追うべきか迷った私は、諦めて屋上で待機することにした。

 少しして、白川が非常階段から上ってきた。

「乳繰り合ってるカップルはいなかったよー!」

 という不要な報告をしつつ、白川は屋上の端をするすると進んでいく。その足取りは軽く、それ故に不安を掻き立てる。

「白川、もうちょっとゆっくり行きな」

「ん、なんで?」

「見てて怖い」

「らじゃ、ゆっくりいくぜ」

 白川は進む速度を落とし、ボールへと向かっていく。私はその一挙手一投足を見ながら、内心ハラハラしていた。

 だって白川だし。

「ほい到着。そっち転がすよ?」

 ボールのそばに辿り着いた白川が、顔をあげてそう言ってくる。

「ん、よろしく。気を付けてね」

「ほいほい、とりゃ」

 と言って白川がボールを手で転がす。ボールは屋上の柵を潜り抜け、私の足元にやってきた。

「よっしゃ、これでいいな」

「うんありがとう。助かった。帰りもまあ、気を付けて」

「ははは、心配ご無用」

 そう言って白川はすっくと立ちあがる。

「だから、姿勢を高くするのはやめなさ」

 最後まで言い切れず、私は目の前の光景にしばし見惚れる。目の前に立つ白川、その背後には燃えるような夕日が存在している。橙色の光に照らされたその顔には、深い陰影が現れる。夕日に照らされている部分は、白川の滑らかな肌が強調される形になり、実に綺麗だ。そして、影になっている部分は、普段明るい白川の内側に何かがあることを、特に理由なく、そして強く感じさせた。

 この国に生きる人間としては、色素が少し薄いその髪は、夕日に照らされて金色に輝くようだった。微風が白川の髪を撫でて、ゆっくりと波立たせる。髪がなびくたびに、光の反射具合が変わり、ときおり光の粒が弾けているようにも見えた。

 私はこのとき生まれて初めて、美しいものに心を奪われる、という経験をした。

「……ん、どしたん?」

 白川が不思議そうな顔をして、そう尋ねてくる。考え事の途中、不意打ちのように問われた私は、多少の焦りを覚えつつ、「いや、なんでもないよ」と返す。少し早口になったような気がした。

「あそ、まあ、それならいいんだけど」

 と言って、白川はにっこりと笑みを浮かべる。自然のライティングの妙だろうか、その笑顔を写真に撮って保存したい欲求に、私は駆られてしまった。

 そんな私はさておき、白川はやってきた道を引き返し始める。その後ろ姿を、私は両手でボールを抱えたまま、ただ見送った。

 その間、私の心臓はいつもより早く脈打っている。

 これはきっと、白川が危ない目に遭わないか心配だからだ。そう、自分に言い聞かせた。

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