第四章 ふたりの居場所


 美術室での一件以降、私と白川はよく話す間柄となった。そうなった理由は、あの一件だけではない。私たちが、クラスに存在するどのコミュニティーにも属していないことが大きいだろう。

 そして私たち二人がそうやって仲良くなるにつれて、私たち二人は教室で浮くようになった。いや、浮くという表現は少し正しくない。腫物のような存在になった。

 級友は皆、『一応クラスメイトだから』、といった風に私たちと接してくれる。なので、今のところ私も白川も、誰かから嫌がらせを受けるということはない。ただ、それと居場所の有無は、また別の話である。教室という場所が水で溢れているとするならば、私と白川は油であった。それらの姿形は似ているが、決して混ざりあうことはない。

 どうやら私たち――とりわけ私は、『必要ないのに教師に歯向かったヤンキー』と思われているようだった。おかしい、中学では品行方正で成績優秀だったのに。

 そんな空気が充満している教室は、少し息が詰まる。それは、白川も同じだったらしい。

 ある日。

「ねえ、ここじゃなくて、どこかに行かない?」

「ああいいね、それ賛成」

 という会話が自然と発生した。

 それ以来、私たちは教室で過ごさなければならない時間以外を、教室以外の場所で過ごすようになった。科目と科目の間にある短い休み時間では、二人で校内を散策したり、何を買うでもないのに二人で購買部に行ったりする。

 昼休みは、二人でいち早く購買部に行ってパンを買い、購買部の隣にある自販機コーナーでジュースを買う。それらを持って校内を歩きに歩き、適当な場所があればそこで食べることにした。

 私たちが昼食を食べた場所は、中庭もあれば食堂もあり、校舎裏もあれば空き教室もあった。そしてそんな日々を続けた果てに、私たちは旧校舎の屋上階にある、準備室に辿り着いたのだ。

 私たちの学校は、新校舎と旧校舎がある。新校舎には各学年のクラスルームと職員室、そして購買部がある。旧校舎には、各科目の実習室や、かつてのクラスルームが存在していた。実習室はさておき、かつてのクラスルームは今やただの空き教室と化している。有効利用してあげて欲しいところだ。

 旧校舎は廊下のタイルが所々割れており、新校舎のような活気は皆無だ。ひたすらに静かなその建物には、微かに埃のにおいが漂っていた。

 そんな旧校舎の階段をずっと上ると、屋上階に到着する。その階には、屋上へと続く扉と、その九十度右横にもう一つ扉がある。その扉は真上に『準備室』と書かれたプレートが貼ってあった。

「ここあいてるかな」

と白川がその扉を見つつ、パンをもぐもぐしながら言う。お腹がすき過ぎたのか、白川が食いしん坊なのか、白川は歩きながらパンを食べ歩くようになっていた。

「どうかな。駄目だったら、まあここで食べてもいいし」

 そう言って私はドアノブを握り、捻る。私の力を拒否するようなものはそこになく、滑らかにドアノブは回った。

 かちゃり、と軽い音がする。それは間違いなく、ドアが開く音だった。ドアノブを引くと、扉が少し軋みをあげて開いた。

「お、開いた開いた」

 白川はそう言ってパンを持ちながらばふばふと拍手をしようとする。そのばふばふは、ふんわり感を失いつつあるパンの悲鳴のようだ。

「さて、中はどんなものか……」

 と独り言ちつつ、私は中に入る。私の視界に入ってきたのは、適当に積み重ねられている机と椅子であった。お世辞にも掃除が行き届いているとはいえない程度に、埃がつもっている。

 私は埃アレルギーではないが、白川はどうだろうか。そう思い、「白川、埃とか大丈夫?」と尋ねる。

「ああ、多分大丈夫だよ。ぶぇーっくし、ってなったらごめん」

「……おっし、そうなったらまず下を向いて頂戴ね」

 そんなやりとりを交わしたあと、白川も中に入って来る。「わー汚い」という白川の率直な感想に、私は少し笑ってしまった。

「汚いよね。……やめとく?」

 そう私が言うと、白川はふるふると首を横に振り、「だいじょぶだいじょぶ」と言ってパンを頬張る。

「ん、わかった。じゃあまあ、適当に座るとしよっか」

「らじゃ」

 私たちは荷物をひとまず扉の外に置き、準備室に存在している机と椅子を適当に展開する。私は机と椅子を一セット出してきて、準備室の中央に置いた。私がやったその作業を、白川はパンを食べながら片手でやろうとしていたので、慌てて救援に入る。そんなこんなで、二セットの机と椅子が準備室中央付近に置かれた。

「これ迷うね」私はそう白川に言う。

「……えーっと、何が?」白川は、パンを食べながら反応した。

「いや距離感とか。教室だとくっつけたりしてない?」

「ははーなるほど」

 という白川に対して、本当にわかっているのだろうか、という疑問を覚えざるを得ない。

 白川と関わるようになってわかったのは、白川はけっこうぼーっとしていたり、マイペースだったりする、ということだった。だからこそ、あの美術室の一件が起こったのだろうが。

 そんな白川が纏う空気や、その言動は白川独特のものだ。それが私にとっては、どこか心地好い。

「そだね、敢えてこう……椅子じゃなくて机に座るとか」

「……なんの意味があるのそれ」

「えーっと、なんかこう……、不良っぽい」

「……あ、そ」

 特に理由はないのと同然だった。私はそんな白川の意見を無視して、机を向かい合うように接させて置き、椅子をその両端に、これまた向かい合うようにして置く。

「これでいいでしょ?」

「そだね、それがいい」

 白川はそう言って笑い、それを見た私も微笑を浮かべる。

「じゃ、食べよっか」

 と白川に言う。白川はすでに色々と食べているが、まあそれはそれで置いておく。

「りょうかーい」

 と白川は明るく言って、栗色の髪を揺らしながら元気よく座った。


「ごちそうさまでした」

 昼食を食べ終えた私は、合掌してそう言う。向かいにいる白川が、「お粗末様でした」と返して来た。いや待て、私が食べた昼飯は、お前に作ってもらったわけではないだろう。

「で、けっこう時間余るね」

「そうだねえ」

 時刻を確認すると、昼休みが終わるまでそれなりに時間があった。ここから教室までは五分もあれば足りるだろうし、すぐに帰るというのも面白くはないだろう。

「何かゲームでもする?」と白川の提案。

「ゲームねえ」と私は小首を傾げて思案する。

「何するん?」

「へへえ、こいつがありますぜ」

 どうして時代劇の下っ端みたいな口調になっているのか、それは敢えて追及せず、白川が差し出してきたものを見る。

「トランプ、ね」

 それは一組のトランプだった。京都に本社を構える、老舗玩具メーカーのロゴが書いてある。

「いいね、やろっか」

「わーいやっぞやっぞ」

 私はそう快諾し、白川は嬉しそうな声を出した。

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