第一章 君の目覚めと黒い海

 長い夢を見ていたような気がする。遠く、遠くの地点から、やっとここまでたどり着いた、そんな錯覚を覚えるような夢だ。

 そんなポエミーな感想を覚えつつ、私は昼寝から覚醒した。目覚まし代わりとなったチャイムの音は、残響となって消えていく。

 昼寝から起きたときにありがちな、夢現の状態で私は周囲を見回す。私が着ているものと同じ、濃紺のブレザーとスカート、白いカッターシャツに赤い蝶ネクタイという制服を、みんな着ていた。彼女ら全て、何やら道具を持って教室から出て行っている。

「んん……?」

 呻くような、疑問を浮かべるような、そんな声を漏らして私は額を掻く。腕の上に突っ伏して寝ていたので、血流が滞っていたのだろうか、指先が少し痺れていた。

 次の授業なんだっけな、と思い時間割を見る。見たところで、今日は何曜日だったっけな、という新しい疑問が芽生えた。

 黒板を見て確認したところ、今日は木曜日らしい。木曜日の五時間目は美術だった。

 そこで、ああなるほどと合点する。みんなが持っていたのは、美術の道具セットだったか。確か、教室後部のロッカーに置いてあったはずだと思った私は、立ち上がりそれを取ろうとした。

 そのときである。教室の入り口付近で一人佇む女子生徒に、私の視線は奪われた。

 その女子生徒は私より身長が高そうだった。ちなみに、私は一六〇センチ台前半である。見たところ、一七〇センチ台前半だろうか。

 漆黒の黒髪は短く、毛先に向かうにつれて軽くウェーブしている。その髪の下にある眉毛は細く、そして上につり上がっており、他者を拒むような何かを感じさせる。

 その眉の下にある双眸は切れ長で、少しつり目だろうか。瞳は髪と同じように漆黒で、深みを感じさせる色合いだ。その瞳に浮かぶ光は、何やら世俗から超越しているような雰囲気を帯びている。

 鼻は細くて高く、唇はリップを塗っているかのように紅い。肌は真白く、輪郭はシャープでありつつも、愛嬌のある丸みを帯びていた。

 体つきは細い。制服の袖から伸びた手、その指先は細く、氷柱みたいだなと思う。もっとも、氷柱に色はないだろうが。制服のスカートからすらりと伸びた脚は、無駄な肉一つ付いていない。

 ブレザーの前ボタンを開き、蝶ネクタイをはずして、カッターシャツの第二ボタンまで大胆に開けている。生活指導の先生に怒られないのだろうか、と思った。

 そいつが私を見て、なにやら微笑みを浮かべる。なんだこいつ、と思った。

「……私の顔に何かついてるかな?」

 そいつは微笑みを浮かべながら、柔らかい口調で尋ねてくる。

「……いや、別に」

 言葉に窮した私は、目を逸らしてそう返した。黒髪は、「そうか」と短く言って、教室の引き戸を開き立ち去ろうとする。

「あ、いやちょっと待って」

「……何かな?」

「その……」

 衝動的にそいつを引き止めたが、特に言うべき言葉もなかったので困る。

「その?」

 そいつは余裕をもった口ぶりでそう言って、私の言葉をゆったりと待っている。同い年なのに、なんだこの差は、と思わざるをえない。

「美術室、場所、わからなくて」

「ああ、そういうことならお安いご用さ。なんせ私も今から行くからね」

「……でしょうね」

 同じクラスなのだから、そりゃあそうだろう。

「まあ、私達は入学してすぐなわけだから、美術室がどこか、なんてわからないよね」

 とそいつは言って、右手を差し出してくる。

「……その手、何?」

「エスコートしようかと」

「いや、別にいいから」

 私がそう拒むと、そいつは困ったように笑って「それは残念」と言った。

 その後、そいつはゆっくりと歩き始める。私はその後ろを、何となくついて行くのであった。

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