終焉のむこうがわ

むむむ

序章 とある科学者の述懐

 彼方、一筋の光芒と雲のような噴煙を放ち、願いを載せた船が旅立っていく。

 それは宇宙船だった。

 滅びゆく人類という種、いやこの地球という惑星が、かつてこの宇宙に存在したのだという証明を載せて、それは飛んでいく。

 人類の残る力を全て結集し、積み重ねてきた叡智と記録を集めに集めた、いわば人類の結晶のような宇宙船。この世界に生きる何割の人間が、それを好ましく思うだろうか。どちらかと言えば、どうして今更こんなことを、と思う人の方が多いだろう。

 なぜならばその宇宙船は、人類が滅亡するという前提に基づき作られたものだからだ。その中に人間はおらず、ひたすらに巨大な記録媒体と、それを制御・補助する装置が満載されている。先述した通り、まさしく人類が存在したという証明、それだけのために飛ばされた、馬鹿げたものだ。

 重力というくびきから解き放たれつつあるそれを、地上の私は多少の羨望を抱いて見上げる。私には空を飛ぶ翼も、1Gを振り切る力もない。

 二本の足で体を支え、馬鹿の一つ覚えのようにそれらを動かすことしかできない。

「あはは。……ばーっかみたい」

 と呟きが漏れた。

 この世界は滅びかけていた。いや、もう既に滅亡は確定といった状態になっている。バッドエンドは避けられない。

 何が悪かったといえば、まあ原因は色々とある。富の一極集中だったり、世界的な人口減少だったり、あとは異常気象による農作物等の不作だろうか。他にも色々あるだろうが、私の専門外なので知らない。

 そんなことが長い年月の中で、負債として積み重ねられて、人類は再起できないほどにボロボロになってしまったのだ。

 私たちが生きる時代の前、遥か遠い昔には、こういう危機には英雄が現れ、民衆を導いたものだと、歴史書を紐解けばわかる。

 しかし、二十世紀以降、そんな英雄は現れなかった。神秘というものが科学にそのヴェールを剥がされ、この世界の舞台裏というものが、あけっぴろげにされてしまったのだろう。だから、英雄も隠れて準備をする場所がなくなり、凡人になり下がったのだ。

 まあ、これは私の所感なので、まともに受け取る必要はない。以下も、私の所感。

 人間は人間のまま、中途半端に知恵をつけてしまった。人間は人間の悪しき本質を持ったまま、その本質を変容させようとせず、そのまま小賢しくなってしまった。

 ここでいう人間の本質とは、嫉妬や他人の足を引っ張ること、自分より下位の存在をさらに下へと蹴り落とそうとする行動原理のことである。

 ある時代から、この世界には情報が玉石混交、といった感じで溢れかえるようになった。もっとも、情報の中にある玉なんてものは、全体の一厘にも満たないかもしれないが。

 情報は神秘を失わせた。人々は自分が欲しい情報だけを選び取り、自分の鬱憤を晴らすために、他者を攻撃し続けた。

 それに費やしている時間が、もう二度と戻ってこないものだと、頭のどこかでは自覚していたはずだろうに。その意識から、敢えて目を背けて、有限な時間を浪費し続けたのだ。

 その果てが、この滅亡である。いや、別に滅亡に至った原因の全てが、人類にあるとはいわない。太陽の活動やら、地球環境の変化やらがあるのは、知っている。

それでも、滅亡を回避するために尽力していれば、まだ数百年程度は生き永らえたような気もするけれど。

 きっと、私たちの世代――、今生きている最後の世代は運が悪かった。これまでの歴史で積み重なって来た負債が大山のようになり、そしていよいよ崩れ落ちようとしている。その山のすぐそばにいるのは、哀れなほどちっぽけでやせ衰えた人類だ。

 度重なる異常気象に農地は枯れ果て、あらゆる国が衰退していった。国が衰退すれば、今度は国内の交通網が潤滑に働かなくなり、国はその端々から枯れるようにして滅んでいく。端が枯れれば、次はその内側が枯れる。その連鎖が、繰り返された。

 ああ、ここで断っておくが、人類は最終戦争的なドラマチックなものを起こして、滅びたのではない。

 ただ静かに、徐々に呼吸が弱まる老人のように、衰えていったのだ。

 そしてついに、呼吸すらままならない段階まで来た、というだけだ。

 全ての国が、昔の言葉を使えば……、えーっとなんだっけ、そう、『ヨウカイゴロウジン』というものになってしまったのだろう。

 そこまで思考を遊ばせて、もう一度空を見上げる。澄んだ青空、その遥か上空に、小さな光芒が見えた。私は遠い目をして、それを見送る。

 うんまあ、老人たちが寄り合って、やっとのことで作り上げた船にしては、よく飛んでいるではないか。

 と、他人事のように思ったりした。

 SeeD計画と名付けられたそれは、人類という種がその数千年の叡智や記録をここで消滅させないように、記録媒体を宇宙船に載せて遥か彼方の外宇宙に向かわせる、というものだった。宇宙船は種に見立てられたわけだ。

 この計画の成功条件は一つ。その種が、いるかどうかもわからない他の知的生命体に拾われることだった。

 率直に言って馬鹿げている。イタチの最後っ屁でも、もう少し確固とした目的があるだろう。下々の民はもとより、彼らを導く偉い人たちも捨て鉢になっているようだった。

 人類の種というよりは、人類の断末魔に近い。空気の無い宇宙では、断末魔は誰にも聞こえないだろう。

 自身の努力やら苦労やら知識やらを結集させて作りあげた宇宙船。そして、それに搭載されたあれこれを、私は何の感慨なく見送った。

 一応、その船には私自身の願望というか、現実逃避というか、代替手段というか、そんなものも載せているのだけれど、私からの距離が離れれば離れるほど、それは他人事のようになっていく。

 やがて光が見えなくなる。そろそろ首が痛くなってきたので、私は顔を所定の向きに戻した。

 目に映るのは、ひたすらの荒野。水気なんてものも、草木なんてものもない。

「わはは」

 ともう一度乾いた笑いをしてみせる。油を切らしつつある機械の顎関節が、きぃと嫌な軋みを立てた。

 これが私たちの現実。どうしようもない世界。

 残り時間はあとわずか。私の闘志はまだ燃えているか。

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