オムレツ用の卵から生まれた妖精さんがわたしを食べろと迫ってくる。

エテンジオール

第1話

突然だが僕は卵が大好きだ。1日3食、朝昼晩と卵料理で生きていける。もちろん一般的観点に基づいて考えるとそんなに大量に卵を継続して食べることは体に悪いということは分かっているのだが、性分なのか病気なのかどうしても辞めることが出来ない。


さて、そんな偏りまくった食生活を送ろうとすればまあまず親に止められることだろう。事実、僕も親に止められていた。

しかしそれはあくまでも親の管理下においてでしかなく、つい先日一人暮らしを始めたばかりである僕にはもはや関係がない。


さて、そんなふうに卵を愛し、卵を食べることこそを至上としている卵至上主義の僕が今日の晩御飯として作ろうと思っているものは基本にして究極の(※個人の感想です)卵料理と言われているオムラレツ。これが基本で究極の(※個人の以下略)と言われると、卵焼きや目玉焼き、ゆで卵などの卵料理の方が基本だと思う人がいるだろう。しかしながら、卵料理を食べていてゆで卵こそが至高の卵料理だと思う人はいないだろう。これはあくまでも卵を脇役にし、卵がほかの素材の味を引き立てるために使われているに過ぎない(個人以下略)。目玉焼きや卵焼きも悪くはないが、考えてみてほしい。子供の頃、卵料理として出された中で一番嬉しかったものは何だったかと。少なくとも僕にとってそれはオムレツであり、それこそが僕がオムレツを至高の卵料理だと思う所以なのだ。これは一種の刷り込みや洗脳かもしれない。あるいはただの思い出補正かもしれない。しかしながら今僕がオムレツを至高としていることに変わりはない。


さて、大変長々と語ってしまったがここからは調理に移ろうと思う。語ろうと思えば400字詰めの原稿用紙100枚位は余裕でかける気がするが、早くしないと卵がダメになってしまう。

改めて、今回使うものはスーパーで卵3個、塩コショウ、マヨネーズ、そして最後に生クリームだ。ケチャップも好きだが、今日は気分的な問題で塩コショウにする。生クリームはなければ牛乳で代用可だ。マヨネーズには乳化作用で色々頑張ってもらう。


調理を開始しよう。まず初めに器をひとつ用意する。用意ができたら各種の材料を入れ、そこに卵をひとつずつ割って入れる……のだがここで1つ問題が発生した。一体なぜだか知らないが、僕の気に入っている卵である“妖精さんの卵”の最後のひとつを割ったらクシャりという音がして中から小さな女の子?が出てきたのだ。しかも卵の殻の破片で額に怪我をしている。よく見てみると朝のような形の透き通った羽がついており、卵を上下ふたつに切ってくっつけたような形の変な服?を身にまとっていた。サイズは全長15cm位ととても小さいが、結構可愛らしい顔をしている。大きささえ違えば一目惚れしていたかもしれない。現に今も一目惚れこそしていないがずっと家に閉じ込めておけないか考えている。……とりあえず治療を先にしよう。治療するにあたり、まず何とかしないといけないのが妖精の全身を覆っている卵の白身のような粘液だ。この粘液が妖精にとって必要なものなのか、あるいはひよこが孵った時に体の周りについているあれと同じでただ卵に入っていた時の残りでしかないのか。

どうすればいいのか全くわからなかったので考えているといきなり妖精の怪我がシュワシュワと音を立てながら消えていった。


内心ぎょっとしながらそれを観察していると、粘液にまみれたままの妖精が目を開く。


「はじめまして。わたしは妖精さんの卵から生まれた妖精です。あなたの名前はなんですか?」


妖精の卵から生まれたのに精霊なわけもないし、わざわざ妖精さんの卵という必要があったのかと疑問に思い、ようやく“妖精さんの卵”が商品名であることに気がついた。

と、意味の無い思考をしているうちに妖精さんが怪訝そうな顔でこちらを見ていることに気づく。


「はじめまして。僕の名前は薫。どこにでもいる卵好きだ。」


慌てて自己紹介をすると妖精が笑顔になった。どうやらこれで正解だったらしい。


「薫様ですね。それでは薫様。わたしは卵から生まれた卵の妖精。卵を愛し、美味しく卵を食べることだけに人生の全てを捧げているあなたのような可哀想な人を哀れんだ神から贈られる最高級の卵です。そのまま茹でてよし、焼いてよし、煮てよし、調理法に関わらずあなたに最高の卵料理を食べさせるために生まれたので、ぜひ美味しく召し上がってください。」


卵の妖精さんがドヤ顔で告げる。可愛い……。


「って、ちょっと待ってね。最高級の卵って、君が?」


卵のカラから出てきたのはこの妖精さんだけだった。ということは、僕はこの子を食べなくてはならないのだろうか?


「はい。わたしです。薫様の目の前で白身まみれのヌルヌルになっている妖精です。」


妖精は不思議そうに繰り返す。


「つまり、僕は君のことを潰してぐちゃぐちゃしにして色んなものとかき混ぜたものを焼いて食べるってこと?」


「薫様の食べたいものがオムレツなのでしたらそういうことになります。あ、安心してください。わたしの中身は普通の人とあまり変わりませんよ。体に流れているケチャップを使えば美味しいケチャップライスも作れます。1粒で2度美味しいですね!」


ノータイムで妖精が答える。この子の言ったことが全て正しいのならば僕は妖精のミンチ肉が入ったオムレツを食べるらしい。しかも調理は自分でやらなければならないと。


「いや、いくら美味しくても君のことは食べないよ。だってミンチにするとかグロいし。」


そう言うと妖精さんが心底驚いたような声を出す。


「なんでですか!?だって、薫様のような卵好きの方は常に至高の卵料理を求めているんですよね?目の前に最高の卵があるのになんで食べようとしないんですか?」


どうやら妖精さんにとっては僕が食べたがることの方が自然らしい。


「いやね、たしかに味だけを求めるんだったら君の言う通りかもしれないんだけど、僕が求めているのは至高の卵を誰にも迷惑をかけずに食べて幸せに浸ることなんだよ。君が望む望まないは別として、君という1個人をぐちゃぐちゃのミンチにしている時点で僕が求めているものとは違ってくるんだよね。だから君のことを食べるわけには行かないんだ。」


「そんなことを言われましても、わたしは薫様に食べられるためだけに生まれた存在ですので、むしろ食べてもらえないことの方が迷惑なのですよ。どうにかなりませんか?」


妖精さんが半分泣きそうになりながらそう言う。どうやら本当に困っているらしい。


「そうだねぇ、僕にも信念があるし、それを曲げるわけには行かない。……そうだ、とりあえず一緒に暮らしてみようか。もしかしたら何かいいアイデアが出てくるかもしれない。」


我ながら名案だと思う。これで少なくともしばらくの間は妖精さんに食べろと言われることがないだろう。


「よろしいのですか?ではよろしくお願いします。……あ、薫様、念の為伝えておきますが、わたしは卵ですので賞味期限が大変短くなっております。また、新鮮であれば新鮮であるほど美味しいことに変わりはないのでお早めにお召し上がりください。ちなみに、生まれてから一週間経つと腐り始めるのでそれまでには食べてくださいね。」


こうして僕と妖精さんの不思議な生活が始まった。



*****



朝起きて卵を焼こうと思い、冷蔵庫の卵室を開くと大量の卵とすやすやと眠っている妖精さんがいた。


「妖精さん、どうして君が冷蔵庫の中にいるのか聞いてもいいかな?」


頭を摘んで軽く揺すってからそう聞くと妖精さんは目を覚ましたらしく、可愛らしいあくびをひとつした。


「薫様、おはようございます。お早いお目覚めですね。それで返答ですが、わたしがここで寝ていた理由はひとつ、わたしが生ものだからですよ。卵はちゃんと冷やしておかないと腐っちゃうでしょう?わたしは薫様に食べられた時に少しでもいい状態であるために努力を欠かしてはならないのです。」


たしかに卵を常温で放置しておくとかありえないだろう。もしそんなことをする奴がいるのならそいつの家から全ての卵を引き取りたいくらいだ。


「納得していただけたようで何よりです。では薫様、今日という日を最高の1日にするためにまずわたしの頭を割ってください!」


妖精さんがウェルカム!といったかんじに両腕を広げながら言う。


「まるで子供が甘いものでもねだるような軽い感じで殺人を促すのはやめようか。」


「薫様、わたしは卵なので殺人ではなく殺卵です。」


妖精さんがイラッとするほど可愛らしいドヤ顔を決める。


「やかましい。そんなことはどうでもいいんだよ。とりあえず朝一発目からうちのキッチンをスプラッターな光景にしようとするのはやめてくれ。朝から気が滅入る。」


僕はそう言いながら卵を3つ取り出し、器の中に入れて撹拌する。


「薫様、朝から卵を食べ過ぎじゃないですか?いくら卵が好きとはいえ、限度を考えないと体を壊しますよ。」


「普段は朝から卵を食べることは控えているんだけど、ほら、昨日は君のせいで食いっぱぐれただろう?だから昨日の分として食べるんだよ。……そういえば 、君は食べ物は食べなくていいの?」


「あ、わたしのことでしたらお構いなく。妖精さんはご飯も食べなければうんちもしないのです。なんと言ったって、妖精さんですからね。」


どうやら妖精さんというのはアイドルよりもアイドルらしい。


「じゃあ食べないんだね。」


「いえ、頂けるのでしたら頂きたます。食べなくても大丈夫ですけど、ある程度食べた方が品質の劣化が遅くなるんですよ。もちろん食べすぎると逆に進んだりもしますけど、それこそ冷蔵庫の中身を全部食べたりしない限り問題ないです。」


結局食べるらしい。


「それなら二人分用意するけど、オムレツでいいかな?」


「薫様はわたしに兄弟を食えとおっしゃるのですか!?そんな!あまりにも酷いですよ!」


妖精さんがギャーギャー騒ぎ出す。


「面倒くさいなぁ。嫌なら食べなくていいよ。あと、そんなに嫌がるんだったら何なら食べるのか教えて貰っていいかな?」


「聞いて驚いてください!なんと、妖精さんは穀物を食べるのです!」


さっきまでの面倒くささを一気に無くし、少しウザったくなった妖精さんがドヤ顔で決めポーズを取りながら言う。


「つまりひよこや鶏と同じものでいいんだね。」


「……薫様、何故かすごく悲しくなってくるのでその認識は変えてもらってもいいでしょうか?」


妖精さんはわがままだった。


*****


「……薫様、わがままを言うで他大変申し訳ないのですが、せめて炊いたものに変えていただくことは出来ませんか?」


妖精さんが自分の目の前によそわれた一合分の生米を見て目を潤ませながら言う。


「炊いたものを食べるの?鶏と同じだから生麦生米とか麻の実とかでいいのかと思ったんだけど。」


「その認識は変えてくださいとさっき言いましたが!?あとどうせ鳥扱いするのならせめて麻の実を所望します!ヘンプシードにはカンナビジオールCBDが含まれているんですよ!」


どうやら妖精さんは我儘なだけではなく健康のことを気にしているらしい。OLだろうか?


「しかもテトラTヒドロキシHカンナビノールCも微量ながら含んでいるのです。合法的に違法薬物を摂取できる数少ない方法のひとつなのですよ!」


違法薬物ってあんた、一体何になろうとしているのさ。


「ちなみに妖精さん、麻にはたしかにTHCが含まれているけど、麻の実として売られている種類にはマリファナほど含まれていない上に茎と実にはほとんど含まれていないよ。CBDは合法だしTHCは含まれていない。もし発芽したらその限りじゃないけど基本的にそんなことは起こらないから麻の実から違法薬物を入手するのは諦めた方がいいと思うよ。」


間違いを指摘してやると妖精さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた。


「……というかなんで薫様はそんなことを当然のように知っているんですか!?」


「昔、薬物を使ったら卵料理で多幸感を得られるんじゃないかと思ってね。体がその感覚を覚えるまで続けたらあとは薬物を抜いた卵料理でももっと気持ちよくなれるんじゃないたかと思ったんだ。無理だとわかってからしばらく経った今となってはいい思い出だけどね。」


妖精さんが本当にやばいやつを見るような目でこっちを見てくる。


「薫様、薬に手を出すほど卵が好きなんだったら本当に早くわたしを食べてくださいよ。今食べれば疲労がポンッを通り越して疲れるという概念がなくなるほど美味しく食べれ気持ちよくなれますよ。」


キャッチコピーがヒロ〇ン、覚せい剤よりやばいことになっている。


「とりあえず妖精さん、今言ってくれればお昼は炊いたご飯にしてあげられるけどどうする?」


「是が非でもお願いします。」


その後、普通にオムレツを食べたが、美味しかった、の一言で説明は十分だろう。……卵を褒める時にふわふわで〜とかプルプルで〜とか、そういうわかりきっていて意味の無い説明をするのは卵に対する冒涜だと思う。


*****


「薫様、ところでいつになったらわたしの頭を割ってくださるのですか?朝からスプラッターなのはダメと仰りましたが、昨日は夜にも関わらずダメと言いましたよね。となると昼しかないわけですが、今は昼なのに薫様はわたしの頭を割ろうとしません。わたしはいつになったら薫様に食べていただけるのでしょうか?」


朝食を終えてしばらくゆっくりしていると突然妖精さんがそんなことを言い出した。


「僕はそもそも君のことを食べるつもりは無いって昨日言ったと思うんだけど、そのへんは覚えていて、それでもなおあえて言っているのかな?」


「すみません、完全に忘れてました。妖精さんったらうっかりさんです。」


大事なことなんだから覚えておけと言いたいところだけど、妖精さんの頭の大きさを考えると忘れていて当然かもしれない。むしろよく会話ができる程度の知能を有しているものだ。


「薫様、とても失礼なことを考えられているようですが、妖精さんはファンタジーな存在なのでありとあらゆる物理法則を無視することが出来ます。もちろん薫様の考えは全て筒抜けですので、薫様が実は妖精さんに見とれていたことも知っていますよ。」


とんでもない能力を持っている妖精さんだった。しかし、そんなふうにすごい能力を持っていながらも昨日の晩に話していたことを忘れているあたり妖精さんの頭の悪さが窺える。


「……薫様、今考えていることも妖精さんには全て筒抜けだということを理解していらっしゃいますか?」


「いや、もちろんわかっているよ。ただ、思っていても言葉に出しちゃいけないことってあるだろう?でも妖精さんが勝手に読み取ってくれるんだったら僕が妖精さんに直接ひどいことを言わなくても通じるってことじゃないか。」


「薫様、妖精さんはとてもナイーブでデリケートな存在なんです。出来れば妖精さんの性質を利用して責めるのはやめていただきたいのですが……。」


妖精さんが心底つらそうに告げる。


「それは可哀想だ。そうだなぁ、妖精さんが僕に対して自分のことをグチャグチャにして食えなんて言わないんだったらやめられそうだ。」


「あ、それなら続けていただいて結構です。薫様に食べていただくことは妖精さんの存在意義そのものですから。」


本心では罵られたいらしい。随分と図太い妖精さんだ。


「薫様、妖精さんをまるでマゾヒストの変態野郎みたいに言うのはやめていただいてもよろしいでしょうか?妖精さんは存在意義のために何を言われても我慢するしかないわけですが、それでもガラスのハートが粉々になってしまいます。流石に薫様もレイプ目になっている妖精さんを近くに置くような趣味はないでしょう?」


「そうだねぇ、もしそうなったら可哀想だけど生ゴミと一緒に運ばれることになるね。あ、あと妖精さんは女の子だから変態野郎じゃないね。」


「薫様、申し訳ありませんが少々席を外してよろしいでしょうか。妖精さん、ガラスのハートでナイーブでデリケートなのは本当のことなので少し泣いてきます。」


「そうか。5分くらいならいなくてもいいからゆっくり泣いておいで。」


「薫様の鬼畜サド野郎〜!!」


妖精さんはうわぁ〜んと大きな声を上げて泣きならがらトイレに向かって走って行く。小さな妖精さんがマジ泣きしている様子とその表情は鼓動が早まるほどうつくしく、ずっと見ていたくなるほど可愛らしかった。


*****


「お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありませんでした。」


5分後、妖精さんはトイレから出てくると申し訳なさそうにそう言った。


「気にしてないから大丈夫だよ。お昼ご飯は何が食べたい?」


「お気遣いありがとうございます。では、お昼は炊いたご飯にして頂けると嬉しいです。」


妖精さんはご飯が食べたかったようなので、今度はちゃんと炊いた米を茶碗によそい、ついでに一摘みの塩を小皿に乗っけてやる。


「そういえば君は当たり前のように人の言葉を理解して話しているし、さらに変な偏りがあるとはいえある程度の知識も備えている。なのに生まれたばかりって、産まれる前は一体どこで何をしていたんだい?」


妖精さんと話していた時に思った素朴な疑問を尋ねてみる。


「ふっふっふっ、どうやら薫様は妖精さんのことがきになって仕方がないみたいですね。いいでしょう。薫様に妖精システムと、妖精さんがいかに素晴らしく、そして優秀であるかを教えて差し上げましょう。」


ドヤ顔を決めている若干ウザイ妖精さんが偉そうに語り出す。


「いいですか、まず、妖精さんは自分のことを妖精さんと言っていますが、この“妖精さん”という一人称は“神立妖精さん大学”という妖精界最高峰の大学を卒業した妖精だけが名乗ることを許されているものです。言ってしまえば敬称ですね。そして妖精さんは倍率がゆうに20倍を超える“神立妖精さん大学”をなんと首席卒業した超エリート妖精なんですよ。」


妖精さんがよく分からないことをとても自慢げに自慢してくる。


「そもそも“神立妖精さん大学”って何?」


「よく聞いてくれました。“神立妖精さん大学”とは、言ってしまえば日本における東大のようなものです。毎年1万人発生する妖精達は学校で常識などを学び、一人前の妖精としての能力を身につけるのですが、その過程は六・三・三・四と、この国の基本的な教育と変わらないわけなのですよ。“神立妖精さん大学”はその名の通り神が作った大学でして、ほかの大学とは月とすっぽんというのすら烏滸がましい差があるのです。」


「“神立妖精さん大学”がすごいのはわかったけどそもそも妖精って他にもいたの?」


「はい。先程も申した通り毎年1万人発生します。増え方は自然発生ですね。また、妖精達にも格がありまして、妖精さんはその中でも結構えらい方なのですよ。ちなみに妖精の格というのはなんの妖精かで決まります。」


やはり自慢げだ。


「でも妖精さんって卵の妖精だよね。そんなに偉そうじゃないけど。」


「ノンッノンッノンッ。妖精が司るものは多岐にわたり、最上級の妖精だと“星の妖精”から最下級のものだと“道端に転がっている石に含まれている黒雲母の妖精”なんてものまでいますからね。妖精さんの格とは、どれだけ抽象的で概念的なものを司っているかなのですよ。卵の妖精の下位妖精の中には“カラスの卵の殻の妖精”や“ゆで卵を作る時に卵の殻が割れて溢れてきた白身の妖精”、“スケトウダラの卵を醤油漬けしたものの妖精”みたいに、本当になんと言ったらいいかわからないような微妙な妖精なんかもいたりします。上位妖精は下位妖精の司るものを飽和して存在していますのでやはり偉いですね。」


「……どうせならオムレツの妖精が来ればよかったのに。」


「薫様!?たしかにオムレツの妖精も存在しますが、格の違いからくる味の違いが存在しますのでわたしの方がはるかに美味しく食べられますよ!」


妖精さんが可愛いから食べたくないという気持ちは、ポンコツ妖精さんにはわかってもらえないらしい。

ってもらえないらしい。



*****



さて、何度もしつこいようではあるが妖精さんは可愛い。軽くて、フワフワしていて、顔の造形もまるでプロの人形師が手がけたビスクドールのように整っている。人形のような完成された美しさというのは人によっては不気味だと思うかもしれないが、僕にとってそれは可愛らしいと思えるものだった。

少し話がそれてしまったが本題に戻るとしよう。僕が言いたいことはつまり、妖精さんが可愛すぎるから食べれない、ということだ。もしもう少しデフォルメされたような姿だったら。もし卵に目と鼻と口がついたような不気味な姿だったら。僕は迷わず妖精さんをグチャグチャのミンチにして食べていただろう。妖精さんの言う至高の卵にはもちろん興味がある。というかぶっちゃけ食いたい。けれどもそれが妖精さんを失うことでしか得られない時、本当に自分がそれを求めるかを感がえる。おそらく僕はそれを求めないだろう。至高の卵料理を食べるために生きてきた僕が、自ら望んでその権利を放棄するだろう。ただ、いくら僕が共にありたいと願っても、ただ側で笑っていてほしいと、泣いていてほしいと願っていても、妖精さんの言葉を信じるのであればあと6日で別れがやってくる。



*****



「妖精さん、少し味見をしたいから君の体の一部、具体的には小指かどこかを貰ってもいいかな?」


別れの時タイムリミットまであと5日。昨日は少しいじめすぎたので今日は少し優しくしてあげようと思い、妖精さんの希望を一部叶えることにした。


「よろこんで!小指だけと言わずに全身ぐちゃぐちゃにしてくれてもいいんですよ?」


「小指だけでいいからまな板の上で横たわるのをやめてもらっていいかな?」


油断も隙もないポンコツ妖精さんがちゃっかりまな板の上に乗って僕に全身を食べさせようとしてくる妖精さんの小指だけを包丁で切り落とす。


「っ!指を切り落とされるのって結構痛いんですね。でも嫌いじゃないです。」


指を切り落とされて幸せそうな表情を浮かべる妖精さんの小指の根元を圧迫して止血し、小さな手に消毒液をかけてから包帯で固定する。


「さあ薫様、可愛くか弱い妖精さんを好きなように痛めつけて手に入れたその小指を原型が残らないくらいグチャグチャのミンチにして卵と混ぜてください。それを食べた時、薫様は理性を脱ぎ捨て、ただ本能のままに妖精さんを貪ろうとするケダモノになるでしょう。」


「……食べるのやめようかな。」


「そ、そんな!?せっかく妖精さんが少し気持ちよくなりながらも痛いのを我慢して切り落とさせてあげた小指を食べないで生ゴミに捨てるというのですか!?」


「気持ちよくなってたんだったらいいんじゃない?」


そんなふうに妖精さんをいじって遊んでいるとフライパンの上のオムレツがいい感じに焼けてきた。


「……いただきます。」


出来たオムレツにケチャップをかけ、スプーンで口に運ぶ。妖精さんは心配そうに、そして期待に満ちた表情でそれを眺めていた。



価値観が根底から覆される。世界が明るく見える。自分でも気がついていなかった疲労が完全に抜ける。強烈な開放感が、万能感を通り越した全能感が、圧倒的な満足感が襲いかかってくる。辛いことを全て忘れられる気がした。何もかもが取るに足らないもののような気がした。生きとし生ける全てのものが無価値である錯覚を覚えた。生まれた意味を知った。死ぬ理由を知った。自分が何でできているのかを知った。自分が何になるのかを知った。そして、それら全てのことがただただどうでも良く、“本当に美味しい”ということがどういう事なのかを知った。


「薫様!薫様、」


気持ちいい。心地いい。ずっとこのままでいたい。


「薫様!大丈夫ですか!?薫様!」


なにか小さいものが目の前を飛び回っている。うるさい。僕はこのままこの快楽の残滓を味わっていたいだけなのに。


「薫様!いい加減気をしっかり持ってください!」


頬に衝撃を感じてようやく思考能力が戻る。慌ててあたりを見渡すと妖精さんがスプーンをバットを振り切った時のように持って息を荒らげていた。どうやら頬に感じたのはスプーンで殴られた衝撃だったらしい。


「ごめんごめん。今どういう状況か聞いていい?」


「わたしの一部が入っているオムレツを一口食べた薫様がいきなりトリップしだしたんですよ。それから5分たっても戻る気配がなかったので慌ててぶん殴ったんです。いや〜目を覚ましてくれてよかった。」


妖精さんはふぅっと一息つきながら言った。どうやら心配をかけてしまっていたらしい。


「それで薫様、まだ残っているオムレツはいかが致しましょうか?」


オムレツを見る。一口分だけ食べられており、5分もたったせいか完全に冷えきっていた。オムレツのコンディションと妖精さんの一部が入っていることを念頭に置くとどう考えても普通に美味しく食べることは出来ないだろう。最悪の場合、今度はトリップするだけではなく本当に理性を失うかもしれない。けれど、


「食べるよ。いくらやばいとはいえ、僕ともあろうものが卵を無駄にするわけにはいかない。」


それが理由の100%なのか、あるいは本当はただ妖精さんの一部を味わいたいだけなのか。それは今の頭かおかしくなっている僕にはわからない。ただ、どちらにせよここで食べなければ卵好きとは言えないことは確かだ。トリップすることや理性を失うことが怖くて卵好きがやっていけるわけがない。


「では薫様がトリップした時はわたしが食べさせましょう。次に会うのは完食してからです。なに、限界効用逓減の法則から考えるのであれば同じ量ならあれ以上ひどくならないことが証明されているのです。もしかしたらトリップせずに食べ切れるかもしれません。」


量を数倍にしたら限界効用逓減の法則はあまりあてにならない気もするが、妖精さんが励ましてくれていることはわかるので何も言わないでおく。どうやら今は思考を読んでいないらしく、恥をかかせることなく済んだようだった。


「じゃあいただきます。」


再び全身をあの感覚が襲う。再びトリップしそうになりながらもなんとか耐え、もう一口口に運んだところでまた何も考えられなくなってしまった。ただただ気持ちよく、心地いいだけの時間が続き、しかもそれが定期的に更新されていくという至高の時間。これまでの全てを捨て、ずっと浸っていたくなるような快楽は突如訪れた衝撃によって終わった。


「薫様、目は覚めましたか?」


先程と同じようにスプーンを振り切った妖精さんが声をかけてくる。


「妖精さん、僕は世界の真実を知ったかもしれない。」


「薫様、まだトリップしていらっしゃるのでしたらぜひそのままわたしのことを食べてください。」


「よし目が覚めた。」


「薫様のいけず……。」


妖精さんがいじけている。とても美味しそ……可愛らしい。


「薫様、今日はもう疲れてしまったのでもう寝ませんか?」


妖精さんは緊張が切れたようで全身の力を抜いてぐったりしながら言う。


「そうだね。おやすみ。」


妖精さんは疲れていたせいか返事をせずに卵室に入っていった。



*****



妖精さんといられる時間は残り4日。ちょうど今日で折り返し地点な訳だが、今日は残念極まりないことに学校に行かなくてはいけない。


「おや?薫様、お出かけですか?」


卵室を開けると出てくる妖精さんが僕の服装を見てそう言った。


「今日は学校に行かないといけないから留守番を頼んでおいてもいいかな?本当なら連れていきたいところなんだけど、流石に妖精が学校を飛び回っていたらダメだろう?」


「いえ、妖精さんを含めて妖精を見ることが出来るのは妖精に選ばれた人達だけなので学校について行っても大丈夫ですよ。声だって選ばれていない人には聞こえませんし、妖精さんほどの存在になれば幽霊みたいにものを通り抜けることだって可能です。」


エッヘンと胸を張る妖精さん。可愛い。


「それなら一緒に来てもらおうかな。妖精さん、自転車に乗るから飛ばされないようにポケットの中に入ってもらっていいかな?」


「大丈夫ですよ。」


そう言って妖精さんは僕の学ランのポケットの中に半身を突っ込む。妖精さんの白い髪が黒の学ランから垂れており、何故かとても優しい気持ちになった。


「じゃあ行こうか。」


家を出て鍵を閉めるとそのまま自転車に乗る。学校までは自転車で20分ほどかかるが、キャイキャイ騒いでいる妖精さんを眺めているとすぐに着いた。


「そう言えば薫様、外で何か話したいことがある時は心の中で話しかけてください。妖精さんは選ばれた人にしか見ることが出来ませんし、この可愛らしい声も聞くことが出来ません。なので、薫様が普通に妖精さんと話しているつもりでも周りの人から見ると何も無いところに1人で話しかけながらニヤニヤしているヤバいやつになってしまうのです。」


そうか。わかった。


「そんな感じでいいですよ。」


驚いたことにこれで通じているらしい。とはいえ、つい一昨日知ったばかりの情報ではあるので実際のところそこまで驚いてはいない。


「では薫様、いざ教室に入りましょう。きっと新しい出会いや胸踊る冒険、異形の怪物と戦うような日々が待ち受けていますよ。」


これから向かう先にいるのは数ヶ月間共に勉学に励んだ者達であり、転入生がいるなんて話は聞いていなきので新しい出会いはない。また、僕はただひたすら卵のことを考えていれば幸せなので胸が踊るような冒険もない。むしろ冒険などではこれっぽっちも胸が踊らない。異形の怪物と戦う云々は、妖精というある意味非日常の代名詞のようなものに出会ってしまった時点で否定するに否定出来ないのが悲しいが、戦うくらいなら無抵抗で死んだ方が楽な気がするのでやはりありえないだろう。


「薫様、夢も希望もないことを言わないでくださいよ。わたしはこれでも人間の生活やその行動に多大な興味を抱いているのですよ。そんないたいけで純粋な気持ちを踏みにじるのですか?」


一体どの辺がいたいけで純粋なのかはわからないが妖精さんに怒られてしまった。怒っている姿も可愛い。


「薫様、可愛いなんて言って褒めたとしても心しか許しませんからね!」


心は許してくれるらしい。チョロいことこの上ない。そしてどこまでも可愛い。


「なっ!ちょろいですって!?なんて失礼なことを!」


妖精さん、もう授業が始まっているんだからそんなことよりも席に着いてもらっていいかな?そこをビュンビュン飛び回られると鬱陶しいことこの上ないから。


「おっとこれは失敬。妖精さんともあろうものが勉学の邪魔をしてしまうとは。大変申し訳ないです。」


いや、そこまで気にしているわけじゃないから今度から気をつけてくれればそれでいいよ。


「ありがとうございます。ところで薫様、そこの公式間違えてますよ。その式ははsinαcosβ+cosαsinβです。」


どうやら妖精さんのことに気を取られていたら式を間違えてしまっていたらしい。うっかりしていた。


「妖精さんのせいにするのは良くないと思います。薫様、自分の間違いはちゃんと反省してください。」


ごめんなさい。それより、妖精さんは本当に勉強ができたんだね。


「前にも言った通り、神立妖精さん大学を首席で卒業していますからね。この黄金の脳みそを使えば5分先の未来を演算するくらいのことならチョチョイのチョイです。……残念ながら3日はかかりますけどね。」


演算して未来を読み取れるのならそれは本当に天才というしかないだろう。スーパーコンピューターですら粒子の計測と計算に何十時間もかけてようやく部屋1つという程度なのだ。それに比べたらたとえ3日かかるとしても世界全体の計算をしなくてはならないのだからそれがいかに大変なことか、そしていかにすごい事かがわかるだろう。


「まぁ、妖精さんの格が高いことを利用して神様の領域を借りているからこそできることなんですけどね。なんか、自分の力じゃないのに褒められるって変な感じですね。」


そうは言うけど妖精さんの格だって自分で頑張ってあげたものなんだろうから結局すごいことに変わりはないと思う。


「そんなに褒めないでくださいよ。褒めたって快楽成分マシマシの指しかあげませんよ!」


照れているらしい。可愛い。そして指はくれるそうだ。


「あ、授業終わりましたね。」


妖精さんと意味の無い話をしたり無我の境地でノートをとったりしている間に授業が終わってしまったらしい。


「ちなみに薫様、この授業の感じから考えると92ページの問3は頭に入れておいた方がいいと思いますよ。多分数値を少し変えた感じでテストに出されるので。」


見てみるとたしかにあの先生が好きそうな問題だった。




その後も全ての教科で予想問題を教えて貰った。神立妖精さん大学、恐るべし。



*****



さて、昨日は結局妖精さんに勉強を教えてもらっただけで終わってしまったので残り日数はあと3日。僕と妖精さんの別れは着々と迫ってきている訳だが、


「薫様、わたし、ふと思ったのです。」


妖精さんは突然語り出した。


「薫様は先日わたしの小指入りのオムレツを食べてトリップしていましたけど、あそこまで効果があるのなら別に食べる必要は無いのではないでしょうか?」


「と言うと?」


「例えば薬物で考えてみましょう。一番効くのは静脈注射、次に吸引でその次が服用。ここまでが一般的ですが、覚醒剤を性行為の際に性器に塗るととても気持ちいいという話も聞きます。というわけで薫様も妖精さんの生き血を塗ってみませんか?」


まず薬物の使用方法の知識が一般的であるという前提からツッコミどころ満載だが、性器云々は置いておいて体に塗るという発想はありかもしれない。


「そうだね、寝ている間の呼吸を楽にするあの薬みたいに胸に塗ってみようか。それに血だったら卵を無駄にしている感じはないからね。」


レッツトライとばかりに包丁の先端を器用に使ってリストカットを決めた妖精さんの血をティッシュに染み込ませ、それを使って胸に塗ってみる。何となく鼓動が早くなっていくような気がした。


「あまり効果がある感じはしないね。」


そう言うと妖精さんは少し考え込むように顎に手を当てる。


「では薫様、そのティッシュの血を舐めてみてください。」


まず最初に訪れたのはやはり快感だった。次に感じたのは体の疲れが取れるような、眠気が取れ目が覚めるような、視界が冴え渡るような解放感。そして鼻に抜ける血の匂い。本能的に吐き気を感じるはずのそれがとても食欲をそそり、目の前にふよふよと浮いている妖精さんを食べたくてたまらなくなる。


もっと欲しい。全部欲しい。この可愛らしい少女の姿をした存在をぐしゃぐしゃにしたい。


「薫様、目が血走ってますよ。……どうやら舐めるのは効果がありすぎたようですね。薫様、起きてください。」


妖精さんがどこからともなく取り出した2日前のスプーン(洗ってない)で僕の顎をアッパーカットする。軽い脳震盪を起こしつつ振るわれたスプーンを見てみるとついている米粒が乾燥せずにテカテカしている。どうやって保存しているのだろうか。


「ごめんね。正気に戻ったよ。そう言えば、あのまま放置していれば僕は妖精さんを食べていたと思うんだけど、どうして止めてくれたんだい?」


妖精さんの存在意義から考えると止めない方が良かってはずだ。


「薫様、妖精さんは薫様に味わいながら食べられることが存在意義なのであって、正気を失った状態で貪られたいわけじゃないのですよ。いえ、妖精の意義としてはそれでもいい理由ですが、あくまでも神立妖精さん大学の首席卒業生としてのプライドがそれを許さないのです。」


よくわからないが妖精さん的にはそれで筋が通っているらしいので良しとしておこう。僕としても味わうのならともかく意識のないうちに貪るのは嫌なものだ。いや、もちろん味わうのもできれば避けたいのだが。


「では薫様、気を取り直して次に移りましょう。わたしの血もいい感じに乾いてきましたから次は血以外のものを使いましょう。」


そう言いながら妖精さんは自分の人差し指を器用に切り落とし、僕に渡す。


「血抜きをしてから咥えてみてください。タバコみたいに咥えてもいいですし、それでは弱いようでしたら飴を舐めるように舌の上で転がしても構いません。」


妖精さんから受け取った人差し指を咥えてみる。


ミントを吸っているような、このままずっと続けていたくなるような心地いい爽快感を感じ、それと共にただ快楽を与えるような、なんとも言えぬ不思議な香りがした。


「これはいいね。爽快感もあるし気持ちいい。この香りは妖精さんの匂いなのかな?」


「恐らくそれはわたしの匂いであっていますよ。妖精さんは卵の妖精なので、その匂いは卵好きにはたまらないものなのです。薫様ほど卵が好きな方ならエフェドリンを使ってるのと同程度の快感が得られるはずです。しかも副作用は全くないというおまけ付き!」


どうやら僕は副作用が全く存在しない夢の薬物を手に入れてしまったらしい。嬉しい限りだ。


「ちなみに薫様、妖精さんの指はとても足が早く、持つのは切り離してから3時間となっていますからお気をつけ下さい。賞味期限が切れた途端、妖精さんの体はドロドロのゲル状になってしまうので。」


3時間たった瞬間にゲルになるのだろうか。もしそうなら怖い限りだ。


「そして薫様、お忘れかも知れませんが妖精さんの賞味期限は残り2日と少ししかありません。どうやって調理して食べるのか、ちゃんと考えておいてくださいね。」


妖精さんはいつもと何ら変わりない軽い調子で言った。

僕と妖精さんが出会ってから五日目の夜、心地よい時間は早くも終わりを告げようとしていた。



*****



残された時間は2日。色々したいことはあるが、妖精さんとも僕との時間は限られているのでほとんどのことは出来ない。となるとやることを選ばなくてはいけない訳だが、僕がやりたいことをいくつか上げたとして、それらの中で筆頭になるのはやはり無駄話をしたい、このひとつに限るだろう。結局のところ僕がしたいことは、初めて抱いた恋心のような感情から生まれる、この食欲にも性欲にも似た欲望を、妖精さんと会話することでまるで睡眠をとるかのように優しく解消したいだけなのである。そこに会話の理由は必要なく、特殊な環境も必要ない。ただただ妖精さんと一緒にいたい、それだけの事なのだ。


「では薫様が1人でひとしきりのモノローグを終えたところで、薫様がしたくてやまなかった“無駄話”に移りましょうか。」


「そうだねぇ、妖精さん、僕は卵が好きだから色々な卵料理に手を出してみているんだけど、その中でもいくつか面白いものがあってね。そのひとつがこともあろうに卵をフライにしてしまっているんだよ。しかも作り方がただゆで卵に衣をつけて油であげるだけという簡単なものなんだ。なのにゆで加減を調節すれば黄身は半熟のトロトロになる。」


「それは美味しそうですね。ぜひ食べてみたいものです。そう言えば卵を加熱するといえば誰しも1度はやりがちなのが“電子レンジでゆで卵を作る”というものですが、わたしの親友で同期の妖精さんが“電子レンジで卵を加熱すると卵内部の水分が蒸発し、それによって体積が増えることによって爆発するあの現象”の妖精になったんですよ。格としては卵の妖精であるわたしに明らかに劣るものですが、これがまた人気の高い役職なんです。」


「そんな細かい役職に人気があるって、妖精さんの世界はわからないものだね。そう言えば話は戻るけど僕のおすすめの卵料理がもうひとつあってね。これは料理と言っていいのかが極めて際どいんだけど、卵を丸一日冷凍して、それを解凍したものを白いご飯に乗っけて食べるというものなんだ。1度冷凍されたあとの卵の黄身がトロトロを通り越してもはやねっとりしているわけなんだけど、これに醤油をたらっとかけて食べるのがまた美味しいんだよ。」


話の内容が噛み合っていない、ただ相手に自分のことを伝えたいがためだけの言葉の応酬。普通ならストレスが溜まるようなそれも、妖精さんと繰り広げているということだけで幸せを感じた。


「わたしが卵の妖精さんじゃなかったらきっとよだれを垂らしていましたね。ちなみに妖精達に人気のある役職は基本的には爆発関係のことが多いですね。あらゆる役職の中で一番人気が高いのが“爆発の妖精”でして、これは何を隠そう妖精さんとおなじ格なのですよ。先程話した親友は卵の妖精であり、爆発の妖精であり、そして同時に電子レンジの妖精でもあるのですよ。彼女のようにいくつもの系統を備えているものを我々妖精の界隈ではマルチと呼ぶのですけれど、これもまたみんなの憧れの役職でして、妖精達の願いは“いかに格の高い妖精になるか”と“どれだけ多くの系統を持つ妖精になるか”の二つに分かれているのですよ。ちなみに妖精さんの“卵の妖精”という役職はエリート集団である“妖精さん”達の中でも上位1%入るほどすごい役職なのです。」


ドヤ顔をする妖精さんが可愛い。


「それはすごいね。そんなすごい妖精さんと一緒にいることが出来ている僕はとんだ幸せ者だね。」


「ええ。薫様は本当に幸せものですよ。」


妖精さんのそのことはを最後に沈黙が流れる。


「…………。」


「…………。」


「ねぇ、妖精さん。」


息苦しく、どこか寂しい気持ちになるその沈黙を破ったのは僕だった。


「僕は君が好きだよ。」


妖精さんが驚いたような表情をする。


「僕は今まで、こんなにも誰かを好きになったことは無かった。こんなにも、誰かの笑顔を見たいと思ったことは無かった。こんなにも、誰かとともにありたいと思ったことは無かった。」


僕が妖精さんに対して抱いている気持ちは、ただの薬物に対する依存のようなものかもしれない。食欲かもしれない。性欲かもしれない。


「僕が君に対して抱いている気持ちが何なのかは分からない。ただ、この気持ちの正体がなんだったとしても、僕は君と一緒に時を過ごしたいんだ。もし、卵のことしか頭にないような駄目な僕でよければこれからも一緒にいてほしい。」


これは僕の一世一代のプロポーズだろう。相手が人間じゃないとか、そもそも愛である保証がないとか、色々問題はあるだろうが僕にとってはたしかにこれはプロポーズだった。


「そんな風に言ってもらえて嬉しいです……でもごめんなさい。わたしはあなたの気持ちに応えることは出来ません。」


妖精さんは穏やかな口調でそう言った。


「なんで……」


「だってわたしは卵の妖精で、卵の妖精はどんな形であれ、明日にはあなたの目の前から姿を消すことになるから。」


僕じゃダメだったのか、そう続けようとした僕の言葉を遮って妖精さんは言った。


「わたしはわたしが選んだ生き方がすぐに死を迎えるものだとわかっていました。卵の賞味期限は短く、そのあり方は儚い。でもその存在こそが本当に美しいものだと思ったから。」


薫様ならわかってくださいますよね。と妖精さんは微笑んだ。


「僕は君が好きだ。でも、それ以前に一人の病的な卵好きだ。だから僕には君の選択を軽んじることは出来ない。」


馬鹿らしいことに、僕という人間はそういうものだった。


「それでいいんです。そこまで卵が好きなあなただからこそ、わたしは会うことが出来たのですから。」


時計の3つの針が天辺で重なった。咥えていた妖精さんの指がゲル状になり、口の中に腐卵臭を感じた。妖精さんも賞味期限が切れたらこうなってしまうのだろうか。


「それでは薫様、時間も遅くなってしまいましたが、今日はもう寝ましょう。なに、わたしの賞味期限はあと20時間も残っているのです。急ぐ必要はありませんよ。」


そう言って妖精さんは冷蔵庫の中に入っていく。残り時間は20時間。僕は選択を迫られていた。



*****



妖精さんとの過ごし方を考えていたら眠りにつけず、寝不足感の残るまま目が覚めた午前10時。残り時間10時間。無駄にキリのいい数字に睥睨しつつもなんとか目を覚ましてキッチンを見ると妖精さんが小さな体を器用に使って料理をしていた。どうやって15センチ程度の体で直径25センチの金属製のフライパンを持ち上げているのかはわからないが、その辺は妖精さんの言っていた格が関係しているのかもしれない。


「おや、薫様、おはようございます。本日はお日頃もよく、絶好の卵日和ですね。」


「おはよう妖精さん。ところで、どうやってフライパンを動かしているのか聞いてみてもいいかな?」


「ああ、これでしたら“薫様の部屋のキッチンのコンロの上にいつも置いてあるフライパンの妖精”である小妖精に頼んでいるんですよ。」


随分都合がよく限定的な妖精もいたものだ。


「ところで小妖精っていのは何かな?」


「小妖精というのは言ってしまえば妖精見習いみたいなものですね。八百万の神のようになんにでも宿っているもので、その中でも大切にされているか長い年月を過ごしたものには力が宿るのですよ。薫様が卵を焼く時にいつも使っているおかげか、このこの格は最底辺の妖精よりも高いですね。元のものがいいと言うのもありますが、あと10年も使い続けていれば可視化すらするかもしれません。既に自我は持っていますので大事にしてあげてくださいね。」


どうやら僕の相棒ことフライパンには自我があったらしい。そう考えるとフライパンがとても可愛らしく見えてくるから不思議だ。


と考え事をしていると妖精さんがフライパンを伴ってテーブルに来た。どうやら卵焼きが完成したらしい。


「つまらないものですが薫様のために作りました。よければご賞味ください。」


妖精さんが僕のために作ってくれた卵焼きを見る。少し焦げ目がついているが、妖精さんが作ってくれたものだ。食べないわけがない。


「いただきます。」


卵焼きを口に運ぶ。卵焼きの少し焦げた香ばしい風味が鼻に抜けるが、それと同時に訪れる卵のまろやかな味わいが絶妙なバランスの元に成り立っている素晴らしい卵焼きだった。


「妖精さん、すごく美味しいよ。ありがとう。よかったらどうやって作ったのか聞いてもいいかな?」


ここまで素晴らしい卵焼きは初めて食べた。これの作り方をぜひ知りたい。そんな思いで妖精さんに尋ねる。


「何も特殊なことはしていませんよ。ただ愛情を込め、それと共に卵の妖精だからこそ備わっている本能的なものに身を任せるだけです。恐らくこれはまだ薫様には出来ないでしょうね。」


本能的なものはともかく愛情?


「疑問に思っているようですね。全然違うものなのですよ。こうやって……」


妖精さんは小さな白い両手でハートを作り、


「ぉいしくなぁれっ!もぇもぇきゅん!」


そう言いながら手でできたハートを左右に揺らし、最後に卵焼きに向けてハートを突き出す。両手から何かキラキラしたものが卵焼きに吹き付けられた。


「ふぅ。これでさらに美味しくなりましたよ。」


「あのパフォーマンスは必要あったのかな?」


「何おおっしゃいますか!幸せのキラキラした粉愛情という名の薬物調味料をかける時にこの動きを入れないなんて、そんなことをしたら国連に訴えられますよ!」


「絶対に訴えられないと思う。あと愛情という名の調味料がなんか別の単語に聞こえたのは僕だけだったかな?」


「薫様、おふざけはこの辺にして真面目な話をしましょう。」


都合が悪くなったためか、あるいはただタイミングがよかったのかはわからないが妖精さんが表情をキリッと引き締めて言う。


「あと10時間しかないわけですが、妖精さんを調理する時に手の込んだものを作りたい場合はもう始めた方がいいです。そろそろ覚悟を決めてください。」


「ねぇ、妖精さん。僕は君が好きだけど、君は僕と一緒にいる時間をどう思ったのか、まだ聞いていなかったよね。妖精さんの答え次第で何を作るのかを決めようと思っているんだ。よかったら君の返事を聞かせてもらってもいいかな?」


もし妖精さんの気持ちが僕と違うのであれば、妖精さんがずっと言っていたオムレツにしようと思う。でも、もし妖精さんが僕と同じ気持ちなのであれば、妖精さんが僕と一緒にいたいと思ってくれるのであれば、僕は妖精さんにとても残酷なことをする。


「そうですね。わたしも薫様のことが好きですよ。一緒にいて楽しいですし、意地悪ですけど優しいです。もし妖精さんが妖精をやめたらずっと一緒にいれるのなら、妖精をやめてもいいかもしれないと思えるくらいには好きです。……でも、好きだからこそあなたに食べられて、あなたとひとつになりたい。そうも思うのです。」


妖精さんは気持ちを吐露してくれた。しかも、それは僕と同じ思いだった。こんなに嬉しいことがあるだろうか。


「妖精さん、僕に食べられるか、一緒にいられるかもしれない道を選ぶか決めてほしい。成功しないかもしれないけど、もしかしたらもっと一緒にいられるかもしれない。」


「わたしは薫様と一緒にいたいです。でも、あなたの考えが失敗したらわたしは腐って消えることになると思います。あなたと一緒にいれず、あなたの一部になることも出来ない。そんな未来は絶対に嫌なんです。だから約束してください。あなたの考えをわたしは知りません。ですが、それが失敗した時には、賞味期限が切れたわたしのことを食べてください。」


そんなこと、言われなくてもするつもりだった。


「約束するよ。もしそうなったら、僕は君のことを食べる。」



*****



そしてそれから1日経った今日、僕の隣に妖精さんの姿はなかった。いつも座っていたテーブルの上にも、寝床にしていた卵室の中にもその姿を見ることは出来ない。妖精さんは腐卵臭の漂うソレと、生まれてきた時に脱ぎ捨てた殻を残して僕の目の前から姿を消してしまった。僕と妖精さんが出会ってから8日目の朝、目の前に散らばるソレらと、上顎や歯の隙間にくっつき、舌にこびりつくゲルだけが僕に妖精さんを感じさせるものだった。


瞼を閉じるとすぐに、全身が真っ白で目だけが目玉焼きのように淡いピンク色の妖精さんの姿が浮かび上がってくる。もしひとつだけ願いが叶うとしたら、もう一度だけでいいからあのウザったくて可愛らしい少女に会えますように。























*****



そんなこともあったのが今から考えるとちょうど一年前になる。僕は相変わらず卵料理を作ることに精を出し、しかしこれまでとは違ってフライパンの手入れを毎日怠らないようになった。そしてあの日から一年経った今日、僕は妖精さんとの約束通りベランダに置かれていた粘土の塊を手に取る。一年前のあの日からずっとベランダの片隅に置かれていた粘土の塊は、周りが白い灰で覆われているせいで一見粘土には見えない。僕はゆっくりとその粘土を削っていき、中に入っているソレを取り出す。


ソレは青みがかった白の卵だった。漂ってくるアンモニア臭と腐卵臭を全く気にしないのであればインテリアとして飾りたくなるくらい不思議な雰囲気を醸し出しているが、卵だった。


「いい感じに仕上がっていそうだね。上手くいっているといいんだけど。」


僕はその卵を家の中に持って帰り、ゆで卵を割るのと同じ感覚で殻を机にぶつけて割る。パキリという音とともにヒビが入り、中から何かが出てくる。ニュルンと出てきたそれはこっちを見ると、


「約束通りならちょうど一年ぶりになりますね。お久しぶりです、薫様。あなたと一緒に過ごすためにただいま帰ってきました。」


ちゃんと日光を浴びているのか心配になるほど白い肌と髪も、目玉焼きを彷彿させるような淡い桜色の瞳もそこにはない。白かった肌と髪は濃い琥珀色に染まり、その瞳は翡翠色に変わっていた。全体的に少し大人っぽくなり、その頬には松の枝のような紋様が白く描かれていた。儚さと無垢さを失った代わりにエキゾチックな妖艶さを得た彼女に対して僕は言葉を失っていた。


「薫様、泣かないでくださいよ。これからはずっと一緒にいられるんですから。」


曇る視界を妖精さんが優しく拭ってくれる。その微笑みだけでこの1年の忍耐が全て報われるような気がした。


「ねぇ、妖精さん。」


妖精さんに話しかける。


「はい、なんでしょうか?」


僕の目を見て微笑む妖精さんに対して僕は満面の笑みで、







「妖精さん、生まれ変わったばかりだからかもしれないけど、すごく臭いよ。」


その身に纏う硫化水素の腐卵臭とアンモニアの臭いがひどいことになっていることを指摘した。


「えっ!ちょっ!そこは笑顔でおかえりなさいって言うところでしょうが!感動の場面なんだから多少の匂いくらい我慢しましょうよ!」


「そうは言っても多少じゃなくてとてつもなく臭いんだからしょうがないだろう?この臭いは下手すれば通報されかねないよ?」


妖精さんのことが好きで好きでたまらない僕ですら我慢出来ないほどの臭いだ。それだけでどれほど臭いかがわかるだろう。


「……臭いはしばらく空気にさらしておくと気にならないくらいには弱くなりますから少々お待ちください。……少し成長しているのに、その意地悪なところは変わっていないんですね。」


妖精さんが妖艶なその見た目に似合わない子供っぽい仕草でむくれる。見た目は変わったが、その可愛らしい仕草に変化はなかったようで少し安心した。


「そういえば妖精さん、妖精さんはどうして僕のことを好きって言ってくれるようになったの?」


僕は自分が妖精さんのことを好きだと思うようになる前からことある事に妖精さんをからかって遊んでいた。正直、好きになる要素があるとは思えない。


「それなら簡単ですよ。わたしは、薫様いわく“チョロい妖精さん”なんです。そんなチョロいわたしがストレートに好意を向けられたら、そんなの、好きになっちゃうに決まってるじゃないですか。……そのおかげで“卵の妖精”の役職は解職ですし、妖精としての格も系統も一気にガタ落ちですけどね。」


妖精さんは困ったように苦笑する。


「…………」


「…………」


いつかの繰り返しのように静寂が流れた。けど、不思議とあの時とは違って居心地がよかった。


「……ねぇ、妖精さん。」


チョロい妖精さんに声をかける。


「はい、なんでしょうか?」


僕の声から真剣だということを読み取ったのだろう、先程までのおふざけムードが一瞬で消える。


「妖精さん、おかえりなさい。」


本来なら僕がすぐに食べればよかったはずの関係。なのにも関わらず、僕のわがままに付き合ってくれ、更には一緒にいるために保存食になることを選んでくれた妖精さんは、


「はい!ただいま戻りました!」


見るものの心を浄化するような、太陽のような笑顔でそう言った。


これから僕達はきっと様々な困難に悩まされるだろう。妖精と人間が結ばれたことはこれまでに1度もなく、前例がないこと故に何が起こるかも見当がつかない。けれど、これから先どんなことが起きようと、僕は妖精さんのこの笑顔を忘れることはないだろう。出会った日から一年と七日、日数にして三百七十二日、オムレツ用の卵の中から生まれ、卵室で眠っていた妖精さんは今、姿を変えて僕の目の前で明るく笑ってくれていた。

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オムレツ用の卵から生まれた妖精さんがわたしを食べろと迫ってくる。 エテンジオール @jun61500002

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