第16話 悲しい嘘

 迎えの車はすぐにやって来た。

 助手席から顔を出したのは、病院でも見た事のある派手な髪の毛をした男で、リナ・ブロンを見るとニヤリと笑った。


「本当にずぶ濡れじゃねーか。何やってたんだ?」

「市川……! あなたしかいなかったの?」

「ミノリちゃんは定時上がりだし、ファッキンロリは給料以外の仕事はしねぇ。で、沢田の野郎は疲れてたみたいだから、俺が来てやったんだ。ありがたく思え。後部座席に着替えとタオルがあるから、さっさと着替えろ」

「の、覗かないでよ?」

「覗かねぇよ。今更、気にする仲でもねぇし、見ても面白くもなんともねぇ」


 市川と呼ばれた男は、次に、夜シルを見た。


「お前も着替えとけ。悪いけど、更衣室はレディの物だからな。陰でちゃちゃっと着替えてもらうぜ。タオルと、それから服。サイズは調べといたから合ってるはずだ」

「あ、ああ」


 投げられた布の束を受け取った夜シルは、車の中で動くシルエットが視界に入らないように後ろを向いた。

 女性が近くで着替えていると言う雰囲気が、どうにも気まずい。

 ふと、市川が下劣な笑いを浮かべて話しかけてきた。


「ケケケ、気になるよな、少年? 着替えながらで良いから、何か話そうぜ?」

「話って何の話を?」

「リナのことだよ。今の時代に珍しいだろ? 天然のブロンドに、青色の目だぜ?」


 あからさまに他人の身体的特徴を指して話をする市川に、夜シルは驚いた。


「ま、まぁ、俺も、初めて見ましたけど」

「由緒正しき家柄って奴でね、大事に育てられたお嬢様だったらしいぜ? サラブレットって奴? 協会のお偉いさん所の末娘だったんだが、才能があるからってんで引っ張り出されたとか。そう言った肩書きがあるから、実行班のリーダーやってるんだが……まったく、一番年下だし、未熟だったのによ。細かいことでいちいち怒鳴りつけて来るからお前も気を付けろよ?」


 その時「夜シル君にはそんなことしません! あなたのはやることが雑過ぎるからです!」と言う怒った声が車を揺らした。


「な? おっかねぇだろ?」

「こらー!」


 再び車が揺れて、夜シルはささやかに笑った。

 思っていたよりも、親しみやすい人たちのようだ。

 そうしているうちに夜シルもリナも着替えが終わり、助手席に乗った市川がウォッチを起動させると地図を開き、車の自動操縦装置に指示をすると「着いたら起こせ」と言うなり、眠ってしまった。


――――――――――


 車に揺られ十数分。

 事務所に案内された夜シルは、さっそく手続きにとりかかることとなった。

 ナイトメアバスターズ、加入の手続きである。


「ようこそ、夜シル君。対夢魔特別班、ナイトメアバスターズの灰谷・真ロウです。君を歓迎するよ。まぁ、座ってくれ」


 灰谷・真ロウと名乗ったスーツの男はそう言うと、夜シルに椅子を勧めた。


 手続きは簡易なものだっただった。

 難しいことは全て夜シルの母親が終わらせていたらしく、複数枚の書類に夜シルの署名と、それから仕事に関しての簡単な説明があるだけだったのだ。


「……労災保険の話は以上だ。それじゃ、ここにサインを。あ、眠り病特別対策班は公的機関ではないが、協力関係にある。複数企業のスポンサーが付いているので、給料も出るぞ。それから、学校には籍を置いていて構わない」

「学校にまだ通っても良いんですか?」

「一応ね。仕事が無い時には行ってもらってかまわないよ。まぁ、私としては、出来れば仕事の方に専念して欲しいね。行っても行かなくても単位は取れるようには交渉する手はずになっているから、行かなくても卒業は出来るからさ」


 卒業、と言う言葉が不思議な響きを持って夜シルの耳に届いた。


 将来のことなんて、まるで考えていなかったのだ。

 それを考えるのは、まだ早いとすら思っていた。

 だが、同級生にはもう、進路に向けて動いている奴だっている。

 そう思えば、自分がこうしてスカウトされて仕事をするのも悪くない気がした。


 そうして夜シルがサインをいくつか書き終えると、真ロウは言う。


「君のように才能がある人間は本当に珍しい。自力で生還するなど、本来ならありえないことだからね」

「そんなに難しいことなんですか?」

「特別な要因が無ければほぼ無理だ。1+1が3になるようなものだよ。常人なら、まず助からない」


 夜シルは考える。


「特別な要因って、何ですか?」

「いくつかある。夢魔に対する強い免疫があり、夢魔を撃退すること。夢魔自体が攻撃をやめる事、それから」


 その時、「失礼します」の声と共にリナ・ブロンが部屋に入ってきた。

 手には湯気を立たせているカップがある。


「真ロウさん、コーヒーが入りました。夜シル君のには牛乳入れておいたから」

「あ、ああ。ありがとう」


 夜シルはカップに口を付ける。

 砂糖も入っているらしく、甘かった。


「夜シル君が反カフェイン主義じゃなくて助かるよ」

「過敏にしてるクラスメイトもいますけど、俺は気にしたことありません。そもそも、飲む機会もあまりないんですけど」


 反カフェイン運動とは、その名の通り、カフェインが体に悪影響をもたらすので規制せよと言う大人たちの主張であり、近々、カフェイン飲料に対して税金がかかるとか言う噂も聞いたことがある。


「全く。この国は、自由を唱えているくせに規制派の権利ばかりが主張され過ぎていて息苦しいよ。こんなに文化が萎縮している国は本当に珍しい。技術も何もかもが、他の国に後れを取っている」

「俺もそう思います」


 何でも規制すればいいというものでは無いと夜シルは思う。


 ロックだって、本当はもっと、聴かれていても良いはずなのだ。

 今流行の音楽は、ドリルのようなベース音に、加工された電子音が乗った曲ばかりで、夜シル自身は夢中になれなかった。

 何より、歌われている歌詞が加工され過ぎているのか、音として何を言っているのか分からない物が多く、聞き取れても凡庸な当たり障りのない言葉だったりして、どうにも好きになれなかったのだ。


 これは昔、遊ヒトから聞いて知ったことなのだが、どうやら肉声で音源を真似て歌を歌うと『権利を侵害した』と見なされると言う酷い時代があったらしく、その名残で今も肉声で再現不可能な物として作られている言う話らしい。


 それは嘘か本当化は分からないが……

 夜シルは心の底から嫌気がさして、再びカップに口を付けた。

 甘く、僅かにほろ苦いそれは、夜シルの心を落ち着かせる。


「美味しい? 夜シル君」

「美味しいです。すごい、あったかい。ありがとう、リナさん」

「良かった」


 リナ・ブロン。

 その優しく笑っている顔はとても若く見えるが、彼女は何歳なのだろうか。


「それでは、手続きは終わりだ。夜シル君、市川に車を手配させておいた。今日は家に帰って、ゆっくりと休みなさい。ウォッチに明日の予定を送っておいたから、確認するように」

「はい」


 夜シルが席を立つと、リナが車まで夜シルを送った。


―――――――――――


「真ロウさん、あれで、良かったんですか?」


 夜シルを見送ったリナ・ブロンは、真っ直ぐに元いた部屋に帰り、灰谷・真ロウに食って掛かっていた。


「ああ。リナ君は、まだ反対かね? 説得もしてみせたじゃないか」

「ええ。それは、成り行きで。でも、あんな子を戦わせるなんて、とても割り切れるものじゃありません。あれじゃあ、あんまりにも」

「かわいそうかね? しかし、金はすでに振り込んでしまった。思わぬ出費だよ。だが、決して損な買い物ではなかった」

「……そんな言い方! じ、人身売買みたいじゃないですか! 私、やっぱり、納得できないです!」

「なら、どうするかね? 本当のことを伝えてやるか?」

「それは」

「出来ないだろ? 出来ないことは言うもんじゃないぜ。何、夜シル君の境遇は私も分かっている。あの市川でさえ、温厚な態度を見せているだろ? ああいう境遇の彼だからこそ、彼には帰れる場所が必要だと、そう思ってはくれないか? 心配なら、君がそばにいてやれ」

「……分かってます!」


 リナ・ブロンは乾いたばかりの金の髪を揺らしながら部屋を後にした。

 心は、より深く夜シルに同情している。


 ……母の話は、嘘だった。

 夜シルに川でした母親の話しは、全て、嘘だったのだ。


『へぇ。うちの夜シルに特別な才能がね。まぁ、嘘だろうが本当だろうが、どうでも良いです。私としては許可を出しても構いませんが、可愛い一人息子を死地に送るなんて寂しいこと、とてもじゃないですが見返りなしには。……ええ、心の穴埋めが必要なんですよ。そうですね。アメリカドルで用意していただきますか』


 あの女は、決して安くない金額を提示した。


『まぁ、本当は良い厄介払いが出来てせいせいしてるんですよ。あんな出来損ないの失敗作、とっとと死んでくれた方が良かったのに、しぶとく生き残って。日本なんかに来るのは、これで最後にしたいものです』


 リナは激怒した。

 あの時、周囲の人間が止めてなければ、夜シルの母親に殴りかかっていただろう。

 死んだ方が良かったなど、母親の言う事とはとても思えない。


 だからこそ、リナは病室で夜シルに言ったのだ。


『生還おめでとう』


 生きていてくれて本当に良かったと、心から祝福した。

 だが、それでも想いは届かなかった。

 川で死んでも良いと言った夜シルの顔を見て、とにかく、リナは酷く打ちのめされてしまっていた。


 本当は迷っていた。

 だが、ああも絶望されては迷っている場合ではない。

 もう、嘘でもなんでも良かった。

 どうか死なないでと必死に紡がれた言葉は、事前に真ロウによって用意されていた嘘のシナリオだったが、それでも、前向きになってくれて良かったとリナは思う。


 ――あの子にはもう、誰もいない。なら、私が夜シル君のそばにいてあげます。


 リナはそう決意すると、夜の空に向けて、祈った。


 ――どうか神様。あの子の進む道に、光を。

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