これでもちゃんと男の子

「んああああ! ぜんっぜん終わらーん!!」

「大丈夫ですよ。ゆっくりでもちゃんと進んでます」


 私の隣で彼氏兼専属家庭教師が励ましてくれる。のはいいけど。


「ゆっくり進んでたら明日までに終わらないじゃん!!」

「まあ、でも、できることをやるしかないですよ。焦ってもミスが増えるだけですし」


 叫んでも、急いでも、問題は解けない。んなことはわかってるのよ。わかってても、叫ばなきゃやってらんねーのよ。


「つーかさ、テストって不公平じゃない!? 私、神楽坂万華鏡って名前書くだけで1分くらいかかるんだけど!! ハンデ分の点数くれてもよくない!?」

「あ、わかります。僕もわりと画数多いので」

「祠堂湖夏……あー確かに。かと言って急いで書くのもねー。小学校の時に読めないって言われて0点にされたことあるからさ。途中で間違えたりすると、マジで洒落にならないし」


 意外なところに共通点が。世の中わからないもんだ。


「ほんと、出来ることなら改名したいわ」

「でも、僕は好きですよ」


 急に好きとか言うんじゃない。隣で。びっくりするでしょ。


「万華鏡さん、表情豊かですし、笑顔がきらきらしてて、ぴったりの名前だと思います」

「……ありがと」


 くそう、なんか悔しい。女の子みたいな可愛い顔してるくせに、乙女心にズバズバ切り込んでくるじゃん。


「でもね、湖夏くん。この名前、非常にリスクが高いのよ」

「リスク?」

「苗字は神楽坂、名前は万華鏡、どっちも微妙に長いでしょ? だから略されるんだけど、小学校の時のあだ名が万華鏡から取って『まんちゃん』だったのね」

「……えっと…………」


 よっしゃ、効いてる効いてる。やっぱりこういう話には慣れてないな。


「神楽坂が途中で切りにくいのもあるけど、昔から名前で呼ばれることが多くてねー。あと、どこで切るかも問題よね」


 なんか、自分で言ってて悲しくなってきた。

 つーか、あんなに褒めてくれてたのに、それを下ネタで上書きするってどうなの。イエローカード貰っていいレベルじゃないの。


「……ごめんなさい」


 ほら言わんこっちゃない。ちょっとやりすぎた。

 湖夏くんも、そんなにしょんぼりしなくていいのに。キミはちょっと真面目すぎるな。


「まあでも、湖夏くんが好きって言ってくれるなら、私もこの名前、好きになれそうだわ。ありがとね」

「……! はい!」


 そうそう。男子だって笑ってる方がいいに決まってるよ。湖夏くんはどっちかというと女の子みたいだけど。女装とかさせてみたいよね。


「よし、ちょっと休憩するか!」

「……え? 今のは休憩じゃないんですか?」

「細かいこと気にしないの。さ、飲んで飲んで」


 キンッキンに冷えたペットボトル麦茶のおかわりを並んだグラス二つに注ぐ。あれ、どっちが私のだっけ。

 試しに片方、手に取ってみる。湖夏くんは何も言ってこない。じゃあこっちか。


「あっ……」


 おう、そうか。なるほどそっちが私のか。


「湖夏くん。今の『あっ』はなにかね?」

「あの、その、つい言葉に詰まったと言いますか……ごめんなさい」

「うん、正直でよろしい」


 言質は取れたけど、どうやら故意じゃないらしいのでこの件は不問とする。が。

 二口目を口にすると、湖夏くんはもっと赤くなった。

 このまま終わらせると思った? まさか。


「どうしたの、湖夏くん?」

「え、あ……だって、その、か、間接……」

「いいじゃない。私たち、付き合ってるんだから」


 湖夏くんに、テーブルの上で待っているグラスを指し示す。


「飲まないの?」

「っ……な……」

「私も飲んだんだから、ね?」


 湖夏くん、顔から火が出るほど熱いのに、氷みたいにガチガチだ。


「なに? そんなに意識しちゃってるの?」

「……なんで、そんなに平然としていられるんですか?」


 そりゃ私だって、何も意識しないわけじゃない。でも、コップ一杯でこの顔が見られるなら安いもんよ。


「それとも、無機物には興味ない?」

「え……?」

「ここまできたら、こっちで……する?」


 よっしゃ、今でしょ! 今度こそ成功させてみせる!

 人差し指を唇に添えての、小悪魔降臨はにかみウィンク特盛セット!!


「……あ……ぐ」


 よし、決まった! これは完全にボディーに入った! さあ堕ちろ! 私の虜になってしまえ!


「……万華鏡さんっ!!」


 叫び声と同時に、私に覆い被さるように、湖夏くんがハグを迫る。

 そうだ、私の魅力に耐えきれる男子など――え?


「どわあっ!?」


 そのまま勢いで、床に押し倒される形になる。……床に? 押し倒され?


「万華鏡さんっ!!」

「は、はいっ!?」


 家には私と湖夏くんのみ。いくら叫んでも助けは来ない。

 あれ? これ、やばくね? ひょっとして大ピンチじゃね?


「僕だって……僕だって、男なんですよ! 好きな人の部屋に呼ばれて、家には他に誰もいないなんて、そんな夢のような状況で、いつまでも正気でいられるわけじゃないんですよ!!」


 あっ、これやばい。やばいスイッチ入れちゃったやつ。どうするよ。どうすればいいのよ。てか、手遅れ?


「だから……だから、そんな冗談はやめてください」


 そこまで聞いて、やっと気がついた。

 押し倒される直前に、私の後ろに添えられた手。頭を打たないように。真面目な彼の心遣い。


「冗談のつもりでも、本気にしてしまいますから、言わないでください。勘違い、してしまいますから。じゃないと、勘違いしたって言い訳をして、取り返しのつかないことをしてしまいますから」


 湖夏くんの手は、暖かい。

 誰よりも臆病で、誰にも迷惑をかけたくなくて、一人の世界に閉じこもっていた湖夏くん。彼をそこから無理やり引っ張り出したのは、私だ。


「冗談じゃなかったら、いいんだね?」

 

 小柄な彼の重さを全身で受け入れる。

 細身だけど女の子ほど柔らかくない体に、私達は男女なんだと感じさせられた。


 ひんやりとした麦茶の味が、少しずつ熱を帯びていく。

 溶け合うごとに、熱く。

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