第14話 雷鳴と共に その2

 スペースが「狭っいなぁ」と失礼な独り言を呟きながら、一人でさっさと家に入ってしまった。


 揚々と居間に向かうスペースの後ろ姿を肩越しに見ながら、ジーンはこの場を切り抜ける方法を考えていた。


 尊い務めを放棄し、現世でのんびり暮らしているのだから、当然、この二人がやってくることは想定の範囲内である。


 想定外だったのは、自分自身だろう。


 百合子は覚えていないようだが、ジーンとは七十年前に東京で会っている。


 その時、百合子は二十歳。戦時中に両親を失い、妹を抱えたまま、家を支えるために、寡黙にミシンを踏み続けていた頃だ。


 ある夏の日、演出されたかのように二人の上に激しい夕立がやってきた。想像を遥かに超える強い印象をジーンが感じた刹那。


 あの世に送り届けた後では、もう二度と会うことも話すことも叶わないと憂い、ジーンは素顔をさらして現れた。


 最初に白い燕尾服のジーンに抱いた百合子の感想は、ある意味、ジーンの思惑通りだったのかもしれない。


 老婆となった百合子が震えながら涙ぐむ姿に対峙した時、ジーンは決意した。その結果、自分の寿命が尽きてしまうことも、ジーンにすれば大した問題ではなかった。


 ただし、周囲は「それは仕方ないね」と言ってくれるはずもなく。


 元凶とされている百合子が死の旅路に出てしまえば、ジーンはこの世に留まる理由はなくなる。そう考えたスペースがパラディを刺客として、百合子の夢の中に送り込み失敗。


 そして、今こうして兄二人が、直々に参上するに至ったというわけだ。


 パラディは元々ジーンの親愛なる使いである。主人あるじのことを心配して、スペースの奸計かんけいに乗ってしまったのだろう。


 居間からパラディの低く唸る声が聞こえてきたが、スペースの笑い声と同時に切ない鳴き声に変わった。


 ジーンはアモルに「どうぞ」と中へ入るように促す。アモルはジーンを一瞥してから、澄ました顔で居間の方へ向かった。


 アモルは部屋に入ると窓際に歩み寄り、部屋の中を見渡した。


 「狭いな」と一言だけ呟いた。


 こういうところは、兄弟よく似ている。


 すでに、スペースは自宅のように、ソファでくつろいでいた。


 ジーンが部屋に入るとすぐに、パラディが近づいてきた。くうぅんと鳴きながら、甘えるような仕草をみせる。忠実な使いを労うように、ジーンは優しく微笑んだ。


 スペースはテーブルに置かれた雑誌を手に取り、パラパラとページを愉快そうにめくり始めた。


「お前たちって、所謂いわゆるラブラブってやつ?」


「は?」


「あ、お前のそういう顔、好き」


「…………」


「どの雑誌も料理のページに折り目がついてんだよね。これって彼女がお前のためにマーキングしてる、ってことじゃないの?」


「さあ、どうですかね」


 次男はジーンに向かって、ケラケラと笑った。


 アモルは窓から荒ぶる天候を見ていた中、あるものに目が留まった。部屋の隅に置かれたハンガーポールに、足音もなく近づいていく。


「これは?」


 完成したばかりのワンピースと男物のジャケットを触りながら、アモルはジーンに顔を向けた。


「百合子のお手製ですよ」


 アモルは「ほう」と、いかにも感心した様子で頷いてみせる。


「上手いものだな。肌寒さが残るこの季節にしては、ずいぶん薄い生地のようだが?」


 腹に一物あるアモルの言い方に、ジーンはカチンと頭にきた。


「夏用……じゃないですか」


「そうか、次の夏までバカンスは続くというわけだ。私が思うに、あの娘は何も聞かされていないのだろう? それとも話さないつもりなのかな?」


 分かっていることを、先に他人に指摘されるというのは気分が悪いものだ。例え、それが正論であったとしても。


「……お茶をいれてきます」


 ジーンはきびすを返し、部屋を出ようとしたところ、背中から聞こえた乾いた笑いに足を止める。


「怒るな、怒るな。俺が話を聞いてやる。ほら、リア。ここ」


 ソファに座ったスペースは手にしていた雑誌を雑に放り出すと、自分の隣をポンポンと叩きながら「座れよ」と口元に笑いを浮かべて言った。


 腕組みして立っているアモルが成り行きを見守る中、ジーンは不服そうにスペースに近づき、溜息と一緒にソファに座る。


「なんです?」


「ツッコミどころが多すぎるんだよなあ。何から聞けばいいのか、頭が痛ぇよ」


 スペースは無表情のジーンへ体を向けると、ジーンを見つめたまま微笑んだ。


「仕事もしないで、元死人と暮らして、現世でお楽しみ中っぽいけど。何したいわけ?」


「何でもいいじゃないですか」


 半開きの目を更に細めて、スペースは一本調子で呟く。


「うわっ何それ、可愛くないのー」


 ジーンは徹底して、無表情を決めている。あの呑気な言動に惑わされてはいけない。敏感に相手の心理を読む洞察力は、アモルより上だ。


「気にしてくれるのは嬉しいけど、もういいから、本当に」


 ここまでアモルが何も口にしないことが、部屋の中に緊張をもたらしている。スペースは前かがみになり、ジーンの前に顔を突き出す。


「そうもいかんだろ」


 互いの顔しか視界に入らないほど顔が近い。


 スペースはジーンの瞳の奥を覗くように目を据えたかと思うと、今度は体を起こして、呆れた声でジーンに聞く。


「ねえ、あの女はなんでさっさと冥府に来ないわけ? 死をすっ飛ばして、この世で受肉してるなんて穏やかじゃないよね」


「そうですか?」


「有り得ないに決まってんじゃん」


 目の前で終始リラックスした様子のスペースは、予想よりずっと早く、結論づけてきた。


「ま、いいや。ざっくりばっくり言うとだなぁ、お前は帰ってこい。女は俺が連れていく。それでしまいだ」

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