1. 梶原の依頼

 

 うららかな春の午後、さがし物専門の便利屋〈さがし屋〉を経営する椎名杏子と、居候の木場大介は、JRの駅からは少し離れたスーパーに来ていた。


「杏子さん、これで福引券十枚目ですよ。一回福引していきましょう!」


 スーパーの買い物袋を片手に、大介が福引券をヒラヒラさせた。

 なぜかぽっかりと時間の空いてしまう土曜日の夕方は、いつも決まって買い出しに来ていた。


「福引?」


 杏子はかったるそうにウェーブのある髪をかき上げると、背のひょろ長い青年を見上げた。


「ほら、特等は『豪華京都旅行三泊四日の旅』ですよ。タダで旅行にいけるかも知れませんよ!」

「京都かぁ、ずいぶん行ってないなぁ」


 杏子がちらりと福引所の方へ視線を向けると、いかにも主婦といった感じのおばさんたちが、何人か並んでいるのが見えた。


「ぼくの知るかぎり……って、まだ一年も経ちませんけど、仕事休んでどっか行ったことなんか無いじゃないですか!」


「それは、誰かさんが居候してるからでしょ。うちにそんな余裕あるわけないじゃない」


 杏子は、冷めた目で大介を見上げる。


「それはそうですけど、ぼくはちゃんとバイトもしてるし、〈さがし屋〉の仕事だってやってるじゃないですか。確かにぼくは居候ですけど、そろそろアシスタントとして認めてくれてもいいんじゃないですか?」


 大介は、手に持った福引券を杏子に突きつけながら反論した。


「わかったわ。それじゃ、大介くんがその福引券で見事に特等をゲットできたら、きみをアシスタントとして正式に認めることにするわ」


「ほっ、本当ですか? わかりました。これでもぼく、くじ運はいいんです。杏子さんをぜったい京都に連れて行ってあげます!」


 大介はそう言い切ると、大股に福引所まで歩いて行った。


 ガラガラガラ ポン


 古めかしい手動の福引機が、音を立てて白い玉を吐き出すのが見えた。

 杏子は思わず吹き出しそうになったが、何とかこらえながら、大介が肩を落として帰って来るのを待った。彼の手には、ティッシュが二つ握られている。


「人生は甘くないわね、居候の大介くん」


 杏子が笑いながらそう言うと、大介は小さく肩をすくめた。


「結局ぼくは、ただの居候にすぎないんですね」


「それが嫌なら、早いとこ居候をやめることね。ほらぁ、天王寺さんから大金もらった時、せっかくあたしが、アパート借りる初期費用を出してあげるって言ったのに、自分で働いて貯めますから、なんて言うからよ」


 責めるような杏子の言葉には答えず、大介は大きなため息をついた。

 あれから大介は、塾のバイトを午前に切り替えていた。朝寝坊の杏子が本格始動する昼までに事務所に戻り、一緒に〈さがし屋〉の仕事をしているのだ。


「真面目な話さぁ、大介くんの将来のことを考えたら、塾のバイトしながらうちでアシスタントなんかするよりも、ちゃんと就職した方がいいと思うのよ」


 二人は肩を並べてゆっくりと歩きだした。

 駅前の繁華街から少し離れたこのあたりは、まだ穏やかな雰囲気の住宅街が残っている。


「それじゃあぼくも聞きますけど、杏子さんは、ぼくが居なくなってもぜんぜん困ったりしないんですか?」


「えっ?」


 杏子はちょっと驚いて、隣を歩く大介の顔を見上げた。彼にしては珍しく、すこし怒ったような真剣な顔をしている。


「うーん、そうね。はじめはたぶん困ると思うわ。なんだかんだ言って、あたしも大介くんに甘えてた部分があるからね。でもね、あたしにとって大介くんは、実家に戻って来ちゃった出来の悪い弟みたいなものなのよ。だからって、いつまでもニートな弟を追い出せないままじゃ、いけないと思うのよね」


「ぼくは、出来の悪い弟なんですか。そうですよね……」


 大介はしょんぼりとうつむいた。

 薄々気がついてはいたけれど、杏子にとって自分は、出来の悪い弟どころか、きっと雨の日に拾った子犬のようなものなのだ。

 わかっていたのに、実際に面と向かって言われると、大介の心も折れそうだった。


 ふたりは、ちょうど商店街の端にある小さなビルにたどり着き、〈さがし屋〉のある二階へつづく外階段を上って行った。


 事務所のドアを開けると、ついたてで仕切られた小さな応接セットと、二つの事務机が置かれた室内が見渡せるのだが、誰もいるはずのない事務所のソファーには、こちらに背を向けて男がひとり座っている。男はタバコをふかしながら、何やらせっせとメモをしているようだ。


「どうしたの?」


 玄関に立ったまま中に入ろうとしない大介を押しのけて、杏子が事務所の中をのぞくと、ジーンズにモスグリーンのジャンパーを着た男が振り返った。


「よう、遅かったじゃねぇか。悪いけど、中で待たせてもらったぜ」


 肩越しに振り返った男は、無精ひげだらけの顔でニヤリと笑った。


「梶原さん?」

「なんだカジさんか。びっくりするじゃないですか。ぼく、確かカギかけたと思うんですけど、どうやって入ったんですか?」


 大介はホッとしながら事務所の中に入り、机の上に買い物袋をのせた。


「郵便受けにカギ置いてるだろ? アレを使わせてもらった」


 無精ひげ男の梶原勇大は、タバコを揉み消しながらあっけらかんと答える。


「まったく、カジさんには参るよなぁ。今度は違う所に隠しますよ」


 大介は思いっきり不快な顔をした。


「でも、カジさんが来るの久しぶりよね。フリーライターの仕事はどう? 順調?」

「まあな」

「そう、良かったじゃない。それで、今日はどうしたの?」


 杏子が大介に買い物袋を渡しながらそう尋ねると、梶原は待ってましたとばかりに杏子の前まで歩み寄る。


「それなんだが、じつは、椎名に頼みがあって来たんだ」

「あたしに、頼み?」


 杏子はうさんくさげに梶原の顔を見上げる。


「そうなんだ。まあ、とにかく話を聞いてくれ」


 梶原はそう言って杏子の腕をつかむと、応接コーナーまで引っぱって行く。


「おい大介、コーヒー二つたのむ!」


 すっかり梶原のペースに巻き込まれてしまった杏子は、ソファーに座りながら思わず大きなため息をついた。


「詳しいことは言えないんだが、おれがいま追ってるのは、ネット上で話題になってるウワサなんだ」


「噂?」


「ああ。大部分が、若者の好きなオカルト系やスピリチュアル系のウワサなんだが、その中で、近ごろ行方不明になってるって書き込みが増えていてな」


 梶原はそう言いながら、ノートパソコンの画面を杏子の方に向けた。


 紫色のトップページには、おどろおどろしい字体で『伝説ネット』と表示されている。


「はじめは少女趣味の『願いが叶う木』っていうウワサだけだったんだが、そこへ行った友達が帰って来ないって書き込みが増えているんだ。おれは、そのうちの一人の身元をつかんだ。だから取りあえず、こいつの足跡を追ってみようと思う。そこで、おまえの能力をどうしても貸してほしいんだ。おれと一緒に長野に行ってくれないか?」


「長野ぉ?」


 杏子は驚いて声を上げた。


「そうだ。交通費、宿泊費、食費はもちろんおれが払うし、その他に一日二万払う! そう悪い話じゃないだろ?」


 梶原は身を乗りだした。


「まぁ……確かにそうだけど」


「行きましょうよ、杏子さん! タダで長野旅行ができるじゃないっすか!」


 コーヒーを運んできた大介が、嬉しそうに口を挟む。


「おいおい、言っとくが、おまえの分は払わねぇぞ。来たけりゃ自腹で頼むぜ」

「ええっ? そんなの酷いじゃないですか!」


「ヒドイって言われてもなぁ、おれが欲しいのは椎名の特別な能力だけだし、あとはおれ一人で十分だ」


 梶原は新しいタバコに火をつけながら、淡々とそう言った。


「そんなこと言って、本当はカジさん、杏子さんと二人で旅行に行きたいんじゃないですか?」


「おい大介、おまえふざけるなよ! おれは仕事の話をしているんだぞ!」


 梶原が怖い顔で拳を振り上げると、大介はぺロリと舌を出して傍らのイスに座りこんだ。


「まっ、カジさんの給料じゃ二人分は払えないって事ですよね。フリーライターなんて、そうそう高給取りって訳じゃないですもんね。杏子さん、やめた方がいいですよ。こき使われますよ」


「そうねぇ」


 杏子は腕を組んで考え込んだ。


「おいおい、頼むよ椎名!」


「うーん。それじゃ聞くけど、カジさんの仕事って、どのくらいでカタがつくの? その行方不明になってる人の居場所がわかれば、あたしは帰ってもいいの?」


「いや、おれとしてはその一人を手がかりに、ほかの行方不明者とその背後にあるものを突きとめたいと思ってるんだ。事件がどんな方向に進むかわからないから、一週間か少なくとも五日は見てほしいんだ」


「ええ、一週間? そんなに?」


「その一週間で、行方不明の人間が何人も助かるかも知れないんだぞ。おまえの能力をたかが犬猫さがしに費やすよりも、よっぽど世のため人のためになるんだ!」


 梶原は机に両手をついて、杏子につめ寄った。


「……せっかくだけど、この仕事はお断りするわ」

「おい椎名!」


「たかが犬猫さがしでも、落とし物さがしでも、一週間も休めないわよ。あたしは大きなスクープよりも、身近な人の役に立つ仕事がしたいの」


 杏子はそう言って立ち上がった。


「そうか……わかった。だが、気が変わったらいつでも連絡してくれ。おれのスマホでもPCメールでもかまわんから、とにかく頼んだぞ!」


 梶原はそう言うと、バタバタと荷物をまとめて事務所を出て行った。


「カジさん、これから長野に直行するんですかね?」

「そうじゃない? カジさんて猪突猛進タイプだもん。断ってよかったわ」

「そうですよ」


 ぽっかりとヒマになる土曜日の夕方。この日は夜になっても電話ひとつ鳴らず、日曜日になっても〈さがし屋〉の事務所には、お得意の犬猫さがしの依頼ひとつ来ず、杏子と大介は貧しくとも優雅な休日を過ごしていた。



 ようやく来客のチャイムが鳴ったのは、日曜日の夕方遅くになってからだった。

 やって来たのは四十代後半と思われる夫婦だった。彼らは緊張した面持ちでソファーに座るなり、杏子と大介に向かってすがるような目を向けた。

 どう考えても、犬猫さがしの依頼とは思えぬふたりの様子に、杏子と大介は思わず顔を見合わせた。

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