2. 娘を探して欲しいんです!

(久しぶりの人さがしかも知れない……)


 そんなふたりの予想どおり、白髪まじりの髪をかきあげた夫が、苦渋の表情を浮かべたまま名刺を取り出した。


三枝吉明さえぐさよしあきと申します。こっちは妻の俊恵としえです。じつは、捜していただきたいのは、わたしたちの娘の理恵りえなんです」


「娘さんですか?」


「はい。金曜日に、家の者に黙ったまま、旅行に行くという書き置きを残して家を出ました。それきり……」


「もっ……もう三日目なのに、連絡ひとつ無いんです!」

 落ちついた夫にくらべ、妻の俊恵は動揺を隠そうともしない。


「警察には?」


「すぐに届けました。しかし、旅行に行くという書き置きがあるせいか、警察も積極的に動いてはくれません。何度もお願いしているのですが……」


 三枝の言葉に、杏子はうなずいた。

 確かにたくさんいる家出人の中で、それほど事件性の少ないものには、警察も人手を割くゆとりはないのだろう。


「娘さんはおいくつですか?」

「十六歳です。この春、高校二年になります」

「旅行先に心当たりは無いのですか?」


「はい、ありません。娘の友達にも聞いてみたのですが、あまり親しくつき合っているわけでもないらしく、何も知らないと言われました」


 三枝はうつむいた。


「それで……私たち、こちらのウワサを聞いて、理恵の身のまわりの物を持って来たんです。身のまわりの物さえあれば、こちらでは居場所をさがしてもらえると聞いて……」


 妻の俊恵は、本当に藁をもつかむ気持ちでやって来たのだろう。大きな黒のナイロンバックから、娘のものらしい衣類からアクセサリーなどの小物に至るまで、たくさんの物を取り出すと、テーブルの上に並べはじめた。


「これが、娘の写真です」


 三枝がさし出したのは、高校入学時の写真らしかった。校門前にたたずむセミロングの髪の少女が、寂しげなほほ笑みを浮かべている。


 杏子は写真を受け取った。

 写真を手にしたとたん、杏子の頭の中に溢れだした映像は、いつも一人ぼっちで教室の席に座っている少女の姿ばかりだった。なかなか友達のできない不器用な理恵の姿が、杏子の頭の中に浮かび上がってきた。


「娘さんは、ひとりっ子ですか?」

「はい。子供の頃から大人しい子で、とても家出をするような子ではないのです」

「そうですか……」


 杏子は写真をテーブルの上に置くと、たくさん並べられた理恵の私物を見回した。

 いくつか手を触れてから、制服に手を伸ばす。少女とともに過ごした時間が一番多いせいなのか、強烈な引力を感じた。


 はじめに見えたのは、写真と同じひとりぼっちの少女の姿だった。その次に、男子生徒の顔が浮かんだ。

 ごちゃごちゃと映像が乱れたあと、杏子の頭の中に、たくさんの風景が現れては消えていった。最後に見えたのは、印象的な大木。

 杏子はゆっくりと目を開けた。


「娘さんは信州に行ったようです。長野にお知り合いはいますか?」

「いいえ。なんでそんな遠くに……」


「長野と言っても、山梨に近い八ヶ岳あたりです。山の中にある小さな神社に行ったようです」


「神社……ですか?」


 三枝は、理解できないといった様子で首をかしげた。


「何か心当たりはないですか? 神社に興味があるとか、調べ物をしているとか」


 杏子は三枝夫妻を交互に見つめたが、ふたりとも途方に暮れたように首を振るだけだった。


「娘は、その神社にいるんですか? 今もそこに?」


 俊恵は身を乗りだして杏子の顔を見つめる。とにかく娘のいる場所を知りたいという、俊恵の必死な気持ちが、痛いほど伝わってくる。


「神社にいるかどうかはわかりませんが、近くにいるようです。とても小さい山の中の神社で、境内には大きな木があります」


「何という神社ですか? どこにあるんですか?」


 畳みかけるような三枝の言葉に、杏子は申し訳なさそうに首を振った。


「今わかるのは、娘さんが電車から降りた駅が上諏訪かみすわだということと、山の中の小さな神社へ行ったという事だけです」


「上諏訪……」

「そこに、娘はいるんですね?」

「上諏訪からわりと近い山……としか言えません」


 めずらしく歯切れが悪い杏子を、大介は隣に座ったままちらりと見た。

 これ以上、理恵の情報は得られないと思ったのか、三枝夫妻はとにかく上諏訪に行ってみると言って帰って行った。


 杏子は玄関先でふたりを見送ったあとも、じっとソファーに座って何か考え込んでいた。


「どうしたんですか、杏子さん?」


 大介がコーヒーをテーブルに置くと、杏子は黙ったまま、コーヒーカップを両手で包むように持ち、ひと口飲んだ。


「杏子さん?」

 大介はお盆を持ったまま、杏子の向かい側に座った。

「さっきの依頼で、何か気になることでもあるんですか?」


 大介の声がようやく聞こえたのか、杏子はハッとしたように大介に視線を向けた。


「あ……うん。大介くんさぁ、昨日カジさんが見せてくれた『伝説ネット』だっけ? あれ、さがしてくれないかな」


「はい。そう言えばカジさん、行方不明の人を捜しに長野に行くって言ってましたよね。もしかして、三枝理恵さんの件も、あのネットの行方不明事件に関係あるかも知れないってことですか?」


 大介は、お盆を抱えたまま立ち上がった。


「それはわからないけど、気になるのよ」


 杏子は親指の爪を噛んだ。


「もっと真面目に、カジさんの話を聞いておくんだったわ」


 大介は、ノートパソコンを持ってきて杏子の隣に座ると、すぐさま『伝説ネット』の画面を開いた。

 昨日と同じ、紫色のおどろおどろしい画面が表示されるなり、杏子は食い入るように画面を見つめた。


「ええと……うわぁ、見づらいですね。日付順で新しいトピが上に来てるからっと……行方不明の書き込みなんて……」


「ちがうわよ。たしかカジさん『願いが叶う木』って言ってたわ」

「ああそうか、『願いが叶う木』のトピをさがせばいいんですね?」


 大介はどんどん日付をさかのぼっていった。


「あっ、ありましたよ!」


 大介がページを開くと、よくあるQ&Aのような感じで、トピ主の伝説の話とそれに関係する書き込みが続いていた。


『長野県の諏訪湖の近くに『願いが叶う木』のある神社があると聞きました。山の中の小さな神社で、ご神木のなぎの木の葉をもらってくると、恋が叶うという伝説がある神社です。神社の名前も場所もわかりませんが、もしご存知の方がいたら教えてください』


 大介は声に出して読みあげてから、杏子の顔をのぞき込んだ。


「さっき杏子さんも、大きな木がある神社って言ってましたね。梛の木なんですか?」


「そんなのわからないわよ。梛の木がどんな木だか知らないもの」

 杏子は口をとがらせる。


「とりあえず、書き込みを見てみましょう」

 大介はたくさんの書き込みに目を走らせた。


「ずいぶんたくさん神社があるみたいですね。ここじゃないかって書き込みがけっこうありますよ」


「行方不明になった人が行ったのはどこ? 行方不明の書き込みからさがしてよ!」

「あ……はい」


 いきなり声を荒げた杏子に、大介は驚いた。


「あっ、ありましたよ。一件目は一か月以上前ですけど、あとの二件の日付は春休みに入ってからです。一件は梛神社を名指ししてますが、あとの二件は神社の名前はありません」


「それじゃ、梛神社の書き込みをさがして」

「はい」


 大介は日付をさがのぼった。


「これですね。『……梛神社かも知れません。諏訪から車で一時間弱くらい。山の中にある小さな神社で、梛のご神木があります。とてもわかりにくいです』って、具体的な場所が書いてありませんね。ほかの書き込みも、場所がわかりそうなものはないですね」


 大介が杏子の方へ振り返ると、杏子はまた親指の爪を噛んで、何か考え込んでいるようだった。


 大介は何だか心配になった。今まで受けたさがし物の依頼で、杏子がこんな顔をしたことはなかった。もちろん、今までの依頼のほとんどが、犬猫などのペットや失せ物さがしで、人間をさがすことじたい稀なことだったけれど、三枝夫妻に杏子が答えた言葉も、妙に歯切れが悪かった。


「杏子さん、何か心配事でもあるんですか? 何かあるなら話してくださいよ。ぼくだって、力になれるかも知れません。いえ、ぜったい力になりますから!」


 大介がそう言うと、杏子は爪を噛んだまま大介を見上げた。眉間にしわが寄っている。


「杏子さん?」


「わからないけど、嫌ぁな感じなの。不気味なの。なんかドロドロしてて、暗くて、そばに寄りたくなくて……」


「不気味でドロドロ……まさか、行方不明者はみんな死んでるってことですか?」


 大介は、思わず杏子の方に身を乗りだした。


「そういう訳じゃないわ。少なくとも理恵さんは生きてるしね」

 杏子はそう答えると、大介の体を両手で押し戻した。

「狭いんだから、でかい図体で近寄らないでよ」


「すみませんね。それで杏子さんは、何だか知らないけど、この事件の背後にドロドロした不気味なものを感じて、怯えてるって訳ですか?」


 大介の冷たい言葉に、杏子は口をとがらせたまま黙っている。


「だから三枝夫妻にも、何だか歯切れの悪い答え方をしてたんですか?」

「えっ、そう?」


「そうですよ。なんか杏子さんらしくなかったですよ。いつもの杏子さんだったら、もっとビシバシ居場所を言って、最後まで自分でさがしに行ってると思います」


 大介はパソコンを閉じると立ち上がった。そして、テーブルに置いたままになっていた三枝の封筒をつまみ上げると、中をのぞいた。


「杏子さん、お代は五千円でしたよね?」

「ええ、そうよ。だって場所のヒントを言っただけだもの」

「でも、五万円入ってますよ」


 大介は、封筒の中から五枚の一万円札を出して見せた。


「うそ……」


 杏子は、大介がさし出した五万円を呆然と見つめた。


「どうします?」

「明日、諏訪に行くわ。もらった分だけの仕事はしないとね」


 杏子の口から大きなため息がもれた。

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