15. 脱出


 理恵が眠ってしまうと、杏子はもう一度、鍾乳石の祭壇の近くに行ってみた。まだ真夜中には早かったし、理恵と圭人を無事に逃がすためには、ただ助けを待っているだけではいけないような気がしたから。


「まずは、出口を探さなくちゃね」


 さっきの白蛇がいないか、懐中電灯で用心深くあたりを照らしてみてから、杏子はおもむろにタバコに火をつけた。

 佐々木涼介は、空気の流れを追って出口を探しに行ったのだと、圭人は言っていた。ならば、空気の流れを追えば、奥宮に続く通路を見つけられるはずだ。


 杏子はタバコを目の前にかざすと、煙の流れを追って歩きはじめた。

 梶原が用意した極細のロープは、途中で迷っても戻れるように、あらかじめ圭人と理恵の手に結び付けてきた。


「さて、頼むから邪魔しないでよね」


 どこかに潜んでいるだろう白蛇にそう頼み、杏子は歩きにくい岩だらけの洞窟を歩き続けた。


 ロープの残りの長さを気にしつつ、足を引っかけないように、ロープが地面にちゃんとついているか確かめる。これが、いざという時の命綱になるのだと思うと、いつも大雑把な杏子ですら慎重になる。


 煙の流れはそれほど明確ではなく、時に渦を巻いて辺りに漂ったり、逆方向へ戻ってしまうこともあったが、梶原の極細ロープが無くなる前に、細い横穴の前にたどり着くことが出来た。


 新しいタバコに火をつけて横穴の前にかざすと、今までとは明らかに違う勢いで煙が吸い込まれてゆく。


「間違いなさそうね」


 杏子が手近な岩にロープを巻き付け、しっかりと結びつけた時、遠くからガターンという大きな音が聞こえて来た。

 杏子は慌てて懐中電灯を消すと、地面に這わせたロープをたどり、鍾乳石の祭壇があるホールが見渡せる所まで戻って行った。


 微かに尾を引くような足音が聞こえ、上下するように動く光が見える。

 宮司かその祖父が、この洞窟に入って来たのだろう。こんな夜中にやって来るという事は、何か急いでやらねばならない用事が出来たということだ。


 大介と梶原が、警察に助けを求めたのかも知れない。とにかく、地上で何か動きがあったのは確かだ。

 もし警察が動いたのだとしたら、宮司たちは、洞窟の中を見られても困らないようにしたいはずだ。杏子たちをどこかに隠すか、消し去りに来た可能性が高い。


(まずいわね)


 杏子は急いで理恵と圭人の元に戻ると、ふたりを乱暴に起こした。


「声を出さないで。宮司たちが来たみたいなの。これから、このロープを伝って出口に行くわよ。明かりはつけないから、ロープを離さないでね」


 ふたりがうなずく気配が伝わってくる。


「行きましょう」


 圭人を先頭に、理恵、杏子の順でロープを持ち、杏子は手繰ったロープを巻き取って行く。どこへ逃げたのかわからなくするためには、逃げた痕跡は残せない。

 懐中電灯の光が、だんだんと近づいてくる。ライトの光は二つある。宮司と祖父が共に洞窟へ降りて来ているのだろう。

 杏子たちは岩陰に身をひそめ、宮司たちが通りすぎるのを待った。


 杏子たちが中宮の真下にいないことは、すぐにわかってしまうけれど、川の方まで探しに行ってくれれば、少しは時間が稼げる。

 三人は音を立てないように気をつけながら洞窟の中を進み、ロープの先を結んだ横穴の前までたどり着くことが出来た。


「狭いけど、ここを登れば出られるはずよ。先に行って」


 杏子は、圭人と理恵を先に行かせた。最後に自分も横穴に入ろうとして、ハッと振り返る。すぐ近くに大きな白蛇がいた。暗闇の中から、真っ赤な瞳で杏子を見つめている。


「そうだったわね。あなたを置いて逃げ出したら、あたしたちも、佐々木くんの二の舞だったかしら?」


 身の安全を最優先するなら、御神体を解放するのは事件が終わった後でね、と言いたいところだったが、そんな言い訳はこの白蛇には通用しそうもない。

 杏子はあきらめて、横穴の岩にかけていた足を下ろした。すると、いつの間にか白蛇の姿は消えていた。


(急げば、間に合うかも知れないわね)


 杏子は身をひるがえして、鍾乳石のホールに戻って行った。


☆     ☆


「足元に気をつけて下さい。この先はがけになってますから」


 香菜子の懐中電灯が、奥宮のさらに奥を照らし、岩だらけの道を下ってゆく。

 奥宮にあるという入口は、山の頂上からは一段下がった岩場にあるのだという。


「さすがにここまでは、警察もさがしてねぇよな」


 梶原は、岩を削って作ったようなわずかな通路の先に、ぱっくりと口を開けた真っ暗な崖下を見てヒヤリとした。


「あっ、どうしよう」


 香菜子の声に振り向くと、少しだけ広くなった通路の終点で、岩だらけの壁を見つめて香菜子が立ち尽くしている。


「確か、ここが入口だったはずなんですけど」


 香菜子が見つめる先には、明らかに後で乗せたと思われる大きな石があった。


「先手を打たれたか」

 梶原があごを撫でていると、今まで黙り込んでいた大介が石に手をかけた。


「カジさん、なに見てんですか。早く手を貸してくださいよ!」


 渋沢刑事から不首尾の一報を聞いてから、大介はずっと押し黙ったままだったのだが、ここへ来てようやく口を開いた。


「おう」


 ふたりで石に手をかけて、呼吸を合わせて持ち上げようとするが、石はびくともしない。


「こりゃあ難しいな。何か棒があればなぁ」

「そうか、てこの原理」


 大介は急いで奥宮のある頂上まで戻って行くと、木の枝を何本か持って戻って来た。


「カジさん、どこに入れればいいんですか?」

「ああ、いま周りの石をどけてるから待て。よし、ここだ。ここに入れろ!」


 石の間に木の枝を差し込むと、ふたりは力を合わせて枝を押した。すると、わずかに石が動き、手前に転がりそうになったところでボキッと枝が折れてしまう。


「よし、もう一本だ」

「はい」


 大介は丈夫そうな枝を選ぶと、折れた枝を引き抜いた穴に差し込む。


「いくぞ!」

「はい!」


 再び大介と梶原が渾身の力で木の枝を押すと、今度はゆっくりと石が浮き上がり、手前にゴロンと転がった。


「やった!」


 大介が穴の入口に飛びつくと、月明かりにうっすらと人の顔が浮かぶ。


「カジさん、誰かいます!」


 大介の声に、香菜子が懐中電灯の明かりを向け、梶原が穴の中にいたふたりを引っぱり上げる。


「ふたりだけか?」

「はい。あなたたちは、椎名杏子さんの仲間ですか?」

「そうだ。椎名はどうした?」

「この横穴の入口までは一緒でした。でも、先に行ってと言われて、それきり見えなくなりました」


 少年はそう言って、申し訳なさそうにうつむく。


「わかった。すぐに警察が来るから、ここで待っててくれ」


 梶原は、少年少女と香菜子に向かってそう言うと、渋沢に電話をかけた。


「カジさん、ぼく先に行きます!」

 大介が穴の中に足を下ろしながら振り返る。

「おお。おれもすぐに行く」

 梶原がうなずくと、すぐに大介は穴の中へ姿を消した。


「大丈夫よ」

 震える少女の肩を、香菜子が抱きしめる。


「すぐに渋沢たちが来る。それまで二人を頼む」

 梶原はそう言うと、大介の後を追うように穴の中へ入って行った。

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