12. 助っ人


 老人に追い立てられるまま歩いていた大介と梶原は、いつの間にか前宮まえみやの近くまで来てしまった。


「カジさん、こんなに離れたらだめですよ。ぼく、戻ります!」


 自分たちが中宮にいれば、杏子に危険が及ぶことはない。大介はそう信じたからこそ、杏子が宮司の家へ行くことに納得したのだ。それなのに、これでは話が違ってしまう。


 大介が、すばやく老人の脇をすり抜けようとすると、驚くほど強い力で腕をつかまれた。


「だめだ、聖域に入ってはならぬ!」

「はっ……放してください!」

「聖域を汚したら、あんたたちだって祟られるぞ」

「えっ……」


 暴れていた大介が、静かに老人の顔を見る。


「ここならいいだろう。いいか、この梛神社の御祭神は蛇神じゃしんだ。荒ぶる神であり、たたり神なのだ。最近も、祟られて命を落としたものがおる」


 老人が言っているのは、先代宮司と田代の息子のことだろう。大介と梶原は、思わず顔を見合わせた。


「その人たちは、本当に祟られて亡くなったんですか?」

 梶原がすかさず追及すると、老人は重々しくうなずいた。


「いいか、この荒ぶる神は、はるか古代からこの地の神としてあがめられていたのだ。我らは祭祀さいしを守り引き継いで来たが、長い間には神に歯向かうこともあった。

 むかし、長い日照りに田畑が枯れ、飢饉ききんになった事があった。雨を降らさぬ神に村人たちは怒り、聖域に火を放った者もいたという。しかし、まもなくその者の家は火事になり、まわりを巻き込んで多くの死者を出した。神の怒りを受けたのだ。

 村人たちは神を恐れ、神の怒りを鎮めるために娘を神に与え祈った。それ以来、神の怒りを鎮めるのが、この神社の最大の仕事になっているのだ。

 あんたたちが不用意に聖域に踏み込んで、我らがよけいな怒りを買うことは誰も望んでいないのだ。わかるな?」


「それは、もちろんです」

 梶原がもっともらしくうなずく。


「おれたちはもう引き上げますが、宮司さんのお宅に連れがお邪魔しているので、宮司さんのお宅に寄ってから帰ります」


「そうか。ならわしも一緒に行こう。わしは宮司の祖父だ」


 老人は不愛想にそう言うと、先に立って歩き出す。

 大介と梶原が、仕方なく老人の後について行くと、家の前で竹ぼうきを持つ宮司の姿が見えた。


「いい写真は撮れましたか?」


 梶原たちに向かってにこやかに話しかけてくる宮司の横を素通りし、老人は何事もなかったように家へ入って行く。


 老人が宮司に説教をするのではないかと思っていた梶原は、少々違和感をおぼえながらも宮司に会釈する。


「いえ、暗くなってしまったし、今日の所はそろそろ引き上げます。椎名はまだ話をしてますか?」


 梶原の言葉に、宮司は驚いたような顔をする。


「えっ、椎名さんなら、急な用事が出来たとかで、先ほどお帰りになりましたよ。電話がかかってきていたようですが、あなた方には連絡しないで帰られたんですね」


「そんなっ! 杏子さんバイクに乗れないのに、ここからどうやって帰ったんですか?」


 食いつきそうな勢いで大介が言う。


「それはわかりませんが、まだ近くにいるかも知れませんよ。追いかけて行ってみてはどうですか?」


 宮司が言い終わらないうちに、大介は駆け出した。

 たったいま歩いて来た道を戻り、前宮の急な階段を駆け下りてゆく。


「杏子さんっ!」


 大介は叫んだ。

 暗くなった道路には、大介と梶原のバイクが並んでいるだけで、杏子の姿は見当たらない。


「カジさん、どうするんですかっ!」

 大介は、階段を下りてきた梶原につかみかかった。

「だからぼくは反対したのにっ! 結局、杏子さんは、あいつに捕まったんじゃないですか?」

 叫びながら、梶原の体を乱暴に揺さぶる。


「大介、落ち着け!」

「落ち着いてなんかいられませんよ!」

 大介がそう言った時、通りかかった車が急に止まり、人が降りて来た。


「あなたたち、暗くなってからこの神社に入らない方がいいですよ!」


 長い髪を振り乱しながら駆け寄ってきたのは、まだ若い女性だった。鬼気迫る彼女の様子に、大介は梶原から手をはなした。


「あなたは、この神社の関係者ですか?」


 梶原がそう聞くと、彼女は急に怯んだように後ずさり、車に戻ろうと走り出した。


「待ってください! 一緒に来た女性が、ここで行方不明になってしまったんです! 何か知っているなら教えてください!」


 大介が必死に追いすがると、彼女は足を止めて振り返った。


「それは、大変だわ。あのっ、ここでは話せないから、ついて来てください」


 彼女はそう言うと、軽自動車に乗り込み急発進する。

 大介と梶原は、あわててバイクに飛び乗ると、彼女の車の後を追っていった。


☆     ☆


 軽自動車の女性が車を止めたのは、市街の小さな喫茶店だった。

 大介と梶原が簡単に自分たちの事を話すと、彼女は小さな声で名を名乗った。


「あたしは、名木香菜子なぎかなこです。宮司の、妹です」

「あなたが……」


 大介は思わず腰を浮かした。きっと協力してくれると思っていた人だったけれど、まさか本当に会えるとは思っていなかった。


「あなたは宮司さんとケンカをして、家を出て行ったと聞きましたが、本当ですか?」


 梶原の質問に、香菜子はうなずく。


「祖父と兄のやり方が嫌になって、家を出ました。友達の家に泊めてもらって、家の事も考えないようにしていました。だから、まさかこんな事になっているとは思わなかったんです」


 香菜子は、青ざめた顔で首を振る。


奥宮おくみやで、ケガをした方が見つかったと聞いて、心配になって戻って来ました。まさか一般の観光客の方まで、むろに入れていたなんて……」


「室というのは何ですか? あなたはケガをした青年が、どこに閉じ込められていたのかご存知なのですか?」


 梶原は静かに質問を続ける。


「室というのは、中宮にある洞窟の事です。この辺りの土地では、縄文の昔から蛇神を信仰する人たちが暮らしていたそうです。蛇の脱皮を、命の再生として崇拝していた古代の人々の思いが、細々と受け継がれて来たのだと思います。おふたりは、トウビョウという言葉を聞いたことがありますか?」


「トウビョウ?」

「聞いたことがないですが」

 大介と梶原は首をひねる。


「むかし、蛇神に仕えていた巫女が、神と交わり子蛇を生み育てていたという言い伝えがあります。その子蛇を、代々育てて祀っていた家の事を、トウビョウと言うのだそうです」


「梛神社が、そのトウビョウの家系だと言うのですか?」


「はい。わたしが子供の頃から、岩山の洞窟で蛇を育てていました。いつから続いているのかわかりません。トウビョウという名前はわたしが本で調べたもので、実際にそう呼ばれていた訳ではありません。ただ、トウビョウの家の人たちが〈憑き物筋〉として恐れられていたように、わたしの家も、集落の年配の人たちからは、恐れられていたような気がします」


 香菜子は悲しそうにうつむいた。きっと彼女も、特別な家の子供だという目で見られながら育ったのだろう。


「父はずっと、うちの神社を変えたいと言っていました。蛇の飼育をやめ、神おろしの神事もやめて、普通の神社にする努力をしていたんです。わたしは父のために神社のホームページを作り、梛の葉が恋愛のお守りになるという古来からの言い伝えを載せました。

 そんな時、突然父が亡くなりました。父の後を兄が継ぐと、祖父の考えに従うように、神社はまた元の人を寄せつけない暗い神社に戻りました。兄はホームページを閉じ、神おろしの神事を復活させるために、わたしを蛇室へびむろに入れようとしました。それが嫌で、わたしは家を出たんです」


「そうだったんですか。あなたのお陰で、大体の流れはわかりました」

 梶原はなぐさめるように、優しく声をかける。

「問題は、これからどうするかです。岩山に閉じ込められている人を助ける、何か良い方法はありませんか?」


 梶原はあくまでも冷静だ。杏子の事だけでなく、行方不明者全員の事を考えているのだろう。そんな梶原に、大介はイライラしたような目を向ける。


「カジさん、今はそんな方法とかじゃなくて、香菜子さんと一緒に警察へ行って、中宮を強制的に捜索してもらった方がいいですよ!」

 大介は声を荒げる。


「ああ。警察にはもちろん言うさ。だがあの宮司に、上手く言い逃れされても困るからな。万が一、警察が動かなかった時のために、椎名たちを助け出す方法を探っておきたいんだ」


「カジさん……」


 大介は唇をかみしめた。

 梶原に対する怒りは急速にしぼんでゆき、その代わりに、杏子の心配をするだけで、何ひとつ考えていなかった自分が情けなくなってくる。


「あのっ、中宮のカギは兄が持っているので難しいですが、奥宮のある山の上にも、小さな入口があるんです」


「やっぱり、奥宮には入口があったんだな!」

 梶原は思わず香菜子の方へ身を乗り出した。


「はい。とても狭くて、大人ひとりがやっと通れるくらいの細い穴で、岩だらけのかなり急こう配な道ですが、そこからなら入れると思います」


「カジさん、急ぎましょう!」

 大介が勢いよく立ち上がるのを、梶原が手で制した。


「まずは用意だ。ロープやらライトやら、いろいろ必要になるだろ? それと、シブちゃんに連絡だ」

「わかりました、すぐに連絡します!」

 大介は大きくうなずくと、喫茶店から飛び出していった。

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