3. 捕り物
井の頭公園に向かって走る車の中で、杏子はあらためて天王寺に目を向けた。
「天王寺さん、ひとつだけ確認させてください」
「何でしょうか?」
天王寺は静かに首をかしげる。
「あなたは、弟さんを見つけたら、どうするつもりですか?」
「どう? わたしはネコが無事なら、別に弟を罰するつもりはありません。それに、もしも弟が何かを目撃しているなら、警察にすべてを話してお任せします」
「そうですか」
杏子はホッとした。
「もうすぐ井の頭公園です。どの辺りで車を止めればよろしいですか?」
運転手が聞いてきた。
「あの、さっきは池の見える所にいたから、その近くで下ろしてくれないかしら?」
杏子はそう言ったが、すぐにハッとしたように動きを止めた。その顔がみるみる蒼白になってゆくのを、大介は見逃さなかった。
「杏子さん、どうしたんですか?」
「ちがうの、大変よ! 車にはねられたかも知れない!」
「はねられたって、瞬が車にはねられたって事ですか? それはどこです!」
杏子の腕をつかみ、天王寺が声を荒げる。
「公園の中の道よ。細いけど車が通れる、住宅街に抜ける道だわ」
「その先を、左折した所かもしれません!」
運転手の叫ぶような声が聞こえたあと、すぐに荒っぽく車が左折する。道の両脇は、木々に覆われた広い公園だ。そこで、車は急停車した。
「自転車があります!」
運転手を残したまま、杏子と大介と天王寺があわてて車から降りると、前方の道の端に、すこしひしゃげた自転車が転がっていた。もちろん辺りには、瞬らしき人も、はねた車も見当たらない。
杏子はすぐさま、自転車にかけよると、車体に手を触れた。
大介はぐるりと辺りを見回すと、声をはり上げる。
「あの、どなたか、この自転車に乗っていた人を知りませんか?」
杏子が目を閉じている間に、すこしでも手がかりをつかもうと、大介は近くにいた人に聞き込みをはじめる。
天王寺だけが、呆然と立ち尽くしていた。
「杏子さん、自転車と車が接触したようです。車に乗っていた人が、倒れた若い男を病院に運ぶと言って、車に乗せるのを見た人がいます」
「ええ。自転車に車をぶつけたのは、間違いなく、瞬くんの部屋を荒らした奴らよ。黒いセダンに乗っているわ。でも大丈夫、瞬くんは無事よ」
杏子はそう言うと、ジャンパーのポケットからメモ帳を取り出して、何かをメモしはじめた。
「天王寺さん、勿論あたしも瞬くんの後を追うけど、こうなったら警察の力を借りた方がいいわ。警察に、このナンバーの車を至急手配してもらって。奴らが瞬くんの口を封じてしまう前に、保護してもらいましょう。ここからは、時間との勝負よ!」
杏子が破ったメモ紙を差し出すと、天王寺は驚いたように目を見張ったまま、小さくうなずいた。
井の頭公園を離れ、車は幹線道路へ入って行く。
「西よ。まだ西に向かっているわ」
天王寺が警察に電話している間、杏子と大介が運転手に指示を出している。
「やっぱ、山の方に向かってるんじゃないっすか? 口封じには、人目につかない所へ行くのが普通ですよ」
「やめてよ、大介くん!」
杏子はフォトフレームとネコの鈴を両手に持ったまま、ジロリと大介をにらみつける。
移動している車の行方を追うことは、杏子にはかなり難しいことだった。その証拠に、さっきから杏子は『西』としか言っていない。
「警察が、すぐにこのナンバーの車を緊急手配してくれるそうです。Nシステムにヒットしたら、こちらにも情報をくれると言ってくれました」
天王寺がスマホをしまいながらそう言うと、ホッとした空気が車内に広がった。
「よかった。きっとすぐに見つけてくれるわよね」
「そうですよ。奴らは追われてるなんて思ってないですから、きっと幹線道路を使ってますよ」
「そうよね。あっ……待って、ちょっと北に向かってるみたい。それに、一瞬だけど山が見えたわ」
杏子の表情が、また厳しくなる。
「もう少し行くと、この先で秋川や青梅方面に行く道がありますが、どういたしますか?」
運転手の声に、天王寺の視線が杏子をとらえる。
「どうです、わかりますか?」
「ええ。北上してください。急いで!」
車はぐんとスピードを上げ、交差点を右折した。
そのまま道なりに北上を続けていると、どこからともなくパトカーのサイレン音が聞こえてきた。しかもあちこちから聞こえる。
「これって、もしかして」
大介が嬉しそうに降りかえった時、天王寺のスマホが鳴った。
「見つかりました。いまパトカーが追尾しているそうです。この方向で間違いないようです」
ずっと蒼白だった天王寺の表情が、ほんの少しだけゆるんだ。
「よかった。とにかく急ぎましょう」
天王寺ほど安心していないのか、杏子はじっと前を見つめている。彼女の目に何が見えているのか、大介はすこし心配になった。
いくつかの地域から、どこか一点を目指して、パトカーが集まって来ているようだ。すでにNシステムでは捉えられない地域なのだろう。目視確認出来ているパトカーがいればいいが、そうでなければ、網を投げるようにして捕まえるしかない。
川沿いの道をしばらく走り、枝分かれした支流の方へ曲がる。細くなった道を山の中へすこし入って行った所で、パトカーが一台止まっているのが見えた。その先にもう一台、黒い車が止まっている。
「あれですよね!」
杏子と大介は、転がるように車から飛び下りたが、二台の車には誰もいなかった。
「山に入ったようですね」
すこし遅れて車を降りてきた天王寺は、黙って山を見上げた。その静かな様子が、杏子には痛ましく見えてしまう。
「こっちよ。急ぎましょう」
道側の山ではなく、支流を越えた向こうにある山を杏子は指さした。もう陽はかげりを帯びていて、間もなく夜が来ることを告げていたが、杏子は気にも留めずに小さな支流を越えて行く。
「杏子さん、大丈夫なんですか? 具合悪いのに、道のない山なんか登れるんですか?」
杏子の腕をつかみ、大介がゆく手を阻むように回り込んで来る。
「ぼくが行きますから、杏子さんはここに残ってください」
「だって、大介くんじゃわからない……あっ」
杏子が息を飲むと同時に、山の上から「うわぁ」という男の叫び声が聞こえてきた。
大介と天王寺が、弾かれたように山に向かって走り出す。
川べりに取り残された杏子は、呆然と山を見上げた。
体が重かった。頭もガンガンと痛みが増してきている。杏子が山を登ったとしても、きっと足手まといだったろう。大介の言う通りだ。
杏子は自分の頭を拳で叩いた。
「落ち着け、あたし!」
こうなったら、この山の中から瞬と猫を探すしかない。
杉の木が植えられた山の中は薄暗く、地面は熊笹などの下草に覆われている。
山の中では、風景も役に立たない。あとは、迷い猫の居場所を特定した時と同じように、その存在を感じるしかない。
全身を探知機にするような気持ちで、杏子は山を見上げた。
草のさざめく音。人の息づかい。耳に聞こえるわけではない音を感じ分けるために、神経を研ぎ澄ませる。
(……いる!)
たくさんのサイレン音が近づいて来た。
パトカーが次々と道路に止まり、警官がバラバラと降りてくる。
「お巡りさん、こっちよ、こっち!」
杏子は警官を手招きする。
「誘拐された人は、いま逃げてるわ。でも追いかけられてるの。知人がふたり助けに行ったけど、早く行ってあげて。ここから斜めに登った所よ!」
杏子の出す指示に戸惑いながらも、警官たちは無線で何か報告しながら、山を登ってゆく。
「いたぞ!」
山の中が騒然とし始めたとき、杏子はほんの一瞬、弟をしっかりと抱きしめる天王寺の姿を見たような気がした。
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