第15話 ふたりぼっちの水族館

「良い天気ですね! 今日も快晴です!」


「雨の精霊が太陽を喜ぶなよ…」


最寄りから電車二本とバスを駆使して、ようやく浜北水族館へと辿り着いた。

朝早く家を出たというのに、水族館はとても混雑していた。

さすがは日曜日といった所だろう。


ホームページで見た、シャチのマスコットが指し示す入場門には人が溢れていた。

その人混みに紛れ、僕はチケットを購入する。


チケット売り場のお姉さんが、不思議そうな目でこちらを見ていた。


「おひとり様ですか?」


周りに聞こえないよう小さな。

しかしどこか堂々とした声で言う。


「高校生、一枚で」


男子高校生が一人で水族館に来た。

そう思われるのは織り込み済みだ。

ただ、誰にも見えないが、確かに隣に小晴はいるのだ。


「ぼっち水族館とはレベルが高いですね」


嫌味を言いながらケラケラと笑っているけれど。


チケットを受け取り列に並ぶと、さほど待たないうちに門が開いた。


「すごいです! すごいですよ祈吏さん! 見てください!」


中に入ると、早々に小晴が声を上げた。


「どうした?」


「星です!」


やっぱり、食いつくと思った。


入場口から入ってすぐの所。ショーケースのようになっている展示コーナーでは変わった形の生き物を展示している。

星ということは、王道のあれか。


小晴の駆け寄った先、黒色の水槽に僕も近づく。


「海に浮かぶ、お星さまです」


「これはヒトデだな。ちゃんとした生き物だよ」


「これが!」


初めて見た生物に何とも仰天しているようだった。

上から横から斜めから観察したあと、小晴は身を乗り出してぐいっと手を伸ばす。

触ってみたいと思ったのだろう。

背伸びして、手を伸ばして、やっと触れることが出来た。その動作になんだか笑ってしまう。


「ぷにぷにしてますね…って、あれ? なんで笑ってるんですか?」


「いや、なんか面白くて」


「んん? 何がですか?」


小晴は相変わらず、白の制服を身にまとっている。

だから、見た目からしてみれば完全に女子高校生だ。

それだというのに、この動きは。

まるで、子供じゃないか。


「あ、もしかして触っちゃいけなかったんですか?」


訳が分からないといった様子で小晴は首をひねる。


「いや、そうじゃない。それに、小晴さんなら触っても見られないでしょ」


「なら、どうして笑ってたんですか!」


そう言って小晴は地団駄を踏んだ。

面白いから、そのままにしておこう。



浜北水族館ではアシカだったりイルカだったり、様々なショーが開演されているらしい。

しかし、その中でも目玉のショーといえばマスコットにもなっているシャチのショーとのことだった。


人間である僕だって、あれほど大きな海の生き物を見た経験は決して多くない。

それを雨の精霊なんかが見たらどんな反応をするのだろうか。

見せてやりたかった。それに、僕自身シャチを見てみたかった。


「あっ、可愛いです!」


小晴が水槽に向かって走っていったので、さりげなく携帯の画面で時間を確認する。

ショーの開演時間まで、まだおよそ三十分程度あった。

今から行けば、最前列を取ることだって出来る。

小晴を呼んで、ショーをする場所へと連れて行こうと思った。

しかし、事が中々予定通りに運ばないことは、僕自身よく知っている。


「また出てきて…隠れる…。隠れて……わっ、出てきた!」


ちょっと不思議な子だとは思っていたが、どうやら元々子供っぽい性格なのかもしれない。

小晴がぴったりとついて動かない水槽では、カクレクマノミが泳いでいた。

ハタゴイソギンチャクに出たり入ったりするのは、敵の捕食から逃れるためだと聞いたことがある。

ちょっと臆病な様子は、確かに見ていて可愛かった。


「しかし、いつまで見てるんだ?」


「だって祈吏さん、見てください。この子、とっても不思議な動きをするんですよ?」


小晴に不思議と言われるとは可哀そうなクマノミだ。


「クマノミは臆病なんだよ。敵に狙われてるんじゃないかと思って、外に出てもすぐ隠れてしまう」


「このヒラヒラしてるところは安全なんですかね?」


「これも海の生き物なんだよ。こいつは毒針を持ってるから、他の魚は近づけないんだ。クマノミだけは耐性があるから平気らしい」


「ひえっ、毒ですか!」


毒と聞いて、小晴は身体を震わせた。


「大丈夫。触れなきゃ何にもならないよ」


「あ、それならよかったです…」


まさか、本気で怖がっていたのか?


しかし、カクレクマノミを見ていたくなる気持ちは理解できるような気がした。

この水槽にはクマノミ以外に泳いでいる魚はいない。

つまりは外敵もいない訳で、自由に泳ぎ回ったって問題ないはずなのだ。

それなのに、クマノミは一向に住み処から離れようとしない。

『出てこい』と背中を押してやりたいような気持ちにも駆られる。


「怖がりは、だめですよね」


唐突に、小晴が言った。

クマノミのことだろうか。


「怖がりはだめです。慎重って言葉もありますけど、やっぱり挑戦は大事です」

一つ一つの言葉を語りかけるように、ゆっくり言う。


確かに、そうだ。


「前に進まないと、夢も叶わないからな」


「そうです」


さっきとは違う、落ち着いた様子で小晴は呟く。


「前に、進まないとです。このお魚さんは、可愛いからいいですけどね!」


「……」


クマノミが外に出られないのは、外敵に襲われるのが怖いから。

いつ、どこで、どこから敵が現れて、自分を捕食するのかどうかが分からないから。


分からないものは、怖い。


前に小晴にそんなことを言ったような気がする。

それなら、もし先の分からない未来が怖いのなら…?

小晴はもしかして、僕に言っていたのだろうか。


当然のことながら、予定は変更せざるを得なかった。

クマノミに三十分を費やした時点で、シャチのショーは開演を迎えてしまった。

まあ、それならそれでいい。プランAが使えないのなら、プランBを使うまで。


「ずっと前から気になってたんだが…」


あちらこちらと歩き回る小晴を呼び止めて、僕は聞きたかったことを一つ聞いた。


「はい。なんでしょう?」


「雨の精霊は睡眠も栄養補給も要らないって言ってたよな? 睡眠にしても食事にしても、あくまで娯楽の一つだとか」


「言いましたね。覚えてます」


小晴は頷いた。

覚えているなら、話が早い。

余計な話はなしにして、そのまま本題を聞いてみることにした。


「ああ、分かりました」


だが、僕が聞く前に、小晴が答えた。

どうやら、意図を察知したらしい。


「味、ですね」


「そう。それを聞きたかった」


お昼過ぎ。この時間。

計画していたランチを使うかどうかは、小晴の味覚次第だった。

睡眠は無駄に多い癖に、僕は今まで小晴が何かを食べているところを目にしていない。

それは、単純に食事という概念が味覚を楽しむものとして認識されていないからではないかと考えていた。

何かを思い出したかのように、小晴は照れくさく笑った。


「そういえば、こっちの世界に来てから何も食べてませんでしたね。なんだか、時間がもったいなくて」


「…まさか、忘れていただけだったのか?」


「うっかりです。この世界は他に誘惑が多すぎるんですよ。実は私、食べるのは大好きなんです。栄養にはなりませんが、ちゃんと味は分かります!」


相変わらずのうっかり加減だ。

でも、それならよかった。そうと来れば、プランB実行だ。


「行こう。連れて行きたい店がある」


「祈吏さんが、心なしかオシャレに見えてきますね」


小晴は笑った。

我ながらどんくさいセリフだなと思った。


「あーもしもし。うん、祈吏だけど」

「あーもしもし。はい、小晴ですけど」


このレストランを目当てに浜北水族館を訪れる人も多いと聞く。

通称、海中レストラン。

巨大水槽の真ん中に作られたこのレストランは、見渡す限り全ての景色が水の中だった。

見上げれば、天井をエイの群れが泳いでいる。横を見ると、名前の知らない綺麗な魚が心地よさそうに旋回していた。まるで、海の中にいるような感覚に襲われる。


このレストランに、僕は小晴を連れて来たかったのだ。

ルートに沿って魚を見るのも良いが、小晴にも水中というものを経験してもらいたい。

それで、ここの水族館を選んだ。


レストランに入ると、小晴は上機嫌だった。


「わっ…きれいですね…」


さっきのようにはしゃぐ訳でもなく、ただ純粋に感動しているといった様子で小晴は声を上げた。


「青空とはまた違った、綺麗な青色です」


しばらく、二人で水槽を眺めていた。


小晴が喜んでいるのが、僕にも何より嬉しかった。

運良く窓際の席をとることが出来た僕たちは、しばし休憩することに決めた。

水槽の代わりに今度はメニューを眺め、ゆっくり何を頼むか吟味する。

僕は、携帯電話を口に当てながら。


「もしもし…って、小晴さんが電話のフリをする必要はないよ」


何度も再確認しなければならないことだが、小晴の姿が見えているのは僕だけで、周りの人からは認識されていない。

それならば、僕が小晴と会話している時、周りからしてみれば僕は独り言を淡々とつぶやくヤバい奴に見られているわけだ。

人で溢れている休日の水族館ならば、混雑のおかげで多少は人目を気にせずに話すことができたが、これが食事の席となれば話は別だった。


いくら人が多いと言え、食事の席でご飯を頬張りながら一人で会話している高校生はさすがに目立ってしまう。

ヤバい奴と思われるどころか、下手をすれば警備員に連れ出されてしまうかもしれなかった。


そこで、僕は考えた。

携帯で会話のフリをすればいいのでは。


「いえいえ。祈吏さんがそうするのなら、私もそうすることにします」


そう言って小晴も受話器を耳に当てるマネをする。

これなら、幾分マシに見えるのではないだろうか。

マナー的にはいかがなものではあるが、一人会話をするより良いと思った。

小晴と互いに目を合わせながら、携帯を耳に当てて会話をする。

これじゃあ、まるで…。


「ところで祈吏さん?」


まるで、なんだろう。

僕の思考は小晴の声で遮られた。


「どうした?」


聞き返すと、小晴は苦笑いを浮かべる。


「私、ある程度の文字ならば読めるように勉強しましたけど…」


そう言って、メニューを指した。


「これは読めても、意味わからないです」


「ああ…」


思わず、僕も苦笑いする。


「それは僕もわからない」


小晴の指し示す先。メニュー表、前菜の部分には「フランス産フォアグラのテリーヌ トリュフとブッフサレ リ・ド・ヴォとレンズ豆のガトー仕立て」と表記されていた。


うん。これは分からない。

それに、値段は書かれていないが僕が手を出せるものではないことだけは分かる。


「庶民向けのも、ちゃんとあるから」


「あ、そうなんですね。それなら、よかったです」


よく見ると、小晴が手にしていたのは数量限定の特別メニューだった。

昨日、サイトで見た覚えがある。ここでしか食べられない本場のフレンチを数量限定で出しているだとか。

メニューを読んでは首をひねる小晴の様子が、不思議ちゃんオーラ抜群で面白かった。

まあ、読ませたいだけ読ませておこう。


僕は店員を呼びつけると、通常メニューをいくつか注文した。

お金の問題もあって安いメニューを中心に、それぞれ二品ずつ。

こういう時、大人になれば高い物を頼めるようになるのだろうか。

仕事をして、お金を稼いでみたいと思った。


ランチを終えると、またしても小晴の身体に異常が起きた。


「んー?」


小晴自身、不思議な様子で自分の身体を見つめている。

僕も、現実では決して起こりえない現象を目の当たりにして、小晴が本当に精霊であるのだと改めて実感していた。


「小晴さん。それ、大丈夫なのか…?」


「特に痛みは感じないんですけど…」


小晴の姿が、透けていた。

都市伝説に出てくる幽霊のように、小晴の姿は半透明に薄く透けて見えるのだった。

小晴を見ているはずなのに、それと重ねて奥の景色が見える。

確かに、そこにいるのに。


「なんだか、変な感じです」


信じられないと言いつつも、小晴はそれを楽しんでいるようだった。


「これなら、祈吏さんから逃げられる日も近いですね」


そんなような、訳のわからない冗談を言う。


「べつに、捕まえちゃいない」


「ですが、元々見えない予定でしたので」


「ああ、そういえばそうだった」


完全に忘れていた。

雨の精霊は本来、人に見られることはない。

だから僕に見られたこと自体イレギュラーで、それはこちらの世界でしか説明できない出来事なのだと。そんなことを言っていた。


僕が小晴を見失えば、小晴は本当に一人となる。

もしかすると、それこそ奇跡的な偶然なのかもしれなかった。


「それなら、探すしかないな」


僕は言った。


「探す? 何をですか?」


そんなもの、決まっている。


だけど、その問いには答えなかった。

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