夜桜さくら。

琥珀 燦(こはく あき)

夜桜さくら。

・・・・・貴方?


と、つい声をかけてしまった、深緑のジャケットの背中。


 宵闇に浮かぶ桜さくらの並木道。

 人込みに紛れそうな姿を追いかけきれなくて。


 立ち止まり、振り向いて

「大丈夫ですか?」

と、笑って手を差し伸べてくれる。


「ごめんね、足が遅くて」

と小走りで近づくと、私の手首をそっとつかんで

「いえ、こちらこそすみません、貴女を置いてきぼりにするなんて。夫失格ですね」

困ったように微笑む。

「桜が、あまりに美しくて見とれてしまってつい気がせいて。すみませんね」

と、言いながら、手のひらを合わせて恋人繋ぎをしてくれた。

 頬が熱くなって俯くと、どうしたんですか?と優しく囁かれた。

「貴女があんまり心細そうに僕を呼ぶから」

「・・・ご、ごめんなさい。貴方が・・・」

続ける声が、掠れてしまう。

・・・貴方が、消えてしまいそうな気がして・・・、と。

 桜の仄紅い柔らかな香りが、貴方を包んで、連れ去ってしまいそうで、切なくなって。

 貴方は、まさか、とため息交じりに言って、私の手をもう一度より強く握りしめてくれる。

「貴女と遠距離恋愛なんて、もうごめんですよ」

・・・嘘。その時が来たら、行ってしまう癖に。遠い旅にでも、迷いなく。すまなそうな笑顔で、行ってきますと言って。

「ほら、元気を出して。顔を上げて。もう少しだけ頑張って歩きましょう。お城の下の辺りにいいものがあるんです」

手を繋いだまま、人込みの中を悠々と進んでいく。

 夜桜さくら、薄紅色が目まいがしそうにキレイで。私はといえば、人ごみにも酔っていたのかもしれない。

そんな中、貴方が私を真っすぐ強く引く手がとても頼もしく思えた。何だろう? 貴方、いつもより少しはしゃいでる? 気のせいかな。

いつもなら私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれることが多いのに。

天守閣の白壁に、ライトアップで照らし出された桜が揺れて映える。

そのひときわ大きな樹の下に、緋毛氈(ひもうせん)を敷いた小さな茶店が見えてきた。

「ここのお店で出してる地酒が美味しいと聞いて、貴女を連れて来たんですよ。貴女は日本酒の冷やが大好きですからね」

 私を緋毛氈の椅子に座らせて、店の奥から擦りガラスの小瓶に入った日本酒とお猪口、それに貴方のお気に入りの缶ビールを抱えて戻ってきた。

「この為に今日は電車で来たんですから」

薄ピンクのお猪口にお酒を注いでくれて。キンと冷えたビールと冷酒で乾杯をした。

「・・・美味しい・・・」

 まろやかでふんわりした喉越し。口の中に花が咲いたみたいだ。私は目を丸くした。

「いい呑みっぷりだなあ。相変わらず」

妻の私が冷酒を飲み干す顔を見てにこにことして言う。

「・・・もう。女の呑み方じゃない とか思ってるんでしょ?」

 上目遣いで尋ねると、

「貴女の呑む様を眺めてるだけで、かなり酔えますよ」

と、ちょっと口角を上げて見せ、ビールを傾ける。

ふわっと少し強い風が上がり、桜の花びらが貴方の髪に、私の肩に舞い落ちる。

「美味しいなあ」

「いい呑みっぷりだぁ!」

と私が仕返しすると、貴方は少し目尻を下げて笑う。

「ありがとうね、夜桜散策、連れてきてくれて」

「花見酒も美味しくて?」

「もちろん。・・・ね、帰りにチョコバナナも食べてい?」

「まさに花より団子だなあ」

目を糸のように細くしてケタケタ笑う。ああ、好きだなあ。この人が。

夜桜がキレイキレイで、お酒が美味しくて、チョコバナナ食べてOKで、貴方がいて。私は貴方が大好きで。

「ここは天国だなあ」

 私が呟くと、

「ここから電車で帰るんじゃなければなあ」

のんびりと貴方が返す。私は同じ口調で言ってみた。

「今夜、帰りたくなあい」

「女性の口からそんなベタな口説き文句みたいなこと言わないでくださいよー。今日は酔いの回りが早いんじゃないですか?」

「無礼講、無礼講!」

「貴女そんなに酒癖悪かったですか?」

「全部桜がキレイなせいよ」

「はいはい、呑ませた僕が悪いんです」


 私たちはそんなバカみたいな話をしながら、桜越しの星空を見上げた。星々と満開の桜さくらが二人を見ている。来年も、こうして一緒に桜を見上げたいなあ、と思った。 

 お願い、桜。いつか彼を連れ去ってしまうことがあるとしたら、私も一緒にさらってね。花びらで包んで、絶対二人を離さないで。お願い、桜。

「泣かないで」

 額を貴方の指が優しく撫でる。

「私、泣いてる?」

「笑いながら泣いてます」

「わ、気色悪い!」

 慌ててハンカチで目を擦っていると

「桜は貴女に似合っていますよ。花びらに包まれているとあなたといるようでホッとします」

「春だけじゃヤだ。春夏秋冬、ずっと一緒にいたい」

「そうですね、僕はきっとどこにいても自然の中に、貴女の存在を感じますよ。・・・こんなに貴女が好きなんだから。

ですから」

もう一度乾杯すると、

「今は、こうして一緒に日々を暮らせる時間を大切にしましょう」

熱い目で、「僕はいつも心であなたと一緒ですよ」

と囁いた。

「忘れないでくださいね。僕が貴女を選んだんです。そんな杞憂を感じて怯えないでください」

 そう言って、額に小さくキスをくれた。

滅多に酔わない貴方の目が少し赤く、熱を帯びている。

二人で桜と城郭を見上げた。

幸せだなあ、と思った。本当に涙が出るほど幸せだ。

貴方と夫婦になれて良かった。貴方もきっとそう思ってくれてるといいな。


<end>


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夜桜さくら。 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

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