亡き母の味噌汁

のろい猫

亡き母の味噌汁

 お米の袋から1合程図って炊飯器の内釜に入れる。蛇口から水を流し、お米の入った内釜へ。お米を研いで、とぎ汁を捨てるのを三回程繰り返す。内窯を炊飯器にセット。私は炊飯器の炊くのボタンと保温のボタンを見つめる。前、保温にしてて凄く怒られたっけ。炊くのボタンを押し、今度は冷蔵庫から煮干しの入った袋を取り出し、煮干しを10g程取り出して。煮干しの頭を取る。それを水で洗い、水の入ったタッパに入れる。これで下準備は終了。大きな伸びをする。欠伸が自然と出る。台所から出て行き、寝室へ。目覚ましをセットし、眠る。


 目覚ましが鳴る。目を覚まし、起き上がる。窓は濃い青で染まっている。

『ふう』

 私は眼をこすりながら深呼吸して台所へ。冷蔵庫から鮭の切り身を取り出しグリルへ。タッパに入った出汁から煮干しを取り出し、鍋に入れて火にかける。暫くするといい具合に出汁が沸騰してきた。一旦火を止めて味噌を投入。木ベラで味噌を溶かしながら混ぜる。味噌汁を一口口へ…。少し似ている。でも、まだ亡きお母さんの味噌汁ではない。今日…大丈夫かな。グリルから鮭を取り出す。


 鮭をお皿へ乗せ、ご飯を茶碗によそい、味噌汁をお椀に入れて食卓に並べる。少し体が震える。一歩二歩前に出て顔を上げる。

『お父さん。ご飯できたよ』

 暫くして父がやってくる。私は父に挨拶する。

『おはようございます』

 父は何も言わずに椅子に座るり、味噌汁を一口すすると、箸を置く。

『違う!この味じゃない!こんなもの食えるか!』

 父はそう言って立ち上がると、上着を着て出かけていく。


 食卓には白いご飯入った茶碗と焼き鮭の乗った皿。お椀の味噌汁の表面が揺れる。今日も…。何度やってもお母さんの味噌汁の味にはならない。ご飯を炊飯器に入れ、鮭をラップに包んで、味噌汁を鍋に戻す。椅子に座り、味噌汁を啜る。確かにお母さんの味ではないけど、不味いわけではない。ため息がでる。箸でご飯をとり、一口。もう一度箸を伸ばしてご飯を掴むがそこから動かない。もう疲れた。疲れたよ…。肩を落とし、じっと自分が作った手料理を眺める。来る日も来る日も父の罵声ばかり。そう思うといつの間にか涙が流れて、顔を両手で覆って泣いていた。


 蛇口から水が流れる。瞬きして洗い場を見る。お茶碗もお椀もまだ汚れがついたままだ。洗わないと。洗わなくちゃ。洗剤のついたスポンジで茶碗を洗う。でも、すぐ手が止まる。お母さんがいた時はこんな事なかったのに。ため息をついて、皿を洗う。洗い終えた時、もう正午を回っていた。冷蔵庫の中を見て足りないものをメモして買い出しに向かう。


 スーパーへ。そういえばチラシ見るのも忘れていた。店頭のチラシを眺める。メモとチラシを何回も見ながら。どうして買わなくてはならないんだろう?味噌汁を作らなくてはいけないんだろう。どうして…。もうここから逃げ出してしまいたい。私は、メモを片手にスーパーの中へ入って行く。


 メモの内容も、チラシも全然頭に入ってこない。ただフラフラとスーパーの商品を見ながら歩いていく。

『味噌汁…』

 眼の前の陳列棚に味噌汁という表記が見える。立ち止まり陳列棚を見つめる。私の眼にインスタント味噌汁と銘打った商品が映る。インスタント…でも、それは絶対に駄目。お母さんはいつも手料理をしてくれていた。お母さんの味を出す為には手料理じゃないと絶対に…。

 でも、どうせおあの男は食べないよ。それならインスタント味噌汁でも問題ないよ。インスタント味噌汁にしようよ。あの男はどうせ外で食べて来るんだからさ。でも…私はお父さんを。それで心がもうボロボロなんだろ。どうせ食べない。食べないんなら…そう、食べないんならインスタント味噌汁でいいよね。

 私はインスタント味噌汁を買い物カゴに入れ、レンジで温めるタイプのご飯と焼き魚を買うと家に帰る。


 家でしばらくボーッっとTVを見つめる。玄関の開く音。あの男が帰宅。扉の音。どうせ風呂に入ってすぐ寝るんでしょ。そういえば今日は下準備も何もやらなくていいんだ。早めに寝ようかな。私はTVの電源ボタンを押し、自分の部屋へ。目覚ましをセットしてベットに横になる。目がさえている。胸がドキドキする。明日、あの男を騙すんだ。そう思うと自然に笑いが込み上げて来る。


 目覚ましが鳴る。飛び上がり、目覚ましのボタンを押すと台所へ。急須に水を入れ火にかけ、焼き魚レンジで温める。インスタント味噌汁の袋を破り、味噌と具材の袋を取り出し、破ってお椀に入れる。チンッという音がしたので、魚を取り出して更に乗せる。次にご飯を入れてスイッチを押す。急須が鳴り、火を止める。レンジのチンッという音。インスタント味噌汁の味噌と具材の入ったお椀にお湯を注ぐ。

 これで準備は整った。さて、あの男はどんな顔をするんだろう。いつもと同じだろうがいつもと同じだけの手間はかかっていない。思わず笑みを浮かべてしまう。

 足取りも軽くなる。

『お父さん。ごはんよ』

 靴音が近づいて来る。ドアノブが回る。あの男がいよいよ登場だ。

『お父さん。おはよう』

 また何も言わずに椅子に座る。いつもの反応。あの男は椅子に座る。お前の持つその味噌汁はインスタントなのよ。込み上げる笑いを必死に抑えながらあの男を見つめる。お椀を取るあの男の手。口に味噌汁の入ったお椀が近づいていく。もうすぐ、もうすぐ、胸の鼓動が止まらない。ズズッ。飲んだ───────────。

『これだ!この味だ!!』

 父が涙を流しながら味噌汁を飲み干し、ご飯を平らげる。この時、私は亡き母の気持ちが痛いほど良くわかった。

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