夢見果てず、黒衣の影

 判官かなはじとや思はれけん、長刀をば弓手の脇にかいはさみ、味方の船の、二丈ばかりのいたりけるに、ゆらりと飛び乗り給ひぬ……(『平家物語』)


「これは……」

 薄らいでいく光の中で茫然とつぶやいたジョセフは、おそらく僕と全く同じものを見つめていたのだろう。

 それは、青い海と空を背に、空間を切り裂いて次々に現れる鎖帷子の戦士たちだった。魔法使いの「狭間隠し」に援護されて、ジョン王子の軍勢が上陸してきたのだ。

 もちろん、これもザグルーの悪知恵に決まっている。

 僕は「シャナンの剣」を手に、カリアの傍らにしゃがみ込んだ。瀕死のミカルドには済まないが、ここは剣のご加護にあずかるしかない。

 ジョセフはというと、僕たちが見えているのかいないのか、雄叫びを上げてアトランティスへの侵入者に斬りかかっていた。

「させるかああああ!」

 偃月刀が縦横無尽に振り回され、瞬く間に血しぶきがあちこちから上がった。鎖帷子の戦士たちが、一斉にたじろぐ。

 だが、いかにジョセフが一騎当千の強者とはいえ、多勢に無勢だった。

 灰色の衣をまとった者たちが、どこからか姿を現した。低い声で呪文を詠唱しているのが聞こえる。

 甲高い声のいななきが、あちこちで響きわたった。今度は魔法使い自身が現れ、次々に騎馬隊に向かって「錯乱」の魔法をかけたのだ。

 馬が暴れだし、白旗隊の黒い鎧の戦士たちが次々に落馬してはジョン王子の軍勢に止めを刺される。

 白旗隊の魔法使いは対魔法呪文で「狭間隠し」を封じようとするが、戦闘の範囲が広すぎて意味がない。

 この混乱の中でも、僕たちには流れ矢一本飛んでくることはなかった。

 そうするうちに、海の上は船団から漕ぎ出したボートで埋め尽くされた。やがて、生き残った白旗隊は、魔法使いも含めて次々に敗走する。

 逃げるな、と命ずるジョセフも自分を守るので精一杯だ。

「邪魔だ!」

 崖から眼の前に上陸した鎖帷子を一刀のもとに切り捨て、海へと飛び降りる。

 これが「無傷のジョセフ」の最期なのだと思った。

 ジョン王子の軍勢が短刀で残敵の掃蕩を始める中、最後の魔法使いが空間を切り裂いて出現した。

 長い白髪の中で、頬骨の出た顔に眼だけがぎらぎらと輝いている。

 ザグルーだ。

「よくやった」

 僕は顔をそむけて、はいと答えた。

 からかうようにザグルーが訪ねた。

「上級呪文は何がいい?」

「要りません!」

 上目遣いに睨み据えると、老獪な魔法使いは愉しそうにからからと笑った。

 やがて、一息つくと意味ありげに口もとを歪める。

「ところで……」

 そこで目を遣ったのは、気を失ったままのカリアだった。修羅場を見せるまいと僕が避けていた「正気」の呪文を、何の抵抗もなく唱える。

 まるで悪夢にでもうなされているかのように呻いていたカリアが、かっと目を見開いた。 

 あ、と僕の顔を見るなり、傍に立っている魔法使いが誰なのか察したらいい。

 何かに弾かれたかのように跳ね起きて、ザグルーに掴みかかった。

「裏切り者! あなたのせいで、あなたのせいで……」

 少女のそんな抗議など、ザグルーは聞いてもいない。

 鼻息ひとつで軽く聞き流してしまった。

「利害の一致した者同士ではないか。ジョセフはもうおらんし、白旗隊もこのざまだ。」

 カリアは悲鳴を上げてへたり込んだが、僕には累々たる屍の山など目に入らなかった。

 深手を負って地に伏しているミカルドの元へ走る。助け起こすと、まだ息があった。

 気高い貴公子は何か話したそうな様子だったが、その声は、僕の耳には聞こえなかった。

「あ……」

 苦しい息と共に、ミカルドは僕が掴んだままだったシャナンの剣に手を伸ばした。これはもともと、彼のものだ。

 僕が手渡すと、剣からぼんやりとした光があふれ出て、ミカルドを包んだ。死を除く災難を祓う剣は、瀕死の持ち主にも再び命を与えるはずだ。

 それを手に取ったミカルドは、ふらふらと立ち上がった。死ぬ前に難を逃れたということかとも思えたが、身体を支えようと差し伸べた手は払いのけられた。

 そのまま、ミカルドは海へ向かって歩き出す。追いかけようとすると、シャナンの剣が突きつけられた。

「それ以上近寄ったら斬る」

 構わない。ミカルドが何をしようとしているかは見当がついていた。

 なおも近寄ると、剣が一閃した。その途端、凄まじい衝撃が襲い掛かり、僕はザグルーの足もとまで吹き飛ばされた。

 地面に転がりながらも、顔を上げて急き立てる。

「何してんだ、止めろよ!」 

 だが、ザグルーは聞かなかった。

 胸に手を当てて東洋の公子に深々と一礼してから、まるで旧知の友人を長旅に送るかのように言った。

「シャナンの剣を手に、行かれよ……ミカルド殿」

 だが、僕は納得できなかった。

「敵の敵は味方なんだろ!」

 まるで子どもの揚げ足取りだと思いながらも、他に言葉がなかった。

 ミカルドは泣いているのか笑っているのかよく分からない表情で、美しい顔をくしゃくしゃにして答えた。

 その声は、涙声に近かった。

「ノトなき今、私には敵も味方もない」

 海風に囚人服をなびかせて、カリアがミカルドに呼びかけた。顔を一度合わせただけで、話すことなど何もないはずなのに。

「私たちにはあなたが必要です!」

「シャナンの剣を持つ私、だろう?」

 穏やかにたしなめられて、カリアは口をつぐんだ。

 無理もない。このアトランティスには、これから紆余曲折の歴史が待っている。それを知ってしまったのだから。

 なおも止めようとする僕を、ザグルーは右手で制した。左手は、カリアの口を塞いでいる。

 その上で、ミカルドに別れを告げた。

「御心のままに。シャナンの剣もそれを望んでいよう」

 ミカルドは何も言わず、頭も下げなかった。それは、その高貴な生まれのせいもあるだろう。

 だが、オットーが沈んだあたりの崖まで歩み寄ると、僕たちに向き直って言った。

「海の底にも都があるそうです。では」

 仰向けに倒れると、そのあどけない水干が消えて真っ青な水平線だけが残った。

 ザグルーの手を払いのけて駆けだした僕は、突然つんのめって、海ではなく地面にダイビングする。

 これは「転倒」の魔法だ。

 何すんだ、とやけになって喚き散らす僕の傍らに屈みこんで、ザグルーは諭した。

「シャナンの剣はすべての災いを祓う。ミカルドと共にある限り、すべては間違いのないように進むじゃろう」

 そこへカリアが口を挟んだ。

「クモン……」

 彼女の眼差しは、初めて出会った時のものだった。僕に往復ビンタをくらわした時の、あの冷たさは変わらない。

 だが、その言葉には熱がこもっていた。

「でも、公子ミカルドは……」

 ミカルドを「公子」と呼ぶあたりが哀しく思えたが、それがカリアだ。

 情熱と、冷静。

 それを感じ取ったのか、ザグルーは朗らかに説き始めた。

 僕の目には、それが師匠と愛弟子の関係のようにも見えた。

「あれは死を除く災いを祓う。まだ生きておったのだから、死んだとも限らんではないか。それに……」

 そこで僕は、質問の手を挙げた。決着をつけておかなければならないことがある。

 今後のことだ。もちろん、僕の肚は決まっていた。

 だが、そこで目に入ったものがあった。

「あれを!」

 僕が指さした先には、海岸へ押し寄せる船という船の間を飛び交う黒い影だった。

 振り回しているのは、長柄の偃月刀だ。

「ジョセフか! おのれ!」

 次々と船が覆り、それを足場にしてジョセフは他の船へと飛び移っている。 

 見る間に、遠くに浮かんだ一隻の船が舳先を返して、水平線の彼方へ消えて行った。

 たぶん、「狭間隠し」を使おうというのだろう、ザグルーが呪文を唱え始めたところで、カリアが素っ頓狂な声を上げた。

「その手!」

 海を指さす僕の手は既に元に戻っていたのだが、よく考えればカリアは知らなかったのだ。

 ザグルーが呪文の詠唱をやめて、にっこりと笑って言った。

 不気味この上ない表情ではあったが。

「見よ、それが予兆だ」

 何の、と問い返す間もなく、意識が遠のいていく。ザグルーの声が微かに聞こえた。

「来るべき世の者招きて帰さば、この世の者ひとり捧ぐべし……おぬしはここに必要ないらしい」

 僕に実体が戻ったのが、帰還の予兆だったということか。敵に未来を話せば身体が消えてなくなるというギアスだったはずだけど。

 「シャナンの剣」がギアスを打ち消したのか。 いや、ザグルーたちが助けに来た時点で、僕たちは敵味方じゃなくなっていたというのか?

「では、二人仲良く」

 ザグルーの言葉が聞こえた瞬間、僕はその意味が分かった。カリアの手を握る。

 それと同時に、意識が途切れた。

 最後に考えたことは、これだ。

 ……せめて「狭間隠し」くらいは習っておくんだったな。

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