夢からの帰還
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(古今和歌集 小野小町)
「ここは……」
いつの間にか閉じていた目を開けると、どこかで見た天井が見えた。
まっさきに思い出したのは、あの海の上でのことだ。
「ザグルーの、船……」
いや、違う。波の音も聞こえないし、その揺れも感じない。
それどころか、どこからか鳥のさえずりさえ聞こえる。
ベッドも、あの船の中のものよりはずっと柔らかかった。スプリングまで効いているようだ。
そこで、ふと思い当たった。
「……僕の部屋?」
跳ね起きてみると、その通りだった。
窓際の机に、本棚。クローゼット。
家具調度をひとつひとつ目で追っていくと、最後には姿見の鏡にたどりついた。その中では、寝間着姿の僕が、ベッドの上で布団を掴んだまま、寝ぼけ眼でこっちを見ている。
「夢……?」
辺りを見渡すと、 夜明けの光がカーテンの隙間から差し込んでいた。鳥たちの声は、その窓から聞こえてきていたのだろう。
では、さっきまでのは何だったのか。
海岸での死闘、シャナンの剣の光……。
まともに考えたら全ては、魔法対抗戦に負けて両親に叱られた腹いせにフテ寝した、僕の夢だったことになる。
「そりゃ、そうだよな……」
考えてみれば、出来過ぎた話だった。
まず、時空を超えて現れたのは、風雲急を告げる12世紀のヨーロッパだった。そこでイギリスの魔法使いから密命を受けて、魔法使いの島である争乱のアトランティスに渡る。
出会ったのは、伝説となっている「結界の少女」、赤毛のカリアだった。艱難辛苦の旅の末、僕は彼女と短い恋に落ちて、結界に閉ざされていたアトランティス出現を促したのである。
「そんなことが僕なんかに……」
だが、ベッドから起き上がった僕は机に向かっていた。
まるで、自分の活躍が歴史上の事件になっているかどうかを確かめようとでもするかのように。
カーテンも開けずに、薄暗い中で「魔法史A」の教科書を開く。
そこに求めていたのはもちろん、あの赤毛の少女の名前だ。
だが、もちろん、そこにカリアはおろかザグルーの名前もジョセフの名前もありはしない。
最初から最後までざっと目を通したが、もちろん、僕が関わった痕跡などあるわけがなかった。
本当に何も起こらず、僕も何ひとつ変わってはいなかったのだった。
「……寝よっと」
せっかくの夏休みなのだ。子供じゃあるまいし、少しぐらい寝坊するのは高校生の特権だ。
ちょっと寝たら、どうせ朝食に呼ばれる。夕食を取った覚えはないから、その分は食ってやろう。
それから……部活に行かなくてはならない。まだ、来年の大会まで試合やコンテストは続く。
やっていける、きっと。夢だったかもしれないが、僕はあの戦いを生き抜いたのだから。
そう思ってベッドに潜り込もうとしたけど、それこそ「ギアス」の魔法をかけられたかのように、僕の足は勝手に机に向かっていた。
「ええい、未練がましいぞ芳賀公文!」
朝寝坊を決め込むためだけに、ものすごい心の葛藤を覚えた。だが、教科書を手に取ることで、どうにか自分自身に折り合いをつけた。
布団をかぶって枕に頭を預けると、さっき読み残した「付録」のページをめくる。
そこには、魔法使いから見た外の世界の歴史や、古典文学との関係を分かりやすくするための年表がついていた。
1180 平清盛、福原遷都
1181 平清盛死亡
1184 一の谷の合戦
1185 壇ノ浦の合戦 安徳帝入水 能登守教経入水
1186 ジョフロワ2世(ブルターニュ公)馬上槍試合で死亡
1189 奥州藤原氏滅亡 源義経死亡
十字軍出発
1192 源頼朝 征夷大将軍宣下
1194 リチャード1世帰国
「あ……」
思い当たることがあった。
壇ノ浦に沈んだ安徳の帝は、ミカルドだったといえる。強弓使いの能登守教経は、オットーにあたる。舟の上を自在に飛び交うことのできる源義経は、たぶんジョセフだ。
魔法史の出来事にあてはめれば、アトランティスの魔法使いが最初に呼び寄せたのは、壇ノ浦で死んだことになっていた平家の武者たちだったことになる。ほとんど貴族だった彼らは、戦いの中でも礼儀と約束を守りとおした。
だが、対立勢力が招いたのは、奥州で消息を絶った源義経たちだった。魔法使いたちは、既に死んでいた武蔵坊弁慶の代わりにゴーレムを与え、ジョセフと呼ばれるようになった伊予守義経は、それを「ベン・ケイ」と名付けたのだろう。そして、ルール無用の戦いに明け暮れていた東国の武者たちは見境なく戦い、カリアたちの両親までも殺したのだ。
そこで僕が現れて傷心のカリアを立ち直らせ、アトランティス出現の後押しをしたことになるわけだが……。
ところで、魔法史A」の内容は、要約するとこうなる。
アトランティスは、出現後にフランス・イングランドとの間に三国協定を結んだ。
1、相互の内政に不干渉
2、往来の自由
3、協定違反には、武力と魔力で制裁
源義経がモンゴルへ渡り、ユーラシア全体に伝説を残した背景には、東方から西回りで伝わった魔法の影響が濃いとされている。
アジアには、シルクロードの他に日本からも魔法が伝わったのだ。
リチャードの死後に即位したジョンは、1215年に大貴族たちからマグナカルタを突き付けられて権威を失墜。
イギリスの民主主義の始まりとも言われるこの事件で、魔法使いたちのほとんどは宮廷を追われたという。
残った配下の魔法使いも、その指導者の失踪後、アトランティスに復帰した。
アトランティスの魔法はアフリカ回りの航路で、行く先々の国の政治に影響力を及ぼす。
その度に、政治を憂う人々との間に抗争が起こったらしい。
源頼朝のもとにも、アトランティスの魔法使いと思しき人物がいたという。
頼朝が落馬して死んだ後、息子の頼家は入浴中に暗殺された。
更に、その息子である源実朝を公暁が暗殺した背景にもその人物がいたとされるが、定かではない。
その後に執権として権力を握った北条氏のうち、時宗の時代には、一部抵抗勢力を除いた仏教勢力と魔法使いたちが共存していたらしい。
その時代に、モンゴル帝国による元寇を嵐の力で撃退したアトランティス魔法は、日本国内での影響力を高めたという。
ヨーロッパにおいては、アトランティスの結界は百年戦争で再び閉じられた。
しかし、世界中に散らばった魔法使いはあちこちの国の政治や軍事に影響を及ぼし、近代まで魔力戦が行われるようになったのだった。
「カリア……」
どうしても、夢だったとは思えなかった。
かなりの精神力を要する瞬間移動で僕を海中から救い出したときの、ぐっしょり濡れた姿は朝日の中に眩しく輝いていた。
人の命などなんとも思っていないジョセフを真っ向から見据えたときの、あの目の光は思い出すだけでも背筋が凍る。
シーツの下には何も着ていないかと思って緊張していた僕に、レザーアーマー姿を見せたときの笑顔は、子供のようにいたずらっぽかった。
そして、危険も顧みずに結界を解いたときの後ろ姿には、伝説と呼ばれるのにふさわしい神々しさがあった。
「忘れないよ、僕は」
心の中の彼女に誓って、僕は部屋のカーテンを開けた。眩しい夏の光に、僕は目を細める。
そこで、部屋のドアをノックする者があった。
「公文? 起きてるか?」
ドアの向こうから、父の声がした。
「何か用?」
昨日のことを思い出して、朝のすがすがしい気分が一気に落ち込んだ。それを声の響きで察したのか、父は一言だけ残して去っていった。
「いや、起きてるならいいんだ。トレセンは……」
僕はその先を遮った。
「今日は部活行くからいい」
父はそれ以上、何も言わなかったが、気持ちだけは伝わってきた。
悪いとは思っているのだ、多分。それは母も同じことだろう。
思えば、アトランティスへの連絡員への夢を背負っての3人4脚の日々だった。だが、それも今となっては、はかない夢で 終わるのではないかという気がしていた。
カリアを守ってジョセフたちと戦ってきたときの、獅子の心が全て夢であったように。
「……今日、何時からだっけ」
僕は机の上に貼ってある、夏休みの間の部活スケジュールを確かめた。
また、いつ終わるともしれない退屈な日常が戻ってくる。
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