第三章、その四

うしお、いるか。飯を持ってきたぞ!」


 その少年の声によって、僕はようやく夕刻を迎えていたことに気づく。

 一日中灯火をつけている座敷牢の中では、時の移り変わりに置いていかれることがままあった。


 ──特に叔父の残していった草稿の数々を、読みふけっているときなどには。


「またそんな物を読んでおるのか。よくもまあ飽きないものよのう」

 あまり彼には見せるべき物でもないので、そそくさと片づける。せっかくのできたての料理も冷めてしまうしな。

非常事態イマージェンシー・体制フォーメーション』が発令されて以来、僕はこの蔵の中の座敷牢にこもりっきりになって、叔父の草稿『人魚の声が聞こえない』が書かれた大学ノートを読みふける日々を続けていた。

 するとなぜか当然のような顔をして、鞠緒まりおもここに入りびたることになったわけであり、最初は草稿の内容を知られたくないのですげなく追い出していたのだが、敵もさるものひっかくもので、何と賄賂として食べ物を持参するようになったのだ。

 そうなるとこの非常時に無下に追い払うこともできなくなり、文字通り背に腹は代えられないというわけで、いつしか鞠緒(というか主に食糧のほう)の到着を心待ちにするという有り様となった。

 初めのうちは危惧していたのだが、彼は生きたままの獲物や、新鮮きわまりない生肉を持ってきたりすることもなく、ちゃんと熱処理を加えられた肉料理を主に持参してきてくれた。

 やればできるじゃないかと言いかけたものの、たぶん女中さんたちにやってもらっているのであろうと思い至り、残念ながら取りやめとした。

 最初に食べようとしたとき、あの電波オタク評論家の言葉が蘇ったものの、結局は気にしないことにした。

 彼の言葉が正しいとは限らず、これは何か高原動物の肉かもしれないし、第一この里に来て以来、この肉料理を散々食べてきたのである、今さら何の肉か知ったところで変わりはしないのだ。言わば、毒を食らわば皿までよの精神なのであった。

 つまり僕は食糧が尽きたと発表されたあの日以来も、相も変わらず平穏な日々をつつがなくくり返していたのである。


 ──そう、次の運命の『満月の夜』を、迎えるまでは。


「申し訳ございませぬ。鞠緒様におかれましては今宵の儀式の支度がお忙しく、おそらくは今日一日、みつる様の許へはお伺いなされないかと存じます」

「はあ、『儀式』ですか」

 朝飯はもちろん昼飯時になっても、鞠緒が姿を現さないものだから心配になって、そこら中を探し回っていたらおなじみの女中さん(の代表格)と出会い、念のため彼の行方を聞いてみたら、思わぬ返事が返ってきたのだった。

「ええ、今夜は満月なので、特別なんですよ」

 あれっ、そうだったっけ。この前の満月の日はどうしていたっけ──あ、そうか。あのころは鞠緒のことを避けていた最中だったから、気がつかなかったわけか。

「あの、ここだけのお話ですが、もしお食事のほうが御必要なら、満様の分は私どものほうで御用意いたしますが」

「あ、いえ。ご厚意感謝いたしますが、遠慮させていただきます」

「そうですか。でもいつでもおっしゃってくださいね。何せ満様は鞠緒様にとって、何よりも大切なお方なのですから」

「……はあ、どうも」

 そう言ってぺこりと頭を下げ、そそくさとその場をあとにする。

 特別扱いは御免である。結局はいろいろと弊害を生むだけだからな。

 それでいて鞠緒からの施しに関しては、あくまでも個人的な行為としてありがたくちょうだいしていくつもりでいるという、この矛盾。いやあ、人間て、便利なものですねえ。

 などと、どこぞの映画解説者みたいなことを考えながら歩いていたら、腹の虫が虚しく鳴り響き始めた。

 飯のあてがないのなら、歩き回るのは体力の無駄である。大人しく座敷牢に帰って、今日は一日読書三昧とまいりますか。


 結局いつもと変わらない、まるでヒッキーみたいな生活サイクルへと舞い戻ってしまう少年ボク。しかしそんな日常も、ほんの夕刻までの出来事であったのだ。


          ◇     ◆     ◇


「さあ、どれから読んでいくことにするか。できるだけ時系列順にいきたいところなんだけど、叔父さんたら通し番号なんか付けていないし、内容もそのつど思いつきで書きなぐっているみたいだし、結局まずは手当たり次第に読んでみて、あとから大局的に順序立てするしかないんだよな。これまで読んだのも、何だか夢とも現実ともつかない、鞠緒との閉鎖的な日々の繰り返しだけだし。なぜ彼とそういう関係になったのかとか、そもそもどうしてこの里に来たのかとかは、全然わかっていない有り様だからな。しかたない、気長にがんばってしらみつぶしとまいりますか」


 ……何かこういう独り言の多いところも、ヒッキーそのものだよな。


 そんなこんなで久しぶりに邪魔する者もいないままに、気の滅入るもののこの上もなく刺激的な草稿の数々を読破していっているうちに、とうとう僕は『それ』と出会ったのだ。

「──これは、いったい⁉」

 その草稿には、一目で興奮状態だと知れるほどに書きなぐられた叔父の文字が、以下のように躍っていた。


 ──ついに見つけた、伝説の『満月つき巫女みこ』の生きた証しを!


満月つきの、巫女?」

 ……そういえばここって『満月つきの里』って言うそうだし、『満月つきの泉』とか言う聖地もあるし、そして鞠緒は『巫女姫』の直系だったんだよな。

 おおっと、こいつはいよいよ、核心へと迫りつつあるっていうわけですかね? ようし、続き続き!


 ──今俺の前に、ようやく『贖罪への道』が開かれたのだ。


 ──天上の神に感謝いたします、俺をこの地に導いてくださって。


 ──その記念として、ここに書き記すこととする。伝え聞いたあの不思議な伝承を。


 ──今はなき、遥かなる一族の物語を。


 ──俺だけのための、贖罪の物語を。

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