最終話 技師も歩けば陽に当たる。

 リアンに、良くない!って思わず言ってしまったあの日から、あっと言う間に月日は流れた。


 壮絶に忙しかった夏も過ぎ、我が家の朝も少しずつ落ち着きを見せはじめた。そんな夏のお陰で朝のお手伝いさんとして、すっかりキュリオさんとリアンがお馴染みになってしまったのはちょっと申し訳ないけれど。さすがに忙しすぎて新しい人を雇う余裕さえなかったので、二人には本当に助けられた。


 慢性的に危ない状況だったレストロを救ってくれたのは、間違いなくハンブル商工会の皆だ。ルーシャがなければ、ハンブル商工会への所属ができなければ。きっと緩やかに衰退して、来年には閉店もしくは物件そのものを売るようなことになっていたかもしれない。


 暑さが過ぎたことで、お客さんの入りは落ち着いた。けれど夏のうちに、レストロを気に入ってくれた人は予想以上に多く、以前より遥かにお客さんが来てくれるようになった。

 宿の部屋も休日前にはそれなりに利用されるようになったことも大きい。名が売れたことで、遠出をしてきた贅沢を好まない商人さん達が定宿にしてくれた。立地が良い割にはお安めであったことを知らなかった人も多かったみたい。


 さて、そんな風に本来なら感謝こそすれ、恨みがましく思うことなんて一切無いはずなんだけど。


 「うらやましい…」


 どうにも頭から離れないことがあるのだ。…自分でも情けない女だなって思うけれど。



 玉の輿を狙っていたのは本当のこと。


 昔からの友達が商工会へ就職する少し前に結婚した。その旦那はティーラ区でも有名な商店の経営者。友人は私と同じドがつくほどの庶民だったけれど、今じゃ上流階級の一員になってしまった。

 別にだからといって私達の間柄が変わるわけじゃない。けど幸せそうな彼女を見ているとどうしても羨ましくって仕方がなかった。やっぱりレストロのことも気がかりだったし、当時はお金が必要なのも事実だった。難しいことだって分かっているけれど、実家の事情を理解してくれる人が現れてくれないかな、と期待をして商工会に就職した部分はあった。


 まあでも、物事そんなに上手くいくはずもない。


 会長が決めた試験とやらに合格する技師がそもそもいなかったのだ。


 商工会で働き始めてから、何人も技師がやってきたのは事実。商工会に所属しようっていうより力試し、っていう感じで試験を受けに来る人もいた。


 そんな中で自分でいうのもあれだけど、明らかに私に目を付ける人もいた。

 そういう人はこぞってルーヴっていう道具を自慢してくるのだ。凄いだろ?って。

 あとでリアンが教えてくれたけど、女性へのルーヴ自慢は魔法技師の持病らしい。なんでもそれによって技術とか、収入とかを見せつけられるそうだ。


 高級そうなルーヴには目を奪われたし、玉の輿にはちょうど良かったのかもしれない。

 ここへ勤める一つの動機でもあったんだけど、どうにもいい感じがしなくて流してしまう自分がいた。なんだか偉そうで、うんざりだったのだ。

 

 うんざりしたのは私だけじゃなかったみたいで、会長もさっさと不合格にしちゃってた。商工会的には好ましくないんだろうけど、正直そういう人たちと働かないで済んだことは幸運だったと思う。


 そんな人達からするとリアンはちょっと新鮮だった。


 今まで見てきた魔法技師と違いすぎて正直びっくりしたし、早々に不合格かも、なんて失礼なことを思ってしまったくらい。

 ところが会長は自分が貴族だってすぐに言ってしまうし、とても楽しそうだった。

 いや、私がかいちょーって呼んでしまったことも原因だったんだけど。


 それで興味が湧いて話してみたら、すごく楽だった。あまりにも庶民過ぎてからかってしまったけれど。

 裏表がなくて、ちょっと子供っぽい、本当に近所にいそうな男の子。一流工房の技師だったなんて信じられなかった。


 けれど、試験で作ったっていう木製の腕輪を見せてもらった時。

 その魔素の通しやすさと、暖かさに驚いた。それに後からつけてくれたらしい耐水の効果も凄かった。濡れていた腕輪もすぐに乾いちゃうのだ。元のにも似たような機能はついてたよ、なんてリアンは言ってたけど…正直全然実感できなかったしね…。思わず、先輩への挨拶は大切だよね!なんて無理を通して貰ってしまった。

 しかも…後から聞いたら、私のあかぎれを見て腕輪の効果を考えたなんて言い出して。少しの照れくささを感じながら、よく見てるなって思ったのを覚えている。


 その時から、なんとなく彼のことが気にかかるようになった。

 熱中するとすぐに自分を疎かにして。自身の技術や価値に無駄に疑り深くて。それなのにいつも一生懸命で。


 危うさを抱えつつも、いい方向に向かおうとする彼を放っておけなくなってしまった。ああ…これは良くない、意識しちゃうなって思ってたら…案の定。我ながら単純すぎて呆れてしまう。


 ダメ押しはルーシャだった。ルーシャそのものはもちろん嬉しかったけれど、むしろその後の会話で彼が自身が辛かったこと、悔しかったことを真摯に振り返って変わろうとしていることを感じて。

 この人はもっと格好良くなるって確信した。そして多分弱さに優しい人になるだろうって。彼の隣は絶対に居心地がいいだろうなって。


 見た目が飛び抜けて良いわけじゃない。自信にあふれて、周りを引っ張っていくような人でもない。決して頼りがいがあるわけでも無い。

 でも、彼の隣は安心する。弱さや情けなさを隠さず、他人のそれも受け入れてくれる。そしていい方向に行けるように行動して、今より少し明るい未来を見せてくれようとする。


 結局私は一夏の間に、玉の輿の夢は諦めることにした。

 …超絶美人が競争相手になってしまうとは思わなかったけれど、まあ仕方がない。リアン歴で言ったらシスティの方が上である。正々堂々戦うまで。…勝ち目、あるかなあ…。



 「ただいま…」


 正統派美人の存在に思いを馳せて唸っていると、営業を終えたレストロにリアンが帰ってきた。何だか今日はいつにもまして疲れている声だったが、理由はすぐにわかった。急に降り出した雨に運悪く当たってしまったらしい。

 私は彼に身体を拭くものを渡しつつ、少し笑ってしまった。


 「ふふっ…水も滴る良い男には、なってないかな?」

 「元が良くないと、濡れても変わんないんだなあ…さすが玉の輿希望のニアさん、勉強になりました」


 そんな冗談に二人でくすくすと笑ってしまう。

 彼が帰ってくるこの時間が私にとっては今一番大切だ。

 宿泊客が増えたとはいえ、この時間になると皆寝静まっている。お母さんも私の気持ちに気づいているらしく、ニヤニヤしながら先に部屋に戻っていく。表情は腹立たしいけど、リアンと二人で過ごせるので文句は言わない。ちょっと睨むくらいだ。愛情の裏返しなので許されると思う。


 「負け犬の給料があがれば、急な雨も降るか」


 小さく笑いながら彼は言う。そっか…お給料上がったんだ。私は自分のことのように嬉しくなって、だらしなく頬が緩んでしまいそうだった。…正確には結構緩んでたと思う。



 「はい、どうぞ」

 「おお!いつもありがとう」


 リアンは私が用意したご飯を美味しそうに食べる。フレンスちゃんの講師をしている時に、私の料理の評価があがったらしい。まああれだけ不摂生な食事を、年頃の女の子にも付き合わせるのはどうかと思う。フレンスちゃんも特に気にしていなかったのは驚いた。…彼女一応元貴族令嬢だったと思うんだけど…。

 ちなみに私のご飯を幸せそうに食べていたフレンスちゃんは、とっても可愛らしくてほっこりしました。


 そしてフレンスちゃんのことを思い出すと、やっぱり羨ましさが募ってしまう。

 そう、あの素敵な腕輪のことだ。


 ひと目見ただけでも忘れない。控えめに見えるけれど、品のある装飾。皆の気持ちが、彼の優しさが形になったような魔法道具。

 私がそれを見たのはフレンスちゃん達にご飯を振る舞った後のこと。まだ未完成のものだったらしいけれど、記憶に残るにはそれでも十分だった。腕輪に向かうリアンの真剣な表情も目に焼き付いている。


 …だからつい言ってしまうのだ。自分でも情けないけれど。


 「ねえ、リアン。私には腕輪作ってくれないの?」

 「いやいや、ニアは学園に入らないんだから使わないだろう?」


 呆れたように笑うリアンに、私は不貞腐れて見せる。まあ確かに彼の言う通りではあるんだけどね。


 

 「…じゃあ指輪でもいいよ?」



 私の言葉にリアンはスープを吹き出した。恥ずかしいからあえて余裕のある笑みを見せてやる。頬が熱いけど、店内の灯りのせいであまり目立たない…はず。


 「だ、騙されないからな…!」


 多分ちょっと真に受けそうになったんだと思う。リアンは顔を背けて、少し八つ当たり気味にスープを飲み干す。

 私が前に、照れ隠しで言った騙す宣言を覚えているんだろう。真に受けてくれてもいいのに。面倒くさい朴念仁だ、と彼にばれないように溜息をついた。



 負け犬の給料があがれば、雨も降る。


 そんな彼のつぶやきを聞いて、思い出した言葉がある。


 犬も歩けば棒に当たる、という慣用句だ。思いがけない不運に見舞われるという意味もあるけれど、別の意味でも使われている。予想もしなかった幸運に恵まれることもある、と。


 私はハンブル商工会のみんな、それからリアンと出会ったことで。私は嬉しいこと、幸せなことに出会うことができた。それこそルーシャが無ければこの穏やかな時間は無かっただろう。時々開かれる女性陣の集まりも、私にとっては大切な時間だ。


 目の前で満足そうに食後のお茶を飲む彼。そんな自称負け犬の技師はどうだろう。


 悔しいことも辛いことも経験して、それでも一生懸命に進むリアン。

 そんなリアンに私はご飯を作って、少し話をするくらいしかできない。応援はしているけれど、システィのように直接手伝えるわけじゃない。それでも、だからこそ願う。




 技師も歩けば陽に当たる。




 今は木漏れ陽の下かもしれないけれど、彼がいつかそんな風に振り返ることができるように。

 思いもよらぬ幸運と沢山出会っていけるように。


 私は彼の側でずっと応援しよう。



 「また…お給料あがるといいね」

 「そうなったら、次は槍が降りそうだなあ」



 彼はそう言って、穏やかに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

技師も歩けば陽に当たる。 澄庭鈴 壇 @staylindan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ