第4章 彼女の結論

第30話 彼女の正論

 私の言ったことは間違ってはいなかったと思う。


 でも間違っていないことを言う機会を、きっと間違えてしまったのだ。きっとその言い方そのものも。そのことに思い当たるのが遅すぎたし、思い当たってからは胸の奥のほうがずっと重い。

 

 彼は感情が表情にわかりやすく出る。


 私は自分の勝手な気持ちを押し付けて、彼をひどく傷つけた。私の言葉を聞いた彼の表情を見たとき、私はそのことをようやく悟ったのだ。

 結局感情のままに八つ当たりして。彼の気持ちを理解しようとしなかった。彼が工房を出ていく姿を見送ることさえしなかった。

 寂しそうな背中を見ていられなかったのだ。これ以上傷ついていく様子を見るのは辛くてたまらなかった。


 私は正しいと思えることを言って、そして間違ったのだ。



 「システィ?珍しいな、どうした?」


 気持ち悪い仕組みを使わないで良かったことは少しほっとした。ただでさえ最近気が晴れないのに、変な装置で呻く同期技師を見たいとは思わない。

 彼は技師グラスの手入れをしていたのか、作業机に座ったままこちらを見ている。


 「ルーヴを…見てほしくて」

 

 私のつまらない言い訳はあっという間に看破されただろう。それでも彼は何食わぬ顔でルーヴを受取った。

 作業机に戻り、彼が私のルーヴの調整を始めると工房内に会話はなくなった。けれど今の私にとってはそれがどこか救いだった。


 「リアンのことか?」


 しばらくして、スタンレイが不意に声を上げる。静寂の中で予想していたとは言え、私は肩が一瞬震えてしまった。


 「…ここへ来た?」


 震えそうになった声を抑えて聞いてみる。リアンと私の共通の知り合いは彼くらいなのだ。そう考えたらここへ足を運ばずにはいられなかった。


 「ああ、何度か来てるよ。もともとルーヴの調整に定期的に来てたしな。相変わらずうちのお得意様だよ」


 その言葉を聞いて私はどこか安堵して、どこか失望した。


 「…そう」

 「そんなにリアンが技師でいるのが嫌なのか?」


 答えは分かっているのだろう。意地悪な彼の口元は笑っている。


 「そんなことはないけれど」


 本心ではあるけれど、言わされたことが悔しくてつい棘のある声色になってしまう。感情を制御できない自分が嫌いだ。だから彼にあんなことを言ってしまったのだ。


 「どういう状況なのかは詳しくは知らないが、最近は調子良さそうだぞ。学園生時代に戻ったみたいな顔してるしな」

 「…!」


 私は思わずスタンレイの顔を見た。彼はやはり意地悪な笑みを浮かべると、手元のルーヴに視線を戻した。

 学園生時代。私にとってはかけがえのない大切な時間。そんな言葉を聞いて、私は学園生であったあの頃をついこの間のことのように思い浮かべた。



 リアンとの出会いは学園に入ってしばらく経った頃。



 試作の講義で隣席になったことがきっかけだった。ルーヴを使って木板に細工をする実習で、エクセシオス式の彫り物を模倣するのが実習課題だった。

 実習の最中は特別変わったところはなかったし、彼は私にも興味を持った様子はなかった。この頃は下心をもって話しかけてくる男子が多くて辟易していたので、それはそれで有難かったのだけれど。


 「あの、その木版…もう不要なら頂けませんか…?」


 そんな不審な言葉が彼が私に向けて放った、最初の一言だった。余計なことに気を取られず実習ができて満足していた私は、隣席の学園生が何を言っているのかわからず困惑した。


 「木版…ってこれですか?」


 無視するわけにもいかず、とりあえず手元にあった実習で彫り物をした木版を指す。すると彼は大真面目な顔で頷いた。


 「それです!…あ、いや、まだ使うなら無理にとは言わないんですが…」


 基本的に試作で使った木版は講師に出来を見せた後は使わない。回収して薪の一部として使用されることが多いらしい。

 そんな廃棄物に近いものを、隣席の男子学園生は大真面目にほしい、と言ってきた。

 私はやや気味が悪くなり、あまり深く関わりたくないと言う気持ちも働いて木版を渡すことにした。


 「ありがとう!」


 やっていることの胡散臭さとは裏腹な嬉しそうな笑顔を見せられて、どうにも混乱したまま実習室を後にしたのを覚えている。


 それから間もなく、女子学園生の木版を集める変態がいるという噂が流れた。変態かどうかはともかく事実ではある。


 そんな噂が同期の話題に登らなくなった頃。私はあの日木版を渡した彼が、空き教室へ麻袋をもっていくのを見かけたのだ。


 当時の私はとにかく退屈していたし、あてもない不満を持て余していた。

 女子学園生は妙な派閥のようなものができていて、身なりや態度が気に入らないと陰口を叩かれる。男子学園生はそんな女子学園生の上辺だけを見て、休日の予定を取り付けるのにやっきになっている。

 ヴィクト王国でもっとも優秀な学園と聞いて入学したのに、内実は貴族の真似事や恋愛話ばかり。

 試作の授業くらいしか面白みもなく、余計な揉め事を起こさないように漫然と毎日を送っていた。


 そんな中、ちぐはぐだけれど爽やかな笑顔を見せた彼はどこか新鮮だった。


 最近感じていなかった好奇心に誘われ、思わず彼の後を追ってしまった。目的の場所は普段あまり使われない予備の実習室のようだ。

 基本的な講義はもう終わった時間だ。このあたりにはほとんど学園生の姿はない。


 「おお!今週は大量だな!」

 「2回生の試作が5号木版だったらしいんだ。授業後に用務員さんに分けてもらった。だからいつもより大きい回路が試せそう」

 「いやいや変態リアンくんには頭があがりませんな」

 「なんで俺だけ変態呼ばわりなんだよ…スタンレイだって廃棄物あさってて叱られたはずなのに…」

 「いーや隣の女子学園生に要求するのは変態行為だ、間違いない。ゴミ拾いの俺よりたちが悪いぜ」


 楽しそうに話す二人の声。どうやら中にはもう一人学園生がいたようだ。


 「あっと…リアン、ついに追っ手がかかったようだぞ」


 退屈から逃れたい気持ちを抑えられず、そっと扉の隙間から覗いたとき。中にいた男子学園生の一人と目があってしまった。彼は愉快そうに笑うと、もうひとりの学園生に声をかけた。


 「あっ…あのときの…っ」


 その声を受けて振り向いた彼と目があったとき、彼は気まずそうな顔をして声をあげた。


 「いや、その…ごめん!お金がなくてさ…そのどうしても必要だったっていうか…」


 リアンと呼ばれた彼は大慌てで釈明を始めた。私が彼を告発しにきたと思ったのだろう。そんな様子を見て、ただ好奇心につられて顔をだしてしまったことが途端に恥ずかしくなってしまう。


 「いや、私は別にあなたをどうしようってわけじゃなくって…」


 同世代の男子が慌てている姿を見ていられなくて、つい強い口調で否定をしてしまう。時々この調子で話をして同期の女子を怖がらせてしまうことがあるのだ。私は失敗したなと思いつつ、これ以上威圧したくなくて話すのをやめた。


 「お、怒ってる…よね?」


 無言になった私を見て、怒ったと勘違いしたようだ。彼は更に萎縮してしまったらしい。どうしてこう裏目に出てしまうのか。思わずため息を付きたくなってしまう。


 「と、とりあえず…俺はリアン。こっちはスタンレイ。その…前はいきなり変なこと頼んでしまって…」


 とても居心地が悪そうな顔をして話す彼を見て、少し可哀想になってきたがとりあえず話を聞いてみることにする。


 「俺もスタンレイもお金がなくて…木版を沢山は買えないんだ。ルーヴの扱いが下手で練習しておきたいんだけど、その機会が無くて…。でも実習の授業が終わった後の木版って裏側は使えることが多いからさ。量を集めて、ここで練習に使ってるんだ」

 「情けないことなんだが、俺たち二人ともドがつくほどの庶民なのさ。ルーヴはまだしも、細工は学園に入ってからだから、正直あんまりついていけてない。家庭教師なんか夢のまた夢だ」


 率直に話す彼らを見て、私は少し震えていたと思う。それが驚きだったのか、喜びだったのかははっきりしないけれど、とにかく大きく心を揺さぶられたのだ。

 

 学園生のほとんどは貴族や裕福な家出身で、小さい頃から回路や魔法学の勉強をしている。それは専門の書籍が揃えられるのはもちろん、教師を雇う余裕があるからだ。

 私自身も幸運にもそういった教育を受けることができたので、学園に来ることができたと言っていい。

 学園での実習にしても、事前に家で予習をしてきている学園生が大半なので間違えるようなことはない。どちらかと言えばその成果を披露する場であるといえるだろう。


 ところがこの二人は違うらしい。木版の確保にも困る状態で、一体どうやって学園に入ったのだろう。予習もすることがままならないはずなのに、一定の知識を前提とする授業にどうやってついていっているのだろう。


 「その、システィさん…だよね?前の実習のときの細工が綺麗でさ。木版を参考にしたかったから、つい声をかけたんだ。それが気味が悪いと感じさせるとは思わなくて…軽率だった。嫌な思いをさせてごめんなさい」


 リアンはそう言って私に頭を下げた。

 私は胸がいっぱいになってしまってしばらく何も言えなかった。そんな私を申し訳なさそうに見る彼らを見て、黙っていても愛嬌のある顔に生まれたかったと思ったくらいだ。


 彼らは単純に学びたかったのだ。貴族ごっこも、恋愛ごっこもせず、真っ直ぐ学園生をしていたのだ。ちょっとやり方は変だったけれど。この場面を見て彼らを変態だと遠ざけることはどうしても出来なかった。


 結局自前の書籍を持って、彼らのもとへ顔を出すのが日常になるのは私にとっては自然だった。とにかく一生懸命木版に向かう彼らに刺激を受けて、ああでもないこうでもないと試作を繰り返す毎日。研究室に所属しても、それはずっと変わらなかった。

 そんな学園時代は、他の何にも代えがたい本当に大切な思い出であることは間違いない。



 だからこそ、彼が工房で変わっていくのを私はもう見ていられなかったのだ。


 

 アローグ工房での時間が過ぎていくにつれて、私達は遠くなった。同じ方向を向いて切磋琢磨していたはずなのに、工房内での立場が変わり、私達の関係も変わってしまった。

 彼はいつまで経っても基礎工程から離れることはなかったし、工房が彼の試作を評価することもなかった。

 かつての熱心さが嘘のように無くなったリアンを見るたびに、私は失望したし、胸の奥に刺すような痛みを感じた。

 

 疲れたような、諦めたような、そんな表情を見るたびに。私はどこにぶつけたらいいのか分からない、言いようの無い憤りや、無力感を感じざるを得なかった。

 仕事中に言い寄って来る先輩技師や、依頼者の貴族の子息。おべっかの上手い若手技師が好まれる工房の体質。そしてそんな若手技師や、先輩技師たちに公然と馬鹿にされても、薄い笑顔で流す彼。


 私は多分勝手な期待をしていたんだろう。そして勝手な理想像を押し付けて、思い通りにならない現実に憤りをもっていたのだ。


 私がそんな風に振り返ることができたのも。

 アローグ工房の成形機の一つがいつの間にか膨大な改修がなされ、半自動から完全手動に改良されていたのに技師たちが気づいたのも。


 基礎工程主任と呼ばれた彼がいなくなった後だった。


 現在アローグ工房では基礎工程の速度と精度が著しく下がり問題になっている。

 先輩技師たちは成形機の一つが完全手動になっていることが原因だ、と騒いでいるが。話題の成形機が素人でも扱えるほどで、それでいて高精度であることは工房の技師たちはとっくに気づいている。


 そしてそれを使っているのに、主任がいた頃の速度に追いつくことができないままなのだ。


 彼は確かに腐っていただろう。理想とした試作もださず、基礎工程から抜け出そうという気概も見せなかったことは事実だ。フラドが彼に言い渡した言葉も決して的外れとは言えないだろう。

 熱心さも真摯さも彼からはなくなり、抜け殻が酷薄な笑顔を浮かべ、仕事をしているようにしか見えなかったのだから。


 だとしても彼は、どこか彼であり続けていたのだ。

 技術への熱意は失ってはいなかったのだ。ほとんどルーヴを使わないはずの基礎工程を担当しているのに、定期的にルーヴの調整を行っている時点で気づくべきだったのだ。



 とにかく悔しかった。彼を見ようともせず、彼の側に立とうともせず。何も歩み寄ろうとしないまま、彼を罵倒するだけだった自分が、情けなくて仕方がなかった。



 「ひでえ顔してるぞ?」


 スタンレイの声で、私はそんな自省から醒めた。今更考えても仕方のない話なのに、あの日から何度も同じようなことを思い浮かべてしまう。

 ほら、と渡された調整済みのルーヴをぼんやりと受け取ると、珍しく心配そうな顔をした技師がそこにいた。


 「大丈夫か?」

 「…ええ、大丈夫。あなたに心配されるほどじゃないわ」


 強がってつい皮肉を言ってしまう自分が情けない。


 「そんな憔悴した様子で言われてもなあ…。クビになったときのリアンのほうがましだったぞ」


 リアンの名前が出るたびに過剰に反応する自分がいる。

 きっとスタンレイは違ったのだろう。リアンの話を落ち着いて聞いたに違いない。変態ではあるが、私より大人なのは知っている。


 「彼が元気なら…いい」


 ほとんど無意識に声がでた、そんな私をからかうようにスタンレイは言う。


 「お前もアローグじゃ出世したほうなんだろ?失恋休暇でもとってみたらどうだ」


 私を気遣った彼の軽口に、少し心が軽くなった気がした。こういう器用なところは私やリアンにはない部分だろう。胸の内に溜まった重い空気を吐き出して、自分のために無理やりに笑顔をつくる。


 「…そうする」


 


 今の工房にうんざりして、休暇は既に取り付けてある。ルーヴはしばらく使わないだろう。スタンレイにはほとんど言い訳のように頼んだが、しばらく魔素を通さないことを見越したように調整がされていた。

 彼がリアンより女性に人気があるのは、こういう所の差ではないだろうか。女性にあまり縁がないことをしょんぼりした様子で話していたリアンを思い出して、少しだけ頬が緩んだような気がした。


 彼は今のほうが元気らしい。それはいいことだと思うし、勝手に安堵した。

 それでも、帰宅途中なのに涙が溢れてとまらなかった。

 不器用で。貧乏で。なのにお人好しで、率直な彼のそばに今は誰がいるのだろう。 


 結局一晩泣きはらした後、しばらくぶりに会った兄を視線で黙らせて。私は海が見える街へ逃げ出すことにしたのだ。

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