第25話 悪魔の提案

 「じ、実験台…!?」


 ファリエ会長は涼しい顔をして、物騒な話を切りだした。

 聖女であるはずのルーさんも、特に抗議の声を上げたりはせず大人しく聞いている。


 「そう、ハンブル商工会から出す商品の実験台」


 悪魔は楽しそうに繰り返す。発言の内容はとても楽しめるようなものではない。しかし銀髪の悪魔は上機嫌に続けた。


 「売れるかどうかも分からない。店の利益になるかどうかも分からない。リアンの作る魔法道具ってそんな感じだよね?」

 「ま、まあ…確かにそれは否定できません…」


 実際ウーミィは受け入れられたと思うが、技術的にはキュリオさんがいなければ始まらなかったし、街の人に好んで手にしてもらえたのも、ニアやルーさんの感性あってこそだと思う。

 魔素を追い出すための魔法道具エクペルも、それだけで販売したとしても需要はかなり怪しいだろう。


 「レストロは経営不振、再起の目がなければいずれは多額の融資を受けて模様替えするか、商工会に土地を託して管理費を得て暮らすか。最悪前話したような乗っ取りに合う可能性もないとは言えないね」


 改めて言葉にされると、レストロはなかなかの苦境に立たされていると言えるだろう。もちろん今すぐにどうこう、という状況ではない。しかし時間が解決してくれる問題とも言い難い。放置し楽観視するには状況は悪いだろう。

 トレラさんとしては亡くなった旦那さんのこともあり、可能な限り店を手放したくないはずだ。そしてその気持ちはニアも尊重している。


 「そこでだ。我がハンブル商工会は、飲食店で利用できそうな魔法道具を売り込む。上手くいくか分からない魔法道具を先に購入してもらうんだ」


 悪魔の提案にしては粗雑なものだ、と俺は感じた。

 そもそもレストロは現時点でお金がない。融資を受けるか、受けないかという話をしている段階なのに、新たに商談を持ちかけてどうするというのか。


 「リアンの言いたいことは分かるよ。レストロにとってはこの提案はほとんど意味がない。しかしね、悪魔というのはいつも足元を見るんだよ」

 

 得意満面といった顔のファリエ会長。

 その隣でルーさんはやれやれ、と肩をすくめている。


 「レストロには魔法道具を購入するための融資をする。とりあえず魔法道具は初期投資なしで導入できるわけだ。そして魔法道具を導入した後、売上が少しでも上がればその上昇分から強制的に融資の返済をしてもらう。

 売上が上がらなかった場合でも一定期間後、返済を始める義務も負ってもらうよ」

 

 金銭的な融資というよりは魔法道具を押し付けるような形である。売上が上がらなかったとしても融資の返済を迫るというのは厳しいが、そこは当然でもある。しかしレストロ側から考えれば、売上が上昇するか分からない魔法道具に掛ける契約は旨味がほとんどない。


 「その代わり、この条件で契約が続く限りレストロの店、土地の所有権を保証する。つまりトレラさんから店も土地も奪わないわけだ。同時に他の商工会からのちょっかいもうちが弾く。当然だ、魔法道具の実験店なんだからね。勝手によそから融資を受けて返済に充てられても、それじゃあ魔法道具がどれくらい効果がでたか分からなくなってしまう。

 魔法道具の効果を実験するための契約なんだ。そのことを履行してもらうために、店を続けてもらわないと意味がないからね。

 当然契約だけだから、この間に所属料をもらうようなことはしないよ」


 足元を見る、とはそういうことか。トレラさんやニアの感情部分に訴えかけて契約を誘うのだ。


 「でもファリエ会長、それだと融資の返済が終わった後はどうするんですか?多少は経営は改善しても、結局他の商工会が融資を提案するのは変わらないんじゃ…」


 よくぞ聞いてくれた…というように深く頷くファリエ会長。やはり悪魔の策はまだあるようだ。


 「融資の返済ができた時点で、魔法道具の実験店としての実績の一つだ。ハンブル商工会に所属してもらう。今後も所有権の保証の代わりに、魔法道具の実験に協力してもらう直轄の店舗として契約する。一等地には違いないからね、ウーミィなんかも並べよう。商工会の販売所としても使わせてもらう。

 実験が利益を出して成功したんだから、公国的にも商工会の戦略として認めやすい」


 つまり成功の実績をつくりながら、結局は所属商店にしてしまうわけだ。


 「ただこれは上手く行った場合です」


 ルーさんがやや深刻な声で話を引き継いだ。


 「融資の返済が滞った場合は、他商工会から融資を受けてもらい返済にあてて頂きます。ハンブル商工会としては契約終了として以降一切の支援はしません」

 「そんな…」


 非常に冷徹な対応である。

 しかしながらルーさんもある種役人であり、公国の手前平等であらねばならない立場なのだ。証拠に普段見せない厳しい表情をしている。


 「まあ、商工会は利益に対して正直じゃないとね。前も話したけどうちは更に冷静さを求められる。実験によって売上が上がらないなら仕方がない。だけど借金を返せないのは別問題だから」

 「他の商工会の手前もあります。最新の魔法道具を独占的に提供するという事実、一定期間の猶予を持たせる条件、その間所属料を取らないのに所有権を守る…。

 通常あまり見られない契約ですし、それなりのまとまった金額と、短めの返済期間を設定することになるでしょう。現在持ちかけられている融資額よりは低いでしょうが、楽な条件を提示できる理由はないですね」


 不当な貸付や、不当な囲い込みだと疑われるね、と自嘲気味にファリエ会長は語る。

 難しいさじ加減を要求されるのであろうことは、俺でも想像できた。



 「うちが提案をすれば、レストロは二つの道から一つを選ぶことになります。

 他の商工会から近い将来融資を受け取り経営を立て直す、もしくは乗っ取りの危険に身をさらすか。

 ハンブル商工会の実験的取り組みに協力して、未来の所有権の確保に賭けるか」



 ルーさんは厳しい表情のまま言った。

 それはすなわちどちらの道にも危険がある、ということを示している。

 ファリエ会長がその後を引き継いだ。


 「他の商工会としても邪魔をする理由はあまりない。返済が滞った場合はうちが融資先を募る。この場合、所有権を譲渡することを条件にしなければ融資の申し出はでてこないだろう。つまり返済が滞るのを待っていれば、大手を振って一等地を買い取る機会がやってくる」

 「ハンブル商工会が契約している間にちょっかいを掛けるところはないと思います。一応公国が後ろについていることを掴んでいるでしょうし、余計な揉め事はさけるでしょう」

 「うちの所属工房はキュリオのとこだけだ。グラス技師がつくる飲食店用の魔法道具なんて、いきなり大きな利益を出すとは考えないだろう。うちも実験的契約だよ、ってそれとなく噂を流すつもりだし」


 つまりちょっかいを出すほどの事態ではない、と予め思わせる予定だということだ。


 「トレラさんとニアくんは選ぶことになるよ。緩やかな衰退の可能性か、大きな賭けか。

 失敗したらさっさと売り払われ、店を失うだろう。むしろその場合、うちは売り払わせる側に回る。しかし今のままでも、遠くない未来に取り込まれ、店を失う可能性は高いだろう。

 賭け金は店の寿命だ。彼女らの大切な時間といってもいいね」


 銀髪の悪魔は、俺との契約の際に見せた表情よりもさらに鋭い眼光をしていた。


 明らかに分が悪い。トレラさんとニアは既に追い詰められているのだ。明日や明後日ではない。しかし高い確率でやってくる未来に対して現状有効な手は見つかっていない。

 事態を好転させる必要はあるが、その元手も満足に用意できない。現状そのためのいい考えも見つかっていない状況だ。


 「その、他に手はないんですか…?少額の融資とか…」

 「身内に対して気遣いで借しているように見えますし、少額の融資で利益が出る見込みがあればうちに取り込む方法もありますが…」

 「ま、ほとんど意味がないだろうね。そもそも商工会に所属していない状況だし、経営改善に向けた具体的な策を得る機会を望めないってこともある」



 本当の意味で理想を守る。それはこんなにも難しいのだ。


 感情的な理由で基礎工程主任にいた男は、ただただ甘えていたのだ。工房に所属できていて、死ぬような目にあったわけでもなし。

 クビになって当然だ。年単位でへそを曲げるような技師はどこに必要とされるというのか。


 「貴方はもう技師をやめるべきだわ」


 システィの言葉が思い出される。

 当然だ。クビを宣告した若手技師のように、目の前のお客さんを見ることもなく。霧の中に閉じこもり、気取っている技師など。理想から自ら距離を置き、駄々をこねるだけの人間など。


 トレラさんはどうか。ニアはどうか。

 彼女たちは行動し続けている。思い通りにならない状況の中で。次の手が見つからない状況の中で。それでも笑顔で店を切り盛りして、それでも笑顔で受付嬢と看板娘を演じているのだ。

 そして大切にしたいものを、大事なものを、何とか守ろうとしているではないか。


 改めて強く思うのだ。

 何か変えられないかと。無力な自分でも、無能な自分でも、愚かで矮小な自分でも。それでも少しはじたばたする責任があるのではないだろうか。


 主人公たちが危機を迎えた際に、颯爽と登場する騎士は大抵美しい毛並みの馬に跨っている。とはいえ、その美しい毛並みの馬も草を食べるだろう。その草を人知れず育てている人間だっているはずだ。


 レストロの危機に現れるのは端正な銀髪の貴族。その彼が跨る白馬は、話題のキュリオ工房出身である。

 馬だって生きるためには食事をする。だから多分遠く離れた場所で、白馬のための草を集める庶民がいるはずなのだ。

 

 とはいえ登場人物としては計算には入らないし、読者は気にも留めないだろう。


 物語としてはそんな庶民誰だって良いのだ。むしろそんなことを記述する著者のほうが少ないだろう。そんな背景の一部より、本筋のほうがよっぽど大切なのだ。


 どうせ描写されないことがわかりきっているのだから。

 それならその庶民は、邪教っぽい宗教の教祖であったっていいじゃないか。



 「厳しい条件であることは間違いはないね。それだけレストロを取り巻く今の環境が難しいってことでもある。ただでさえティーラ区は商業地区として発展しているのに、その一等地で意地を張るんだ。簡単な道理がないよね」


 ファリエ会長は腕を組み、目を伏せながら言う。しかし、その声色には彼特有の熱が篭っているのが分かる。


 「悪魔はね、自分の勝機が薄い賭けには出ない」


 彼の言葉を聞いてルーさんが溜息をつく。


 「仮にも商工会長なんですから、商機が見込めない、とかって表現にしませんか」


 ルーさんの指摘はもっともだと思う。しかしそんな言葉も彼にとっては想定内だったのか、どこか得意気な表情をしている。


 「さて、リアンくん。悪魔の眷属として、我が商工会の悪女をたぶらかす覚悟はできたかい?」


 ニヤリと笑う銀髪の貴族。その表情にはもはや賭けに勝ったような雰囲気さえ感じる。


 「私は賭け事は得意なんです。そこは弟に負けないところですね」


 明るい声色に顔を向けると、初めて見るルーさんの不敵な表情。やはり聖女であってもハンブル商工会にはただの聖女はやってこないようだ。

 特徴的な耳はパタパタと楽しそうに揺れている。二人ともどうも勝ちを確信しているような様子だ。


 賭け事に対して、二人ほど自信は持てないが、分が悪い人生は今に始まったことではない。一発逆転の経験などあるはずもない。けれど賭けると決めたならば、腹をくくってしまうしかない。


 「俺は賭け事の経験はほとんど無いんですけど…」


 そんな俺の言葉を聞いたファリエ会長はくすくすと楽しそうに笑った。


 「悪巧みというのは、善より急ぐくらいで丁度いいのさ」

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