第21話 仮面の裏側

 ノースモアでも、ティーラ区でも共通していることは色々とある。

 俺にとってはサンライニ公国は異国である。それでも共通した習慣があるだけで心は随分とほっとするものだ。


 その最たるものは、朝の果実酒だろう。



 「ごちそうさん!」

 「はーい、いってらっしゃい!」


 レストロの朝はこんなやり取りがお馴染みである。朝食に出される果実酒を飲むと、宿泊客はトレラさんに一声かけて出かけていく。元気よく送り出してもらえる所は、果実酒と並んで老舗宿屋の特色ではないだろうか。


 この朝のやり取りを楽しむのは宿泊客だけではない。

 レストロは朝食のみ宿泊客でなくても注文することができる。宿泊客の少なさをこういった食事の提供によって補うのが目的だ。高級店ではあまり見られないが、ノースモアの路地裏の宿も、宿泊せずとも朝食は注文できた。

 早朝からの仕事を持っている人間からすると朝食を作るのはちょっと面倒である。

 市で手頃なものを買って食べるにしても、早朝ではなかなか難しいのが実情だ。そういった時には朝食を注文して食べることができる宿はありがたいのだ。


 ちなみに料理が苦手な学園生達にも利用者は多かった。どこそこの朝食はおいしい、看板娘が可愛い、店主が端正な顔立ちで…。というように男子、女子学園生問わず共通の話題だったといえるだろう。

 残念ながら貧乏学生には選り好みする余裕はない。と言うか毎日のように朝食を利用するというのは憧れだ。大抵は叩き売りになった食料をまとめ買いし、もそもそと食べて学園に行くのが日常であった。

 朝食を利用する時は前日の晩御飯を抜き、おかわりができる宿でたらふく食べる…というのが俺とスタンレイのたまの贅沢であった。

 システィにそんな話をすると、冷静な彼女が見せたこともないような驚愕の表情をしていた。

 こちらとしてはそんな顔をされるのは想定外だったので、逆に気をつかってごまかすことにしたのはいい思い出である。



 そんな事情もあり朝食を注文できる宿の朝は混雑しがちであり、レストロも例外ではなかった。

 空き部屋は沢山あるはずなのに、早朝一階の食事処が満席なことには驚いた。広い店ではないが、朝食が満席というのは珍しい。ノースモアでも見たことはない。まあ俺は利用することは少なかったので、そういった光景を見る機会が無かっただけかもしれないが。


 「やっぱ、早朝の果実酒は効くなあ!」

 「ふふ、おかわり提供できなくってごめんなさいね」

 「にゃはは!おかわりがあったら朝からできあがっちまうよ!」


 すっかり常連となったキュリオさんが隣で絶賛する果実酒こそ、早朝の混雑の理由だと思う。

 レストロの果実酒は美味しい。無論高級店のものを飲んだことはない。なので本当の意味の美食家達に聞いたらどんな評価かはわからないが、同じような価格の食事処と比べればわかりやすく味は良いだろう。

 舌も貧乏な俺が分かるくらいなのだ。なかなかに大きな差があるということの証左ではないだろうか。

 

 早朝の混雑が落ち着いた後、俺とキュリオさんは肩を並べて座っていた。

 席は調理場が見える、いわゆるカウンター席と言われるところだ。トレラさんは片付けをしつつも話に付き合ってくれている。


 「これ、地下室で作ってんのか?」

 「そうね。やっぱり気温で味が変わっちゃうの。だから比較的年中ひんやりしてる地下でつくってるわ」

 「ここって地下室あったんですね」

 「リアンくんには言ってなかったわね。旦那が凝り性だったのよ。果実酒を自家製で作っていくうちに地下室が欲しいって言い出して。わざわざあとから作ったの」


 困ったような、それでもどこか嬉しそうに語るトレラさん。亡くなった旦那さんとの思い出も込められているのだろう。果実酒の話をするときは少女のような笑みを見せることもある。


 「次の分…っていうか、まあ来年以降の分も仕込みをしてあるから地下室はいつも一杯なのよ」

 「へえ…本格的にやってるんだなあ。自家製の果実酒を出す所は他にも知ってるが、今の所ここが一番味がいいぜ!」

 「常連さんは嬉しいけど、ミィミさんに怒られない程度に来てね?」


 上機嫌なキュリオさんは、配膳の途中で通りすぎていくニアにしっかり釘を刺されていた。

 せっかくウーミィで戻ってきてくれた奥さんだ。キュリオさんには大事にしてもらいたい。


 「基本的には朝しか飲みに来れねえからなあ…前みたいに夕飯に誘ってもらえりゃ別だが、今度はミィミもいるしな」


 少し照れくさそうに語る子猫族は幸せそうである。

 今では朝ごはんも作ってもらえるため、キュリオさんは果実酒だけ飲みに来ているような状態だ。朝食代の一部を支払って、毎朝果実酒を飲みにくるほどである。


 「朝の混雑は果実酒の味によるところも大きそうですね」

 「んー、まあそうかも知れないけど…」


 俺の言葉にトレラさんは少し頭を傾けつつ答える。


 「朝の果実酒って冷たいのよ。だから他のお店より早い時間に来るお客さんが多いの」

 「だから早朝が混む…?」

 「本当はあの時間から仕事する人なんて多くはないはずなんだけどね。ありがたいことにその多くはない人たちがここのお店を選んでくれてるの。理由を聞いてみたら果実酒が冷たくて美味しいから!って言ってくれて嬉しかったわ」


 なるほど、それはそうかも知れない。何しろこの店の地下室で作られているのだ、樽から出した朝一番の果実酒はひんやりしているだろう。

 レストロの混雑の時間帯はかなり早めである。まだ朝もやが残るような時間帯にこの店は一番混雑するのだ。考えてみれば中々に珍しい。


 「地下室においてあるんなら、早朝じゃなくても冷たいんじゃないのか?」


 キュリオさんが不思議そうに聞くが、トレラさんは軽く首を振りつつ続けた。


 「営業中にいちいち地下室に行ってられないし、地下室の開け閉めが多いと仕込んである果実酒の味が変わっちゃうの。今はいいけど、来年以降の果実酒の味が悪くなっちゃうのよ。だから朝一番で今日の分の果実酒を出して、夜まで出しっぱなしね。だから遅くになればなるほど冷たくはなくなっちゃうわね」


 確かに早朝の忙しさを見れば、果実酒の注文が入るたびに地下室へ行くのは難しいのは理解できる。そうなると冷たい果実酒が飲める時間帯は限られてくるだろう。

 朝早くから仕事をする人たちの間では有名店なのかも知れない。残念ながら宿泊客は少ないが。


 「自家製で果実酒を作ってる店は多くはないしな。大抵取り寄せだ。地下室をもってないとこもあるし、取り寄せしてきた時点で冷えてはいないだろうな。これからの時期ならなおさらだ」

 「貴族様のお屋敷なら飲み物や食べ物を冷たくする魔法道具があるって聞いたわ。でも庶民にはとてもじゃないけど手が出せないわね。それに比べたら地下室のほうが安いし、他のお店もやっても良さそうだけれど」


 トレラさんとキュリオさんの会話が続く中、俺の食事も終わり話題の果実酒に口をつける。

 甘みと酸味が程よく合わさったとても飲みやすい一品だ。これが冷たければ確かに美味しいだろう。目も覚めるし、朝一番の飲み物としてはうってつけかもしれない。


 「地下室作るより客室作るって、普通の宿はさ」


 いつの間にか隣に座っていたニアが呆れ混じりに言う。

 朝の食事代より宿泊代のほうが単純に利益が出る。客室を快適にして、果実酒より食事そのものの質を高めることに投資する宿のほうが多いのは必然かもしれない。


 「そこは愛する旦那様の意を汲むのが良妻ってものよ?」


 クスっと魅力的な表情を見せるトレラさん。こういう何気ない愛嬌のようなものは、ニアにも受け継がれていると思う。病気で亡くなってしまった旦那さんも、こんなところに惹かれて結婚を申込んだのかもしれない。

 

 旦那も喜んでるぜ!と笑うキュリオさん。

 はいはい…と流し気味のニア。しかしその表情は柔らかい。


 この雰囲気が無くなってしまうのは惜しい。目の前にある現実からすればわがままかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。


 


 「それじゃあリアンさん、お休みを満喫してきてくださいね!」


 ルーさんが笑顔で俺を送り出してくれる。


 もろもろの手続きや、公国による俺の調査や聞き取りも終わり、ノースモアへ転移できる日がやってきた。

 30日間とされていた期日であったが、当初のルーさんの予想通りやや遅れるような形になった。ファリエ会長がほとんど不意打ちのように技師を連れてきたからである。

 公国には割りと真剣に怒られたらしい。ルーさんに国の施設に連れて行かれ、その後帰ってきた時はしゅんとしていた。ただしゅんとしていたのはわずかな時間であったことを忘れてはならない。

 ルーさんはすぐに元気になったファリエ会長を見て大きく溜息をついていた。…本当にお疲れ様です。

 子供のお守りならぬ、貴族のお守りとは…。管理官というのは大変な仕事である。


 久しぶりに見る転移扉。初めて見た際にも思ったが見た目は本当にどこにでもありそうな木製の扉に見える。回路の彫り込みも表面には見当たらないし、一体どんな仕組みで動いているのだろうか…。物体から始めて、植物、虫、小動物…と少しずつ試験をして扉の実効性を確かめてきた…という歴史があるらしい。

 試験の内容にやや闇を感じるがやむを得ないところもあるだろう。結論として転移扉の事故はまったく起こっていないようだ。

 詳しい仕組みや、扉に差し込む鍵については国家機密ということでファリエ会長でも知らない部分があるらしい。仕組みを知らないのに使う…というのは中々恐ろしく感じるが、現状使われている魔法回路も何故そういう効果がでるのか分かっていないものもあったりする。技術の歴史は「果敢な挑戦と振り返らない勢いだ」と、どこかの変態技師も言っていた。あながち間違いでもないだろう。


 「ウーミィは大丈夫だった?」


 あの不細工なグラス瓶のやつ、とニアは含み笑いで言う。


 「お陰様で大丈夫。ちゃんと咲いたままだよ」

 「それはよかった」


 くすっともう一度彼女は笑顔を見せる。そこへファリエ会長から声がかかる。


 「ウーミィの時は頑張ってもらったしね。ちゃんとゆっくりしてきなよ?」

 「ありがとうございます」


 今回の帰国は休暇も兼ねている。ファリエ会長が気を回してくれて、長めの休日を用意してくれた。久しぶりに実家に行くつもりだし、ルーヴの調整もある。時間に余裕があるのはありがたい。


 「あ!色街に行くな、とは言わないけど問題は起こさないでね!女性問題って大変だから!」


 我が商工会の悪魔はニヤニヤしながら言う。

 俺が女性との縁がないことを見越しての発言である。全くもって遺憾である。しかし、女性に関してはねずみ色の青春を送ったのは事実である。

 学園生の本分は魔法学の勉強であり、魔法道具製作の技術向上である。決して間違ってはいないのだ。おかしいな、目から汗が滲む気がする…。


 「リアンは色街大好きだもんね!」

 「そうですね、男の子ですからね。お姉さんは駄目とはいいませんよ」


 受付嬢と兎管理官もニヤニヤとしている。

 …もういっそのこと色街で散財してやろうかという気になってきた。

 とはいえ、俺は大人なのでそんな想いはおくびも出さない。俺の顔を見て3人はますます笑みを深めたように見えたが気のせいであろう。


 「それじゃあお休みを頂いてきます」


 それでも3人はいってらっしゃい、と優しげな表情で送り出してくれた。



 扉を開けて吹き込んだ風は、やや土っぽくて懐かしい香りがした。

 ついこの間まで暮らしていたノースモアの空気だけれど。なんだか随分と久しぶりに頬を通り過ぎていった気がする。


 ハンブル商工会へ始めて訪れた時と同じような小さな手荷物。


 けれどその荷物の中には不格好な贈り物が入っている。

 




 「まあ工房室にばっかり篭ってないでさ、休暇なんだし実家でのんびり過ごしなよ?気づいてないと思うけど、ちょっと痩せたよ。リアン」

 


 しょうがないなあというような苦笑を浮かべたニアの言葉。

 いってらっしゃい、の前にそう言ったのだ。思わず顔を向けると、優しげな顔をした看板娘がそこにいた。


 彼女は本当に人のことをよく観察している。宿屋の娘だから、というようなことを本人は言っていたが、それを加味したとしてもよく気がつく女性だと思う。


 彼女は強い。


 レストロをトレラさんの想いを尊重してやっていけるようにしてあげたい。


 悪女の仮面を被った一人娘は、胸の内に確かな想いをもっているのだ。

 しつこくって困るんだよね、と珍しく愚痴を零すくらいには、今のレストロに言い寄る商工会に危機感を持っているのだ。

 ハンブル商工会の力を借りられないことはわかっているとしても。きっと話さずにはいられなかったのだろう。けれどその言葉すら少し軽めで。心配させない程度に。


 そんな状況であっても他人のことを気遣う余裕を見せられる。

 やはり彼女は強い。


 そして同時にレストロのため、母親のため確かに行動をしている。受付嬢をやることも、看板娘になることも。玉の輿を狙うことは冗談半分かもしれない。しかしそれはきっと「半分」なのだ。


 理想だけは一人前に主張をするくせに、すぐに折れてしまい燻るだけだった俺と比べると雲泥の差だ。


 一緒にするのは失礼かもしれない。

 でも彼女は今まで、そして今も尚理想と現実の間で踏ん張っているのではないだろうか。

 俺よりずっと賢く、ずっと上手に。


 …今も立ち向かい、立ち回り続けているのだ。

 

 俺はすぐに負けてしまった。すぐに折れてしまった。

 でも彼女は違う。


 だから違う結果になってほしい。

 俺の勝手で傲慢で、野次馬の叫びのような祈りだけれど。確かにそう思うのだ。


 彼女がウーミィで手を借してくれたように。彼女が求めているかは分からないし、本当に役に立つようなことができるとは限らないとしても。

 ここで何もしないのは、絶対に違う気がするのだ。それは多分「大負け」にすら劣るのだ。


 却下されるのは元基礎工程主任の得意技である。もう慣れっこだ。

 その程度の人間だからこそ、自己を満足させることを投げ出してはいけないだろう。藁をつかむような想いと、情けない願いを賭けて、自分と誰かの間をつなぐのだ。


 「果敢な挑戦と振り返らない勢い」が技術の歴史をつくるのなら。



 開き直る愚かさと押し付ける度胸が、リアン教の歴史をつくるのだ。

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