持っていかれてしまった人たちのこと


大澤:わたしは勝手にスナヲさんのこと、わりと世代が近いと思ってるんですけれど、わたしたちぐらいの年齢になってくると、そろそろ何人か”持っていかれ”てません? なんか、かたちのないよく分からない化物に、親しかったはずの人が、ある日突然連れていかれてしまう。持っていかれてしまう。ほら、カニの甲羅から抽出した健康食品とか、AIトレーディングとか、まあそういうのは分かりやすい持っていかれかたなのでこちらの諦めもシステマティックになっていくんですけれど、他にも、手は動かないのに口ばっかり動くカスの山師みたいな男と不倫しはじめたと思ったら友人知人の忠告を全部無視して連絡もつかなくなっちゃったとか、そういう、なんかよくわからない、社会に唐突にぽっかり空いている暗い洞みたいなのにヒョイッと吸い込まれて、そのまま二度と会えなくなってしまった人、いません?


籠原:もちろんたくさんいますが、彼らは何か絶対悪のような怪物に「連れて行かれてしまった」というよりは、ブラックホールみたいに「自重に耐えられなくなって潰れた」印象です。たとえば下らない男に盲目的に惹かれて消えてしまう女の子についても、まず「盲目的に惹かれて消えてしまいたい」という欲望があるわけです。だから相手の男は誰でもいい、下らなくても。大澤さんはもしかすると「対等な関係は健全だし大丈夫、でも対等ではない関係は不健全だし危険」という風に考えていませんか。私の考えではそうではなくて、まず本人が病的なら周囲の殿方がどうであれ結果は似たり寄ったりだし、仮に対等な関係を求めても別の形で破滅するわけですね。


大澤:あ、そうですね。わたしもよくお説教しますけれども、たいていはその本人にします。相手というかそういう人はね、そもそもわたしの手が届かないところにいるという現実てきな問題もありますけれども、ひとりやふたりどうにかしたところで、社会にはもう、いくらでもいますから。だから飽くまで彼ら彼女らは自ら破滅したのだというのはその通りだと思います。けれどやっぱり、その呼び水になる人間関係というのはあって、ハーメルンの笛吹き男みたいなものですね。ある閾をこえてしまうともう諦めて速やかに見捨てるしかないんですけれども、その前に防げればまだどうにかなるんじゃないかとわたしは思っていて――現実的には、未だに救えたケースはありませんが――そういう意味で、ひとつの目印としてそういう人たちの出現を警戒するというのはあります。あれ、お互いに呼び合いますからね。笛吹き男のほうでも破滅的な子を見逃さないし、破滅てきな子は笛吹き男を呼び寄せますから。


籠原:そうですね。しかし――ならば破滅願望女に呼び寄せられる破壊願望男もそれはそれで可哀想なのかもしれませんよ。いわば彼らは「私は男に誑かされて破滅したい」という願望を実現するため道具として利用されているのですから。彼女たちが可哀想であるのと同様、彼らに対しても同情の余地は多少あるでしょう(笑)


大澤:そこはもう、わたしとの関係性の問題ですね。別の視点から見ればそういった解釈も成立するのかもしれませんが、わたしの友達はわたしの友達であるので知ったことではないです。


籠原:ああ、なるほどです(笑)私は逆にもう片方の側の事情を男友達の事情として眺めたことがあるからか、あのワケわからん女さえいなければアイツはまだ真人間に復帰できたであろうに、という忸怩たる思いがあるかもしれません。


大澤:あはは。これは個別のケースに依るのでひょっとするとわたしもそういう経験をする羽目になることもあるのかもしれません。なんだろうな~、連れて行かれちゃう子ってだいたい、他者からの嘲りに対して鈍感ですよね。なんだろう? 嘲られているほうが逆に安心しちゃうみたいな変な捻じれ構造がある気がする。わたしはほら、かわいいじゃないですか?(知らねぇよ)


籠原:? めぐみさんはかわいいよ。


大澤:ありがとう。わたし、人から優しくされるのも甘やかされるのも大好きなんですけれども、同じ優しくされるのでもそこに嘲りが含まれるパターンっていうのがあって、自分はそれに対してものすごく過敏だと思うんですけれど。なんかね、そういうのが透けて見えるともう一瞬でスーンってなっちゃう。ATフィールド全開。まあもらうもんはもらうけどさ? みたいな。関係性を構築しようとは思わないですね。


籠原:他人からの嘲りについて語るのは私には難しいことです。私は殿方からの好意に対してすら鈍感でして……同性からの好意もそうですが……以前「お前はラブコメ作品の難聴系主人公か!」みたいな非難を浴びたこともありますね。もちろん、これは要約すればその手の罵倒を受けてしまったという話ですけれども。むろん他人から嘲りのようなものを感じたこともなくはありませんが、逆にそれは、私以上の如何なる鈍感女であろうともと察するに違いないものでした。でもそのくらいじゃないと私は全く気付かないという部分があると自分で思います。


大澤:スナヲさんはモテるだろうなとは思います。


籠原:? なんで私がモテるって分かるんだよ? 笑(媚び)


大澤;は? まあいいか、えっと……なんの話だったかな。自尊心……? なんか自尊心も違うかもなぁ。彼ら彼女らって、変に自尊心は高かったりしますし。なんかこのへんも語の運用で無限に混乱しそうな気がしてちゃんと定義づけして進めていったほうがいいとは思うんですが、まあこれは雑談なんでグルーヴ感で乗り切っていきましょう。自尊心の発露の仕方がちょっと捻くれちゃっている感じありますよね。


籠原:うーん……とはいえ彼女たちの自己肯定感がどうなのかは分かりません。ただ人間なら誰もが抱く破滅願望をブクブク膨らませているイメージですね。繰り返せば――だからこそ相手は誰でもいいからとにかく溺れたいわけです。問題とするべきは彼女たちの欲望のマネジメント能力をどう鍛えるかであり、周囲の環境や社会の状況についてはやはりあまり関係ないと私は思いますね。


大澤:欲望のマネジメントって具体的にいうとどういうことです? なにか代替的な行為で解消するとかそういうこと?


籠原:というか、ここで着地点を示しておけば、まさにそのためにも人々は物語を必要とするのではないでしょうか。ボーンセクシーイエスタデイだってそうですね。たとえばカメラのフレームに収めることで何でもない風景が美しく見え、詩歌のフォーマットに収めることで世俗的性愛が神秘的な純愛に見えるように、私たちが力関係の不均衡に感じている微妙なエロティシズムやロマンティシズムにフォーカスを当てれば、ひとつフォーマットが誕生するということなのかなあと。


大澤:ああそうですね、それは物語のひとつの力でもあります。でもやっぱそれだけでもなくて、そこに含まれる欺瞞を暴いていくだとか、歪みを詳らかにしていくというのももうひとつの物語の力であるとは言えますね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る