教育という傲慢さ



大澤:本日はわざわざお時間をとって頂き、ありがとうございます。


藤の:いえいえ、こちらこそ。小説家ではないので本来は遠慮すべきなんですけど、話したさが勝ってしまいました。申し訳ない。


大澤:いえ、最初からとくに小説家に限定していたわけではないので大丈夫です。えっと、藤のさんは、comicoという漫画アプリで「せんせいのお人形」という作品を現在も連載中の漫画家さんです。この対談で漫画家の方をお招きするのははじめてですね。それで、わたしはもう本当に「せんせいのお人形」が好きで全人類に読んでもらいたいと思っているので「せんせいのお人形」の話をするんですけれども。

 はじまりかたはそこまでツイストしてないんですよね。あ~なんかどっかで見たことある~みたいな、わりとテンプレ設定っていうか、物語類型てきな話をするとピグマリオン系。マイフェアレディ系って言ったほうが通りがいいかな? 男性の教育者が、野生児みたいな粗野な女の子を淑女として立派に育て上げるっていう。そこに異性同士であるが故に、宿命的に恋愛要素が絡んでくる。


藤の:そうですね。企画の発端からしてマイフェアレディ系のテンプレ良くない? からはじまっています。


大澤:でも、はじまりかたこそテンプレなんですけれど、これはなんていうか、この類のテンプレに対する強烈なカウンターですよね。ピグマリオン系の物語って、原典のピグマリオンからしてずっと同じ障壁にぶち当たっていて、つまり、教育する側の傲慢さみたいなものがあると思うんです。どうしてもモノを書く人間って教育する側に視点を置きがちで、教育される対象がエイリアンとして置き去りにされがちというのがあって。でも、せんせいのお人形はその傲慢さみたいなのが、なくはないんですけれども、でもちゃんと自覚的で、それじゃダメなんだっていう意識を持って、どうするのが本当に適切なのかをものすごく追及しているなっていう手触りがあって、その真剣さが本当に好きなんですよ。


藤の:はじめからカウンターしてやろう、真剣であろう、と思っていたわけではないんですけれど。わたしはストーリー漫画を描くのがこれが初めてだったのですが、ものすごく浅はかに「この設定萌える~~~」をとことん突き詰めて描こう! としたときに、自分の突き詰め方が「え……教育してやるって何? 自分の理想通りに育てようと思う考え方って何? 気持ち悪……」っていう突き詰めかたになっていったんです。たとえ、それが常識的な範囲であったとしても。

「これは萌え漫画にならんかもしれん」と感じました。でもそれに直感的に「価値がある」と思って、そこから真面目にやろう、この気持ち悪さの正体をどうにかしようという方向に切り替わりました。


大澤:なるほど。やりはじめてみないと分からない。やってみてはじめて見えてくるみたいなものはありますね。わたしもだいたい、とりあえず書きはじめてしまって、書いているうちに自分が書きたかったテーマが浮かびあがってくるっていう感じです。

 たぶん、描いていてもついつい昭明の視点になりがちだと思うんですけれど、そこでその「教育してやる~!」てきな気持ち悪さにふと目が向く冷静さみたいなのは大事ですよね。こう「いくぞ~~!!」って、ガーッ!! ってなっていると、ひとりよがりなものになってしまうので。


藤の:いやそれが、最初のころは、描いているときの気持ちはいつもスミカだったんですよ。


大澤:え、そうなんですか?


藤の:自分が出会った、昭明のモデルとも言える人物をわたしはとても信頼していて、わたしがその人から受け取った「正しさ」を思い出しつつ、その人なら何て言うかなあ~みたいな感じで描いていました。だから、視点はスミカにあったと思います。気持ち悪さに関しては、それが自分の中にあったのかどうかは不明ですね……。自分が女性として育ってきた中で感じてきた気持ち悪さなのかもしれない。


大澤:ふつう、教育する側が「これが正しいんだ~!!」って押し付けてしまうと、読者の立場としてはものすごく鼻につくんですけれども、藤のさんはそこのところを本当に上手に丁寧にやっておられて、その最初のひとつの結実が「学問の鳥瞰図」ですよね。押し付けられたものではなく、スミカが自ら真理に到達するんですけれども、それもなにか劇的なものではなくて、ものすごく自然体でスッとつかみとっていて。どうだ? すごいだろ? 感動しろ~! みたいな押しつけがましさがなくて、だからすごくスーッと浸透してきました。


藤の:創作者としての経験が浅すぎるというのもあると思うのですが、学問の鳥観図は自分の人生と直結してしまっていて、あれはそのまま、自分が16歳くらいの時に思った事を漫画にしました。自分が教育する側だ~という認識がないからなのか、読者さんにノッてもらえたようです。でも、この物語で昭明って「教育」しているんだろうか……。


大澤:あはは。後半は昭明さん自身の成長がテーマになっているので、必然的に初期の昭明さんは教育者としては甚だ未熟ですよね。でもその昭明さん自身の葛藤も、ものすごく切実で、どちらにも共感できてしまう。

 藤のさんとしてはスミカのほうに視点があるということなんですけれど、でも、あまりそこ描かないじゃないですか。それがすごいなって思っていて。スミカの直接的な心理描写が、ものすごく少ないですよね。スミカは無口なうえに心理描写も少ないので、読者はだいたい、ちょっとした表情の変化とか行動から「ああ、スミカは今たぶんこういう風に思っているんだろうな」って推測させられるようになっている。この、描かないってすごいなって思って。だって、描きたいじゃないですか?


藤の:えっ? 描きたいですか?


大澤:描きたいですね。わたしはだいたい丸裸の一人称でそこのところをガーッ!! って書いちゃう芸風なので、この描かずに察せさせるみたいな技はすごいなーって思います。


藤の:大澤さんの作品は確かに一人称での自己の掘り下げがすごいですよね。だからこそ「6番線~」のように、一人称でそれぞれの主人公が考え込んでいて、他のキャラクタの内面は主人公視点からでは正しく観測されずに、そのキャラクタが主人公になったときにわかるズレが作品のうまみになっている。

 うーん、ひょっとすると、わたしもスミカも表現できるまでのはっきりした「心理」がないのかもしれない。読者さんに分かってもらうために必要最低限の心の動きは描くけれど。


大澤:あ、そうですね。スミカはなにを考えているのか分からないキャラというよりも、なにかを考えるということができないキャラだったので、最初は。乱暴な言いかたをすると、心がない。だから心理描写もない。


藤の:逆に昭明は自分の目線じゃないから、自分でも考えないと理解できないので、詳しく描写されるのかな。自分で制御できている技術ではないですね。


大澤:作者って言ってみれば作品世界の神で、どのキャラがなにを考えているかって全部自分で決められるはずなんですけれど、けっこう他人事みたいに「この子はなにを思ってこんなことを言ったんだろう?」って考えていることとかありますね。

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