第15話 覚醒

 金曜の夕刻、原野中駅から二番通りを抜け、類は足早に自宅マンションに戻った。


「疲れたー……」

 そう言って、ぐったりとビーズクッションに倒れこむ。

 土埃まみれの作業ズボン、カバンも肩から斜めにかけたままだ。

 机の上からミヤビが類を見降ろして言った。

「殿、随分お疲れのご様子」

「一週間長かった……。一日中外だし、まだ仕事に慣れてないからな……」

 類は重そうに体を起こすと、カバンを傍らに置き、立ち上がって台所に行った。



 夕飯と、シャワーを済ませた類が、タオルで頭を拭きながら、机の傍らに立ちミヤビの様子をうかがう。


 メインモニタの前では、パソコンの操作を覚えたミヤビがネットTVで時代劇を見ていた。

「また、それ見てるのか」

 画面の中では、黒い着物の侍と紫色の頭巾をかぶった侍とがチャンバラ劇を繰り広げていた。

「とても面白うございまする!」

 ミヤビは振り返りもせず、画面に食い入っている。


 ――ブー……ブー……ブー……

 突然、机に置かれた類の携帯電話が振動した。


「あっ」

 類は携帯電話を手に取り、表示を見た。

「叔父さんだ。急な店番のお願いか?……――もしもし?」

 ――「おぉ!類か!」

 茂のその声は、妙に揚々としている。

「どうしたの?」

 ――「完成したんだ!やっと!」

「うん?」

 類は首を傾げた。

 ――「セイランの母ちゃんに頼まれてた“杖”がよ、やっと完成したんだ!」

「お、おめでとう……」

 電話越しにも伝わる茂の上機嫌な様子に、類は苦笑いをした。

 ――「それでな、お前に……、と言うか、ルイちゃんの方にな、モデルでちょっと杖を持ってほしいんだよな。んで写真を1枚。ガハハ!」

「はっ!?な、なんでだよ!」

 ――「宣伝だよ、宣伝!“こんなのも作れます”ってよ、ホームページに載せるんだ。ルイちゃんなら見た目もぴったりだろ?」

「……な、なんで俺がそんなことを」

 ――「大丈夫だって!誰も類がルイちゃんだなんて気づかねーよ、ガハハ!それに別に女装が趣味だっていいじゃねぇか」

「俺のは違うから!!」

 茂の発言に、類はムカッとして言った。

 ――「と、とにかくだ。明日には杖を渡してしまうから、今すぐ来てくれ!頼んだぞ!」

「えっ!?ちょっ――」電話が切れた。「――っと待ってよ……」

 通話終了の文字が表示された携帯電話を握りしめ、類は渋い顔をした。

 そして、ぐったりと肩を落とし、ミヤビの見ている時代劇が映ったモニタを見た。

「まったく……。叔父さんはいつも急だ」

「殿、少しお静かに願いまする。今、ちょうど良いところゆえ……」

 ミヤビは画面を見たまま、振り向きもせず言った。

「へいへい……」

 そんなミヤビを横目に、類は“ルイ”を動かすためのデバイスの準備をした。


「ミヤビ、そろそろいいか?」

 机の前に立ち、VR用ヘッドセットを片手に持った類がメインモニタを見て言った。

「はは!ちょうど終わりましたゆえ、どうぞ殿!お使いくださいませ」

(お使いって……、俺のパソコンなんだけどな)

 類は深く椅子に腰かけ「はぁ」と大きくため息をついた。

 そして、マウスを操作して“chr0041”を表示させ、VR用装備一式を見に付ける。

「じゃぁ、入るか……」

 類はそうつぶやくと、“chr0041”を、その背後にある紋様へと触れさせた。

 

 画面が白くなり、その白さが晴れるとすぐに、薄暗い『カロ屋』の店内が目の前に現れた。


「おう!やっと来たな!」

 レジカウンターの横に、意気揚々とした顔の茂が、待ってましたとばかりに組子障子を向いて立っていた。

「「叔父さん、急なんだよ……」」

 類は少し疲れたように言った。

「ガハハ!悪かったな。こっちも急に思いついたからよ!」

 そう言うと、デジカメを覗き込んでルイを見た。

「やっぱ、ルイちゃん、いいなー!アリサじゃ、こうはいかないからよ」

「「で?その杖は?」」

 類は白い目でそう言うと、店の中を見回した。

「おう!これだ」

 作業台の上、2メートルまでは無いものの、かなり長い、装飾の派手な杖が置かれている。

 青空市で購入した、30センチはあろうかという大きな魔晶石が、あからさまに“魔法の杖”という印象を与える。

 類は作業台からその杖を手に取った。

「「……これって、もしかして結構重い?」」

「ああ。だいぶ重量はあるな。魔晶石自体がかなり重いからな」

 茂はそう言いながら、ニヤニヤと杖を持ったルイを見ている。

(俺の持ってるVR装備は簡易なやつだから、こういう重さとか感触まではよくわかんないんだよな……)

 類は、茂の作った魔法の杖を興味深く見た。

 ちょうど手に持つ部分になるあたりに、滑り止めなのか、変わった素材の紐がきつく巻かれている。

「「これってもしかして、前に言ってた龍のヒゲってやつ?」」

「おう!そうだ。ルルアさんにかなり安く譲ってもらったんだ」

「「へー……(じゃぁ、キマイラの皮ってどの部分なんだろ……)」」

 ルイのその様子を、茂はデジカメを覗きながら見て言った。

「うーん、やっぱ店の中じゃ背景がいまいちだな」

「「背景なんて、あとで加工すればいいだろ」」

 類は面倒くさそうに茂を見た。

「俺は、そういうのよくわかんねーからよ!写真、そのまま使えた方が楽だろ?――」そしてニヤッと類を見る「――そうだ!異世界側で写真を撮ろう!」

「「えぇ!?――」」類は驚いて言った。「「――まずいでしょ!異世界のことが知れたらどうなることか……。写真、ネットにあげるんだよね?まずいって!」」

「大丈夫だよ!どこの森かわかんねーよ、ガハハ!」

 茂はそう言うと組子障子の戸を開け、異世界側へと出た。

「「お、叔父さん!」」

 慌てて茂の後を追い、類も異世界側へと出る。


 途端に、アバターに乗り移る感覚。

 持っていた杖に、ずっしりと重さを感じる。

「あ……」

 類の声も変わり、アバターである“chr0041”が完全に自身の身体になった。

「お!やっぱ、ルイちゃんはそっちの声の方がいいな!ガハハ」

 その様子を見て茂が言った。

「……お、叔父さん……(気持ち悪いぞ)」

 ルイは嫌悪感の混じる恥ずかしそうな顔をしてつぶやいた。

「じゃ、さっさと写真撮るぞ。この前みたいに魔物が出てきたら怖いからよ、ガハハ」

 茂はそう言ってカメラを覗きこんだ。

「……お、叔父さん早くしてくれ……(恥ずかしい)」

 ルイは、杖を右手に持ち、棒立ちのまま顔を引きつらせた。

「ルイ、もっと笑わないと印象良くないぞ。杖を構えてポーズを取れ!」

「な、なんでだよ……。なんで俺がここまでしなきゃ……」

 ルイはそう言いながらも仕方なく、杖を両手で斜めに倒して持ち、適当なポーズを取った。

 

 サワサワと森の木々が音を立て、風が抜ける。

「お!いいねー」

 茂はそう言って、何枚もシャッターを切った。


「あ?なんだ?」

 不意にカメラを覗いていた茂が、そう言ってカメラから目を離し、ルイを見た。

「どうしたの?」

 ルイはポーズを決めたまま、茂を見た。

「お前、その杖、少し光ってないか?」

「ん?」

 ルイは手に持っていた杖の先を見た。

 魔晶石が、暗い森の背景に、ぼんやりと淡く光って見える。

「あ……、ほんとだ。いつから?」

「わからん。周りが暗いから気が付いた感じだ」

 茂はそう言うと、ルイの近くに寄った。そして杖の先についた魔晶石を見る。

「ふむ。やっぱ光ってるよな」

 そう言って顎に手を当て、考えるようなそぶりを見せた。


「ひっ!!?」

 突然、ルイは全身に水のような何かが流れ込むのを感じた。

「どうした?」

 茂が横目にルイを見る。

「お、叔父さん、離れて!」

「ん?」

 ルイは苦痛にも似た表情をし、叫ぶように言った。

「俺から離れて!なんかやばい!」

 持っていた杖がまばゆく輝く。

「おわっ!?」

 突然のことに茂は尻もちをつき、その眩しさに腕で顔を覆った。

 ルイは茂から離れるように、店の前にひらけた広場の端に走った。

 その途端、ルイの足元に組子障子の紋様にも似た紋様が光の線となって現れた。

 その大きさは、組子障子の紋様の2倍はある大きなものだ。


「な、なんだ!?」

 茂は、地面にへたり込んだままルイを見た。

 ルイの身体が光に包まれている。

 杖も光っているが、ルイの身体の輝きの方が大きい。

「ル、ルイ!大丈夫かー!」

 茂は体勢を立て直し叫んだ。

 

 先ほどまで驚いた顔をしていたルイは、足元に紋様を従え、その紋様にわずかに浮くように佇んでいる。

 その表情は、目をつむりとても静かだ。


「ルイ……、どうしちまったんだ……」

 茂はカメラ片手に、呆然と立ち尽くしている。


 不意に、ルイが目を開け、片手に持っていた杖を勢いよく一振りした。

 その瞬間、まばゆく光っていた杖も、ルイ自身も、足元の紋様もスッと消えた。

 

 再び辺りは真っ暗な森の静寂に包まれる。

「ル、ルイ……?大丈夫か?」

 暗闇の中に、茂は恐る恐る声をかけた。

 

 ルイがゆっくりと茂に向かって歩いてくる。

「ルイ!」

 カロ屋から漏れる明かりの中に、気丈な様子のルイの姿が入る。

「何があったんだ?大丈夫か?」

 茂は心配そうな顔をし、少し焦ったように言った。

「お、叔父さん……。杖、返すね……」

 そう言うと、ルイは一気に疲れたような顔をして、その場に倒れこんだ。

 咄嗟に茂が、杖とルイの身体を支える。

「うおっ!?ルイ、しっかりしろ!」

 茂はルイを抱えるように持ち、引きずりながら店の中に戻った。


 杖をレジカウンターに立てかけ、ルイをそのカウンターの横に置いてある丸い椅子に座らせる。

「あ、ありがとう……」

 ルイは、疲れたように微笑むと、カウンターに横向きにぐったりと突っ伏した。

 その声はルイのままだ。

「どうしたんだ……。杖の影響か……?」

 茂はルイと杖を交互に見た。

 ルイが軽くうなずく。

 茂は立てかけた杖を手に取った。

 杖はもう光ってはいない。

「ふむ……。なんだろな、魔晶石の力か?」

 そう言って小難しい顔をして、じっと杖を見た。

「それもあるけど……」

 ルイがゆっくりと起き上がり、乱れた髪を手で払うと椅子に座り直した。

「どうした?」

「杖の力は、きっかけでしかないよ」

 そう言って立ち上がる。

「きっかけ?」

 茂は不思議そうな顔をして類を見た。

 ルイはそのまま組子障子の戸の前に立った。そして組子障子の戸に手をかけ、振り向いて言う。

「叔父さんの作ったその杖は、すごいね。ルルアさんが言ってたっていう“クラフター”の力、さすがだよ――」そう言って弱くほほ笑む。「――叔父さん、ちょっと試したいことがあるから、俺、もう一度、異世界側に行ってくる」

「大丈夫なのか?」

 茂は焦ったように言った。

 ルイは、すでに戸の向こう側を見るように視線を組子障子に向けている。

「戸は、危ないから外しておいて。戻る方法を知ったから……」

 そう言うと、組子障子の戸を開け、ためらう様子もなくまっすぐに異世界側に出ていった。

「お、おい!どういうことだ!」

 茂は、作業台に杖を寝かせて置き、急いで類の後を追った。

 慌てて外に飛び出す。

 そこにルイの姿はなかった。

 茂は辺りを見回し叫んだ。

「ルイー!どこ行ったんだ!?ルイー!」


「叔父さん、危ないって……」

 冷静なルイの声。

「どこだ!?」

 その声を探すように、茂はキョロキョロと辺りを見回し、最後に上を見上げた。

「ルイ!?」

 見れば、店の前の小さな広場の上、ルイは木々の枝葉と同じ高さに浮き、以前、魔物を目撃した方向を見ていた。

「な、なんで……。お前、低空飛行の首飾り、下げてないよな?」

 茂は驚いたように言った。

「うん。俺には……、この姿の時には、もういらないみたいだ」

「どうしちまったんだ!?ルイ!」

 ルイは、眼下に茂を見て言った。

「説明は後でするよ。とりあえず試したいことがあるんだ。すぐに戻るから、戸は外しておいて!」

 ルイはそう言うと、東の空に向けて飛び立った。


「ル、ルイーーっ!」


 ルイを呼ぶ茂の声が遠くなる。


 ルイは、前に見た森の木々の上に浮く魔物を探していた。

(あの魔物、遠くに見ただけでもだいぶ大きかった……。あんなものがカロ屋の近くに来たら危険だ……)

 見世物小屋の魔物騒動の一件もある。

 何か起こってからでは遅い。


 ルイは以前見た記憶を頼りに、東へ東へと木々の枝葉の上ギリギリを飛んだ。

『カロ屋』の姿はもうどこにも見えない。

 ルイは宙で止まり、辺りを見回した。

「確か、この辺りだったような……」

 周囲には、明かり一つ無い真っ暗な森が広がり、それがどこまでも続いている。

 空は、見たことのない星の並びが、美しく輝いていた。

「……もう少し上に行ってみるか」

 ルイはそうつぶやくと、星空を見上げるように、さらに高く舞い上がった。

 

 どこからか、鳥か何かが羽ばたくような音が聞こえてきた。

(あ、この音)

 以前にも聞いた羽音だ。

(どこだ?結構近い……)

 ルイは目を凝らして木々の上を見た。


 少し離れた、ひときわ大きな木の上、その音の主はコウモリにも似た大きな羽を羽ばたかせ、宙に浮いていた。

 星明りに目を光らせ、ルイの方を向く。

「いた!この前の魔物……」


 魔物はルイめがけて勢いよく飛んできた。

 青黒い羽、丸い胴体、その胴体から虫のように生える四本の腕。

 羽を広げた大きさは、優に10メートルは超えそうだ。

 その数はこの前と同じ3体。


「……青空市で見たやつより、全然でかい。……こいつも低級なのか?」

 ルイは、少し驚いたように向かってくる魔物を見た。

 

 突然、魔物のうち1体が高度に飛び上がり、滑空の姿勢を取った。

 明らかにルイを狙っている。

 そして、ルイを切り裂いてやろうかというような、ものすごい勢いで飛んできた。

 ルイは身体を翻し、その動きをすれすれでかわす。

「……やはり低級なのか?たいしたことないな」

 そう言って、宙に浮く2体を気にしつつ、滑空してきた1体を見る。

 その1体は方向転換し、また高く舞い上がると滑空の姿勢を取った。

「そう同じ動きをされてもな……」

 ルイは様子をうかがい、少し考えたように魔物を見ると、「うん」とうなずいて魔物に向けて指をさし、人差し指をはじく仕草をした。

 その途端、勢いよく類に滑空してきた魔物の片羽が根元からバッサリと切れ、「ギャー」と声を上げて、バランスを崩し森の中に落下していった。

 それを見た2匹の魔物も、殺意もあらわに羽ばたきながらルイに突っ込んできた。

「めんどうだな……」

 ルイはそう言ってパチンと指を鳴らした。

 と同時に、魔物2匹は空中で大きな音とともに破裂した。

 その破片が飛び散り、真っ暗な森に落下する。

「こんな、呪文も魔術も使わないような超低級な魔法で片付くなんて……」

 つぶやくようにそう言うと、ルイは眼下に落ちていった破片を見下ろした。


 森の中に、ギャーギャーと、最初に羽を切り落とした魔物のうめき声がする。

 ルイは、その魔物を探すように森の中に降りた。

 木々の間に魔物を探す。

「どこだ……?」

 ルイは、気配を探るように目を閉じた。

(……見えた)

 そして足早に歩きだす。

 

 大きな木をなぎ倒し、魔物がうめき声をあげて転がっている。

 その横に、切り落とした羽が落ちていた。

「うーん、大きいな」

 近くで見る魔物は、黒く短い毛で覆われ、胴体は毛玉のようだ。

 その真ん中に緑がかった白い目だけが二つ付いている。

 うめき声をあげている割に口が見当たらない。

「どうなってるんだ?……――」ルイは再び右手の人差し指を魔物に向け「――まいっか」

 と、指をはじく。

 それと同時に、見えない空気の槍のようなものが魔物の胴体のど真ん中を貫いた。

「ギャーッ!」

 大きな断末魔とともに、魔物は動かなくなった。

 ルイは魔物の傍らに寄り、その死体をまじまじと見た。

「血が……出てない?……いや、変な液体は出てるのか。でも血ではなさそう」

 穴の開いた胴体から、樹液にも似た体液が湿る程度に漏れ出ているが、流れ落ちるほどではない。

「暗くてよく見えないし、丸ごと持って帰るにも大きすぎるな……」

 ルイはそう言うと、近くに落ちていた、最初に切り落とした羽を掴んだ。

「うわっ、でかい!」

 切り落とした羽も、5メートル近くありそうだ。

 ルイはその羽を関節の部分で折り曲げ、半分ほどの大きさに縮めた。

 それを抱えるように持つ。

 そして、後ろ髪を引かれるような視線を魔物の死体に送った。

「こっちは大きさ的に持って帰れないな……」

 そうつぶやいて宙に浮く。


 そのまま木々の枝葉の高さまで浮き上がると、『カロ屋』に向けて一気に飛んだ。


(叔父さん、戸を外してるかな……?)

 眼下に広がる真っ暗な森に目を凝らし、『カロ屋』のある小さな広場を探す。

「あ……」

 その小さな広場に、異世界側の『カロ屋』の瓦屋根が見えた。星明りに僅かに光を反射している。

「叔父さん……。戸は外しておいて、って言ったのに……」

 ルイは『カロ屋』の店先に降りた。

 そして傍らに魔物の大きな黒い羽を置く。

 組子障子の隙間から中は見えないが、明かりが僅かに漏れている。

「待っててくれたのか……」

 ルイは組子障子の戸に手をかけ、そして開けた。


「ルイ!!」

 茂は組子障子の前に立ち、ずっと待っていたかのように、少しの驚きと安堵の表情を浮かべ、ルイを見た。

「ルイ兄!!」

 その隣にアリサの姿も見える。

「た、ただいま……」

 ルイは気まずそうに言った。

 茂は、ルイのすぐ前に立つと、両腕を抱きかかえるかのように触れ「うんうん」とうなずいた。

 その笑顔の中に濃い疲労の色が見える。

「まず、良かった」

 茂は困ったような笑顔でそういうと、作業台の前にぐったりと座った。

「ルイ兄!」

 アリサはそう言うとルイのもとに寄ってきた。

 そして「パン」と一発、ルイの頬に平手打ちをした。

(へっ……?)

 驚いた表情のルイに、アリサは今にも泣きそうな顔をして抱き着く。

「ルイ兄のバカ!どうしてそう勝手に動くの!お父さんもあたしも心配したんだからね!」

 そう言って力いっぱいルイを抱きしめた。

「アリサ……。ごめんな、ありがとう」

 ルイはそう言うと、ほぼ同じ背の高さのアリサの頭を撫でた。

「一体何がどうしちまったんだ?」

 茂が作業台から、難しい顔をして言った。

 ルイは茂を向いた。

「叔父さん、表を見てほしい。この前の魔物……」

 ルイは言葉尻を濁し、組子障子を振り返った。

「魔物?」

 茂は訝しげに立ち上がり、そして組子障子の前に立った。

「だ、大丈夫なの?」

 アリサが不安そうに声を上げる。

 類はうなずいて言った。

「大丈夫。羽だけだから」

「羽?」

 アリサと茂は少し驚いた顔をして首を傾げた。

 茂が組子障子の戸から、外に出る。


「な、なんだこりゃ!?」

 茂のその声に、アリサも慌てたように外に出た。

 店の前、ルイが運んできた大きな魔物の羽が、そこに違和感を持って置かれていた。

 折り畳んであるとはいえ、その大きさは2メートル以上ありそうだ。

「ひっ!」

 アリサが軽く悲鳴にも似た声を上げ、茂の後ろに隠れるようにその羽を見た。

「……この前の魔物か?」

 茂は驚いた顔をしているが、声は比較的冷静だ。

「うん。大きいだけでたいしたことはなかったよ。たぶん低級な魔物だと思う」

 ルイは足元の羽を見て言った。

「こいつを退治してきたのか……。羽、店の中に置いても問題ないか?――」その問いに類がうなずく。「――じゃ、そっち持ってくれ」

 茂はそう言って、羽を掴み持ち上げた。

「……見た目より軽いな」

「そうだね」

 ルイも反対側の端を持ち、店の中へと運び入れる。

 アリサはその様子を、顔をしかめて見た。そして二人が店の中に入ると急いで戸を閉めた。

 大きな羽を作業台の奥の棚の間に置く。

「さて、ルイ……。説明してくれ」

 棚の奥からカウンター前に戻った茂は、ルイを振り返って言った。

「あぁ」

 ルイはそううなずくと、作業台の上に置かれた杖を手に取った。

「さっきも言ったけど、この杖の特殊能力がきっかけだよ」

 そう言って杖をまじまじと見る。

「ルイ兄、どういうこと?」

 アリサはカウンターの内側からその様子を見て言った。

「うーん、説明が難しいな。異世界側は、空気の中に魔力の粒子のようなものが混じってると思ってくれ。それでその魔力の粒子を取り込んで魔法が発動しているイメージなんだ。この“魔晶石を付けた杖”ってのは、その魔力の増幅装置のような役割をしていて、魔晶石自体が凝縮された魔力……、魔力の結晶体と言った方がいいかな」

「そ、そうなのか?」

「うん」

「なんか、よくわかんないんだけど」

 アリサが難しい顔をして言った。

「うーん、そうだな。簡単に言うと、魔晶石は魔力をエネルギーとする充電池みたいなもんかな。この魔晶石は、いま充電がMAXの状態にあるんだけど、使えば減っていくよね」

「じゃ、その杖の魔力を使ったってことか?」

 茂が腕組みをし、カウンターに寄りかかって言った。

「いや、使ってはいないかな」

「じゃ、どういうことなんだよ」

「うーん、俺の場合、杖がきっかけになって異世界側の魔力が俺の中に直に流れ込んできたんだよな――」ルイは丸い椅子にドカッと腰を下ろし「――……一度、魔力が通ってしまえば、あとは異世界に流動する魔力を自由に取り込んで使えるようになるみたいなんだ」

 そう言うと、やれやれと言った疲れた表情を浮かべた。

「じゃ、じゃぁ、あたしもその杖を持ったら魔法が使えるようになるの?」

 先ほどまでの不安顔はどこへやら、アリサは、ルイの話に目を輝かせた。

「どうかな……。叔父さんの“クラフター”じゃないけど、個人の特殊能力っていうのもあるからな。試してみる価値はありそうだけど……。それに俺はこの身体、生身じゃないから、そういうのもあるかもしれないし」

 ルイは足を組み、カウンターに頬杖をついて言った。

「お父さん!あたしも試してみたい!いいよね!?」

 アリサはそう言うと、カウンターの内側から小走りに出て、ルイが持っていた杖を手に取った。

「お、おいアリサ!それは特注の商品なんだぞ!乱暴に扱うなよ」

 茂が焦ったように言う。

「わかってる!」

「叔父さん、大丈夫だよ。俺がついて見てるから」

 ルイはそう言うと立ち上がった。

「ルイ兄、ありがとう!」

 アリサは意気揚々と外に出た。


 真っ暗な異世界の森に、涼しい風が抜ける。

「ルイ兄、どうすればいいの?」

 店の前から数歩広場に出て、アリサがルイを振り向いて言った。

「そこに、杖を立てるように両手で持ってみて」

「こう?」

 アリサはルイに向かって、言われた通り杖を立てた。

「うん」

 ルイがアリサの横に立つ。

 そしてアリサの手に右手を重ね、そして魔晶石に左手をかざした。

「たぶん、これでいいはず……」

 ルイはそうつぶやくと、魔晶石が僅かに輝きだした。

「えっ?」

 アリサは魔晶石を見た。

 魔晶石は徐々に光り輝き、その光が杖を伝ってアリサに流れ込む。

 アリサは驚いた顔をして言った。

「な、何この感覚!?湯気が体の中に入って来るみたい……」


「うーん、こんなもんだな」

 疲れた顔でそう言うと、ルイは杖とアリサから手を離した。

 途端に光が消える。

「大丈夫か!?」

 いつの間にか、茂がルイの後ろに立って様子を見ていた。

「お父さん」

「アリサ、杖ちょっと貸して」

「あ、うん」

 ルイはアリサから杖を受け取ると、両手に持って空に高く杖を掲げた。

「何してるんだ?」

 茂が驚いた顔で言った。

「魔力の補充。どうやらこれが俺の特殊能力らしい。……今アリサに少しだけ、流動してる魔力だけじゃなく、杖の魔晶石側の魔力も流れてしまったんだ……――」杖を降ろし、茂を見る「――特注品なんだろ?削れた魔力のままじゃ不良品だよ」

 ルイはそう言うと、魔力に満ちた杖を茂に渡した。

「そ、そうだな……」

 茂は杖を受け取ると、困惑気にルイを見た。

「その杖に宿ったクラフターの力は、魔力の増幅だけじゃなく、覚醒って要素も含まれているみたいなんだ」

「そうなのか?」

「うん。おかげで俺もアリサも、これで異世界に流動する魔力を取り込めるようになった。……多分、常に魔力を帯びた空気の中にいる異世界側の人間には不要の要素かもね」

「なんで?」

 アリサが訊ねる。

「こっち側の人間は、生まれながらにして、すでに覚醒した状態にあるんだと思う。だからこの世界で魔力が使えない人間は、本当に魔力の才能がないってことなんだろうな……」

 ルイはそう言うと遠い目をした。

 ルルアが言っていた“魔力主義”という能力差別を思い出した。

(アリサも、こっち側に関わるなら、ある程度魔力が強い方がいい……)


「“闇を切り裂く光となれ”」

 アリサのその声とともに、突然まばゆい光の線が森を貫いて走った。

「な、なんだ!?」

 茂とルイは、慌ててアリサを見た。

「何をしたんだ、アリサ!?」

 茂が心配そうな声を上げた。

 アリサも自分自身の手を見つめ驚いた顔をしている。

「アリサ?」

 ルイはアリサの様子をうかがった。

 アリサが驚いた顔のまま、ルイを見た。

「ルイ兄!今の見た?光ったよね?光ったよねっ!?」

「う、うん」

「何の魔法なんだ?」

 茂は顔をしかめて言った。

「えー、わかんない」

 アリサはそう言って困惑した笑顔を浮かべた。

「うーん、多分ただの光だな」

 ルイはアリサの横で、冷静な口調で言った。

「ただの光なの?えー、何も効果無いのー?」

 アリサは少しがっかりした顔をした。

「アリサ、試しにさっきの呪文、少し変えてみたらどうだ?」

「え?変えるって?どう変えるのよ?」

「うーん、“切り裂く”だから、光が切り裂くように飛んで行ったんだと思う。だから“闇を照らす光の玉”とか、そうしたら少し違う結果になるんじゃないか?」

 ルイは考えるそぶりで適当に言った。

「うう……。わかった。やってみる」

 アリサは少し不審な顔をしつつも、森の方向に向き直り両手を前に突き出した。

「……」

 茂もルイもその様子をじっと見守る。

「“闇を照らす光の玉……(あれ?この後って、なんて言えば?……あぁもう、適当!)よ、出でよ!”」

 その言葉を言い終えた途端、アリサの両手の間に、その間に収まるくらいの光の玉が現れた。

「おぉ!アリサ、やったな」

 茂が感嘆の声を上げる。

 アリサは自分の手の中にある光を見て驚いた顔をし、つぶやくように言った。

「……光が、留まってる」

「うん。予想通りだな」

「ルイ兄、これはどうなってるの?」

「どうって、呪文の通りだろ?“闇を照らす光の玉”。おかげで今、この辺りは明るいよ」

 アリサは辺りを見回した。

 光は小さな広場を明るく照らし、それを持つアリサの影が後ろに長く伸びている。

「これってもしかして……、ただの照明?」

「うん」

 ルイは疲れたように適当にうなずいた。

 アリサの顔が、ムッとした表情に変わる。

「それ以外の効果は?」

「ない」

 ルイのその言葉に、アリサは苦虫を噛み潰したような顔をし、光の玉でルイの頭を殴った。

 その途端光が消え、辺りが暗闇に戻る。

「お、おい、アリサ!何やってるんだ!」

 茂は焦って、アリサを見た。

 その横を、アリサは怒ったように通り過ぎ、店の中に戻っていった。

「ル、ルイ。大丈夫か?」

 ルイは、フラフラとしながらうなずいた。

「お、叔父さん、俺……。もう限界。眠い……。帰るわ」

 そう言って右手を額の前に置くと、ルイの姿が瞬時に掻き消えた。

「ル、ルイ!?……」

 茂は慌てて店に戻り、前掛けから携帯電話を取り出して、操作して耳にあてた。


 プルルル、プルルルと、数回の呼び出し音。

 ――「も、もしもし……。叔父さん」

「類か!?戻ったのか?」

 ――「うん。杖のおかげで、戻り方を知ったんだ。……でも、もう今日は限界。眠すぎて……」

 類の弱々しい声。

「大丈夫か!?おい!」

 ――「……」

 電話口の向こうに、類の応答はない。

「類!」

 茂は不安な表情を浮かべた。こめかみに冷や汗が流れる。

(ま、まさか、ぶっ倒れてるんじゃねーだろうな……?)

 ――「あー、殿の叔父上殿にございまするか?」

「へ!?」

 突然、電話口の向こうから聞き覚えのない変な声がした。

 ――「某、ミヤビと申しまする」

「おぉ!お前さんがミヤビか!それより、類は?類はどうした?」

 ――「殿はひどくお疲れのご様子。布団にて、すでにお休みになっておられまする」

「そ、そうなのか……」

 茂はミヤビの言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。

 ――「急用にございまするか?某が承りまする」

「あ、いや……。大丈夫だ。そっか……――」茂は一人納得するようにうなずいた。「――うん。また明日にでも連絡するからよ、起きたらよろしく言っててくれ」

 ――「はは!しかと承りました」

「うん、よろしくな」

 茂はそう言って電話を切った。

 携帯電話の時計の表示は、すでに午前1時を回っていた。

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