第13話 部屋の中で

 懇親会を中座した類は、足早に自宅マンションへと向かっていた。


 五番通りの“Hell See”から、連休の夜の賑やかな二番通りを抜け細い路地へと入ってゆく。


 部屋に着いたのは、午後10時の少し前だった。


「殿!おかえりなさいませ。どうされたのですか?」

 息を弾ませて帰宅した類を、ミヤビは不思議そうに見た。

「ただいま。明日、アリサが来ることになった。……はぁ、まったく。おかげでこれから掃除だよ」

 類は不満そうに言うと、斜め掛けのバッグを机の上に置き、流し台の前の通路に置きっぱなしになっていた愛から届いた宅配便の箱を開けた。

 中には、米の袋とレトルトカレーの箱がいくつかと、それから透明なビニール袋に入った何かの乾物が入っていた。

「なんだろう、これ」

 類はそのビニール袋を、中身を確認するように手に取った。

 雑草のような植物を乾燥させたそれは、どこかの特産品販売で購入した代物なのか、産地と品名、生産者のラベルが貼ってある。

「スベリヒユ?」

 類は首を傾げた。

 再び箱の中に視線を移せば、箱のすき間に、二つに折り畳まれた手紙が入っているのに気が付いた。

 そのピンク色の便箋を手に取る。

「“旅行先で見つけた珍しい乾物も一緒に送るので、キヨさんに渡してね!」――母より”

 手紙を読み上げると、類は大きくため息をついた。

「これは、叔母さんにか……」

 そのビニール袋を流し台の天板に置き、残りは箱に蓋をしてそのまま流しの下に押し込むようにガサゴソとしまう。

「殿、アリサ殿とは、どなたにございまするか?」

 ミヤビが机の端で、廊下にしゃがみこんでいる類を覗き込むように見て言った。

「あぁ、従妹だよ」

「ほぉ、いとこ殿でするか。ということは、殿と同じように我が創造主たる彼の御方の血を引く方にございまするか?」

「……そうだよ」

 類はそう言うと立ち上がり、廊下からクローゼットの前に移動した。

 頭が少しクラクラし、軽いめまいを覚える。

 とっさにクローゼットの扉に片手をかけた。

(セーブしたはずだけど、ちょっと飲み過ぎたか……?)

 額に手を当てて、目をつむる。

「と、殿!?いかがなされました?」

 目を細めて机を見れば、ミヤビが心配そうに類を見ている。

「ちょっと飲み過ぎたかも……。眠い……」

「それはいけませぬ。掃除は明日にして、今夜はもうお休みになられては?」

 ミヤビは部屋を見回して言った。

 一見すると部屋はきれいだ。

 しかしそれは、片付けられているというよりも、部屋の中に置いてある物の数が少ない、といった印象だ。

 類は、机側とは逆側になる壁に張ったポスターカレンダーを見た。

 それはピンク色の地に、露出度の極めて高い少女が怪しげなポーズをとって妖美な視線を送っているイラストが中央に描かれ、それを取り囲むように、12ヵ月の月日が配置されている。

(このカレンダーは……。アリサが見てもギリ大丈夫か?……ちょっとキャラの露出が高い気もしなくもないけど、一応カレンダーだしな)

 類は少しぼんやりした頭で一人納得するようにうなずくと、クローゼットから掃除機を取り出した。

(この時間に掃除機をかけるのも近所迷惑か……。でもまぁ、しょうがない。今夜だけだし)

 掃除機のプラグをコンセントに差し込み、狭い部屋に掃除機をかけてゆく。


 掃除機のヘッドを押し込むように机の下を掃除していると、吸い込み口に何かが引っ掛かり、掃除機が大きくうなった。

「あわわ!」

 類は慌てて掃除機のスイッチを切った。

 引っかかっていたのは、B5判くらいの大きさの、数ページからなる冊子だ。

 それはコピーしたものを中央で綴じ、二つ折りにしたような装丁のあまいものだ。

「っ!!な、失くしたと思っていた薄い本が、こんなところに……」

 類は酔いが醒めるほど焦り、顔が引きつった。

 そして拾い上げると、吸い込まれてクシャクシャになった部分を丁寧に伸ばし、大事そうに手に持って見た。

(ずいぶん前に買ったんだよな、これ……)

「殿!」

 ミヤビの声にハッとして目を向ける。

 そのあまり表情の読めない目が、薄い本を見て、いつになくニタッと笑っているように見える。

「春画でするか!?ほほぅ……。殿も、まだまだ血気盛んにございまする……」

「い、いや、春画じゃないから……。でも、現代の春画とも言えなくも……って、なんの話だ!」

「いやいや。某のことは、どうぞお気になさらずに……」

 ミヤビがクククと笑う。

「き、気にするなって……、うぅ」

 類は羞恥心に顔を引きつらせ、本の表紙を隠すように持つと、キョロキョロと部屋を見回した。

(こんな薄っぺらいのに、結構値段が高かったんだよな……。ま、内容は濃かったけど。でも、こんな物アリサに見られたら……)

 クローゼットの中に入れた収納箱が目に留まる。

(とりあえず、この中に入れておこう……)

 類は、収納箱の中に入っていた冬服の一番下に薄い本を隠すようにしまった。

「これでよし……(あとは、大丈夫だろう)」

 類はもう一度、部屋の中を見回した。


 机の上の時計は、すでに0時を過ぎていた。



 すっきりと晴れ渡った、連休最終日。

 類は茂からの電話で目が覚めた。

 ――「ずいぶん眠そうだな。もうすぐ昼だぞ」

「う……ん?」

 布団の中で目をつむったまま、ハンズフリー機能で通話をする。

 茂から“もうすぐ昼だ”と言われても、寝ぼけているのか類に起きる気配はない。

 ――「アリサに昼飯持たせるから、そっちで一緒に食ってくれ。戸は、はめておくからよ。……じゃぁ、頼んだぞ」

「うん……」

 類はどこかで返事をすると、また眠りに落ちた。


「殿ぉぉ!殿おお!!」

 どのくらい時間がたったのか、ミヤビがルイの寝ている蒲団の上で騒いでいる。

「殿おぉ!音が、ピンポンが鳴りやみませぬ!」

 そう言って布団の上を飛び跳ね、類の顔に思い切りジャンプした。

「うっ、ぐへっ!」

 類は、その衝撃でようやく布団から起き上がった。


 ピンポーン……

 ピンポーン、ピンポン、ピンポン、ピンポーン


 まるで子供のいたずらのように、何度も何度もインターホンのチャイムが鳴らされている。

(アリサだな……)

 類は布団から立ち上がると、寝起きでボーっとした顔のまま玄関のドアをガチャリと開けた。

「……はい」

 見れば、通路にアリサが可愛らしいキャスケットをかぶり立っていた。黄色いリュックを背負い、手には昼食が入っていると思しき紙袋を持っている。

 アリサは不機嫌そうな表情で、寝ぼけた顔の類を見た。

「いつまで寝てるの!?さっさと出てよね!」

 少し怒ったように言うと、アリサは類を押しのけて玄関に入った。

 短めのスカートの裾を気にしつつスニーカーを脱ぐ。そして、通路と流し台を見て言った。

「……思ったよりキレイね(料理なんて、してないんじゃないの?)」

「そりゃどうも……」

 類も、すっきりしない顔で言った。

 アリサは後ろにいた類に振り向いて、紙袋を差し出した。

「これ、お母さんから。お昼一緒にって、お弁当持たされた」

「あ、ありがと」

 類はそれを受け取ると流し台の天板の上に置いた。

「やだ、布団敷きっぱなしじゃん」

 見ればアリサが部屋の入り口で、あきれたように立っている。

「今、起きたところだからな……」

 類はボーッとして言った。

「おぉ!いとこ殿は姫にございまするかー!」

 机の上でミヤビが、アリサを見回して言った。

「あ!これがミヤビ?」

 アリサは目を丸くして机の前に立ち、黄色いリュックを机の上に置くと、ミヤビとその本体を見た。

「姫!お初にお目にかかります。某、名を“ミヤビ”と申します。よろしくお願いいたしまする」

「可愛いー!お父さんの言う通りだ。本当に動いてる!」

 アリサはミヤビに笑顔を向けて、物珍しそうに見ている。

 類はその間に、鈍い動きで掛け布団を畳み、クローゼットにしまおうとしていた。

「あたしはアリサだよ。ね?触ってもいい?」

 アリサは言うより早く、すでにミヤビに手を伸ばしていた。

「ひ、姫?あ」そして握るようにつかむ。

 アリサはミヤビの感触を確かめるように脇腹を撫でた。

「ひ、ヒャッハハ!!姫!く、くすぐるのは、ご、ご容赦を……」

「へー。硬めのスポンジみたい。おもしろーい」

 ミヤビがアリサの手の中でもがいている。

「アリサ、あまりミヤビをいじめるなよ」

 掛け布団をクローゼットに押し込みながら類が言う。

「いじめてないじゃん」

 アリサはそう言ってチラッと類を見ると、机の上にミヤビを戻した。

 ホッとした様子のミヤビ。

「で、ルイ兄。早くあの女の人、動かしてるところ見たいんだけど」

 アリサが振り向き、机に後ろ向きに手をついて寄りかかるように類を見た。……が、視線は類から外れ、そのまま壁のセクシーなイラストのポスターに移った。

 アリサの顔が引きつる。

 類はそれに気づき、気まずい表情をした。

「こ、このド変態!」

 アリサが軽蔑するようなまなざしで類を見た。

「な、なんでだよ!こ、これはカレンダーだ!普通だ、普通!」

 類は取り繕うように言った。

「左様。そこな画などたいしたことはございませぬ。先ほどの春がっ――」類はクローゼット前から勢いよく机の上にいるミヤビを掴んだ「――モガっ!モガっ!」

 そして、慌ててミヤビを隠すように持つとアリサに背を向け、壁際で小声ながらも怒るように言った。

「おい!ふざけんな!アリサの前で薄い本の話はするなよ」

 ミヤビが類の手の中で“うかつ”とばかりにうなずいた。

「何してるのよ」

 アリサがその様子を見て、不審そうな顔をしている。

「な、何でもない。そ、そうだ、パソコン立ち上げないとな……」

 敷布団をそのままに、類は焦ったようにアリサの横に立った。

 ミヤビが類の手から机の上に飛び降りる。

 類はパソコンのスイッチを入れた。

「起動するまで少し待って」

 類はそう言って椅子に座り、デバイスの準備をした。

「あ!これ、組子障子の紋様だ」

 サブモニタに映し出された壁紙を指し、アリサが言った。

「あぁ。写真からトレースしたんだ。ミヤビはそこから出てきたんだよ」

「えっ、この画面から!?」

「そうだよ……」

「へー。不思議だなー」

 アリサはサブモニタをまじまじと見た。


 マウスを操作し、画面の中にキャラクターを表示させる。

「ほら、アリサ。準備できたぞ」

 類はそう言うとVRのヘッドセットを片手に持った。

「今日もお美しゅうございまする……」

 ミヤビがメインモニタの前に立ち、映し出された静かに佇むキャラクターを食い入るように見つめ、つぶやくように言った。

「あー!ほんとだ……。本当にあの人だ……」

 アリサもメインモニタを見て、驚いたような顔をした。

「これを、紋様にくっつけると……」

 類はマウスを操作し、画面内のキャラクターをその後ろの紋様に触れるように移動させた。そしてVRヘッドセットを装着する。

 画面が白くなり、すぐに『カロ屋』の薄暗い店の中が映し出された。

「あー!お店の中だ」

 作業台の前にいた茂が、こちらに気づき手を振っている。

「お父さんだ……」

 アリサがボソッとつぶやいた。


 茂は立ち上がり、ルイを見て言った。

 ――「お、来たな」

 スピーカーから茂の声が聞こえる。

 

「「来たよ。アリサがすぐ隣にいる」」

「そうなのか。アリサ、聞こえるか?」


「聞こえるよ!どうなってるの?これ」


「「(アリサの声、すぐ横にいるからマイクは拾っているはず)……叔父さん、今のアリサの声聞こえた?」」

 ルイが確認するように言った。

「いや、聞こえないな。こっちの声は聞こえてるのか?」

 茂は不思議そうな顔でルイを見た。


「えー?あたしの声、聞こえてないの?ねえ、ルイ兄。あたしもそれ操作してみたいんだけど」

 アリサは類が着けているVR用のヘッドセットを指して言った。

「そうだな」

 類はVR用ヘッドセットをずらし、モニタを見た。

 VR用ヘッドセットの画像とモニタの画面が連動していることを確認すると、机の上にVR用ヘッドセットを置き、立ち上がった。

「アリサ、座って」

「うん!」

 アリサは楽しそうにうなずくと、さっそく椅子に座りモニタを見た。

「どうすればいいの?」

「これを着けて……」

 類はVR用ヘッドセットをアリサに渡す。

「わかった」

 アリサは帽子を取り、髪を軽く直すとVR用ヘッドセットを装着した。

「あれ?視界が真っ暗だよ?」

 そう言って、両手でVR用ヘッドセットを押さえる。

「え?そんなはずは……」

 モニタには『カロ屋』の店内と、こちらの様子をうかがっている茂が映し出されている。

「何も映ってない?(モニタと連動してるはずなんだけど)」

 類がアリサに言った。

「うん。真っ暗」

「ちょっと見せて」

 そう言うと、類はアリサの頭からVR用ヘッドセットを外し、ゴーグル部分を覗き込んだ。

「あれ?ちゃんと映ってるけどな……、ほら」

 そして、アリサにも見えるように差し出す。

「えー!?真っ暗じゃん。ぜんぜん映ってないよ」

「どういうことだ……。俺にしか見えていないのか?」

 互いに訝しげな表情をする。そしてアリサは若干不機嫌そうだ。

 ミヤビがメイン画面前から振り返って言う。

「さもありなん。それは、殿の依代にございまするゆえ……」

「ん?そうなのか?」

 類がミヤビに言った。

「どういうこと?」

 アリサも不満そうに訊く。

「この美しき依代は殿の手によって作り出されたものにございまする。ゆえに、中に依ることができるのも殿だけではないかと……」

「えー……、そうなの?」

 アリサが落胆の声を上げる。

 そしてムッとした顔で頬杖をつき、モニタを見て言った。

「あーあ、せっかく来たのに……。ま、でも、そんなことじゃないかとちょっとは思ってたけどね」

 類が横からアリサの様子をうかがい、慎重に言った。

「……そうなのか?」

「うん。前にルルアさんが店に来たときにさ、お父さんの“クラフター”っていう魔法の特殊能力の話をしてたんだけど、なんていうの?その人限定の魔力?みたいな?……はぁ、よくわかんないけど。だから、ルイ兄が作ったんなら、ルイ兄の特殊能力?で動いているのかなと、ちょっと思った」

 アリサはそう言うと、姿勢を変え、背もたれにぐったりともたれた。

(意外に素直だな……)

 類は、アリサが操作できないことに対し、もっと理不尽な反応をするのではないかと身構えていたが、予想外の静かな反応に内心ホッと安堵した。

 そして顎に手を当て、もう一度、考えるようにモニタを見る。

「うーん(特殊能力か……)」

 ミヤビに視線を移す。

「ミヤビを作ったのは閏お爺ちゃんなんだよな……。でも、お爺ちゃんが操作しているわけじゃない……」

「そうだよね。だとすると、なんで動いてるんだろう、これ」

 アリサも不思議そうにミヤビを見た。

 ミヤビは照れたように、軽く咳払いをすると言った。

「お、オホン。某は、彼の御方と殿、両方のお力により自我を持ち具現したのでございまする。いわば、彼の御方が母、殿が父のような存在にございまする」

「ひっ!……(そういや、そんなこと言ってたな)」

 類は苦笑した。

「お爺ちゃんが母?でルイ兄が父???」

 アリサがあきれたように半笑いをして類とミヤビを交互に見た。

 類は苦い顔をし、目をつむってひたすら首を横に振った。

「お、俺は紋様の影響だと思う。……閏お爺ちゃんに貰ったカロ婆の本に、この紋様が載ってたんだ」

 そう言ってサブモニタの画面に映し出された紋様を示すと、机の上に乗った『カロの日記』を手に取った。

 そして、紋様が描かれたページを開く。

「ほらここ……。ここに、ミヤビを……、その紙人形を挟んだら、サブモニタの紋様からミヤビが出てきたんだ」

「へー……。じゃあさ、紋様と、お爺ちゃんとルイ兄の特殊能力が全部影響してるってことなんじゃない?」

「うーん……(そんなことなんだろうか?)」

 ミヤビの本体である竹ひごと千代紙で作られた武者人形は、閏が暇つぶしに作った代物だ。そして『カロの日記』は、元は閏が所持していた。

 もし、ミヤビの本体を『カロの日記』に挟んだのが類ではなく閏だったとしたら、どんな結果になっていたのか。

 そう思いつつ、「まぁ、そんな感じか」と類は適当に相槌を打った。

 そしてサブモニタに映し出された紋様を見る。

「そういや、俺が図案を考えたわけじゃないけど、この紋様をトレースしたのは俺だな……。そういうことも影響してるのかもな」

「やっぱり、ルイ兄の特殊能力なんだって。お父さんの“クラフター”と同じだよ。何の能力なのかわかんないけど。でもそれって一種の魔力だよねー」

 アリサは類を、物珍しそうに見た。

 ――「おーい!ルイー、アリサー!どうしたんだー?」

 先ほどまで画面にチラチラと見切れるように映りこんでいた茂が、動かなくなったルイを心配するような顔をして画面の中にドアップで映った。

「うわ!お父さんキモイ!!」

 アリサが顔を引きつらせて、手で机を押し、座っている椅子をモニタの前から遠ざけた。

「あ……、いったん終了させよう」

 類はそう言うと、ヘッドセットのマイクに向けて言った。

「……叔父さん?いったん終わらせるよ」

 そしてアリサの前に手を伸ばし、マウスとキーボードから操作をする。

 ――「お、おう……」

 メイン画面に映っていた『カロ屋』の店内は消え、再びキャラクターが紋様の壁紙の前で静かに佇む画像に変わる。

 アリサは頬杖をついて、静かにキャラクターを見つめた。

「ねぇ、ルイ兄……」

「ん?」

「このキャラ、何て名前?」

「え?」

 類は返答に困った。

(そういえば、なんていう名前だ?)

 津田のデザインしたこのキャラクターは、ファイルナンバーから取った“シイ”という仮称が付けられていたのだが、その名前の浸透度は低く、皆好き勝手な名前で呼んでいた。

 類は、そのデータのファイル名を見た。

“chr0041”

「……チャーシュー?だったか?(でも正式名称じゃなかったような……)」

「なんか、その名前、微妙……」

 アリサはそう言うと、横に立っている類を上目遣いで見た。

「な、なんだよ……」

「んー……、このキャラは、やっぱ“ルイちゃん”の方が合ってるかも!」

 そう言ってニヤッと笑う。

「どういう意味だよ」

 類は少し嫌そうに言うと、パソコンに取り付けていたデバイスを片付けた。


「あ、お父さん?」

 いつの間にかアリサが、椅子にもたれかかったまま茂に電話をしている。

「うん、そう。うんうん。試したいから、よろしく!じゃーねー」

 そう言って電話を切ると、左側に立つ類を見て何かを企んでいるような顔をした。

「な、なんだよ……」

「ルイ兄、もう一度“ルイちゃん”を起動させて」

 類は、若干ためらいつつも「しょうがねーな」と、再び“chr0041(仮称シイ)”をモニタに映した。

「ほら、できたぞ。どうするんだ?」

「今ね、組子障子の戸は外してもらってるんだ」

「へ?そうなのか?」

「うん!その状態で“ルイちゃん”を起動させたらどうなるのかと思って」

 そう言って、アリサはニヤニヤとしている。

「……言われてみれば」

 類はミヤビを見た。

 ミヤビは『カロ屋』の組子障子とは関係なく、サブモニタの紋様から出てきた。しかし、“ルイ”は『カロ屋』の組子障子の紋様から出てきた。

 その違いは何なのか。

「試してみる価値はありそうだな」

 類はそう言うと、マウスを操作し、“シイ”を紋様に触れさせた。

 画面が真っ白になる。

「ど、どうなるんだろ?」

 アリサがメインモニタを食い入るように見つめた。

 突然、サブモニタの紋様が鈍く輝きだす。

「えっ!?」「へっ!?」

 アリサと類は驚き、二人同時に声を上げサブモニタを見た。


 サブモニタに映し出された紋様から、“ルイ”の頭がヌッと強引に出てきた。

「ひっ!」

 二人は顔をひきつらせた。

 長い髪で顔が隠れ、ゆっくりと画面から出てくるそれは、まるで某ホラー映画のワンシーンのようだ。

 死体のようにぐったりと出てきた “ルイ”は、モニタから上半身を垂らし、机から床に逆さまになった。

 とっさに類が支える。

「ひ、ひぃぃ、結構重い」

 類は“ルイ”を抱きかかえると、そのままモニタから引きずり出し、敷きっぱなしになっていた布団の上に寝かせた。

 アリサはその様子を、顔をしかめて見ていた。

「な、なんでこっちから出てきた……!?」

 類は青い顔をして布団の横に正座し、寝かせた“ルイ”を見た。

「う、動かないの……?」

 アリサが椅子の背もたれに隠れるように、恐る恐る言った。

 ミヤビが机の上からその様子をじっと見ている。

「うーむ。某には、具現するに適した紋様が塞がれていたゆえ、それに近い紋様から出てきたように見受けられまする」

 ミヤビは“ルイ”を見て考えるように言った。

「そ、そうなのか……?やはり、紋様の物理的な大きさが関係しているのか……」

 類は“ルイ”を覗き込み、その顔を見た。

 目をつむった“ルイ”は、穏やかに眠っているように見える。

 顔もとに耳を近づけ、呼吸を確認する。

「……息は、してないんだな」

 アリサも椅子から降り、類と向かい合うように布団の横に座った。

 そして類と“ルイ”を見る。

「ねぇ。……やっぱり動かないよね?操作してるのがルイ兄だから?」

「……かもな」

 類はアリサ越しにモニタを見た。

 そこには何も映っておらず、ただ真っ暗い画面が表示されている。

「これ、生きてるの?」

 アリサが“ルイ”を、顔をしかめて見て言った。

「……どうかな」

 “ルイ”はそもそも“生きている”という概念の範疇にない。CGが具現化した人形のようなものだ。

 もし、その人形に命があるとしたら、それは類が操作しているときということになるだろう。

(初めて見たけど、なかなかよくできてるな……)

 類にとって、等身大の“ルイ”を客観的にみるのはこれが初めてだ。

 時間をかけてモデリングした “ルイ”は、類にとっていわば作品の一つだ。

 類は作品である“ルイ”を作成ミスは無いかと、頭の先から足の先まで注意深く見た。

「うわ、靴履きっぱなしか!」

 汚れてはいないにしろ、外履きのまま布団の上に寝かせているのは、いささか抵抗がある。

 類は慌てて、“ルイ”の足首を手に取った。

 そして強引に“ルイ”が履いているショートブーツを脱がせようとした。

「あ、あれ?取れない!」

「何してんの?このタイプのブーツは横にジッパーがあるはず……」

 アリサもそう言って、もう片方の“ルイ”の足を持ってブーツを掴んだ。

「あ、あれ?ない……。これじゃ脱げないよ。このブーツ、マジどうなってるの?」

 アリサは足首を持ち上げて、覗き込むように見た。

「……うーん。アバターなんて、こうやって靴を脱がせることなんて全然想定してないからな……」

 類はそう言うと、あきらめてブーツから手を離し、布団の横で胡坐をかいて足の上に頬杖をついた。

「ねぇ、ルイ兄」

「うん?」

「この状態だと、“ルイちゃん”をもう操作できないの?」

 アリサがルイの横で膝立ちになり、サブモニタを振り返り言った。

「どうだろ」

 類は立ち上がった。

 そして布団を回り込んで机の前に立つ。

 試しに、マウスやキーボードを動かしてみるも、“ルイ”の方に反応はない。

「動かないな……。ダメみたいだ。画面も真っ黒のままだ」

「さっきみたいに、“ルイちゃん”を終了させれば、消えるんだよね?」

 アリサが不安そうな表情を浮かべ言った。

 その視線は、“ルイ”に向けられている。

「そうだな……。たぶん」

「だって、このままじゃ、なんか気持ち悪いもん。美人だけどさ……。リアルだし、死体みたい……」

「お前、死体ってそんな言い方……」

 類も、マウスに触れたまま振り向き、横たわる“ルイ”を見た。

(見えなく……はないか)

 類は苦笑した。

 アリサは、“ルイ”の頬に手を当てて言った。

「死体じゃなくてもさ、こんな等身大の人形みたいなの……。こうやって布団になんか寝かせてたらさ、マジやばいって。完全にヤバい人だよ」

 その言葉に類はハッとした。

(ら、ラブドール……)

 思わず赤面し冷や汗が出る。

「いや、ち、違うから!俺は、布団にそれ寝せてても、何も変なこととかしないから!」

 類は慌てたように首を振って、何かを否定した。

「はぁ?……何言ってんの?」

 墓穴を掘った類に、アリサの冷たい視線が刺さる。

「うっ」

「へー、変なこと考えてたんだ……」

 アリサが低い声で言った。

「と、とにかく、このままじゃ邪魔だし、終了させよう!」

 類はごまかすようにキーボードを操作し、急いで終了コマンドを打ち込んだ。

 Enterキーを押したと同時に、“ルイ”が、ガラスのような光の粒となって霧散するように消えた。

 それを見て類は「はぁ」と、大きくため息をついた。

「あーあ、期待外れ。あたしも操作できると思ったんだけどなー」

 アリサはそう言うと立ち上がって、両手を天井に向け伸びをした。

「ま、操作してるとこ見れたから、いっか。とりあえずお昼食べようよ、ルイ兄。せっかくお弁当持ってきたし」

 アリサは、そう言うと部屋を出た。

「そうだな……」

 類は、アリサが流し台の上に置かれた紙袋を取りに行っている間に、敷布団を畳んで部屋の隅に押しやった。 

「あれ?何これ」

 アリサが流し台の前で言った。

 紙袋の横にあった“スベリヒユ”の乾物の袋を手に取り、不思議そうに見ている。

「あ、それウチの母さんから、叔母さんに渡してって。どこかのお土産らしい……」

「へー、そうなんだ。珍しいものなのかな?じゃぁ、これはあたしが持って帰るよ」

 アリサはそう言うと、弁当の入った紙袋を類に渡し、乾物の袋を黄色いリュックにしまった。


 アリサは紙袋から取り出したキヨの手作り弁当を、部屋の床の上に並べた。

 それを囲むように向かい合わせに座る。

「叔母さん、わざわざ作ってくれたの?」

「うん。別にコンビニで買うからいいって言ったんだけどねー」

 アリサは水色の弁当の蓋を開けて言った。

 類も黒い色の弁当を手に取った。

 中は、和風のおかずを中心にしたシンプルなものだ。

「叔母さんの弁当、久しぶりだな……」

 類はそう言うと、隅に入っていたひじきの煮物を一口食べた。

(……懐かしい感じだ)

 今でもたまに、キヨの作ったおかずをもらうことはあっても、弁当として食べる味はまた別だ。

「そういえばさ、昔、ルイ兄ってなんでウチに住んでたの?」

 アリサが厚焼き玉子を箸でつまんで言った。

「……うーん、いろいろ事情があったんだよ。それに、叔父さんちから高校に通った方が近かったからな。それが一番大きな理由かな。『カロ屋』からなら自転車で10分だけど、家からだと徒歩と電車で2時間はかかったからなー……」

 類はそう言って、昔を思い出すように遠い目をした。

「へー」

「結局、なんだかんだで大学4年までの7年間、皆川家に居候してたしな……」

「あたしの部屋、前はルイ兄が使ってたんだよね。なんとなく覚えてる」

「あぁ、そうだな。お前、俺が夜勉強してると部屋によく邪魔しに来てたもんな。“一緒に寝るー”とか言って、あはは」

 類はそう言って笑った。

「それ、あたしが幼稚園か小学生の時の話でしょ!もう、本当に兄だと思ってたのに……。違うって知った時はショックだったんだからね!」

 アリサは口をへの字にして言った。

「別に、似たようなもんだろ。実際、血のつながりはあるんだし。俺は今でもアリサのこと妹だと思ってるよ」

 そう言ってほほ笑んだ。

「うぅ……、べ、別にあたしだって……。ルイ兄は、ルイ兄だよ」

 アリサは少し照れたようにそう言うと、視線を外し卵焼きをかじった。


 机の上で、ミヤビはその様子を微笑ましく見ている。

 モニタの横に置かれたデジタル時計は13:24分を表示していた。

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