第2話 配置菓子

 原野中駅の西口からほど近い場所に建つ大きなオフィスビル。

“株式会社ローリカー”の本社だ。その3階に翔太が所属する営業部が入っている。

 課ごとに3つの島に分かれて並べられたデスクは、みな不在か席を立っていて、フロアにはほとんど人がいない。

そんな中、窓に近い明るい場所に、サイド付きのデスクに座る一人の女性がいた。

 紅紫だ。

 彼女は、細い縁の眼鏡をかけ、髪をひとまとめに結いあげている。一見すると気難しそうに見える細身の美人だ。高校生の息子がいるという話だが、とてもそうは見えないほど若々しい印象を受ける。

 紫は左上を綴じられたA4の書類を片手に持ち、ペラペラとめくると、島の真ん中の机にいる翔太に声をかけた。

「梅原君、これ、OKよ。決裁が下りたわ」

「ほんとですか!ありがとうございます」

 翔太は席を立ち、紫のもとに小走りにやって来た。

「カロ屋さんね。このお店の集客は低そうだけど、“クランチョコ”のファンの子がいるなら、まあまあ期待はできそうね。それにアオミドロ薬局さんと同じ通り沿いだし、まとめて補充に行けるわね」

「はい!」

「アオミドロ薬局さんとは客層が違うだろうから、競合しないとは思うけど……、一応アオミドロ薬局さんの売り上げの推移を見ておいてね。場合によっては、カロ屋さんとアオミドロ薬局さんとで、配置菓子の種類を変えるというのも手よ」

「はい!わかりました。さっそく準備してカロ屋さんに行ってきます!」


 オフィスの2階は、配置菓子用の物品庫になっている。菓子の種類ごとに棚に分けられて収納され、そして主力商品である“クランチョコ”が最も多くの棚を占領している。

 翔太は一番小さい配置菓子用の箱と、棚からそれに入り切る分の菓子を見繕った。

(うーん……。アリサちゃんは“クランチョコ”が大好きみたいだから、少し多めがいいかなぁ……)

 菓子の選定は、担当者が配置先の要望と状況に応じて臨機応変に中身を変えることができる。それは売り上げを左右するもので、腕の見せ所でもある。

 翔太は棚を行ったり来たりし、他にアリサが好きそうな菓子を2、3種類選んだ。

「よし、カロ屋向けの配置菓子セットはこんなもんだろ」

 翔太は営業で持ち歩いている大きなカバンにそれを入れると、棚の端に置かれたノートパソコンの在庫表を記入して、意気揚々とカロ屋へ向かった。


 店の前、翔太は会社を出た時の軽快さはどこへやら、複雑な表情で、カラスドアを開けるのをためらっていた。

 ドアに下げられたプレートは“OPEN”の文字。しかし、ドア越しに見る店の中は真っ暗で、人の気配がまるでしない。

(どうしよう……)

 不安気味に、ドアに手をかけゆっくりと引き開ける。

 上部のドアベルがカラコロと鳴る。

「ごめんください。ローリカーの梅原です」

 店の入り口からはスチール棚が視界を遮り、奥の様子がよく見えない。

「すみませんー!梅原です」

 もう一度声をかけるが、誰も出てくる様子がない。

(うぅ……、まいったな。連絡はしてあるはずなのに……。もう一度、電話を入れてから来ればよかった)

 肩から掛けたカバンの太い紐をかけ直し、入り口から見える範囲で店の奥を見る。

 通路以外は、奥に棚があることがようやくわかるくらい段ボール箱が積み重なり、今にも崩れそうだ。

 翔太は意を決して、レジカウンター前まで足を踏み入れた。

 レジカウンターと右奥の棚の間には、この前来た時には無かった小さな作業台が置かれ、その上に木製の、何かの動物を模したオブジェが作りかけで乗っていた。床に木くずが散乱している。

「ごめんくださいー!」

 レジ奥の、従業員スペースと思われる方に向けてもう一度声を張る。

「はーい」

 奥から、微かに女性の声で返事が聞こえた。

(よかった……)

 翔太はほっと胸をなでおろし、その方向を見た。

 ガタガタと音がして、やがてレジ奥のドアが開いた。

 出てきたのはキヨだ。

 上下スエットに、バリスタエプロンという、ちょっと変わった格好をしている。

「はい、いらっしゃい」

「あの、わたくし“株式会社ローリカー”の梅原と申します。あの……」

「あぁ、お菓子の件ね。主人から聞いていますよ」

 キヨはレジカウンターの内側に立つと続けて言った。

「さっきまでいたんだけど、急に買い出しに行くって飛び出して行っちゃって……」

 そう言って、作業台の方を見る。

「そうなんですか……。あのう、さっそくですが昨日お電話でお話しした、配置菓子の箱を置かせていただきたいのですが……」

「えぇ、このカウンターの端でいいかしら?アリサとも相談して、置くならここがいいんじゃないかって言ってたんですよ。ほほほ」

 キヨは、L字になっているレジカウンターのレジが乗っている方とは逆の端を指した。

「わかりました。ではここに置かせてもらいますね」

 翔太は、カバンから配置菓子用の箱を取り出した。

 奥行き25センチ、高さ・幅ともに30センチの濃いピンク色の箱は、雑多なカロ屋のレジカウンターに置いても邪魔にならない大きさだ。箱は3つに区切られ、それぞれ小さな扉がついている。そのうちの一番大きなスペースに“クランチョコ”は入れられていた。

「この横にお金を入れると、扉が開く仕組みです。そうすると下からお菓子が出てきますので……」

 翔太は簡単に説明をした。

 キヨは珍しそうに箱を見た。

「これ全部100円なの?」

「はい。配置菓子は一律100円になっています。“クランチョコ”は2個、こちらのウエハースとチョコサンドは1個100円ですね」

「アリサのお気に入りは、これね!」

 キヨは、箱の中の“クランチョコ”を指した。

「アリサが帰ってきたら喜ぶわよ!あの子、今日お菓子が来るのをすごく楽しみにしてたのよ」

「そうなんですか?」

 翔太は、その言葉に少し嬉しさを感じた。

「えぇ、夕方帰ってきたら、さっそく買うんじゃないかしら?このチョコ、あの子だけで無くなりそうね」

 キヨは笑いながら言った。

「その時はすぐにご連絡ください。急いで補充に伺いますよ」

そして、キヨに一通り解説すると、翔太は気持ちよくカロ屋を後にした。


 ――その日の夕刻

 西の空は、太陽が残した赤みがまだ薄っすらと残っていた。

「ただいまー!」

アリサは学校から帰宅すると、玄関から真っ先に店のレジカウンターにやってきた。普段であればすぐに着替えに自分の部屋に行ってしまうのだが、この日は違っていた。もちろん目当ては配置菓子だ。

「お菓子!」

 アリサは配置菓子の箱を見つけると、小銭入れから100円を取り出し、さっそく投入口にそれを入れた。

 カチッと、ロックが外れる音がして“クランチョコ”の扉が開く。

「えへへっ!家で“クランチョコ”が買えるなんて最高!」

「こら、アリサ、はしたないぞ」

 レジカウンター前の作業台で、木を削っている茂がはしゃいでいるアリサを見て言った。

「あ、お父さんいたんだ」

 アリサはすぐ目の前にいた茂に全く気付いていなかった。

「ひどいなぁ、ずっといたぞ」

「何してるの?」

 アリサは制服のまま“クランチョコ”を一つ食べながら、レジカウンターに寄りかかって茂の様子を見た。

「これか?」

 そう言って茂は、製作中の木の細工物を持ち上げてアリサに見せた。

 それは大人の男性のこぶし大くらいの大きさで、やや平べったく、正面を向いて口を開いたライオンのような形をしている。

「この前メールで来てた特注品だよ。兜に着ける飾りだそうだ」

「へぇ……。プラスチックのおもちゃで似たようなのありそうだけど?」

「木製がいいんだと。だからうちに依頼が来たんだろう。こういうのは大変だが、いい値段になるからな、ガハハ」

 茂は削り具合を確認すると再び作業を始めた。

「ふぅん……」

 そんなものを付ける兜って一体、とも思ったが、カロ屋の取り扱っている商品を見れば、真っ当な兜ではないことは容易に想像が付く。

 アリサは興味なくうなずくと、配置菓子のピンクの箱を持ち上げて裏と表を交互にクルクルと回して見た。

 箱の裏に、ネジで止められた小さな四角い部分を見つけ、手を止める。

「あれ?電池入ってるの、これ?どういう仕組みになってるんだろ?」

「こらアリサ、いじって壊すなよ」

 茂が横目に言う。

「はいはい」

 アリサが箱を戻し、レジカウンターから休憩室に戻ろうとした、その時だ。

 突然、組子障子がガラッと開き、息を切らしたセイランが入ってきた。

「こ、こんにちはー!」

「せ、セイランちゃん?!」

「おぉ?いらっしゃい」

 驚くアリサと茂。

「ど、どうしたの?」

 アリサはカウンター越しに声をかけた。

セイランは息を切らしたまま答える。

「はぁはぁ……、こ、この前のお菓子、まだある?」

「うん!ちょうど今日入ったところだよ」

アリサはニコッと笑って答えた。

「よかった!はぁはぁ……。大銅貨1枚だよね?ルルア先生が言ってた」

「そうだよ。でも、どうしたの、走ってきたの?」

 アリサは不思議そうに、息を切らしているセイランを見た。

 セイランはこの前と同じガールスカウトのような服装をしている。が、よく見れば、ところどころに藪を抜けてきたかのように葉っぱと小枝がついている。

「うん、途中で魔力が尽きちゃって……。でも大丈夫、そこから森の中を急いで走ってきたから!」

 セイランは息を整えて言った。

「そりゃ大変だったな」

 茂はご苦労様とばかりにセイランを見た。

「うん!ルカと一緒だったら平気なんだけどね」

 セイランは、服についた葉っぱや小枝を払い落しながら答えた。そして腰に付けた小さなカバンから大銅貨2枚を取り出し、それをアリサに渡す。

「チョコください!」

 アリサは「はい」とそれを受け取ると、レジを開け、大銅貨と100円とを入れ替えて手に持った。そして配置菓子の箱の投入口に100円を1枚入れる。

 カチッと音がして、“クランチョコ”が2つ出てきた。

「うわぁ」

 セイランが目を丸くしてその様子を見る。

 アリサはもう1枚100円を入れ、再び“クランチョコ”を2つ取り出した。

「はいどうぞ」

 アリサはセイランの手の平に“クランチョコ”を4つまとめて置いた。

「ありがとう!」

そう言うと、セイランはさっそく1つ食べ始めた。

「おいしい!!」

 そしてアリサに向けてガッツポーズをする。

「うん、よかったね」

 アリサはニコッと笑った。

「魔力全回復!さすがカロ屋のチョコ!最高!」

「魔力?」

 アリサは首をかしげた。

「うん!この前食べたとき、ちょっと気になったんだ。先生とルカは、魔力が減ってなかったからわからなかったみたいだけど、このチョコ、魔力全回復するよね!」

「そ……、そうなんだ。私もわからなかったなぁ」

 アリサは引きつった笑顔で答えた。

 茂も苦笑いをしながら「ほぉ……」と言って、作業を続けている。

「そうだよ!すごいんだよ!だからこれで帰りは安心」

 セイランはそう言って胸に下げていたペンダントを握りしめた。

 それは、ルルアが身に着けていたものと同じ、低空飛行用の扇形のペンダントだ。

「他にご用はある?」

 アリサがやさしく聞いた。

「あ、そうだった……。えっと……」

 セイランは思い出したように、カバンから4つ折りになった紙を取り出した。

「これを……、お母さんに頼まれてきたんだった」

 そう言ってアリサに渡す。

「これは……?」

 アリサは紙を開いて見た。

 B5くらいの大きさのその紙には、以前、茂が町田に作った “魔法の杖”と似たものの図が、縮尺とサイズのような書き込みながされて描かれていた。

「お父さん、これちょっと見て」

 アリサはレジカウンターから茂に紙を差し出した。

 茂はヨッコイショと立ち上がり、カウンターの前に立ってそれを受け取った。

 そして老眼鏡をかけ、真剣なまなざしでその紙を見る。

「うーん……」

「どう?」

 アリサが、うなっている茂の顔を覗き込んで聞いた。

「あの……、それ作ってほしいんだ。それでね、お願いできるときは、いくらくらいかかるのか、どのくらい日にちがかかるのか聞いてきてくれって言われたんだ……」

 セイランが不安そうに言った。

「うーん。出来なくはなさそうだが……」

 茂は老眼鏡を胸ポケットにしまうと、紙をカウンターの上に置いて考え込んだ。

「どうしたの?」

 アリサも不安そうに聞く。

「書いてある縮尺がわからないんだよ」

 そう言って、紙に書かれた文字を指す。

「図の方は、だいたいわかるんだ。けどな、文字が読めないだろ?縮尺がわからんから、大きさがなぁ……」

 茂はため息をついて腕組みをした。

 図に添えられて書かれているのは、団子が重なったような、麻雀パイのピンズのような、そんな形をした文字だ。どう見てもこの世界に該当する文字はない。横にスケールのラインが入っているため辛うじて縮尺であることが推測できる。

 アリサも、カウンターに置かれたその紙をじっと見た。

 やがて、ボソッとつぶやくように言った。

「ルルアさんなら、わかるかも」

「ルルアさんか……」

 茂はアリサの言葉を受けて、もう一度紙を見た。

「そういやあの人、日本語、読めるんだったな」

「ねぇ、セイランちゃん。ルルア先生に、この文字、翻訳してもらえないかな?」

「ほえ?」

 アリサの言葉にセイランはポカンとしている。

 茂も期待薄に聞いてみた。

「なぁ、セイランちゃんよ。ルルア先生に連絡取れないか?」

「うーん……。学校に行けば、まだいるかもしれないけど……」

「弱ったな……」

 茂は難しい顔をして顔をかいた。

「ルルア先生に見せれば、これ、作ってもらえるの?」

 セイランは不安そうに茂を見た。

「やってやれなくはないだろうが……。スケールがわからんし、このままだとやはり出来るとは断言できんなぁ……」

「うーん……」

 セイランは、困った顔をしてじっと考えこんでしまった。

 茂とアリサも、黙ったままのセイランを前に、困りはてて互いに顔を見合わせた。

しばらくしてセイランは「うん、わかった」と、頷いて顔を上げた。

「じゃ、これルルア先生に見せてくるね」

 カウンターの上から図面が書かれた紙を手に取る。

「大丈夫?」

 アリサが心配そうに聞いた。

「うん、今日はもう来れないけど、明日、先生に聞いたら同じ時間にまた来るよ」

 紙をカバンにしまいながら答える。

「すまねぇな」

 茂が老眼鏡を外し、苦笑いをして言った。

「ううん。明日、お店開いてるよね?」

「大丈夫だよ」

 アリサが答えた。

「よかった!んじゃまた来るね」

 そう言って、セイランは組子障子の戸の向こうに帰っていった。

「…………」

 沈黙する二人。

 どうしよう……?互いにそんな表情で顔を見合わせる。

 先に沈黙を破ったのは茂だった。

「ま、なんとかなるだろ」

「なんとかって……」

「明日また来るって言ってんだ。事はそれからだ」

 そう言って、再び作業台に向かって座り、細工物を彫り始めた。

 アリサは大きくため息をつくと、レジカウンターを出て、組子障子をそっと小さく開けた。

 外はこちらと同様に、日がとっぷりと暮れて辺りは真っ暗だ。周囲の深い森は夜の闇に染まり不気味な様相を見せている。

「アリサ……、危ないぞ。戸を外しておけ……」

 作業をしたまま茂が言う。

「はーい……」


 コチコチコと、目覚まし時計が秒針を刻む音が耳につく。

 時刻は午前1時を少し回ったところだ。

 寝付けないのか、アリサは布団の中でゴロゴロと寝返りを打っていた。

「はぁっ……」

 大きなため息とともに、がばっと布団から起き上がる。

「あーダメ。なんかダメ」

 そう言って、髪の毛をモジャモジャとかき乱した。

「うぅ……、なんか眠れないよぅ……」

 そのまま這うように部屋を出ると、階段を下りてその一番下に座った。

 階段の壁に寄りかかり、うつろな表情で、正面の壁を見る。

 頭の全体はボーっとしているのに、どこか熱を持ったかのように一部だけチリチリと興奮しているような感覚。

 寝付けない時は決まってそうだ。寝る前に、紅茶のようなカフェインの入った飲み物を摂ったわけでもないのに。

 アリサは頭を抱えた。

 考えられる原因は、おそらく夕方のあれだ。

 セイランの一件が、どこか不安となって引っかかっているのだろう。

「はぁ……」

 アリサはゆっくりと立ち上がると、玄関からサンダルを履いて休憩室を通り、店の中に入った。

 手探りで明かりをつける。

 店内の蛍光灯はレジ上の1本だけが灯った。隅の方は輪郭がわかる程度の光しか届いていない。そんな暗い中でも、僅かに紅がさす白色の組子障子は、微弱な光を受けて綺麗に浮かび上がっていた。

ふと見れば、レジカウンターの上に完成したライオン風の飾りが置かれている。

(あぁ、出来たんだ……)

 先ほどまで作業していたような痕跡が、レジ前の作業台に残る。

 アリサはそのままレジカウンターを抜け、組子障子の前に立った。

 そして、外れている左右の戸を溝にはめる。

「……」

 ゆっくりと右側の戸を開ける。

 異世界の、真夜中の冷たい風が、弱く吹き込んでくる。

「あぁ……、いい風……」

 アリサはパジャマ姿のまま、外に出た。

 薄地の七分丈パジャマでは、さすがに寒さが刺す。

「はっくしょ……。うぅ……」

 身震いをし、店に戻りかけて、ふとアリサは空を見上げた。

「うわぁ……」

 月のない闇に、見たことのない星の並びが煌びやかに瞬いている。

「魔法……か……」

 アリサは小さく呟いた。

 セイランが夕方言っていたことが、頭の片隅にあるのだろう。

(私も魔法が使えたらなぁ……)

 視線を落とし、何気なく右の手のひらを見つめる。

「…………」

 右手の中指と人差し指を揃えて伸ばし、残りの3本を握る。そして大きく空に腕を伸ばすと、辺りに誰もいないことを確認して言った。

「“闇を切り裂く光となれ”」

そのまま腕を一気に90度振り下ろす。

 その途端、指先からカロ屋の蛍光灯の数倍はありそうな煌めく光が放たれた。

「えぇっ!?」

 アリサは驚いて思わず尻もちをついた。

 放たれた光は数メートル走って瞬時に消えた。

 光を放った影響か、右手の指先には軽い突き指に似た痛みが僅に残る。

「うっそ、光った……」

 驚いた表情のまま、右の手を見る。

「うっそ、うそうそうそ!」

 アリサは立ち上がりお尻をはたくと、もう一度同じように手を振った。

 しかし、その指先が光を放つことはなかった。「えい、えいっ」と、何度もやってみるも、結果は同じだった。

「なんで?さっきと何が違うの?呪文……?でも、あれは……」

 光を放った時に唱えたくさいセリフは、日曜の朝に放送している人気ローカルアニメ“愛天使キュー”に出てくるキャラクターの決めセリフだ。放送エリアが原野中市を含む周辺の数県しかない割に、放送圏外にも熱烈なファンがいるという謎の人気を見せている。

「ええい、もう一度!“闇を切り裂く光となれ”!」

 今度はしっかりとポーズも決めるが、指先は全く光らない。

「……えぇぇ。なんで……?」

 アリサは首を傾げた。

 指先にジンと響く痛みが、先ほどの光が夢ではなかったことを証明している。

 なぜ光ったのか、他に考えられる要素を探った。

 が、突如急激な眠気に襲われた。

「や、やば……」

 慌てて店の中に入るも、立っていられないほどの眠気は寒さを伴い、急激に強さを増していった。部屋に戻るどころか辛うじて右の戸を外すのがやっとのことだった。そしてアリサは外した右の戸の前で、崩れるように眠ってしまった。


「おい……、おいアリサ、起きろ」

「う……、うん?」

 その声に気が付くと、ぼんやりした頭で薄っすらと目を開けた。

 体が冷え、あちこちが痛い。視界には、埃っぽい店の床が映る。

「大丈夫か?何があった?」

 ゆっくり上体を起こし、目をこする。

 アリサの肩に手をかけて茂が心配そうに見ている。

「あ……れ……。(あぁ、そうか。あのまま眠っちゃったのか……)」

 茂の腕をつかみ、ふらつきながら立ち上がる。

「おい、本当に大丈夫なのか?」

「うん、大丈夫。……なんか急に眠くなっちゃって」

 そう言って組子障子を見る。

 右の戸は、アリサが外した状態のまま立てかけられ、左の戸もいつの間にか外されている。アリサを見つけた茂が外したのだろう。

「お父さん、今何時?」

 アリサはカウンターに持たれるように手をついて茂に聞いた。

「まだ6時前だ。一体何があったんだ?」

 茂は心配した表情で、組子障子とアリサを交互に見た。

「うん……。夕べ眠れなくてさー、外に出たら指が光ったんだよね」

「指が?……どういうことだ?」

 要領を得ない話に、茂は難しい顔をした。

「私もよくわからない……」

 アリサはレジカウンターに体を預けながら内側に回り込むと、パソコンの前の椅子に座った。そしてカウンターの上に乗った配置菓子の箱を片手で触りながら言った。

「お父さん、100円」

「……」

 俺は100円じゃないぞ、と言いたそうな茂の表情。しかし、カウンターに頭を乗せてぐったりしているアリサを見て、しょうがないとばかりに前掛けのポケットから100円を取り出した。

「ほらよ」

そう言ってアリサの手のひらに置く。

「うん、ありがと」

 アリサは目も合わせずそれを受け取ると、カウンターに頭を乗せたまま、片手で100円を投入口に入れ、“クランチョコ”を2つ取り出した。

 心配しつつもあきれた様子で茂が言った。

「アリサ、なんともないなら学校に行けよ。でも、無理はするな。具合が悪くなったら(類が)迎えに行くから」

「うん……」

 アリサは“クランチョコ”を口にくわえてモグモグしながらうなずいた。

 茂はその様子を横に見ながら、カウンターの上に乗ったライオン風の木彫りを薄葉紙で包み、梱包し始めた。

「そこから送り状取ってくれるか?」

 茂はレジ下の引き出しを指し、アリサに言った。

そして80サイズの段ボール箱に緩衝材を詰め込むと、丁寧に品物を納めて蓋をした。それから箱の合わせ目を粘着テープでしっかりと止め、送り状はまだかとアリサを見る。

「アリサ……?」

 先ほどとは打って変わって、アリサは驚いた表情で椅子に姿勢よく腰を掛けている。

「どうした!?」

 目を見開いたアリサに、茂は思わずカウンターに前のめりになって様子をうかがった。

「すごい……、“クランチョコ”すごい……!」

「なんだ?!なんだ?!どうしたんだ!」

「……(これが魔力回復?)」

 アリサは自分の両手を見た。そしてぐっと握りしめる。

「おい!アリサ?」

 茂はカウンターの内側に回り込んで、アリサの両肩に手をかけた。

「しっかりしろ!お前、なんか変だぞ。やっぱり今日学校休め」

 心配する茂をよそに、アリサはクスッと笑うと茂の手を払って言った。

「大丈夫!なんか“クランチョコ”食べたら元気になったから」

頭すっきり体軽やか、睡眠不足もどこへやら。それが今のアリサの状態のようだ。

 それが本当に魔力回復という効果なのかは不明だが。

「そ、そうか。ならいいんだが……」

「それじゃ、支度するから戻るね」

 アリサはそのまま陽気に休憩室の奥へ消えていった。

「うーん……」

 そんなアリサの様子に心配を隠せない茂。

 そして組子障子を見る。

「……夕方までは外したままにしておくか」

 そう言って大きくため息をついた。

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