011

 その後、まるで時間が止まったかのように、数瞬、誰も身動きをとれなかった。


 遥真は、拳を握ったまま、動くことが出来ないでいた。その表情は、少し陰っていた。

 葵はというと、殴られた割にダメージがなかった──いや、寧ろ、無かったように、起き上がり、驚いたように遥真を見ていた。

 今思えば、葵は、中学の頃より、護身の類を学んでいたので、その類いなのではないかと思う。

 流石、神宮寺、そして、その跡取り。


 だが、その結果はどうであれ、その時の僕には、遥真が、葵を殴ろうとした。それが、許せなかった。

 気が付くと、僕は遥真の胸倉を掴み、食ってかかっていた。


「──ッ」

「お前、何やったか分かってんのか!何やろうとしたか、分かってんのか!?」

「オレ、は……」

「葵は、オレたちが護る──昔そう言ってただろ!忘れたのか!?」

 昔の事だ。忘れても仕方ないかもしれない。

 忘れては、欲しくなかった──のだけど。


「──ッ!──うるせぇんだよ!!お前も!葵も!ほっといてくれって言ってんのが解んねぇのか!?オレに構うな!!離せ、クソ!!」

 遥真は暴れて、藻掻いていた。

 だが、力は、あまりなかった。

 そんな様子を見て、葵は小さく言った。

「蓮……、もういい……いいよ……」

 震えた声だった。

 久々に聞く、苦しそうな声色だった。

「良いわけない!いい加減にしろ、この……ッ!」

 僕は遥真を殴った。

 葵がされたように、右の拳で、遥真の左頬を殴った。

 重く鈍い感触がした。

 久々に、誰かを、殴ってしまった。


 それから数回、僕は遥真を殴打した。何故だったのか、覚えてはいない。

 ただ、殴りたかった。

 そうし合うのが、僕達だったからだ。

 何かある度、殴りあってたからだ。

 喧嘩したり、悲しかったり、嬉しかったりした時も、感情の表現に困ったら手が出ていた。

 でも、最後には、笑えていた。


 だが、この日、遥真は殴られていただけだった。

 何度殴ったとしても、気分は、晴れなかった。

 ふつふつと、黒い感情が、渦巻くだけだった。

「……もう、済んだか?」

 数回殴られたにも、遥真は至って平気な顔をしていた。

「……全く……」

 気が済むわけない。

 何故、殴ってくれない。

 殴り合うのが、僕らだろう。最後には笑って、話してくれるだろう?

 僕なんか、殴るまでもないって……事なのか。


「そうか、なら気が済むまで、殴れ。気が済んだら──もう二度と、関わるな」

「……ッ」

「何度も言わせるな。お前らに出来ることなんて何一つ、これっぽっちも、ないんだよ」

「お前、いい加減に……ッ!」

 もう一度、と拳を振り上げた。

「蓮っ!」

 葵が、その手を掴んだ。

「もう、いいから……もういいよ……遥真も、ごめんね……厚かましかったよね……ごめんなさい」

 なんで。

 なんで謝る。

 殴られかけたんだぞ?

 裏切られたんだぞ?僕達は。

 葵は、謝られる側だろう?

 どうしてだ。こんなの、間違ってる。

 僕は、もう一度、葵の手を、振りほどき、無理にでも殴ろうとした。


「ムカつく」

 その時、そう、誰かの声がした。

 余り、聞き慣れない声だった。


 突然、


「がッ、!?」

 葵も同様に、短い悲鳴を漏らし、僕達は仰向けになるように倒れた。


「美那……お前何して……ッ!」

「当然のことをしただけ。幼馴染?何それ、バッカじゃないの?」

 脇腹を抑える。尋常じゃない程痛い。あの、女が、やった、のか……?

「そんな理由で……いや、そんなだから、あんた達が遥真を、どれだけ傷つけているのか、分かってるの……!?」

 ──僕達が、遥真を傷つけている?

 何故……?

 分からない。

 分かるはずも、なかった。



「あんたらなんか、ーーーーーー」

 何かを呟いたようだったが、上手く、聞き取れなかった。

「おい!?」

「……ふん」

 その女は、剣呑な様子で、僕達を睨むと、遥真と一緒に屋上を後にした。



 暫く、ぼうっと空を見ていた。

「……もう、ダメ……なのかな……」

 葵は、ポツリと呟いた。



 大きく鳴り響くチャイムの音が、仰向けの高校生二人に、昼休みと、それとは違う何かの、終わりを告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る