君と紫煙と共に

赤キトーカ

君と紫煙と共に

 

 紫煙。


 登場人物: 創平 「先生」と呼ばれている。30代の男性。愛煙家。

萌絵 「先生」の協力者。愛煙家。資産家の令嬢。



 僕たちは、紫煙踊る店内にいる。

「そのさあ、ちっちゃな煙草、何なの?シガー?にしては安っぽいね」

「実際、安い。250円」

 萌絵はへぇ、と言う。キセルを、灰皿に打ち付けて、灰を落とす。

「やっぱりさあ、アイコスとか、ブルームテックだか、プルームテックなんて、やっちゃだめだよね」

「どうして?」

 創平は安っぽい煙草を吸いながら、尋ねる。

「だってさ、紫煙って言えないじゃん」

「確かに」

 それと、と続ける。

「タッチパッドもだめだ」

「へぇ? 何それ?」

「碌にタイプもできないから」

「何? タイプをしているの?」

「うん。今、ね」

「へぇ、よくわからないけれど。 あ、ひょっとして、メタっぽい話?」

「いいんだよ……。 そう、そんなことはどうでもいいんだ」

 創平は手を挙げ、店員を呼び止める。「ジャックロック!」

「好きだよねえ。ジャックロック」

 萌絵は思い出したように言う。

「そういえば、面白い話があるんだよ」

「どうしたの?」

「この近くに、面白いカレー屋があるの」

「カレー屋って、普通面白いものじゃない?」

 創平はアークローヤルの紫煙を吐きながら、言う。

「先生、どういう感性しているの? カレー屋は面白くないよ。面白いカレー屋があるって話です」

「へぇ、萌絵君、どんな店なのかな?」

 萌絵はブラックジャックの灰を落としながら言う。

「喫煙者お断りのカレー屋なんです」

「よくある話じゃないか」

「違うんです、先生。店内で煙草を吸うのがだめとか、そういうことではないんです。煙草を吸う人間は、入店できないんです」

 創平は驚いた。

「え? 煙草を吸うだけで? ん?どういうこと?」

「ですから、煙草を吸う人間は、その店に入ることができないんです」

「どうやって判断するんだい?」

「匂い、じゃないですか?」

「匂いって……。 カレー屋だろう?」

「はい」

「そもそも、カレー屋って、すごい匂いが漂っているものじゃないの?」

「さあ、だからこそ、煙草の匂いが際立つんじゃないですか?」

「だって、そもそも、煙草といったって、喫煙者が眼前に立ったとしたって、即座に、『あ、こいつ喫煙者だ』って、わかるものでもないだろう?」

 萌絵は首を振って言う。

「先生、それはいわゆる嫌煙家、いえ、憎煙家の立場だと、違うんじゃないですか? わかる人には、わかるんじゃないですか?」

「ふうん」

「bad luck?」

 創平は、にやりと笑みを浮かべる。

「面白いじゃないか」

「先生……。 企んでますね」

「俺は、やると決めたら、やる男だぜ」

「先生、口調が変わりましたね。グッドです」

 創平は言う。

「人を集めよう。そう……、ただの学生がいいな。君が声を掛ければ、いくらでも人は集まるだろう?」

「それは、まあ……。 面白いことになりそうですね」

「俺は、その店に入ったことはないけれど……」

 創平は言う。

「懲らしめてやらないとな」



 それから一月が経った。

 萌絵と創平は件のカレー屋の近くに集まっていた。

 渋谷のTOHO近くの、ビルの6階にその店があることは、萌絵のおかげで調べがついていた。

「萌絵君、準備はいい?」

「はい」

「化粧もしていないね?」

「先生……」

 萌絵が反論する。「知っているくせに……。私、化粧はしませんから」

「さすが、グッドだ。ジュラルミンのケースも、持っているね?」

「もちろんです。私を、誰だと思っているんですか?」

「大富豪だと思っているよ」

「それだけですか?」

「まさか……」





 萌絵と創平たちは、エレベーターのボタンを押して、6階まで上がる。

 二人は、店の入り口に掲げられている看板を目にする。

「先生、これ……」

「うん」


 ”「喫煙者・非喫煙者に関係なく、タバコのニオイがする方は入店できません」”



「オーケィ。よし、入ろうか」 

「お供しますよ」


 ドアを開けると、入店を合図するベルの音がする。

 店内は、30名ほどが入ることができる広さ。カウンター席もある。

 

「いらっしゃいませ、何名様……」

 早速中年の店主の鼻(ネ)についたようだ。

「煙草を吸ってますね」

 萌絵が言う。

「私、吸ってませんけど」

「吸っているとか、いないとか、そういうことではないんだよねえ」

「はあ?」

 萌絵がにこやかな笑顔で聞き返す。

「表の注意書き、ご覧になりませんでした?見えるところに掲示しているつもりなんですけど」

 萌絵が続ける。

「すみません。私、海外での暮らしが長いもので……。日本語に慣れていないのです。なんと書かれていたのですか? ここは、カレー屋さんなのですよね? 違ったら、ごめんなさい……」

「ああ、ええと、お連れの方は? あんたも、日本語読めないの」

 創平は言う。

「読めますよ。 日本語くらい。 日本暮らしが長いので」

「読めるんだったら、わかるんじゃないの? 煙草臭い奴は、帰れって言ってるんだよ!」

「どうしてですか?」創平が尋ねる。

「どうしてって、そんなこともわかんないのか? これだから、喫煙者は!」

 はっ!と唾でも吐き捨てるように中年の髭の店主が言う。

「ウチの味がなあ、台無しになるんだよ! 煙草の匂いでよ!」

 萌絵が言う。

「でも先生、嗅ぎタバコですよね?」

「何屁理屈言ってんだ。 嗅ぎタバコだか鍵タバコだか噛みタバコだか知らねえが、お断りなんだよ。帰れ!」

 店で食事をしている男女数人も、くすくすとこちらのやり取りを楽しんでいるように見える。


 創平は目で合図をする。

 「萌絵。OK?」「OK!」

 萌絵が端末を操作すると、すぐに入店の合図のベルの音が聞こえた。

「いらっしゃ……、ん……?」


 若い喫煙者が50人、階段まで列を作っている。

 一人目はマルボロ。二人目はマルボロメンソール。三人目はプルームテック、ストロベリー。四人目に至っては、なぜか左目が赤く、ポケットから取り出した黒いケースから、粉末を鼻から吸引している。とても小柄で、男かどうかもあやふや。薄い岩波文庫を手にしている。この人物は特に怪しそうに見える。五人目は、甘い甘い香りのするリトルシガーを咥えている。


 先生、キッチリ、揃ってます。50人分。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「何だぁ? オマエは」

 創平が言う。

「何って……、客だよ。 カレーを食いに来たんだ」

「だから言ってるだろう? 臭いんだよ。 臭い奴は、ウチには入れないんだよ」

「そいつはおかしいな。 本当に俺は、煙草を吸っていないんだ……。 それでも入ってはいけないのか?」

 店主が反論する。

「それは、こっちが判断するんだ。どうぞ、お引き取りを。ここはあなたたちの来る店ではありませんのでね」

 店の奥からも、叫び声が聞こえてくる。

「臭いんだよ!」

「帰ってよ! 煙草臭い!」

「ギャハハハ!」

 中にはこのようなシチュエーションを楽しんでいる者もいるようだ。

「なるほど……。 俺たちのような客を、『ある意味では』歓迎しているようですね……。あんたも、客も」

 先生、どうします? 萌絵が目配せをする。創平のアイコンタクトは、「任せろ」だった。

 創平は店主に構うことなく、店内に足を踏み入れた。

「2名だ。『とりあえず』」

「なんだと?」

「店主、受動喫煙防止法を知らないのか」

「受動喫煙防止法だと?」

 創平は店内を見渡し、言う。


「見たところ、この店は開店して間もないようだな。今月か?先月か?」

「こ、今月だが」

「と、なると、あんた……、この店には、『喫煙専用室』の設置を怠っているんじゃないか?」

「そ、そんな義務があるわけがないだろう」

「何を言ってるんだ……。 店主、あんたが店の認可を依頼した行政書士は、勉強不足のようだな。よく認可が下りたものだ……」

 萌絵君、入ろう、と創平は促す。

 創平はさっさと店の奥に歩みだし、堂々と男女が食事をしている席の通路を挟んだ席へと座り込んだ。男女はいかにも迷惑そうな顔でこちらを見ている。

「帰れって言ってるだろう」

「受動喫煙防止法は、望まない、いわゆる『受動喫煙』(笑)を防止するために、業者、施設の管理者に対策を義務付けた法律だ。だから、開業して間もないあんたには、

受動喫煙を防止するための一定の措置を取る必要がある。それを怠ったんだ。愚かにもな。チキンカレー。萌絵君は?」

「私はビーフカレー。卵スライスしたやつのトッピングお願いします!」

 まるでココイチである。

「店主、チキンカレーとビーフカレー卵トッピングです。水もください」

「断る」

「債務不履行になるぞ?」

「なんだと?」

「店主、店を開店しているということは、明示的に『契約の申込み』をしていることになる。この場合は、『私が提供するカレーを購入してください』という契約の申込みだ。

それについて、たまたま目にした俺たちが、『購入しよう』という意思の表示をした。これにより、我々は契約を締結したことになる」

 萌絵がフォローする。

「京都高裁平成3年12月4日判決、ミスタードーナツ事件の判例です」

「な、何を……」

「店を開いている以上、正当な事由なしに客へのサービスを拒否することはできないということだよ、店主」

 

 ここで創平が萌絵にアイコンタクトを取る。「よし、ここだ」

 「先生、OK!」


 店内に、客が入り込んでくる。それも、一人や二人ではない。

「すいません、一名」

「1人だけど、いい?」

「一名、空いてますか」

「ゴロワーズ1個。両切りのやつね」

「今、やってます?」

「テレビ見て来たんですけど……1人」

「1名」

「1人だけど、席あります?」

……


 彼らの一人一人が、手に手に煙草を携えている。

 しかし、吸ってはいない。


 そしてどやどやと、めいめいが席に座り込んだ。


「な、なんなんだお前らは!」


 すぐに店は、いっぱいになった。

 入り込んできた若い男性とも女性ともつかない人物が言った。

「喫煙者だよ」


 創平が、続けて、口にした。


「黒人、だよ」、と。「俺たちは、黒人です。白人気取りのあんたとは、違う、カラード」


「なんだと……」


「かつて、アメリカでは黒人は、トイレ、公共機関、レストラン、すべて白人とは区別されていた。そのくらい、聞いたことはあるだろう?」

「あのなあ、煙草の副流煙が何万人、年間、人を殺してると思ってるんだ。黒人差別なんかとは、違うんだよ!」

「同じ。」

 あ?と店主。

「黒人だって、白人に害を及ぼすと見做されていたから、迫害を受けていたのさ」

「見做されていたのとは違う。 あんたらと議論するつもりなんかないんだ。出ていってくれ! なんだ、この入ってきた連中は。お前らが連れてきたんだろう!?営業妨害だ!」

「いいのか?」

「え?」

「まあ、今入ってきた彼らは、俺たちとは無関係だ。それは言っておく。だが、ここで警察でも呼ぶか?呼ぶのか?営業妨害で」

「呼んでやるよ」

「そんな店が、営業を続けられると、思うか? 警察が来たなら、事件になるだろう。何人が逮捕されるか、俺の知ったことじゃない。

しかし、そんなことになれば、大々的に報じられるだろう。炎上商法もいいだろう。しかし、そんな店がまともに営業続けられると思うか?」

 

 ここで、隣の席の男が立ち上がり、創平と萌絵の方を見やり、言った。

「黙って聞いてれば、偉そうにしやがって」

 創平は彼の方を見る。

「ほう……」

「受動喫煙防止法だ?喫煙室だ?そんなもの、法律で定められてないだろ」

 彼の手元には、スマートフォンが握られている。

「何だ君。ググったのか」

「法律家ぶりやがって。喫煙専用室の設置義務なんか、ないだろ。店が煙草野郎は入店禁止だと言ったら、そいつは店に入れないんだよ!」

 彼は続ける。

「それに何だ?京都高等裁判所だ?京都に高等裁判所なんか、ないだろ! 煙草なんか吸いやがって。臭いから帰れってご主人が言ってるんだ、帰れ!」

 萌絵がおどける。

「あらら。先生、ばれちゃいました」

「いいぞ、若人。勉強したんだな、グッドだ」


「何が黒人差別だ。煙草には煙草の害があるんだよ!そんなことは明らかだろ!黒人だの何のとは、わけが違うんだよ!」

 そして彼は続ける。



「警察を呼ぶぞ、いいな」

 創平は事も無げに返答する。

「呼べよ」

 その言葉を合図にしたように(実際したのだが)、店に入った客たちが、マッチ、ライター、火打石などで、一斉に手にしている煙草に火をつけ始めた。


「ふーっ……」


 中には、片手でマッチをつける奴もいる。


 創平と萌絵も、煙草に火をつけ始める。

「店主、灰皿ください」

「あ、私にも」


 萌絵は言う。

「先生、意外と早くばれちゃいましたね。偽法使い」

「そうだね……。皆、適当だったからね」

「これから、どうなるんでしょう」

「どうということは、ないよ。君に頼んだ煙草吸いは、皆、未成年。所詮、未成年者喫煙防止法違反程度だ。逮捕されるものじゃない。補導程度だ」


 店内いっぱいに、紫煙が満ちている。

「萌絵君、僕らは、」

「先生、一人称が変わっています」

「いいんだ。僕らは、嫌われていいんだ。少なくとも、僕はね世間から、蔑まれ、疎外され、疎んじられ、それでもいい」

「はい。私、煙草の煙、好きですよ。先生の煙草の煙も」

「それでいい。いや……」

 はい、と萌絵が答える。

「それが、良いんだ」


 僕たちは、病気でもあるな、と思う。少なくとも、現代においては。

 禁煙外来、なんていうものも、ある。ということは、少なくとも、病院で治療が必要だと認められている。

 やめられないのであれば、そして、そのための医療制度が確立しているのであれば、病気という診断がなされるだろう。

 その、治療を必要としている者を排除するのであれば、それは、差別と変わらないな、と思ったが、蛇足なので、口にするのはやめることにした。 



 何人もの紫煙と嗅ぎ煙草の茶色い粉末で、店内は満ちている。

「いい店じゃないか」

「そうですか?」

 萌絵がブラックジャックの灰を、ブラックデビルのイラストのついた携帯灰皿に落としながら、言う。

「先生、私……」

「どうしたの?」

「この店のカレーの臭い、大嫌いなんです。このワンピースに、染み付いてしまいました。お気に入りなのに」

 ふ……、と創平は笑う。「君の好きにしたらいい」

「大丈夫。俺は……、僕たちは、きっと生きていける。不自由だとしてもね」

「先生、君がいれば、と付け加えてください。

 それは次回作に回すとして……、と創平は言う。

「次回作は?」

 萌絵が尋ねる。

「僕の障害が、君には見える?」



 



 


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