[〇三] 九敗



 そろそろ日が落ちてきていた。私と一子いちこの行きつけであるアイスクリームショップは、道に接する一面がガラス張りとなっている。私と一子、そして成り行きで共に来た乃々香ののか嬢、三人で並び、外を見やれるカウンター席に座っていた。並びの中央が私であることに、どうにも一子の作意を感じてしまう。

 ガラスの向こうには、歩道、道路、ロータリーを挟み、夕照せきしょうまとう駅が見える。モダンでありながら派手すぎることもなく、立派な駅舎ではあるが、急行が停まらず行き過ぎるとなれば、不釣り合いにも思えた。

「なんでバニラとバニラ?」

 信じられないという顔つきで、一子が私のカップアイス、ダブルのそれを凝視しながら言った。紙のカップに重なっているアイスは、一子のげんの通り、バニラとバニラだ。右隣に座る一子のものはラズベリーとチョコミント、左隣に座る乃々香嬢はバニラと抹茶、普通、自由に組み合わせられるなら、そういうふうになるだろう。

「注文しようって時、短歌――もどきがふっと浮かんじゃって、じゃあ実際にやってみようって。ほら、体験が伴わない歌は中身が薄くなる気がするから」

 可か不可かといえば、どちらでもなくただのお遊びなのだが、洒落を、洒落を、ではなく、洒落を、というのはなかなか興味深いものがあった。

「歌人の感覚、って言っていいのかな。まるで理解のほか。それがまあ、景勝地ってんなら実際に行くのもわかるけど、バニラとバニラ……許されないよ」

 一子は静かな口調ながら、憤懣ふんまんやるかたないといった気色きしょくだ。私としては、アイスの組み合わせにそこまでこだわる一子の感覚が理解のほか

 バニラとバニラへの追及はそこまでで、自分のラズベリーをスプーンですくい、ひと口味わってから、一子は話を切った。

「さておき、ね」

 私を間に挟んだまま――防波堤か何かのつもりなのかもしれないし、主役は私だと言いたいのかもしれない――一子は乃々香嬢に話を振った。

「乃々香ちゃんが、どうしてそんなに小夜戸さやどかえでにこだわるのか、よかったら事情を聞かせてもらえない? 特待生になってまで、って相当だよね。何か、あたしたちで力になれることもあるかもしれないしさ」

 思うに、一子が観念して、文芸部の不正をつまびらかにすることが、もっとも乃々香嬢のためになるのではなかろうか。そうすれば、早少女さおとめ余莉あまりではなく、晴れて小夜戸楓に会えるわけで。

 私が一子に頭が上がらないのは事実としてあった。確かに私は作品をそろえる点では功労者だが、部の運営については何ら貢献していない。予算折衝も部費の管理も、印刷所への入稿も、後ろ暗いながら名前を借りて名簿を埋めるのも、何もかも一子がこなしているのである。

 名義貸し、文芸部のみならず、名前を貸してくれた側の責任も問われるわけで、安易に明かせないのも理解できる。不正を隠すのが部長の判断となると、お飾りの副部長としては、なかなかに背きにくい。一子の顔を潰すのも本意ではないし。

 折衷案せっちゅうあんとして、まずは乃々香嬢の事情を聞こうと思った。その切実さと文芸部の運営、及び一子への恩義を勘案して、やむなしとなれば名乗ろうと。

 少しためらいがちに、しかし、意志としてはぶれる様子なく、乃々香嬢は口を開いた。

「えっと、仲立ちをお願いするわけですから、やはり、きちんと説明しないと不誠実であると考えます。ちょっと、恥ずかしいところはあるんですが」

 私としては、すでにして罪悪感が募る。余計な負い目を感じさせてしまっている。自分のアイスを分けてあげたくなったが、それはバニラとバニラで、乃々香嬢のカップにもバニラがあるのである。足してどうする。今さらだが、短歌より人付き合いのほうが大事な時があるのでは?

 そんな私の煩悶はおもてには出ず、乃々香嬢は話を続けた。

「私にはふたりの姉がいるんです。八歳上の姉、凜々香りりかと、双子の姉、寧々香ねねかと。寧々香と私は双子なので、当然、同い年で、彼女は今春、逢館おうだて高校に入学しました。文芸部に入るつもりみたいです」

 三姉妹の名前はそろえたようであるが、さすがにそろえ過ぎではなかろうか。清澄かつ閑寂かんじゃくおもむきは感じられない。なぜ私は人の名前ばかり気にするのか。五月女さおとめであり亜真莉あまりであって、合わせて六文字だからか。

「逢館の伝説どうこうではなく、寧々香は単に姉に憧れて逢館を選んだみたいです。逢館は姉の母校で。昔から、何をするにも凜々香ねえについていくような子でしたから」

 それは良いことと思えた。伝説の残り香に惑わされるよりは、大切な家族を指針にするほうがじつがあろう。今から逢館に入ったところで、もういるではないのだ、伝説じみたものの出所でどころ、その本人は。

「三年になったら、凜々香ねえみたいな立派な部長になるって、今から息巻いてますよ。凜々香ねえ、文芸部の部長でしたから。これ余談ですが、うちの凜々香、藤ノ木ふじのき篤芽あつめのひとつ上で、今でも連絡を取り合っているみたいです」

 その本人に興味がないと言えば嘘だ。一冊の本を三度も読み、さらにもう一度読もうとするなんて初めてだった。しかし、私からすれば、部活の後輩の姉の部活の後輩である、つまり他人と言って差し支えない。

「本題に入ります、その……」

 乃々香嬢にためらいが混じる、しかしもはや引き返せない、そんなふうだ。

「端的に言いますと、私と寧々香、同じ人が好きで、取り合ってるんです。それで、ひとつ約束をしています。勝負に勝ったほうが、先にその人に告白する権利を得る、と」

 恋愛事に勝負というのはいかがかと思えど、それは、抜け駆けを禁止する意味合いが強いのだろうと思われた。

「その人には、毎月、私たちが書いた小説を読んでもらっているんです。受験シーズンはお休みしていましたけど、五月から再開することになっています」

 乃々香嬢の唇を、どこか安堵のようでいて、しかし自嘲めいた息が滑った。

「毎月毎月、私と寧々香、どちらの小説が良いと感じたか、はっきり白黒つけてもらっています。現在は私の四勝九敗、逆に言えば寧々香は九勝。先に十勝した方が勝ち、約束は、そういう取り決めです。もう後がないんです」

 受験シーズンの中断期間に入ったおかげで踏みとどまれたと、勝敗の趨勢すうせいはそういったところか。

「同じ部に入っても、このままでは結果は見えている。私、六連勝しないといけないんです。だから、違う部に入ろうって。小夜戸先生の作品を読んだのはそんな折、去年の十月でした。綾嶺文凌あやみねぶんりょうの文芸部に入って、もし師事できたら、もしかしたら、って」

 十月であれば文化祭の時期だ。夏を前に三年生は引退していて、当時もう、文芸部は実質ふたりの状態だった。

 我が部は文化祭に合わせ、文芸誌の特別号を出した。商売上手な一子は、加え、すでに揺るがぬ人気を得ていた小夜戸楓だけ、過去の作品に新作書き下ろしを加えた豪華装丁の傑作選を出し、高値であったにもかかわらず、大いに売れた。乃々香嬢はそれを手にしたのだろう。売り上げのためにと、文芸誌のほうに小夜戸楓の作品は載せなかった。

 乃々香嬢は寂しげな目線を、ガラス越し、前を走り抜けていく車に送っていた。そろそろヘッドライトが灯る時刻、照らされては陰る路面を見ているようにも思える。バニラと抹茶、乃々香嬢のアイスにはスプーンが添えられたままで、アイスがそこにあることさえ、今は忘れられている。

「勝負に勝ったって、先に告白できる、それだけです。でも、昔からずっと好きだったから、譲りたくなくて」

 ぶれずに、乃々香嬢が貫く意志、源泉はきっと、その一点なのだろう。

 私の左で、彼女は変わらず前を見つめる。けれど、もう、ヘッドライトの明かりのひとつさえ、その瞳は捉えていない。

「私も寧々香も、わかっていますから。どちらがどう告白しても、恋が実ることはないって。せめて自分が先に伝えたい、本当に、それだけなんです」

 諦めの濃い物言いが気になったようで、一子がスプーンを片手に問いを投げた。

「実らない? うっかりうまくいくなんて要素もないの? ちっとも?」

 それについては、気にはなった。しかし、事実そうなのだろうと、事情がわからないながらも思えてしまった。乃々香嬢の瞳は、あまりにも遠くを見ていた。

「実りませんよ。知ってますから。その人、異性が好きだって」

 瞳はもっと遠くを見る。そして、ようやく、その目は隣に人がいることを思い出す。

 右を向き、私と一子を視界に入れて、乃々香嬢は淡々と言った。

「私、女なんですが、恋愛対象が女なんです」

 部の不正を明かすことと、自分が同性愛者だと明かすこと、どっちが勇気の要ることだろう。いや、比べるようなものじゃない。、そう思うしかないことだけがわかる。



 それはある種の告白であったのだろうが、一子は気にしなかった。むしろ野球中継の時間を熱心に気にして、ひとり、そそくさと帰った。今日はお気に入りの投手が先発予定なのだとか。非情に助かったので、その選手の好成績を願いたい。野球中継を放送してくれている地元のテレビ局にも深く感謝しておきたい。

 日は落ち、アイスクリームショップを出てすぐの歩道から、ロータリーの向こうの駅舎を見れば、淡いブルーの光を周囲に振りまいていた。

 私の家は徒歩圏内、乃々香嬢は電車に乗って四駅のところに住む、これから別な帰路に就くはずのところ、私は乃々香嬢に向けて、話を切り出した。

「もし、秘密を守ってくれるなら、だけど。一子にも、ね」

 何かある、そう察したのか、乃々香嬢は表情を消し、無言で頷いた。

「小夜戸楓と話をさせてあげられる。今夜これからだっていい。私の部屋に来てもらえれば、それで、あなたは彼女と知り合える」

 ここで、私がそうだと名乗ってみても、今となっては、信じるのが難しくなっている。彼女が情けを望まずとも、同情を引くような話をした自覚はあろう。それがもとで言わせたのかと、勘繰かんぐらねばならなくなる。

 私の部屋に来てもらって、私のパソコンの中身を見てもらうのが手っ取り早い。




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