[〇二] 仕事の都合
果たして、不意の訪問者は新入生であり、文芸部への入部希望者だった。
新入生には、白の会議用テーブルの、明かり窓から遠いほうの席、日光を浴びる側に座ってもらい、私と一子はその向かい、あえて言えば後光を背負うほうに並んで座った。
部長としての一子が自己紹介を求めたところ、次のように返ってきた。
「
乃々香嬢は緊張混じりの微笑みを向けてくれた。愛嬌のある顔立ちだ。髪は肩にかかるかどうか、赤のヘアピンが左側にふたつ、黒髪とは言えず、ブラウンと表すほうが近い。入学早々校則違反もなかろうし、元来その色味なのだろう。ブレザーも何ら着崩すところがないわけだし。
桐野乃々香、姓名合わせて五文字であることは素直に羨ましい。ただ、読みとしてはいかがなものかと、少し心配になる。ひらがなで書くと、きりの・ののか、つまりは『の』が三つも並んでしまう。余計な憂いとしても、しかし、どうだろう、いかがなものか。
特進科で、さらに特待生ともなると、最難関の国立大学を目指していて当然、というぐらいの成績で入学したとなろう。本人の希望がどうあれ、外からはそう見られるし、学校側とて進学先に期待する、するからこその特別扱いなわけなのであって。
乃々香嬢の自己紹介を受け、一子が続いた。
「あたしは
ふたりの自己紹介に倣うようにして、私も続いた。
「私は
私たちが言うのを聞き、乃々香嬢はどこか不安げな、あるいは申し訳なさそうな、加え困惑の混ざるような、そんな表情を浮かべた。
「あの、
目の前にいる、とは言えなかった。
先生、と呼ばれるに値するかはともかく、小夜戸楓とは、間違いなく私のことだ。ゴーストライターとしての私の名義のひとつで、少女小説、ないし女性的な感性での文学作品を書く。実のところ、人気アンケートでは本来の名義である早少女余莉よりも上で、具体的に言えば常に一位。その点を踏まえれば、ここで名前が出ても不自然ではなかった。
表情から察するに、乃々香嬢は小夜戸楓に切に会いたいのだろうと思われた。実では、もう会っているのだが。
とっさに自分と言えなかったのは、名義貸しの幽霊部員が書いた
私は無言で一子に視線をやる。強く見据え、それをもって意を伝える。部長の責任と判断でどうにか収めろ、と。おおよそ正しく伝わったようで、一子は惑い混じりながらも口を開いた。
「えっと、入部希望、ってことでいいんだよね?」
「はい。間違いなく入部します。そのためにこの高校に来ました」
乃々香嬢の意志は確かなようであり、それは、部員が名簿上で六名になることを意味した。だから、一子の判断は理に合わないではない、ないが、いかがなものかと思わざるを得ない。
「ああ、ええと、残念ながら、小夜戸楓は昨年度末に転校しちゃって、もういないの。両親の仕事の都合で、その……アメリカに。ロードアイランド州プロヴィデンスにね」
いや、本当に、いかがなものか。
六名になる、それは、幽霊部員をひとり減らせるということだ。一子は、小夜戸楓にあたる部員を名簿から外すつもりなのだろう。それで収めようと。
つい昨日、一子に八十年代の海外ミステリを貸していた。主人公がメジャーリーガーで、探偵役としては変わり
いかがなものかというのは、お粗末な言い訳についてばかりでなく、貸した海外ミステリの主たる舞台が、まさにロードアイランド州プロヴィデンスに他ならないからである。ふっと思い出し、口をついて出たのだろうが。
「そんな……」
聞かされて、乃々香嬢は愕然、茫然自失といったふうなのである。これが、ただのファンということならば、お粗末な言い訳も、あるいは後に一子をからかう材料になったのかもしれないが、そうはならなかった。重すぎた。
乃々香嬢が内情を好んで打ち明けたかといえば、違って、ショックのあまりにこぼれた言葉であるようだった。
「……私、小夜戸先生に教えを乞うために、ここまで来たのに……。私立の学費は高いからって、無理して特待生にもなったのに……」
そう言ったところで、乃々香嬢は、はっと我に返った。
「す、すみません。変なこと言っちゃって。忘れてください。とにかく文芸部には入りますし、私が勝手に考えていただけのことですから」
さすがに忘れられないうえ、乃々香嬢が教えを受けたい相手はここにいて、しかと何もかも聞いている。指南するのは先輩の役目というもので、それはかまわないのだが、しかし、今さらどう名乗ればいいのか。一子が悪いとは言うまい。任せたのは私だ。いや、しかし、本当にどうしたものか。不正を明らかにする覚悟で一子の言い訳を訂正するか、でなければ、ロードアイランド州プロヴィデンスにいるらしい小夜戸楓に指導を頼むか、である。普通、嘘を正すのが筋だろう。
そう思って一子に目を向け、無言のうちに了承を求めたのだが、一子は私の意をちゃんと読み取ったらしく、首をわずかに横に振った。言うな、ということだろう。どうやら部長としては、不正は明るみに出したくないらしい。一子が悪いとは言うまい、にしても、それならもっとましな言い訳が出ないものかと。
自然、私が選べる道筋は、考えていたふたつのうちの後者となった。
「私、小夜戸とは個人的に仲良しだから、原稿、データを預けてくれれば、彼女に
私も結局は一子のことをどうこう言えず、お粗末な嘘を重ねることになった。先輩として指南を厭うものではないが、教えるのが大好きとはとても言えない。断られるかもしれない、というような不安を乃々香嬢に抱かせたくないゆえだった。そんな心配は無用と。
まったくもって不思議なことに、その者はロードアイランド州プロヴィデンスにいるにもかかわらず、この場でのやりとりを全部把握していて、原稿を添削することはもう確約としてあるのだった。
どこが不思議なものか。どれだけの三文ミステリなら、こんな馬鹿げたトリックを使うというのだろう。無論、星は最高五つのうちの
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