異世界転送業と⁂-アステリズム-

0-2 コスプレイヤーは突然に

【SIDE:咲波春馬】

　……カタン

　俺が郵便受けを閉じた音。郵便受けは自宅の安アパートの一階、階段下のスペースにある。俺は二◯一号室に住んでいるので当然二◯一号室の郵便受けだ。そこにはピザや寿司、近くの新築マンションのチラシ等が数枚と、それに混じって一枚の手紙が入っていた。表面には「女神ちゃんより」と書かれている。マンダーレはこっちの世界には来れないのでどうやったかは知らないが住所なども書かれていないので直接投函されたものらしい。手紙の本文は無く、白紙だ。最初はきちんと書いてあったのだが、どうせ後から説明するからいいと言う事で書かれなくなった。

　そしてこの手紙は転送屋の仕事があることを通達するものだ。

　最近、すっかり慣れてしまっているが、死なないとはいえ人を轢くのだからいい気持ちはしない。小さなため息をついた。

　手紙とチラシを持って部屋に戻る途中、廊下で俺の隣の部屋の扉が開いた。

「オヤ。コンニチハ、サクナミサン」

「あ……ども」

　隣の二◯二号室に住む……名前は確かジュレンだ。どこの国から来たかは知らないが日本が好きで外国からやってきたという。交流が有る訳でもなく、こうして顔を合わせれば挨拶をする程度だ。どうやらこれからどこかへ出掛けるらしい。

　部屋に戻るとベッドに腰掛け、目を閉じ、祈る。祈ると言うより念じると言ったほうが正しいかもしれない。

　数秒間そのまま閉じ続けると、突然体がフワリと浮くような感覚に襲われる。

　到着した。ここは女神マンダーレのいる例のサイケデリック空間だ。どういう仕組みでここにたどり着くのかは分からないが、とにかくこれで着くのだ。

　そして来るなり早速、自分の目を疑った。

　このサイケデリックな空間にはあまり似つかわしくないものが置いてあった。

　まず冷蔵庫。どこから電気が来てるかはわからないが一応機能しているようだ。そもそもマンダーレは手を一つ叩けば何でも出てくるのでこんな物は必要ないのだ。

　次にテレビ。中々お目にかかれないような大型の液晶だ。ゲームの画面が映っている。テレビに繋がれたゲーム機もゲームソフトも一番最新のものだ。特にあのゲーム機は世界中で売れまくってどこもかしこも品薄状態で滅多にお目にかかれない。大方、手をパンと叩いて出したのだろう。

　そしてコントローラーの主は……当然マンダーレだ。これまた高級そうなソファベッドに寝転がり、棒アイスを咥えてコントローラを弄っている。扇風機がソファの真横に置いてある。今は冬だ。

　そんな製品達は洗脳ムービーの様にチカチカするサイケデリックに馴染んでいない。広大な砂漠の中心に佇む自動販売機のようなシュールさを醸し出していた。

「何くつろいでるんだよ。いつも言ってるだろ。この空間になにを置いても一切マッチしないって」

「ん〜?」と体を起こしてアイスを手に持ち、こちらに向き直る。

「あ、春馬君。このれいぞうこって言うのとかカッコイーじゃん。ゲームも面白いし、人間って凄いよね。尊敬しちゃう。あとアイスも甘くて美味しいし」

　マンダーレはこんな軽いノリでその他諸々の高級品をポンポン持ってくる。あのアイスもきっと高級品だろう。だが、半月くらい前までのマンダーレブームは一本十円の駄菓子、「うめー棒」だった事は記憶にまだ新しい。

　マンダーレはまだ人間の世界の「文化」というものに詳しくない。

「んで、春馬君、私に何かご用?　それとも遊びに来た?」

　欠伸をしながら首を傾げる。イマイチ緊張感に欠ける。

「いやいや、転送業の手紙が届いてたからこっちに来たんだよ」

「あぁー、そうだったそうだった。今回の転移者（ターゲット）はねぇ……」

　転移者というのはトラックに轢かれて異世界に飛ばされる相手のことだ。マンダーレがドヤ顔でつけた名前だけに、本人の前でこの言葉を使わないと機嫌が悪くなりしばらく膨れっ面になる。

「『古株佑樹（ふるかぶゆうき）』って人だよ」

　話によると、古株は例の如くすでに両親は他界。彼には友人はおろか家族もいない。無職だ。

　転移者は古株のような完全な孤独な人間に限られる。何故なら転移者の事をよく知っていたり気にかけるような人間がいると、異世界に飛ばした後に騒ぎになってしまうからだ。女神的にも、そうして多くの人間を巻き込むよりも問題にならない人間を飛ばしたいのだ。

　本来ならある世界線の生命を他の世界線に送る事さえも問題なのだ。よって自然と転移者は無職だったり、すでに家族が他界している事が多い。

「今回は田瀬介通りの脇道が仕事場だよ。ココね、ココ」

　マンダーレが地図を指しながら説明する。田瀬介通りは田瀬介町唯一の大通りだ。ここだけにはチェーン店等様々な店舗がある。また、駅にも近く田瀬介町で産まれた不運な若者達はこの通りに溜まる。

「時間は明日の午後十一時。道に入ったら後はいつも通りてきとーに走らせれば大丈夫なようにしておくね」

「分かった」

「そうそう。最近、『世界の意思』の動きが活発だから、春馬君も一応気をつけるように!」

　活発も何も、そもそも『世界の意思』とは何なのか。マンダーレはどうしても詳しい事は教えてくれない。このふわっとした名前から何となく察するしかない。

　了解の返事をすると家へ帰る。ここから帰るには来るときと同じ方法を使う。目を閉じ、念じることでその内体がフワリと浮くような感覚がするので目を開く。紛れもなく、俺の部屋のベッドの上だ。

「はぁ……」

　一つため息をついた。最近、妙にため息が増えたような気がする。

　＊＊＊＊＊

　次の日。時刻は午後十一時。場所は田瀬介通りの脇道。時間も時間なので人が少ない。我らが田瀬介通りも少し脇に逸れれば急に暗くなる。

　俺はマンダーレの指示の通りに古株佑樹を異世界に送るべく、トラックで道を走っていた。その内何かあって古株がトラックに轢かれる事になるだろう。と言うのもこの仕事に失敗はまず無いのだ。マンダーレが世界の原則から外れた俺を介して運命を操作しているらしい。だから人に目撃される事もない。

　道の奥に古株が道路を横断しようとするのが見えた。こちらに気付いている様子は無い。後はスピード上げてぶつかるだけだ。

　そしてアクセルを踏み込んだその時、トラックの目の前に黒猫がいるのに気付いた。

　……猫?

　暗がりにいたのでまるで気づかなかった。まずい。普通に轢いてしまう。

　さらに、猫を助ける為か歩道側から古株とは別の人影が飛び込んできた。こんな時に飛び込まれても余計轢きそうになるだけだっつぅの!

「うおぉぉ!」

　ブレーキを強く踏み、ハンドルを横に切った。耳障りな高い嫌な音がした。ぶつかった様子は無いようだ。危なかった。心臓がどくどくと脈打っている。息も荒い。初めてこの仕事をした時はこれより酷かった。

　気付くと古株の姿は無かった。

　細かいことを考えるのは後だ。さっきの人影と猫はどうなったのだろうか。慌てて駆け寄る。

　あの黒猫は飛び込んできた彼女をひらりとかわして去ったようだ。

「すんません!　あの、ケガとか無いですか?」

「痛てて……え!　あ、はい。大丈夫です」

　……んん?

　起き上がった少女の格好を見て、俺は眉をひそめた。

　高校生程に見える少女は茶色の髪を肩ほどまで伸ばし、白のヘアピンをつけていた。大きなマントを羽織っており、先が釣り針のように曲がったトンガリ帽子。レオタードっぽい服には膝程までの長さのスカート。そんな服はあまり凹凸の無い体を強調している。ついでに靴は普通のブーツ。全体的な色合いは黒や紫っぽい。極めつけに自分の背丈程もある木製の杖を持っていた。赤色の石がはめられている。

　魔女みたいだな……と、思い当たる節がある。まさか……

　コスプレイヤー。

「……まぁ理由はどうあれ、こんな時間にそんなコスプレして君みたいな娘がうろつくのは危ないと思うよ、俺」

「こ、こすぷれ……」

　まだ十分に幼さの残るあどけない顔立ち。

　多分、コスプレをしてイベントか何かにいたのだろうが、何らかのアクシデントで服を失くしたか着れなくなって仕方なくだろう。だがコスプレにしてはあのくたびれた感じとか、妙にそれっぽい。界隈では有名なのだろうか。

　それが違うなら……水商売か。

「あ、あの!　これはれっきとしたプロッセータ王国の魔法使いの正装で……」

「え?　魔法使い?」

「あ……いや、なんでもないです」

　それはそれは悲壮感漂う悲しそうな顔をしてしまったので、とりあえず相手にしてあげる事にした。

「えっと……どういうことだ?　プロなんとかの魔法使いって」

　そう聞き直すと顔が急に明るくなった。

「聞いてくれるんですか!?」

「え、あぁ、まぁな」

　そして事の経緯を一方的に話し始めた。彼女はプロッセータ王国というところに住んでいて、郊外の森を散歩中にここに迷い込み、帰れなくなったらしい。普通なら頭の可哀想な娘、で終われるが異世界転送業的にはそうもいかなかった。

「やっと話を信じて貰えました」

　信じたとは一言も言ってないが信じた事にされた。

「不思議な事もあるもんだな」

「ホントですよね」

「……んじゃ、お達者で。さっきは悪かった」

「え、帰るんですか?!　そんな、折角信じてもらえたのに。私、行く宛無いんですよ?　どこにも」

　必死さが伺える。そんな事を言われても困る。

「まぁ、頑張れよ。」

「あぁ……なんかお腹減ってきたなぁ」

　わざとらしい態度でチラチラとこちらを窺っている。なんなんだ、この娘は。

「近くにコンビニあるぞ。それじゃあな」

「うぅ、頑なですね。分かりました。諦めます。そして私は帰ることもできず、一人悲しく死ぬんですね……」

　そして一人で瞳を潤ませた。いや、全然潤んでない。なんて三文芝居だ。

「あぁ、もう。わかったよ!　とりあえず家に入れてやるから!」

　このままではいつまで経っても帰れない。

「やったぁ!　ありがとうございます!」

　飛び上がって喜んだ。話では今日、誰にも相手にされず、困っていたようだ。飲み食いさえ出来なかったらしい。少なくとも俺はこの仕事がなかったら完全に無視しただろう。

　因みに本人はここが全く別の技術や世界観を持つ異世界だと気付きはしたらしい。まぁ改めてここは別の世界だと説明すると驚いていたが。

「んじゃ、乗れ。シートベルト、しろよ」

　転移に使うトラックに乗る。車内はあまり綺麗ではない。そもそも俺以外誰も乗らないので綺麗にする必要がなかったからだ。

　このトラックは予め決められた転移者以外にはその能力を発揮しない。怖い話だが人を普通に轢き殺そうとすれば可能らしい。

「よく見かけますがこの生き物は何ですか?」

「生き物……あぁ、生き物じゃくて、車だよ。ガソリンとか、電気とかで動くんだ」

　適当に説明をしながらエンジンをかける。

「はぁ、がそりん……ですか。おぉ、動いた」

　そんなこんなでしばらくトラックを走らせ家についた。それにしても警戒心のまるで無い娘だ。知らない男の家に上がるとは。異世界では人と人の間でのコミュニケーションがこんな感じで自由なのだろうか。まぁ、今の日本のように閉鎖的なのよりは良いかも知れない。

「おじゃましまーす……うわぁ、見たことのないものだらけですね」

　やはり異世界にはテレビなんかはないのだろう。目を輝かせている。

　こんな部屋に二人が入っただけでも普段より随分狭く感じる。

「そういや、名前は?　俺は咲波春馬だ」

「私はフィーユと言います。フィーユ・イルズィです。どうぞフィーユと呼んでください」

　いかにも異世界といった感じの横文字っぽい名前だ。

　夜飯にしようと冷蔵庫を開けたがなんにもなかったので仕方なく棚からカップ麺を2つ取り出した。

「メシ、カップ麺しか無いからな」

「かっぷめん?」

　異世界にはカップ麺もないようだ。俺はお湯を注いで三分待つとラーメンが出来上がると説明をする。

「あ、ラーメンは知ってます。遠くの大陸から伝わった食べ物なんですよね」

「ん、まぁそんな感じだろ、多分」

　やかんに水を入れ、火をつける。

「あれ、コンロ」

「コンロはあるのか?」

　微妙なところで現代チックだ。

「はい。火属性の魔石が使われてます。ちなみにここのコンロは?」

「……ガスだ、ガス」

　魔石が気になったが丁度お湯が沸いたので後回し。

　……三分後。

「わ、美味しい。お湯だけでこれができるんですか」

「そんな美味しいかな、これ。……そうそう。なぁ、フィーユ。これ食ったらどこ帰るんだ?」

　そんな質問をすると、麺を喉に詰まらせたのかフィーユが咳き込んだ。

「うわ、吐かないでくれよ?」

「す、すいません……私、帰る宛無いんですど……あのぅ……」

　今度は芝居ではなく本当に瞳が潤んでいる。

「こ、ここまでしといてあんまりです!　せめて、せめて一泊!!」

　まぁ確かに帰る宛が無いのを知りながら招き入れてやっぱり帰れは酷かもしれない。

「……ホントに一泊だけだぞ」　　

「わぁ、ありがとうございます!」

　中途半端な優しさは厳禁、みたいなことをどっかの偉い人が言っていたような気がする。

　経験上、ではないが何となく結局一泊では済まなそうな気がする。

「あのぉ……シャワー、お借りしても?」

「え、ああ、構わないけど」

　その後、フィーユはシャワーを浴びた。思えば、この家で俺以外の人がシャワーを浴びたのは初めてだ。

　フィーユが出た後、買ったきり一度も触っていない服が偶然あったのでそれを着てもらった。下着類は……当然女性用のものは無いし、俺のを使えと言うのもどうかと思うし、そもそもそれに深く突っ込むのもどうかと思ったので適当にしてくれと言って誤魔化した。

　その後、誰がベッドで寝るかの論争を経て、結局俺が床で、フィーユがベッドで寝ることになった。

　来客用の布団等は当然無いので適当な毛布を敷いて寝た。床に寝るスペースを確保するためにテーブルを起こして置き直した。狭いと一々不便を感じる。こんならもう少し大きな家にするんだった。

　数分後。フィーユは寝たようだ……というより爆睡中だ。まるで言葉になっていない寝言が聞こえる。

　俺はと言うと、素直に眠れるはずもなく目を閉じてマンダーレの元へ向かった。