第二話 一人目の客


 改めて『日報謎怪』の記事に目を通すと、ジョヴァンニに関していくつか疑問点が浮かび上がる。

一つは

「ジョヴァンニはいつから大日本帝国にいるんだ?」

記事にも記載され、そして見た目通りにも彼は伊太利亜人だ。

しかし、それにしては日本語が堪能で異文化でも不自由なく生活している様に見えた。

居候の対価として家事全般を請け負うとかって出た時は、どんな異国料理を朝餉に出されるか心配だったが、純和風の朝餉だ。

白米はふっくら粒が立ち、味噌汁は出汁まできちんととってある。

思わずため息が漏れそうになる味噌汁に口を付けていると、ほぼ半分食したジョヴァンニが質問に答える。

「一番古い記憶の時からだ。」

およその年齢を聞こうとして敢志は口を噤んだ。

 そして別の質問を投げかける。

「……。伊太利亜には行ったことないのか?」

「ある。一度だけ。」

「いつ?」

「つい最近だ。」

「どうして日本に戻ってきたの?」

困惑した表情のジョヴァンニ。

それを見なかったことにしようと、敢志は白飯をかき込んだ。

「……大日本帝国の方が居心地が良かった。それだけだ。見た目はこれでも私の身体には味噌汁が染みついているようだ。」

漆塗りの椀から立ち上る湯気を肺いっぱいに溜め込むジョヴァンニ。

 しかし何かを思い出したかのように敢志を見つめる。

「だが、帰国初日にまさかあんな事件に巻き込まれるとはね。長い船旅の疲れも吹っ飛ぶほどに愉快な事件だったよ。」

一瞬考えた敢志だったが、愉快な事件とはあの蒸気機関車の事件だという事に気が付いた。

ジョヴァンニは帰国した初日にあの事件に巻き込まれていたのだ。

「帰国したばかりだったのか。」

「ああ。」

初めて出会ったあの事件。

あの時はあの老人が異国の壮年とは一寸たりとも疑わなかった。

今や老人であったという面影は全く残っていない。

「伊太利亜人ってみんな髭付けてんの?」

盗まれてしまい、今は持ち主の手元にない髭とシルクハットとかつら、それに燕尾服のジャケット。下半身はちゃぶ台で隠れているが、上半身だけ見るとシャツにチョッキと、どこかの記者を思わせる。蒸栗色でなく藍墨茶あいずみちゃ色なのがはっきり連想させない救いだ。

「まさか。私だけだよ。」

「意図的に変装しているって事?」

「そうだ。私を育ててくれた女性が勧めてくれた。今の大日本帝国は異国人が胸を張って歩ける場所ではない。」

 大日本帝国の方が諸外国に比べ立場が低いとはいえ、異国人が大手を振って受け入れられているわけではない。

 今までの苦労を思わせる重たいため息が漂う。

「見た目を隠していた方が何かと便利なのだよ。……他に質問は?」

均等に切り分けられた大根の漬物を敢志は掴み損ねた。

さりげなく聞いていたつもりだったが、ジョヴァンニは敢志が自身の事を探っていると気が付いていた。 

 そしてある事柄に触れない事も気が付いていた。

「……。」

「遠慮することはないさ。君だって得体のしれない男をここに置きたくはないだろう。」

 敢志は『日報謎怪』をちゃぶ台の隙間に広げ、人差し指で気になる個所を示した。

「俺は28歳だ。それなのにジョヴァンニは30代と記載されている。これはつまり……。」

 いざ聞いてみたものの、核心に触れる直前で尻すぼみした。

「ジョヴァンニの……。えっと……。」

 警察官の男が言った「家族がいない」そして先ほどの「育ててくれた女性」、それらから導かれる事は予想がつく。

 しかし敢志の口は重い。

「私に両親の記憶はほとんど存在しない。小さいころから日本人女性に育てられた。」

口を開かぬ敢志の代わりに、ジョヴァンニは意図も簡単に言ってのけた。

「年齢どころか誕生日すら不明だ。30代というのはおおよそ、つまり本当は君より若いかもしれないぞ。20代も夢ではないな。」

と、ネクタイをキュッと締め凛々しい顔つきになるジョヴァンニ。

端正な顔つきが更に端正になっただけで若くなったとは言い難いが、こんな状況でも冗談を飛ばすジョヴァンニに感心してしまう。

しかし、その瞳が少し哀愁を漂わせる。

「母が「この子は伊太利亜人のジョヴァンニです。」と言っていた記憶がある。「ギルバーツ」は誰かが父をそう呼んでいたのを聞いたのだ。そこもはっきりしていない、本当に曖昧なのだ。父と母の記憶はこれだけ。その後日本人女性に育てられ、今はここに居候をしている男……私の情報はこれだけだ。」

残りの漬物を口に放り込んだジョヴァンニ。

何かを噛みしめる様に咀嚼し、居間に響き渡るその音は———墓石を削る音に似ている。

その音がジョヴァンニの両親の今を教えてくれている。

 敢志の背中の襖の向こう————仏壇を想い、彼も口を開いた。

「俺も両親はいない。母さんは俺を産んですぐに他界した。父さんは……。」

ジョヴァンニが箸を置き、苦しそうな敢志の話を遮った。

それに関しては昨日聞いた。だからもう大丈夫だと目で訴える。

 二人の間には両親を失った者のみしか分からぬ冷たく侘しい空気が流れていた。


————ドン! ドン!


「?!」

その空気を裂くように店の格子戸を叩く音がした。

続いて戸の向こうから、木材に遮られたくぐもった声がする。

「御免!!」

キレのよい溌剌はつらつとした男の声。

「はい!」

敢志は急いで立ち上がり、格子戸をあけた。

「どちら様ですか?」

朝の光が入り込み、一瞬目が眩む。

 目を細めた先に声の主が立っていた。

伸ばされた背筋に、整った制服、腰から下がるサーベル——————警察官だ。

 もうここ数日連続でお世話になっているその姿に、今度は何事かと思ったがすぐさま理解した。

「ジョヴァンニ!」

きっと昨日の窃盗犯が見つかったのだと思い、敢志は居間に向かって声をかけた。

 奥からジョヴァンニが顔を覗かせる。

しかし、警察官がこちらに来ようとしているジョヴァンニを止める。

「いえ、某はここの店主・伊東 敢志殿に御用があって参った。」

 ジョヴァンニの足が止まり、それを見ていた敢志が警察官の男の方へ振り向く。

話し方が少し武士訛りなのに、見た目は敢志より若く見える警察官の男。

若さあふれる瞳が真っ直ぐに敢志を射抜く。

どこかで味わった感覚に背筋に鳥肌が立った。

「少々お話がございます。」

そう告げた男。

「分かりました。中にどうぞ。」

ただ事ではないと感じ、敢志はまだ朝餉の残る居間へと警察官を通した。


 朝餉を下げ、ジョヴァンニがお茶を煎れに行っている間、男は真っ直ぐに敢志を見つめていた。

その視線に耐えかね、敢志の方から口を開いた。

「ご用は?」

「朝早くに申し訳ござらん。某、東京警視庁の相良さがら 真一しんいちと申す。階級は一等巡査。以後よろしくお頼み申す。」

と、土下座の様に頭を深々と下げた相良。

再び上げた表情は更に硬さを増していた。

「本日は伊東殿にお尋ねしたいことがあって参った次第。」

「俺に?」

「左様。伊東殿……。」

血が出そうなほど唇を噛む相良。

「……柄前つかまえ はじめ殿の最期を教えてくだされ。」

必死に絞り出した声が放った名前は、あの蒸気機関車で殺害された警察官の名だった。

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