第21話 決着
「
呪いを行った彼女なりの理由については答えを得ることが出来たが、
「何よそれ? 石清水の件を反省して、泣いてあいつの墓の前で謝罪でもすればいいの?」
「後悔も反省も無いってことか?」
高笑いすら上げている彩乃の様子を見て、涼の顔色は不快感に曇る。
「あんな最低な奴、死んで当然なのよ。一方的な嫉妬で何も悪くない雫ちゃんに嫌がらせをして、そのことをまったく悪びれていなかった」
「だから
「私にとっては重罪人ですよ。石清水は嫌われ者、誰だってあいつよりも雫ちゃんにいてほしいと思っているはず。だから私は石清水を代償として使い雫ちゃんを呼び戻そうとした。なのに結果はあの有様。本当に最後まで嫌な女! 雫ちゃんを呼び戻すための生贄としてすら不十分だったのだから」
「なら昼間に君がショックを受けていた理由は何だ? 嫌っていた相手とはいえ、自分のせいで石清水があんな目に遭ったことに、少なからず責任を感じていたからじゃないのか?」
流石に昼間のあれが演技だったとは思えない。あの時の彩乃は間違いなくショックを受け、言葉に詰まるほどに動揺していた。後悔にしろ、罪悪感にしろ、石清水に対して何らかの感情は抱いていたはずだ。
「ショックでしたよ。だって雫ちゃんを呼び戻すのに失敗してしまったんですもの。ショックでショックで、今にも泣き出しそうだった」
その言葉を聞いて涼は唖然とした。
良心の欠片も無い。
こんな言葉を思い浮かべてしまう時が来るなんて……。
「石清水の死に、何も感じていないのか?」
「感じてないわけないでしょ? 雫ちゃんを取り戻すための生贄としてすら役にたたなかったあいつのことが、ますます嫌いになりました」
「そもそも雫が消えた原因は君だろうに! それを……」
「私からしたら、あなたこそおかしいわ。大切な妹が傷つけられたというのに、それでも石清水に同情するの? 結局あなたはその程度にしか雫ちゃんを大事にしていないのよ。誰よりもあの子を思っているのはこの私! この私なの!」
大仰な動作で必死に彩乃は主張した。演説のように、或いは釈明のように、自らが一番正しいと、その一点を貫き通す。
「……笑わせるな」
押し殺した言い方だったが、紛れもない怒りの感情が込められていた。
両の目から発せられる殺気にも似た鋭利な視線は、高慢な態度を貫いていた彩乃を怯ませる。
「雫を大切に誰よりも大事に思ってる? ならば何故、君自身が代償写真の生贄に成ろうとしなかった?」
「それは、失敗のリスクが……」
涼の問いかけを受けて彩乃は言葉に詰まる。彼女が本性を露わしてから見せる、初めての消極的な姿勢だ。
「本当に雫のことを思うのならリスクなんて関係ないだろう。もしかしたら成功するかもしれないしな。結局君は自分を犠牲にする覚悟が無かったから、気に入らない石清水を利用しただけの臆病者だ。そんな奴が雫のことが一番大事だと言うんだから、これはもう笑うしかないだろう」
涼はあえて挑発的に笑って見せた。そんな涼の姿に彩乃は怒りで顔を紅潮させていく。
「ふざけないで! 仮に私の存在が代償写真で消えて、それで雫ちゃんが戻ってこれたとしても、この世界に私はいないのよ? それじゃあ意味がないじゃない。間違いを修正し、あの子と再会するための代償写真なのに」
「ほら、やっぱりその程度の覚悟しかないじゃないか。本当に雫のことを思うのなら自分自身のそういう感情さえ押し殺して、雫を助けるためにやれることをするべきなんじゃないのか? 結局君が優先させているのは自分の事情、雫を一番になんて考えていないんだ」
その言葉を聞いた瞬間、彩乃は大きく目を見開いて涼の胸ぐらへと掴みかかった。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ならあなたにはそれが出来るっていうの? 例え成功しても自分は消える、失敗して無駄死にに終わる可能性だってある。そんな儀式の代償に、自分を差し出せるっていうの?」
「雫のためなら喜んでやるさ」
即答。口元には笑みすら浮かべていた。
「そんなの綺麗事よ!」
「君は綺麗事すら吐けなかったじゃないか」
「それは……」
彩乃はすぐさま反論を発することが出来ず、表情を隠すかのように俯く。涼の言葉に思うところがあっての葛藤なのかもしれない。
「やっぱりあなたは大嫌い! 居なくなればいい、あなたなんて居なくなればいい」
彩乃は自らの思考を振り払うかのように頭を激しく左右に振り、怒りに任せて叫び散らした。
「またそうやって否定に走るのか? 初めてあった時の君は、もっと聡明な人間だと思っていたんだが」
「うるさい! その口、きけなくしてやる!」
彩乃は血走った眼で涼を睨み付けると、不敵に口角を釣り上げた。
「出番よ、
「はい、彩乃さん」
涼が呆れ顔で振り返ると、どこから現れたのか、目の据わった
「佐古田、お前まだあんな奴の言いなりになる気か? 騙されてることはとっくに承知だろ」
「彩乃さんは言ってくれました。私のためにあなたを殺してくれと。そうすれば、正式に僕と付き合ってくれると」
「正気か?」
「あなたに恨みはありませんが、僕と彩乃さんのために死んでください」
まるで説得が通じるような雰囲気ではなかった。どうやらすでに正気ではないようだ。
馬鹿な奴とは思っていたが、人を殺すことさえ厭わないというのは流石に想像を超えている。
「念のため佐古田に声をかけておいたの。今度はきちんと
「意外にお似合いかもしれないな。狂った者同士」
皮肉など口にしている場合ではないが、本気でそう思った。
「さあ、そいつを刺しなさい」
「はい」
彩乃の命を受け、佐古田は額に汗を浮かべながら一歩ずつ涼に近づいてくる。迷いは無くとも緊張はしているらしい。これから人を刺そうというのだから当然といえば当然だ。
「俺としては、一対一の話し合いを望んでたんだけどな」
「別にそんな約束をした覚えはないわ。一人で乗り込んできた自分の無能さを呪って」
「別に俺も一人とは言ってないぜ」
「その通りだ!」
涼の言葉に合わせて階段付近から人影が飛び出し、勢いよく佐古田に殴りかかった。
「があ!」
佐古田の細身な体はいとも簡単に吹き飛びフェンスに直撃、握っていたナイフは殴られた際の衝撃で手放した。
「助かったぜ、
「冷や冷やさせるなよ。佐古田の馬鹿がナイフまで出してきた時は、流石に驚いたぞ」
「あなたは、喫茶店で佐古田と一緒に居た」
「……涼の相棒の
苛立ちを抑えつつ簡潔に麟太郎はそう述べた。これまでの話を陰から聞いていた麟太郎は彩乃の身勝手さに怒り心頭だった。今は涼のターンであることは理解しているので、必死に怒りを抑え込み、口を挟むことはしない。
「生憎と俺は、一人で敵地に乗り込むほど勇敢じゃなくてね」
涼とてもしもの事態を想定していなかったわけではない。推理を全て聞かせた上で、護衛として麟太郎を伴ってきたのだ。
「君の思惑は外れ、この通り俺はピンピンしてる。君の負けだよ」
涼はゆっくりと彩乃に近づいて行く。口調こそ穏やかなものであるが、その目つきは昼間に佐古田を震え上がらせたそれと同じだ。まるで殺し屋が凶器を構えて一歩ずつ歩み寄ってくるような、そんな錯覚を彩乃に覚えさせる。
「ひっ!」
間近まで迫った涼と目が合い、彩乃は思わず短い悲鳴を漏らす。
「……彩乃さんに、近づくな!」
地面に伏していた佐古田が息を吹き返し、素早く立ち上がって涼に襲い掛かろうとするが、その正面に麟太郎が立ち塞がり、さらに一発拳を顔面に叩き込む。
「どけ!」
「馬鹿野郎! いい加減目を覚ませ」
一撃を叩き込まれてもひるむ様子を見せない佐古田に、麟太郎は更にもう一発、右ストレートを叩き込んだ。
「草壁彩乃。君は最も大切としている雫を自らの手で消し、更には石清水若奈の命まで奪った。それは許されることではない。呪いなんて
「……罪」
「君は、最も大切にしていた存在を自らの手で消してしまったという罪悪感を背負って生きていくんだ」
「大切な存在、雫ちゃんのいない世界」
「そうだ雫のいない世界だ」
「いや、そんなの耐えられない! 雫ちゃんがいない世界なんてそんなの私の世界じゃない!」
「そうしたのは君だ。君自身が招いた結果だ。雫がいない世界なんて誰も望んでいなかった。だが世界はそうなってしまった。全ては君のせいだ。君が全て悪いんだ」
過ちを犯し雫を失ってしまった時点で、精神のひび割れは始まっていたのだろう。
彩乃が最も許せないのは大切な存在である雫に害を成す人間。
害を成したのが誰なのかをしつこいまで強調して自覚させてやれば、ひび割れた精神は呆気く自壊を始める。
「私はただ、雫ちゃんを……」
草壁彩乃は大粒の涙を流し崩れ落ちると天を仰いだ。まるで神に救いを求め、奇跡でも願うかのように。
その動作を最後に草壁彩乃の目から生気が消えうせた。全て諦めきったかのように脱力し、虚空を見上げる。
今度こそ、彼女を支える糸がプツリと切れてしまった。
そんな彩乃の耳元に涼はそっと顔を近づけ囁く。
「……最後に君の願いを一つだけ叶えてやる」
「……」
彩乃は反応を示さない。それでも構わず涼は続けた。
「代償写真のやり方を教えろ。石清水を使ってそれをやろうとしたんだ、知らないとは言わせない」
「……やり方は――」
消え入るような声で彩乃は淡々と答えた。そこに彼女の意志があるのかどうかすらも分からない。只々、機械的に言われたことに答えているだけなのかもしれない。
「そうか。そのことを教えてれたことにだけは、礼を言っておくよ」
涼はスッと立ち上がり、身を翻して彩乃に背を向ける。
「良かったな。結果はどうであれ、これで君の嫌いな
「……」
その言葉に彩乃は無反応だった。果たして言葉が届いているのか、届いていたとして意味を理解出来ているのか、それは本人のみが知るところだ。
「今度こそ、壊れちまったか」
物言わぬ人形と化した彩乃を哀れむように涼は背中を向けた。
「終わったのか、涼?」
拳を血で染めた麟太郎がそっと涼に近づく。佐古田は麟太郎に打ちのめされて気を失っている。顔面を鼻血で染めて仰向けに倒れていた。
同情の余地はないが、ある意味では佐古田も、草壁彩乃によって狂わされた被害者の一人なのかもしれない。
「ああ、これで終わりだよ」
「最後に草壁と何を話していたんだ?」
「別に大した話じゃない」
「大した話じゃないって、何だよその意味深な言い方」
「本当に大した話じゃない。あまり勘ぐるなよ」
涼は苦笑して麟太郎を小突く。
「流石に疲れた。麟太郎、悪いが後を任せてもいいか?」
「それは構わないが」
草壁綾乃の発言にはかなりきついものがあった。その悪意を一身に受けていた涼の心中を考えると精神的疲労は相当なはずだ。休みたいという涼の気持ちは麟太郎にもよく分かった。
彩乃と佐古田をこの場に放置しておくわけにもいかないし、麟太郎にはこの場に残る以外の選択肢はない。
「悪いな」
涼はそう言い残すと、ゆったりとした足取りで屋上を後にした。
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