第35話 不可解な入札もオークションなら

「参院選挙が終わった後、事務所の前で会見していたわよね」

と市川深雪。睡眠障害を理由に国会を休み、口利き疑惑の追及を逃れていた甘利明前経済再生担当相のことだ。テレビの画面で見る限りは会見ではなく、単なる囲み取材だった。

「元気そうだったわよね。十分に睡眠も取れてるみたいにさ」

ママ友の高岡美佐子が皮肉で応じた。

「あれさ、選挙の前に発言していたら、自民党に反発する世論が大きくなって、選挙結果に悪影響が出るのを防ぐためですよね」

幹太が恭一に確認する。

「マスコミや評論家のように、そういう風に考えるのが普通だろうね」

とした上で、一抹の不安を口、にした。

「今回不起訴にしたことで、これから益々、政治家の口利きをしやすくしてしまったんじゃないかって思う」

話が横道にそれる。「政治の世界」に一般社会の常識では極めて怪しく映るグレーゾーンが多過ぎるのが原因だ。全国で議員の辞職が相次ぐ政務活動費の不正使用だってそのひとつだ。

「じゃあ、次に仮説②。『存在は知らなかったけど、市場建設をめぐるカネの問題と安全対策、両方とも議会で問題にしたくない』説。こっちはどうだろう」

恭一は再び、自民党都議団の豊洲視察が遅れた原因に話を戻した。

「こっちの方が現実的かな。元々、小池知事と対立的な構図にあるわけだし」

幹太は小池知事と対立関係にある都議会自民党が、知事の掲げる東京大改革の足かせになると考えているようだ。新聞や雑誌もそう報じていた。

「それは正確じゃないし、そんなに単純な話でもないわ、きっと。小池知事との対立は知事選からの話。豊洲の移転はずっと前からの話で、都議会自民党は早く移転するために動いてきたのよ」

都議会自民党は、豊洲への市場の移転決定や土壌整備、各棟の建設を請け負う業者の決定にも大きな影響を与えたと囁かれている。深雪が疑っているのは、俗に言う政官財の癒着だ。実際、不自然な入札と落札ついて疑惑が報じられている。事実関係が明らかになって困るのは誰か。深雪の考えには、デザイナーの夫の影響が大きい。

築地市場の豊洲移転が事実上決ったのは2011年3月11日午後。正に東日本大震災発生の直前だった。都議会で豊洲市場の設計予算が可決。移転か存続か-。10年余りに渡って繰り広げられてきた築地市場問題は豊洲移転に大きく舵を切った。当時、都議会で過半数を持ち与党だった民主党は豊洲移転に反対を表明していたが、直前まで行方をくらましていた一人の与党議員が突然、可決に賛成に回ったため、自民党などの賛成が上回る予想外の騒然とした採決となった。新聞や週刊誌で報じられた採決までの不可解な経緯は、都議会自民党が豊洲移転に深くかかわっていたことを強く示している。しかも、築地の移転については市場で働く業者も賛成派と反対派が分かれ、豊洲移転賛成派の築地市場の仲卸業者の組合で組織する団体は、自民党都議連に毎年のように200~300万円の政治献金を続けていた。その合計は1,300万円に上ると報じられている。ちなみに、自民党側に寝返ったとされるその議員はその後、区長選挙に自民党の推薦を受けて立候補するが落選した。


「実際、知事は別にして東京都も移転したかったんだ。築地の老朽化は以前から問題になっていたし、手狭にもなっていた。築地は一等地の銀座からすぐの立地だし、市場を移転すれば、跡地の転売で大きな利益が期待できるからね」

と恭一。現築地市場の跡地の売却益は、豊洲新市場の建設費用約6,000億円の一部に織り込み済みだ。もし豊洲移転を白紙撤回し、築地市場を再整備することになれば、見込んだ売却益と豊洲市場の建設費用合わせて1兆円近い出費となる計算らしい。

「建設を請け負う会社にとってもスムーズに移転してくれないと困るよね」

と愛香。豊洲の建物はほぼ完成しているので、建設費などの損はないが、不透明な入札、落札過程が大きく報道されれば、イメージダウンは避けられない。マスコミの追及で、癒着の事実が発覚する可能性もある。場合によっては東京オリンピック・パラリンピックの競技会場建設の入札や落札経過にも飛び火しかねないからだ。

「確かに困るだろうけど、そんなことより気になるの~」

と幹太。核心に迫ろうかという時に、珍しく空気を読まずに話の腰を折った。

「何それ?」

「ムード歌謡の貴公子、タブレット純。あれっ、タブ純、知らない?」

深雪が反応した。ネタが空振りしなかったので幹太は左手を軽く握ってガッツポーズ。

「知らない」

「知らない」

「面白いのよ。おネエ風な外見のタレントさん。歌手でお笑いタレント? 芸人で歌手? 歌手で芸人? あれっ、どっちだっけ」

と美佐子。広海や愛香と違って、さすがに主婦の守備範囲は広い。

「どうでもいいけど、ペラいこと言わないで、もう」

広海に非難された幹太は、真面目な顔で切り出した。

「建設を担当した会社にとっては移転の時期なんて大した問題じゃないんですよね。実際、ほぼほぼ出来上がっているんだし。それより気になるのは建設を請け負った時の契約に注目が集まること。ねぇ、マスター」

「そこまで指摘するんなら、『最後まで自分で説明しろよ』と言うところだが、まあ、いいだろう。オレが考えている自民党都議団の地下空間視察が遅れた理由ともカブるからな」

「カブるんですか」


恭一はエクセルで打ち込んだパソコンの画面を見ながら、ホワイトボードに丁寧に表を書き始めた。

豊洲新市場建設に関係する入札結果だ。はじめに土壌汚染対策工事分。


青果棟-鹿島建設JV、落札額114億円、落札率93.9パーセント。

水産仲卸売場棟-清水建設JV、落札額318億円、落札率97.0パーセント。

水産卸売場棟-大成建設JV、落札額85億円、落札率94.7パーセント。


次に本体建設工事分。


青果棟-鹿島建設JV、落札額259億円、落札率99.96パーセント。

水産仲卸売場棟-清水建設JV、落札額436億円、落札率99.88パーセント。水産卸売場棟-大成建設JV、落札額339億円、落札率99.79パーセント。


「何か難しそう」

愛香は拒絶反応を起こす寸前だ。

「そんなことはない。買い物をするのと同じことだよ。例えば、イチロー直筆の日米通産3,000本安打記念のサインボールと、メッシのサイン入りユニフョーム、錦織圭のサイン入りラケットを持っているコレクターがいて、オークションに出品するとしよう」

恭一は分かりやすいように例を挙げた。4人掛けのテーブル席に、棚に飾ってあったプロ野球選手のサインボールと水色のTシャツ、そしてどこから持ってきたのか、年季の入ったテニスのラケットを並べた。

「オークションですか。僕らも参加できるわけですね」

手に取ったボールをこねながら笑顔を見せる幹太。

「もちろん、入札は可能だ。サインボールが日米通産3,000本安打記念だったり、ラケットが全米オープン準優勝時の限定品だったら、値が張ってとても買えないから普通のな」

「はい」

架空の喩え話だが、少しでも現実味を持たせたかった。

「条件は2つ。入札希望者のそれぞれのアイテムへの入札は1回だけで、締め切りまでは非公開。出品したコレクターは予め売りたい希望価格を公表する。つまり金額の上限が決まっている。その範囲内で最も高い金額を提示した人が落札できるルール。一般入札と同じ」

「なるほど」

オークションの例示で、高校生や主婦にも話が分りやすくなった。恭一は話を豊洲新市場に戻した。


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