異端者は悪い奴ばっかじゃない

「先に待機場所で他のメンバーと顔合わせをしておく。疲れただろう? 北斗は息抜きしてからでも来ると良い」

 兄の言葉をありがたく受け取り、北斗はフラフラとした足取りで更衣室へ向かった。着替える際、ロッカーに押し込んでおいたあるものを掴み取り、人気のない場所を探す。疲れた時の息抜きと言ったら、北斗の中では一つしかなかった。

 体育館裏に続く扉を開け、段差に腰掛ける。温かい春風が吹き抜け、小鳥が頭上で囀っていた。すぅっと肺一杯に外の空気を吸い込んで、右耳にイヤホンを捩じ込んだ。お気に入りの曲を聞きながら、がむしゃらにギターの弦を弾く時間が何よりも好きだった。歌詞を口ずさみながら一番を奏で終え、ふぅっと息を吐き出す。頭の中をぐるぐると回る小難しい問題に白旗を上げるように寝そべり、雲一つない青空を見上げた。

「どっちも間違っていない……か」

 金敷の言葉を思い出し、盛大な溜め息を吐いた北斗の真上に影が差した。

「よう、甘ったれの弟くん」

 北斗を見下ろす人物と、急に投げ掛けられた言葉に慌てて飛び起きた北斗は「赤星くん」と大声を上げた。うるせと顔をしかめながら爽やかなリンゴ味の飴玉を口内で転がし、赤星は北斗の隣にしゃがみ込んだ。

「金属コンビに論破されて戦意喪失か? 情けねぇな」

 金属コンビ、恐らく金敷と銀塔の事だろう。赤星の事だ、もしかしたら2人の性格が金属並みに堅物である事とかけているのかもしれない。

「だってさぁ……意見言っただけなのにあそこまで言われるとは……金敷先輩と銀塔先輩、やっぱ怖いよ」

 半泣きの状態で弱音を吐く北斗に、赤星は飴玉をガリガリと噛み砕いた後、開口した。

「言いてぇ奴には言わせとけよ。

 ……俺もお前と同意見だし。口挟めばややこしくなるから言わなかったけど」

 赤星の返答に北斗は目を瞬かせた後、前のめりになって「本当!?」と同意を求めた。目をキラキラと輝かせる北斗の頬を「近い」と言いながら押し戻し、赤星はゆっくりと空を仰いだ。

「異端者は悪い奴ばっかじゃない。……お前は間違ってねぇよ」

 ぶっきらぼうに言い放った後、視線を逸らした赤星の額には汗が滲んでいた。もしかしたらそれを言うために北斗を探していたのかもしれない。接しにくい、苦手だと思っていた彼の評価がコロッと一転した。不器用で人付き合いが苦手なだけで、本当は優しい人なんだろう。赤星にもう一度感謝を伝えた後、北斗は首を捻った。

「赤星くんは【レットウセイ】の待機場所行かないの? 顔合わせとか……」

「は? 行かねぇよ面倒臭ぇ。異端者と戦う理由ねぇし。……あの面子と連携するくらいなら、高い壷買うわ」

 例えが独特だなぁと北斗は苦笑した。先程まで憂鬱だった気分は途端に晴れた。趣味のギターを弾いたからかもしれないが、きっと一番の理由は赤星と話したからだろうなと考えて笑った北斗に「急に笑うな気持ち悪ぃ」と彼らしい野次が飛んで来た。

「嬉しい事があったから笑ってるんだよ」

 ケラケラと軽快な笑い声を上げる北斗に「気色悪」と素っ気ない態度を取り続けていた赤星は、やがて体育館の入り口で「あっ」と声を上げた人物に顔を歪めた。カツカツと靴音を鳴らしながら歩み寄って来た花条に北斗は「よっす、朝ぶり」と手を挙げた。

「よっす、ほっちゃん。

 ……赤星、顔合わせ行くぞ。お前以外とは全員終わったんだからな」

「俺の顔なんてさっきの会議中継で全員見てんだろうが」

 屁理屈捏ねるなと言いながら、花条は赤星の腕を掴んだ。力加減を知らない、馬鹿力なんて言われていただけあって、花条に腕っぷしで勝てた者は一人もいない。痛みに悶絶する赤星を半ば強制的に引き摺りながら「うちの子が迷惑かけてすいません」と奥様口調で冗談めかして言った花条に「いいのよ奥さん、気にしないで」と見送った後、北斗は立ち上がった。

「よし……俺も行くか」

オチコボレ】の待機場所は旧3年6組の教室。それをデバイスのマップアプリで確認した後、北斗はギターケースを背負い、急ぎ足で体育館を飛び出した。


 呼吸を一つ二つと繰り返し、扉に手を掛けた。兄に任せてしまったけど大丈夫だろうか、上手くやれているだろうかと不安を抱えながら扉を引き、中を覗き込んで見ると。

「お、北斗。落ち着いたか?」

 まるでリスのように頬袋をパンパンに膨らませ、家でも滅多に食べる事のないスナック菓子を咀嚼している兄の姿がそこにはあった。目を白黒させながら北斗は後ろ手で扉を閉め、湊斗の隣に座った。教室の後ろ半分が机と椅子に覆われている教室内で、大量のスナック菓子やチョコレートを囲むように【オチコボレ】のメンバーは胡坐をかいたり、ちょこんと体育座りをしながら談笑し、交流を深めていたようだ。

「ごめん遅くなって。息抜きしたらだいぶ楽になったよ」

 それは良かったと微笑んだ湊斗の隣で、比与森がひらりと手を挙げながら「北斗、後で割り勘な」と告げた。知らないメンバーばかりの中、兄と友人の比与森が同じというだけで安心感は大きい。

 了解と返事をしながら北斗はギターケースを下ろし、先程から兄が夢中で食べているサワークリーム味のポテトチップスに手を伸ばした。

 パリパリとしたポテトチップスの食感に加え、オニオンとクリームの爽やかな味わいが口いっぱいに広がった。普段間食をしない兄が夢中になるのも分かる。一度食べたら病みつきになる味だなと考えながら咀嚼を行っていれば、ちまちまとクッキーを食べ進めていた有馬と目が合った。その瞬間ジトッと目を細め、怪訝そうな顔をした有馬を一瞥し、隣に座っていた比与森が「こら」とその頭をペチンと叩いた。

「北斗、ごめんな。こるりが失礼な事言ったみたいで」

 叩かれた頭を擦りながら、有馬は「何も叩く必要はないでしょう」と唇を尖らせた。そんな2人のやり取りはどこか親しげに聞こえる。

「比与森、有馬さんと知り合い?」

「嗚呼、家が近所でさ。いつの頃だったか忘れたけど……こいつが引っ越して来てからよく遊んでやったんだよ」

 頼んでないとすました顔で告げた有馬に、比与森は「明日も遊ぼうってせがんで来た奴がよく言うわ」と皮肉を込めながら返答していた。比与森の姉御肌はここから来ているんだろう。

「じゃあ改めて、北斗も合流した事だし自己紹介でもするか。俺と……比与森と有馬は顔見知りだから……」

 残りのメンバーをと言い掛けた湊斗の言葉を遮って、先程から目をキラキラと輝かせていた女子生徒がピンと挙手をし、前のめりになりながら発言した。

「はい! 1年の飛影優子、【オチコボレ】のNIGHTです! あの、もしかしなくても去年の学園祭でギター弾いてた先輩ですよね!?」

 北斗の顔とギターケースを見比べながら問い掛けた飛影に、北斗はぎこちなく頷いた。

「もう1人のギターとボーカル担当してた男の先輩もめっちゃ上手かったんですけど、先輩のはなんて言うか……こうズシンと音が落ちて来て、とにかく凄くて!」

 ギターとボーカルを担当していた男の先輩。その言葉に北斗・比与森の表情が曇った。去年の学園祭、軽音部が“まだ”存続していた時の事だ。かつての事を掘り下げられる前にと、北斗は話題を変えるように「覚えてくれて嬉しいな、ありがとう」と笑い掛けた。

「まさか同じチームになれるとは思ってなくて……光栄です!」

 握手してくださいと興奮気味に告げた飛影に手を差し出せば、彼女はそれを両手で握りながら「一生手洗わない」と零していた。まるで好きな芸能人に会った時のファンのような反応だ。赤髪のツインテールに、小型犬のような茶色い目。……気のせいだろうか、耳と尻尾が見えて来た。

「ほら優子。先輩困ってんだろ、その辺にしとけ」

 放っておけばマシンガントークを延々と放ちそうな飛影の首根っこを掴み、北斗から引き剥がした男子生徒に彼女は「何すんのよ貞原」と眉を吊り上げた。すいませんと北斗に平謝りをした貞原と呼ばれた生徒に目を向ける。こげ茶色の髪をピンと立ち上げた彼は制服越しからその体格の良さが浮き出ており、オレンジ色の三白眼が北斗を映していた。

「あ、俺同じく1年の貞原良、【オチコボレ】のROOKっす。優子とは幼馴染で」

 ジタバタと抵抗する飛影を元々座っていた場所に押し戻しながら、貞原は申し訳なさそうに眉を下げた。これまでも散々飛影に振り回されて来たのだろう。彼の対応は手慣れているように感じた。

「KINGも遠慮せず食べて下さい」と促した貞原の言葉に甘え、北斗は個包装になったアーモンド入りのチョコレートを一つ摘まんだ。

 残りは3人。北斗と同じ2学年というだけあって、見覚えのある顔ばかりだ。顔と名前は精々一致しているものの、これまで接点がなかったため、親しい間柄ではない。

 その中の1人・戸塚雪はふわあっと大口を開けて欠伸を漏らした後、眠たげに目を擦りながら「……あれ、何か1人増えてる」と呟いた。……先程から微動だにしないと思っていたが……もしかして今の今まで寝ていたのだろうか。跳ねの少ない黒髪に今にも閉じかかりそうな青色の目を擦りながら、戸塚は大きく伸びをした。まるで猫だ。

「さっきから居たぞ。寝惚け過ぎだ、戸塚」

 そうだったっけと語る彼に鋭い指摘を放ったのは芥答院けとういん燐。黒瀧湊斗を毒舌にしたもの、というのが一番伝わりやすいだろう。

 湊斗を迎えに図書室へ赴けば、彼は必ずと言っていいほど居座っている常連でもある。常に教材を広げ勉強しているか、難しそうな本を読んでいる上、誰に対しても辛辣な性格が災いし、彼の周囲に人が居るのは見た事がない。跳ねのない茶髪と冷徹な空色の瞳から話しかけにくいオーラが滲み出ていた。

「黒瀧兄の方なら兎も角、弟の方も一緒とはな。……最悪だ」

 そして湊斗を迎えに行くため、頻繁に図書室を訪れていた北斗は彼から快く思われていない。先日の比与森との会話中に大声を出してしまった事など、思い当たる節はいくつかある。

 自分に友好的な飛影・貞原と交流を深めるのはそう難しい事ではない。だが、自分に対しての不信感や嫌悪感といったものが100を超えている芥答院とどうコミュニケーションを取ったらいいものか。腕を組み、考え込んでしまった北斗はふと、最後の1人であり最大の難関へ思わず眉を顰めた。

 黒宮 珱我ようが。通称“狂犬”。誰に対しても乱暴的な立ち振る舞いからいつしかそう呼ばれるようになった。教員は勿論の事、風紀委員も手を焼く問題児だ。当然、そんな彼の周囲に人が寄り付く事はない。

 短く切り揃えられた黒髪はハリネズミのようにツンツンと飛び跳ねており、ツリ目がちな黄色い目の下には色濃い隈が刻まれていた。寝不足なのかなと考えていれば、北斗と視線が合った瞬間、黒宮は盛大な舌打ちを零し、デバイスに目を落としてしまった。前途多難だなと考えながら、北斗は口を開いた。

「えっと、知ってる人も居るだろうけど、改めて。【オチコボレ】KINGの黒瀧北斗、2年。弟のうるさい方って覚えてな。

 好きなものは音楽とギターとお菓子、それから犬! 嫌いなものは勉強と静かな場所。頭使うのも苦手だから、作戦立てる……とかは向いてないかも」

 何はともあれよろしく、と頭を下げれば飛影・貞原は「よろしくお願いします」と礼儀正しく頭を下げ、比与森・戸塚といった同級生達は「よろしくー」とフランクに返答してくれた。黒宮・芥答院・有馬から反応はなかったが、聞いてくれただけマシかと小さく息を吐いた。

「あ、そうだ。お近付きの印に……皆で食べてよ」

 そう言ってジャケットやズボンのポケットに手を突っ込み、飴玉やチョコレート菓子を次々と取り出した北斗に、湊斗は「出た、北斗の無限ポケット」と顔を顰めた。どういう意味だとその場の全員が首を捻ったものの、その理由は次々と床に放り出されて行く菓子類を見れば一目瞭然だ。

 全てが個包装になっているお菓子で、それらをポケットに2つ3つ忍ばせるのは容易だが、北斗の量は尋常じゃない。それだけあればポケットやズボンがぷくっと盛り上がるだろうに、その収納方法や仕組みは謎のまま。黒瀧家七不思議の一つだ。某ネコ型ロボットのポケットを倣い、アレンジして名付けられたのが北斗の無限ポケット。何とも分かりやすい名称だ。

「北斗、もういい。あまり出して残しても勿体ないからな」

「そう? まだまだあるから足りなかったら言ってよ」

 こんもりと砂場の山くらいまで積み重なったお菓子を見て、湊斗はまだあるのかと目を見開いていた。怪奇現象と呼ぶに相応しい光景を目の当たりにし、全員が北斗の無限ポケットから出された菓子を摘まみ出した時だった。

 校内放送のチャイムが鳴り響いた後、理事長の凛とした声がスピーカーから聞こえ始めた。

「全生徒に通達。

 一部の生徒に開放していた学生寮を全面的に開放し、各色で共同生活を行って貰う事となった。保護者の方への説明は概ね完了しているが、一部はまだ連絡が取れていない。

 引っ越し作業費は全て防衛軍が負担、後日保護者の方を交え三者面談の形を取り、誓約書への捺印等を行って貰う。

 それに伴い、これより1週間をその準備期間と称し、休校措置を取る。詳細は全員のデバイスに資料を転送しておいた、目を通しておいて欲しい。

 5月22日、全KINGを収集し、一回目の【有限戦争】の説明を行う」

 以上だと用件だけを手短に伝え、校内放送は途切れた。



 異端者、【オチコボレ】のメンバー、そして【有限戦争】。それらの問題を一つ、二つと考えやがて頭を抱えながらあーっと叫んだ北斗の脳天にお盆が勢いよく直撃した。

「いって! 何すんだよ、姉貴!」

「突然叫び出す弟を叱り付けるのは姉の務めよ。近所迷惑だから、少しは声量抑えなさい」

 ジンジンと痛みを発する頭を擦りながら、北斗は意を唱えるように姉を見上げた。動きやすそうな黒色のロングTシャツにスキニーパンツ、シンプルな紺色のエプロンは可愛らしさよりも機能性を重視したのか、沢山のポケットが付いている。邪魔にならない様にと短く切り揃えられたベージュ色の髪は、以前見た時よりも更に明るく染め直されていた。くりくりとした紫色の目は母親そっくりだ。

 姉・黒瀧里花は新夏区祭園に門を構える園場坂そのばざか大学に通う2年生だ。保育学科・服飾科など家庭科系の学部が中心で、里花は栄養士を志し、調理学科で日々勉強を続けている。幼い頃から父の店に立ち、現在もサークルや大学生活・バイトの合間を縫って父の店を手伝っている姉は“ほたる星”の看板娘と言っても過言ではない。常連客が来れば開口一番に「今日は里花ちゃん居ないの」と聞かれるくらいだ。

「お父さんから聞いたよ、学校凄い事になってるらしいじゃん。あんた寮生活になったら1人で起きれんの?」

 悪戯っぽく笑いながら、里花はツンツンと北斗の頬を突いた。

「まぁ俺も居るし、問題ないだろう」

「湊斗はそうやって甘やかさないの。1人で起きれるようにならなきゃ、この先苦労するよ」

 いつものお説教が始まる気配を察知し、北斗は慌てて「ひ、1人で起きる努力するから」と捲し立てた。煮え切らない表情をしつつも、里花は父から手渡されたカレーライスを双子の前に置き、自らも北斗の隣に腰掛けた。

「おっ、言ったわね。なら寮生活始まってからは湊斗とあず兄の力借りずに自力で起きなさいよ」

「あず兄も駄目なのかよ!?」

 北斗の返答に里花は当たり前でしょ、と眉を顰めながら父から渡されたカレーライスを受け取り、いただきますと手を合わせた。

 あず兄こと黒瀧梓馬は双子が通う九々龍学園の保健医で、現在は26歳の独身。従兄弟の中でも最年長で、双子との歳の差は9歳。口が悪く目付きも悪い。保健医だというのに髪はボサボサ、ベビースモーカーで幾度となく禁煙に失敗……とこうやって挙げていけばダメ人間に聞こえて来るが、困った時に頼れるのは長兄・梓馬だ。

「どっかの誰かさんよりは良い方だけどね」

 どっかの誰かさんと語気を強めながら告げた里花に、北斗は「あれよりは確かに」と笑った。従兄弟の別人と言ってもいい寝起きの悪さを思い出しながら、北斗は目の前に置かれたカレー皿に目を落とす。

 北斗達が昨日買って来た玉ねぎと、ニンジン・豚肉・ジャガイモといった具材がゴロゴロと入ったカレーは黒瀧家オリジナルだ。ジャガイモはあえて小玉のものを使っている。炒める前に電子レンジで加熱するのがポイントで、カレールーを付けたふかし芋のような味わいになる。

 スプーンで一口掬った後、やっぱり2日目のカレーは最高だと言いながらがっつく2人を眺め、里花は微笑を零した。

「ま、何かあったら私かあず兄に連絡しなさいよ」

 そう言っていつもより優しく2人の頭を撫でた後、里花も同じように父特製カレーを一口、二口と味わった。



 2020.05.21

 助けて下さい。従兄弟・凪紗からの緊急要請を受け、彼の自宅へと向かった双子はその部屋の惨状に「……酷いな」と声を揃えた。

 殆どの生徒が引っ越し作業や保護者を交えた面談形式での誓約書に捺印を終えた中、凪紗の部屋には段ボールが山のように積み重なっていた。部屋の主は深々と北斗達に土下座をしながら「面目ない」と呟いた。

「だから計画的にやんなきゃ駄目って言ったじゃん」

「だってさぁ、真心まこ。好きなアニメの再放送があったから」

 だってじゃないと叱り付けた後、凪紗の妹・真心は髪を一つ結びにしながら「2人共ごめんね」と困ったように笑った。

北斗は黙々と荷物を運んでいく叔母・すみれと叔父・章に倣い、段ボールを持ち上げた。

「ほっちゃんとみなちゃんは、もう引っ越し準備終わっちゃった?」

 叔母・すみれの問い掛けに北斗は段ボールを持ち直しながら「あず兄と姉貴に手伝って貰って、荷解きも終わりました」と答えた。「凪ちゃんにも見習って欲しいわ」と溜め息を吐きながら息子の荷物を手に階段を降りる叔母は、仁井田植物研究所の研究部部長を務めている。

 かつては2017年1月1日、突如沈黙した正体不明の精神病・徒花病を研究しており、新薬開発に貢献した優秀な研究員として国から奨励も受けた。徒花病は異端者を核にしたものだと結論付け、徒花特別研究センターは解体。以前の仁井田植物研究所に改名された先でも、草花の発達について研究を続けているという。

 その夫で叔父・章は新夏区立総合病院の内科医で、院長を務めている。北斗の母・蛍とは腹違いの兄妹だ。お盆期間や年末年始は揃って本家のある京都府神塚区を訪れるのが恒例となっていた。従兄弟同士の親交も強く、双子は小さい頃は凪紗の兄の後ろばかりを追い掛けていた。

 荷物を下ろしては引っ越し業者に手渡す作業を幾度となく繰り返し、すっからかんになった部屋の掃除を行い、ようやく全てが終わった時には夕日が沈みかけていた。

「2人共、折角だから今日はうちで食べていくといいよ。美子みこさんが人数分作ってくれたみたいだから」

 白村家の家政婦・志賀美子の料理は絶品で、父も舌鼓したつづみを打つ出来栄えだ。姉・里花もたまに訪れてはレシピを教えて貰っているという。

 章の提案に甘え、絶品の料理を無我夢中で食べ終えた後、北斗は空っぽになった凪紗の部屋に置いていたスマートフォンを手に取り、ふと上の階へ続く階段を見上げた。

 誘われるようにゆっくりと階段を上がると、幼い頃の思い出が蘇る。わざとドタバタと足音を鳴らしながら駆け上がったな、と考えながら4階の一番奥の部屋に向かった。キィッと音を立てて開いた部屋の中を覗き込み、息を吐いた。

「やっぱ何もないか」

 部屋は空っぽのまま。それでも家政婦がこまめに掃除を行っているのか、ほこりは勿論の事、髪の毛一本も落ちていない。

 換気のためにと開けられた窓へ向かい、空を見上げる。夕日が落ち、外はすっかり暗くなり星が出始めていた。

「北斗、此処に居たのか」

「何見てたんだよ」

 北斗を探していたのか、歩み寄って来た凪紗と湊斗が彼の隣に並んだ。星を見ていたと答えれば、湊斗と凪紗は顔を見合わせ「部屋主が乗り移ったか」と笑った。

「京兄ちゃん、今何やってんだろうなぁ……」

 白村京羽。凪紗の4歳上の兄で、中学時代は陸上界の天才神童と呼ばれたくらい足が速かった。

 口ではあーだこーだ言うものの何だかんだ面倒見がよく優しい彼に、双子は凪紗・真心と一緒に「京兄ちゃん」と呼び慕い、懐いていた。そんな従兄弟の進路はアメリカ。ニューヨークにある難関大学・アンフィトリーテ大学の生命科学研究科に留学して早4年。定期的にアメリカから手紙と共に現地の写真を送ってくれていたが、1年前からパッタリと連絡は途絶えた。

 携帯も繋がらなかったため、一時期北斗達は彼に何かあったのではと困惑した。すみれが送った安否を心配する手紙の返事には、現地でスマートフォンを破損し、使えなくなってしまった事。帰国してから新調し、実家にも顔を出す旨が記されていたという。そんな最後のやり取りが行われてから、もう1年が経つ。

「兄ちゃんの事だから、日本に帰って来る前にあちこち寄り道してそう」

「あー、分かるな」

 放っておいたらどこかに行ってしまう気まぐれな猫のようで、気を許した相手にはとことん甘える姿は犬のようでもあり、自由奔放で予測不可能な姿は鳥のようでもある。一言ではとてもじゃないが形容出来ない従兄弟が帰って来た時に何を話すか、どんな話をしてもらおうか考えていれば、今から心が躍った。

「あ、そうだ。父さんが2人の事、家まで送るって」

「何から何まで悪いな」

 俺の用事に付き合って貰ったんだもんと申し訳なさそうに眉を下げる凪紗に笑みを零し、湊斗は「北斗、そろそろ帰るぞ」と声を掛けた。

「うん、分かった!」

 開けっ放しになった窓を閉めようとした時、びゅうっと強い風が吹いた。慌てて目を瞑り、窓を閉めた時。壁紙の隅がめくれ上がっている事に気が付いた。

 京羽が実家を出る際、荷物の運搬で傷付いたのだろうかと手で触れた時。壁紙と壁の隙間からストンと何かが落ちて来た。

「……手紙?」

 何の変哲もない無地の封筒。裏側には此処の住所と共に白村京羽と止め跳ねがしっかりした字で記名がされていた。

 誰宛てだろうとひっくり返してみて、一番に気が付いたのは切手が貼られていなかった事。そしてもう一つは……。

「【精神世界特別捜査班】御中……」

 聞き覚えもない名称だった。謎の組織に対し、京羽が宛てた手紙という事は分かる。しっかりとのり付けされている事から、何か重要な書類が入っているのかもしれない。

 しかし……それが何故壁と壁紙の間から出て来たのだろう。 まるで人の目から隠すように……。

「北斗、まだかー?」

 下から掛けられた凪紗の言葉に、北斗は慌てて手紙をパーカーのポケットに押し込み「今行く」と言いながら部屋を出た。

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