後に続く者たちへ

ここ数年、中央競馬と地方競馬のダート交流重賞、いわゆるダートグレード競走が人気になっていますね。

芝のレースに負けず劣らずの人気を誇るスターホースが何頭もいますし、交流重賞が行われる競馬場も多くのファンで賑わいますし、ダートグレード競走の先には世界の舞台で戦えるチャンスもあります。

先日も大井競馬場で行われた交流重賞の東京盃で、新たなスターが誕生したようです。

気性が勝った4歳のせん馬とうら若い女性騎手が栄冠を勝ち取った報道を微笑ましく見ながら、わたしは交流重賞の黎明期に頑張っていたある馬を思い出していました。


秋の中山競馬場。

ユニコーンステークスのパドックに、ウイングアローはいました。

地方の交流重賞を2つ勝って一番人気。

それでもダートを走るには少し細身に見える体には、まだ成長の余地がいっぱいで。

これで中央の馬を相手に勝てるならすごいかもなあと思いながら出馬表を見てみれば、父アサティスとあります。

ああ、アサティスは先輩が推してたなあ……。

ふと、4年前の先輩との会話を思い出しました。


「アサティスの仔がいよいよデビューだ。楽しみでならん」

先輩はニコニコしながら話しかけてきます。

「アサティスの仔はきっと走る。アサティスがヨーロッパの芝の大きなレースで実績があるんだ。美浦のある先生なんか、新馬で入れるのをほとんどアサティスで固めたぐらいだ。それくらい期待されてる馬の仔なんだ」

へえ、そうなんですか。楽しみですね。

「ああ、ダービーとは言わないが、芝の大きなところ勝てるのがどれだけ出てくるか、今から期待してるんだ」

先輩がそれだけ思い入れてるんなら、きっとすごい仔が出てくるのだろう。

競馬を初めてまだ間もないわたしは、先輩の言うことを信じました。


ところがです。

アサティスの仔は初年度産駒のメイショウテゾロがダービーに出走したくらいで、後はどうもパッとしません。

よくよく調べてみると、どうやら子供たちはダートが得意で、しかも奥手な仔が多いことがわかってきました。

それでも、「いつかでかいとこ勝つのが出るはずなんだ」と、先輩は諦めた様子がありません。

「ダートが得意ならダートででかいとこ勝てるのが出るはずさ。ダートだって芝の添え物扱いじゃなくなりそうだしな」

この当時、地方競馬の重賞が賞金額の大きなものを中心に、中央の馬でも出走できるようになって来ていました。

「交流重賞でも大きなのがあるからな。そこで勝てれば十分だよ。将来にもつながるしさ」

将来?

ふと聞き返すと、先輩は続けます。

「中央の芝がダメでも、ダートで走れれば種牡馬としては需要があるからね。需要があるうちは種馬やってけるんだから」

そうなればいいですねぇ。

まだよくわかっていなかったわたしは相槌を打つしかありませんでした。


そのアサティスの仔がダートのレースで一番人気。

もちろん実績があっての人気ですし、パドックを周回している彼自身も良く見えます。

買うしか、ないよな。

そんなことをつぶやいて、単勝を買いました。


レースが始まると、彼は馬群の中段からやや後方へつけました。

そこからじわじわと前に出て、3コーナーから豪快にまくって行きます。

最後の直線で先頭を捉えると、そのまま3馬身ほど突き放してゴール。

勝ち方が鮮やかで、しかもまだまだ成長の余地がありそうで。

この先どこまで勝ち進めるんだろうと、楽しみな気持ちになったのでした。


続いて出走した大井のスーパーダートダービーでも豪快なまくり差しを決めて勝ち、いよいよ大目標にしていた盛岡のダービーグランプリに出走することになりました。

というのも、この当時ユニコーンステークスとスーパーダートダービー、そしてダービーグランプリの3レースが4歳ダート三冠と呼ばれていて、3レース全てに勝つとボーナス賞金がもらえたのです。

三冠にリーチをかけた陣営は11月末の盛岡に向けて万全の仕上げを施しました。

しかし……。


ダービーグランプリ当日の盛岡は早すぎる大雪に見舞われてました。当然開催は中止。

ダービーグランプリは半月後の水沢で行われることになり、ウイングアローもそちらに回ることになりました。

とはいえ、絶好調は半月も持たせられません。圧倒的な一番人気の彼でしたが、2着に敗れてしまいました。

しかし、1月の新馬戦からほとんど休みなしで13戦も走ったのですから、きっとどこかに疲れがあったのかもしれません。

そう思うと、わたしは三冠を逃したことを責められませんでした。

それからほどなく、彼がJRAの最優秀ダートホースに選ばれたと聞いて嬉しくなりました。

先輩も喜んでくれるだろうか。

そんなことも、ふっと考えたりもして。


年が明けて、彼の姿は4月の阪神競馬場、プロキオンステークスにありました。

ひと息入れてリフレッシュしたらしく体重はプラス10キロ。まずまず良い仕上がりに見えました。

しかし、年上の馬と初めて対戦するせいか、おそろしく人気がありません。

そう見劣りはしないはずなのになあと思ってレースを見てみれば、ほとんど最後方から豪快に追い込んで3着。

やっぱ強かったんだなあと改めて実感し、さあ次はどこだろうと思いを巡らせてみます。

どこかの交流重賞に出て来るのだろうなあと思ったのですが。

彼が休養に入ったと聞いたのは、それから間もなくのことでした。

脚部不安が出たと聞いて、わたしは思わず先輩に電話を入れました。


「もともと奥手っぽいのに毎月のように使いやがって。あれじゃパンクしかねんって思ってたんだ」

電話の向こうで、先輩はいささか憤慨してる様子でした。

「とはいえ、治ったらまた応援せんわけにはいかんよな。手頃なところが復帰戦なら気楽でいいんだがなあ」

ですよね。いくら力があるにしたっていきなりGIじゃ厳しいんじゃないでしょうか。

「そういうこと。もっとも、一番良くなるのは来年だろうからね。今年は様子見さ」

先輩はそれだけ言うと電話を切ってしまいました。

様子見とか言いながら、それでも勝負だと単勝を買う先輩の姿が見えた気がしました。


ウイングアローの陣営が復帰戦の舞台に選んだのは、盛岡の南部杯。GIの大舞台でした。

去年雪で走れなかった盛岡のダート。勝ったら借りは返せるかな。

そう思ったわたしは応援のつもりで単勝を少しだけ買ってみましたが、結果は3着。

復帰戦、しかもGIでこれなら上出来だよな。

自分に言い聞かせるように、そっとつぶやくよりありませんでした。


彼はそれから3戦を走りましたが、勝つことは出来ず。それでも2着や3着には来てくれました。

年が明けて1月の平安ステークスで5着に敗れると、いよいよ脚元の不安がまた出たかと思ってしまいます。

しかし、陣営は次のレースにGIのフェブラリーステークスを選びました。管理している先生が今月いっぱいで定年ですから、引退の花道にしたいのだろうとは想像がつきます。

こうなると応援せずにはいられません。先輩にまた電話を入れました。


「相手は強い。去年勝ったメイセイオペラはお前もよく知ってるだろ?他にもいいのが揃ってる」

ええ、他にも強いメンツが揃ってますもんね。勝てるでしょうか。

「うーん……。ペリエに頼んだくらいだから勝算はあるんだろう。先生も引退の花道飾りたいだろうしな。ただ、それがどこまでかはわからん」

ですよねぇと相槌を打ちながら、ふっと思い出したことがありました。

先輩、一番良くなるのは今年ですよね?もしかして……。

「ああ、そうだな。それに賭けるか。よほど自信がなきゃペリエには頼まんだろうからな」

こうして、わたしたちは応援にしてはいささか額の大きな勝負をすることに決めました。


パドックでの彼は調子が良さそうに見えました。大きすぎた馬体も絞れてスッキリして見えます。

相手は強いだろうが、今日の出来ならいけるんじゃないか。GIのタイトルに手が届くかもしれない。

単勝馬券を懐にしまい込みながら、そんなことを思いました。


ゲートが開くと、彼はもともと考えていたかのように最後方につけました。

どこかで前に出てくるかと思って見ていても、最後方から動こうとしません。

もしかして直線だけで差し切ろうっての?

胸が高鳴ります。

4コーナーを回って彼は大外に出ていました。

後は鞍上がゴーサインを出すだけ。


直線を向いたところで解き放たれた彼は、それこそ矢のような勢いで大外を駆け上がってきます。

最後の最後にファストフレンドを半馬身突き放したところがゴール。ついにGIのタイトルに手が届いて、わたしは大満足。

この先交流重賞をいくつ勝ってくれるんだろう。

そんな気持ちで、口取り式を見ていました。


それから彼は大井の帝王賞に出走し、5着に入ってくれました。

その後は旭川のブリーダーズゴールドカップで一番人気に応える圧勝を見せてくれました。

続いて出走した南部杯は2着。

さあ次はと待っていると、新しく出来る重賞に出るのだとか。

どんなレースなのかと見てみたら、ジャパンカップダート(GI)とあります。


ダートでもジャパンカップのように世界と戦える馬を作ろうという趣旨でこの年から始まるGIレース。当然、海外からも強い馬がやってきますし、国内組だってダートのトップクラスが勢揃い。

勝てば初代王者として名前が残りますが、不安も少し。

勝ちたいだろうな。勝てたらいいのだけれど。

そんな気持ちで、先輩に電話を入れました。


「外国馬が良くわからんが、ウイングアローで間違いなさそうだぜ。距離は持つしあの末脚だぜ」

先輩はやけに自信満々です。

「どこでもそれなりに走るけど、府中が一番合うんじゃないかと見てるんだ。ハイペースにでもなってくれりゃあこっちのもんだ」

電話の向こうで得意げになってる先輩が目に見えるようで、わからないようにこっちもニコニコしてました。

「大丈夫だ。ヤネも名手だしそうそう見苦しいことにはならんよ。馬見たらお前もわかるって」

そう言って電話は切れました。

不安が消えたわけではありませんでしたが、なんとかなるだろうと自分に言い聞かせ、レース当日を迎えることにしました。


ジャパンカップダート当日の東京競馬場。

勝った負けたとワイワイやりながら迎えたメインレースのパドック。

ウイングアローはきっちりと仕上げられていました。

晩秋の日差しを受けて、馬体はピカピカに輝いてます。

「馬見たらお前もわかるって」

そうだね、この出来なら。

それまで抱えていた不安もどこへやら。単勝を山ほど買い込みに走りました。


馬券を買ってスタンドに向かう途中、先輩が向かってくるのが見えました。

「よう、来てたのか。なら一緒に見るか」

ええ、そうしましょうか。

そうしてスタンドの片隅に陣取ったわたしたちは、静かにスタートを待ちました。

一頭が放馬してしまい、少しスタートが遅れるとのアナウンス。

そんな中、先輩が口を開きます。

「ここ勝てたら二度目の最優秀ダートホースは確定だろ。アサティスにも跡継ぎが出来るってもんだ」

でも、芝じゃなくていいんですか?

「いいんだよ。血がつながるのが一番大事なんだ。ダートで地方限定でも頼りにされるならそれでいいじゃないか」

そうですね。そうなれるよう、今日は勝ってもらわないと。

「ああ、そうなってもらわんとな……」

先輩はそれっきり、黙り込んでしまいました。


ゲートが開いて、先行馬が速いラップを刻んでいきます。

ウイングアローは中団からもう少し後ろを楽な手応えでついて行きます。前は速いし、つられた馬たちがひとかたまりになってます。

「前は総崩れだろうさ、かわいそうだが」

先輩がつぶやきます。わたしは頷くだけ。

大ケヤキを過ぎた頃、ウイングアローがスルスルとポジションを上げていきます。

決して無理をするでもなく、楽な手応えのまま。

まるで地方競馬でまくり差しを決めるような勢いで。

「少し速いか、いやいける、大丈夫だ」

先輩もわたしも同じように口にしてしまいます。

地方の競馬場でああやって走って来たんだもの。大丈夫。

直線を向いた頃にはもう3番手。あとは自慢の末脚を爆発させるだけ。

鞍上のスパートの指示で一気に加速した彼は、先頭を捉えるとみるみる後方を置き去りにしていきます。

そして2着に3馬身半の差をつけてゴール。その瞬間、わたしたちは揃ってガッツポーズ。

これでタイトル確定ですねとはしゃぐわたしに、先輩はこう言います。

「だなあ。でもこれで引退じゃないだろうし、まだまだ勝ってもらわんとな」

ですね。種牡馬になってからもタイトルはついて回りますし。

そう言いながら、わたしたちは口取り式を見にスタンドを降りて行きました。

その年の暮れ、二度目のJRA賞最優秀ダートホースのタイトルが決まりました。


彼は翌年も走りました。

フェブラリーステークスの連覇は逃したものの、旭川のブリーダーズゴールドカップを連覇。

南部杯は勝てませんでしたが、ジャパンカップダートに勇躍駒を進めて来ました。

わたしはまたも単勝を山ほど買い込んで応援していたのですが、この年はクロフネが異次元の走りで圧勝するところを目の当たりにしてしまうことに。

それでも、ウイングアローは2着に食い込んで来ました。

それから大井の東京大賞典を挟んで、翌年のフェブラリーステークスで大敗を喫した彼は、ようやく引退することになりました。


30戦して11勝。そのうち半数以上の6勝を地方競馬のダートグレード競走で挙げた彼には大きな期待を持ってシンジケートが組まれ、晴れて種牡馬になりました。

しかし、彼の産駒は中央では大きな活躍を挙げられず、もっぱら地方競馬が主戦場の仔ばかり。

そうこうしてるうちにシンジケートは解散。彼は青森の牧場へ引っ越して来ました。

青森でも彼は頑張ったのですが、地方競馬が主戦場というのは変わらず。そうしているうちに種牡馬引退のニュースが聞こえてきました。

先輩、どう思ってるかな。

ふっと気にはなりましたが、聞くのはやめにしました。

たぶん、先輩もうすうす感じてたことでしょうから。


それから何年かが過ぎ、わたしは彼に会いに行くことが出来ました。

広い牧場の一角、歴史を感じる厩舎の出入り口に一番近い馬房をもらった彼は、種牡馬を引退した後も元気そうでした。

馬房の扉を開けてもらうと、「いらっしゃい」と言わんばかりの表情で出迎えてくれます。

25歳になった今でも風邪ひとつひかずにいること、引き運動をしてるとチャカチャカしたところを見せること。

わたしがスタッフさんから説明を受けている間、「早く遊んでくれよ」とずっと顔に出して待っています。

スタッフさんにお許しをもらって口元に手をやると、じゃれて噛み付いてきますが、加減をわかってるようで全然痛くありません。

とても穏やかな空気の中、彼は悠々自適というにはまだ少し元気を持て余しているようにも見えました。

また会いに来るよと言ってその場を後にしましたが、その時の彼の目は「またおいでよ」と言ってるように見えて仕方ありませんでした。


ウイングアローの産駒で現役なのは大井競馬のウマノジョーをはじめごくわずか。子供には恵まれなかったかもしれません。

ですが、彼が走ったダートグレード競走は後輩たちが盛り上げてくれていますし、芝のレースに負けない人気にもなりました。

そのきっかけのひとつに彼がいることは、ずっと覚えていたいと思うのです。

後に続く馬たちへ、輝ける道筋を作ってくれたのですから。

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