たったひとつの勲章

種牡馬が多くの繁殖相手を集めるためには、多くの条件があります。

血統が良いとか馬体が立派だとかも重要ですが、一番人目を引きやすいのは、やはり勝ち鞍の多さでしょうか。

そういう意味で、今回の主役はずいぶんと苦労をした一頭かもしれません。


メジロブライトが屈腱炎と闘っていた頃のことです。

夏の札幌競馬場でブライトの弟がデビューするぞと教えられたわたし。

どんな馬なのだろうと出馬表を見ると、父親がサンデーサイレンス。

ついにメジロもサンデーサイレンスをつけるようになったのかぁ……と、思わず遠い目をしてしまいました。

というのも、生産者のメジロ牧場はダービーよりも春の天皇賞という牧場だというイメージでしたから、サンデーサイレンスはつけないだろうと勝手に思っていたのです。

もっとも、よくよく調べてみたらそれまでにも何頭かサンデーサイレンスをつけていたそうで、単純にわたしが知らなかっただけだったんですが、それでも珍しいことには変わりがありません。

ともかく、サンデーサイレンスを父に、メジロブライトを兄に持つ彼はメジロベイリーと名付けられ、新馬戦に出てきました。


480キロの馬体は数字よりも大きく見えましたし、全体にバランスの取れた体つきは好ましく見えました。

これならオープンまで行けるだろうし、古馬になったら重賞だっていくつか勝てるかもしれない。

パドックの彼を見ながら、ぼんやりとそんなことを思いました。


ゲートが開いて、彼はスルスルと先頭へ。

そのまま後続を率いて行きます。

結構スピードあるしこのまま逃げ切れるかなと思っていたら、4コーナーで捕まり結果は5着。

それでも、まだまだ成長するしこれからが楽しみだと思えたものでした。もっとも、このときの新馬戦の勝ち馬が後にダービーを勝つことになろうとは、夢にも思っていませんでしたけども。


彼は折返しの新馬戦で3着、1ヶ月後の未勝利戦でも3着となかなか勝てませんでした。しかし、彼はメジロの馬らしくきっと古馬になってからが本番だろうと思っていたわたしは、まったく悲観していませんでした。

3歳のうちに勝ち抜けしてくれればいいし、若いうちは無理することないんだしと。

そう思っていたら、次の未勝利戦で彼は一番人気に応えて初勝利を挙げてくれました。

次は条件戦かな、それともオープン特別に挑戦かなとワクワクしていたわたしに、思わぬ知らせが舞い込んできました。

なんと、陣営は彼の次走にGIの朝日杯3歳ステークスを選んだのです。


この年、クラシック候補生の有力どころは1600メートルの朝日杯ではなく、2000メートルのラジオたんぱ杯3歳ステークスに集中していました。それゆえ、朝日杯はいささか手薄なメンバーになるだろうと言われていました。

しかし、3歳戦とは言えGIです。未勝利を勝ったばかりで出走することはよくある事とはいえ、さすがに相手が強いのではないかと不安が募ります。

事実、ライバルと目される馬の中には、彼が折返しの新馬戦で勝てなかった馬もいました。あのレースからわずか3ヶ月。どこまで差を詰められるだろうかとは思いましたが、勝てるイメージは描けないまま。

そうして、レース当日を迎えました。


パドックで見る彼は勝負服を模したメンコで表情こそよく見えませんでしたが、出来はよく見えました。

しかし、オッズ板を見れば彼は10番人気。未勝利を勝ったばかりでは仕方ありません。むしろ上位人気のライバルたちも仕上がりは上々のようです。

こりゃあ苦戦するなあ。でも勝てなくても次につながってくれればいいのかな。

わたしは単勝馬券を胸ポケットにしまいながら、そんなことをつぶやいてました。


ゲートが開くと、彼は好ダッシュを見せますが、すぐに中団の内側へ。

そこからじわじわと上がって直線の入り口では4番手。

前を行く馬たちの脚色は衰える気配がありません。

もはやこれまで……とわたしが観念しかけたその瞬間、彼の闘志に火が付きました。


彼は馬群の真ん中に飛び込むと、そのまま突き抜けて先頭でゴール板を駆け抜けたのです。

目を引く末脚ではありませんが、根性のあるところを見せてくれました。

連勝で掴んだ勝ち星は、実に大きな勲章となりました。

もっとも、このレースで2着に来た馬がゴール直後に止まりジョッキーが降りたことで、その後のことはあまり記憶に残っていません……。


そして、彼自身もこのレースで脚部不安を発症してしまいました。

その結果、クラシックに出ることはかなわず。復帰戦は5歳の2月でした。

復帰戦は良いレースは出来ませんでしたが、2戦目で4着に来てくれました。

これで次は重賞、いよいよ古馬になって本領発揮だと期待に胸を膨らませていたのです……が。


このレースで彼は屈腱炎を発症し、引退することになってしまいました。

キャリアはわずか7戦2勝。それでも、朝日杯の勝ちがあったからか、彼は種牡馬になれました。

引退した彼は青森の牧場にやってきました。彼のもとにはメジロ牧場をはじめ各地から優秀な繁殖牝馬が集められたのですが、なかなか大きな結果を出すことが出来ません。

しかし、数年後彼は請われて北海道の牧場へ引っ越しして行きます。ここでも彼は頑張ったのですが、子供が大活躍……とはいきません。その3年後、現在も彼が暮らす青森の牧場へと引っ越しが決まりました。

彼はそれからも種牡馬として頑張っていたのですが、昨年種牡馬も引退。現在は同じ牧場でウイングアローとのんびり暮らしています。


牧場に会いに行くと、彼は元気そうな顔を出してくれました。

日当たりの良い馬房をもらった彼は、思うままに馬房の中をぐるぐると回るらしく、寝わらにはその跡がくっきりと残っていました。

左のトモが腫れて痛々しく見えましたが、ずっと治療してもそのままなのだとか。

彼自身にあまり気にした様子が見えなくて、少しだけホッとしました。


彼の子供は中央競馬では目立った成績を残すことは出来ず、地方競馬でも現役はごくわずか。とはいえ、最後の世代の一頭が中央に行くことになったそうです。

勝ち上がってくれたら嬉しいですが、あまり多くを望むのは厳しいかもしれません。

ですが、彼の血を引く繁殖牝馬の子供が何頭かいるそうです。この中から、彼と同じように大きな勲章を手に出来る仔が出てきてほしいと、心から思うのです。

母の父として優秀なら、それも彼にとっては勲章になるのですから……。

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