第12話 焦土作戦

 その朝、出勤した戸部京子君はカバンを机の上に放り出し、私のところにやってきた。いつもの柔らか表情ではなく、どこか鬼気迫るものがあった。


 私は何事かと思いつつも戸部京子君の気迫に圧され、彼女の話を一方的に聞くことになった。その内容は恐るべきものであり、後ろで聞いていた杉山さんも、呆気にとられていた。

 「焦土作戦なのだ!」

 彼女は最後にそう言い切った。

 私は席を立ち、窓の外を見た。大粒の雨がバラバラと道路に落ち勢いよく跳ねている。

 この会社を焼き尽くすのだと彼女は言う。そして新しい会社に何もかもそっくり移してしまう。

 確かに、根本的な解決を図ろうとすれば、もうそれしか方法は残っていないのかも知れない。しかし、焦土作戦とは・・・

 「阿部部長、ここは決断のときなのだ。自社ビルなんていらないのだ。京都駅前店とそこで働く人たちがいれば、会社は成り立つのだ。」

 しかし、戸部京子君、なにもかも移すといっても、こぼれ落ちるものはある。河原町店や銀閣寺店のスタッフまでは連れていけない。それに鯖寿司を作っている本社のスタッフの半分は解雇ということになる。その痛みを、私たちは受け入れなくてはならない。

 「それは分かっているのだ。でも、このままだと全員が職を失うのだよ。あたしたちに出来ることは、せめて半分の人たちがこのまま働いていけるようにすることなのだ。」

 理屈としては分かるが、私たちもまた三好社長や松永と同じ間違いを犯す可能性もあるのだ。

 人は石垣、人は城。会社は働く人たちで成り立っている。経営者の都合で彼らの人生を左右してはならない。それでも、戸部京子君の云っていることには正義がある。

 起死回生の一手は、そこにしかないからだ。

 私は真っ黒な雨空を見上げながら、しばらく考えた。考えたとしても、これ以上の策は無いことは分かっていた。

 「やってみるか。」

 私は小さくつぶやき、戸部京子君が大きくうなずいた。

 杉山さんが、笑い出した。

 「とんでもないことを考えたんやね、京子ちゃん。」

 戸部京子君も杉山さんを振り返って笑顔になった。


 私は後藤工場長と石崎君を事務所に呼んだ。やるからには彼らの協力なしにはできない。これは総力戦になる。

 後藤工場長はいつものように無表情だが、微かに笑っている。石崎君は「面白いっス」と焦土作戦に喝采を送った。


 作戦会議だ。

 焦土作戦を実行するには、人・モノ・金を新しい会社に移管しなくてはならない。

 まず、新しい会社を立ち上げる。これは知り合いの司法書士さんにお願いして法人登記をしてもらう。これによって法人という新しい人格が生まれる。この法人は三好水産とは全くの別人であり、資本関係も無いようにしておく。

 次にデベロッパーとの契約。京都駅前店のデベロッパー、つまり大家さんは京都地所という会社だ。ここの社長の石田さんとは、開店以来の付き合いだから私が交渉する。賃貸契約を三好水産から新しい会社に変更するのだ。

 これができれば、店の什器や備品である。これらはほとんどリース契約だから契約を切り替える。

モノの移行はこれでほぼ完了する。


 人はどうだろう。新しい会社に移る人たちは全員が転職ということになる。河原町店や銀閣寺店のスタッフは取り残されることになる。これはなかなかデリケートな問題だ。

 石崎君が勢いよく手をあげた。

 「人の問題は黒澤の姐さんに相談するといいっス。」

 黒澤の姐さんとは、黒澤茜君。三好水産のスーパー・バイザーだ。

 彼女の仕事は各店舗を巡回しつつ全店の管理を行っている。ただ、今年の一月に採用されたばかりで、社歴は半年にも満たない。

 彼女をこの作戦の実行メンバーに加えていいのかどうか。

 「大丈夫っス。姉さんは男前ですから。」 

 石崎君は黒澤君を姉御として慕っている。彼の人物評価は信じるに値する。

 「そうっス。姉さんは、こんな時にこそ頼りになる人っスよ。」

 「黒澤さんはちょっと取っつきにくい感じの人だけど、信念が服を着て歩いているような人だから、あたしも信用できると思うのだ。」

 戸部京子君も黒澤君を推している。

 確かに、現場を逐一知る人材はこの作戦に欠かせない。

 石崎君、黒澤君を本社に呼んでくれ。



 午後、土砂降りのなかをやって来たのが赤い自転車の黒澤君だった。彼女は雨だろうが何だろうが、移動には自転車を使っている。

 大きな雨合羽を脱ぎ捨てた黒澤君は雨水を滴らせながら事務所に入って来た。戸部京子君が差し出したバスタオルを頭からかぶり、私のところにやってきた。

 黒澤茜、昨年の暮れに面接して採用したスーパー・バイザーだ。

 背が高く痩せているが筋肉質な体をしている。長い黒髪を後ろで束ね、化粧っ気の無い顔は男勝りの性格をよく表している。

 私が卒業した京都学院大学のライバル校、アーモスト大学出身の才媛で、大手食品メーカーに勤務していたが、何を思ったのか三好水産に転職した変わり者だ。

 「面白い仕事がしたい。」

 面接で彼女はそう言った。

 採用されて以来、彼女は本社には寄り付かず、店舗の巡回に専念してきた。


 私は黒澤君に焦土作戦の件を説明した。

 黒澤くんは無表情な顔に不敵な笑みを浮かべた。

 「本社で何かが起こっているとは気づいていたが、まさかこんな事になっていたのか。」

 黒澤君の第一声がこれだった。

 「焦土作戦だと。こんなふざけた事を考えたのは誰だ!」

 黒沢君はよく通る声でそう言い放ち、周囲をぐるりと見渡した。

 みんなの視線が戸部京子君に集中した。

 戸部京子君が、黒澤君の迫力に怯えている。

 「おまえか! 確か戸部とかいったな。ふざけた奴だ。」

 黒澤君は戸部京子君を睨みつけた。

 「だが、面白い。」

 黒沢君の頬が緩んでいる。

 そして彼女は大きく息を吸ってから、

 「わたしは面白いことが大好きなんだ!」

 と言って笑った。

 「姐さん、こんな面白い作戦はないっスよ。」

 石崎君も笑い出し、私たちみんなが笑った。


 これで、人の移管の担当者が決まった。

 黒沢君の話は私たちの知らない現場の情報だった。

 京都駅前店のスタッフも様々な問題を抱えている。店長の和田君が横暴でスタッフの士気が落ちているというのだ。

 河原町店はもっと大きな問題があり、店長がレジのお金を誤魔化して懐に入れているらしい。確たる証拠をつかんだ後に、本社に報告し処分するつもりだったという。

 銀閣寺店は営業的には成功していないが、スタッフの質は一番高いのだそうだ。

 できれば、銀閣寺店の優秀なスタッフを選抜して京都駅前店に異動させたいと黒澤君は言う。

 人の異動は、現場を動揺させる。

 「うまくやれるか?」

 という私の問いに、黒沢君は答えた。

 「私を誰だと思っている。」

 


 そして金である。

 新しい会社には資本が無い。

 三好水産から借入の形をとって当座の運転資金にするしかない。

 経営が軌道に乗れば、返済し、三好水産の取引先への支払にまわす。

新しい会社も同じ仕入先と取引しなくてはならない。新しい会社だからといって取引先の支払を拒否することはできるが、これをやってしまうと取引先の信用を失うことになる。こういうことは慎重にやらねばならない。

 だが、三好水産のキャッシュ・フローも戸部京子君の奮励努力でなんとか命脈を保っているに過ぎず、新しい会社に移行する際のイレギュラーな出費に耐えられるかどうかが問題なのだ。

 要するに、金が全てということなのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る