第11話 お姉ちゃんは軍師

 二日ほど眠ったら、熱が下がった。

 風邪だけど、お医者さんは過労が原因だって言った。

 だから一週間は安静にすること。


 外は雨だ。

 梅雨の長雨で部屋の中が暗い。

 戸部家では病気になるとほっておかれる。

 お母さんもお義姉さんも働いているからだ。唯一、暇なのがお兄ちゃんだけど、妹が病気になると、どうしていいか分からずにおろおろしている。

 それでも、ときどきお兄ちゃんが食事を運んでくれたり、心配そうに覗きに来たりする。


 熱が下がると、少しずつ体に元気が戻って来た。着替えて居間に行くと、お兄ちゃんが「寝てないとだめじゃないか。」と言って、あたしは部屋に戻された。

 「これでも飲んで、寝てろ。」

 お兄ちゃんが二号徳利の燗酒を差し入れてくれた。

 病人にお酒を飲ますなんて、何を考えてるんだろうと思うのだけど、昼間からお酒飲むって、なんか特別な感じがして素敵なのだ。

 ピーナッツをおつまみに、「くぴくぴ」やってると、また眠くなってきた。いくらでも眠れるような気がした。やっぱり疲れがたまっていたんだ。


 目が覚めたのは夜中だった。暗い天井を見上げて会社の事を考えた。

 こうして横になっていると、不安と悔しさのようなものが込み上げてきて、居ても立ってもいられない気分になってしまうのだ。

 机の上からノート・パソコンを持ってきて、布団の上で開いた。面白い動画でも見て、気を紛らわせようとしたけど、いまのあたしの気分と合わないのだ。

 ディスプレイを眺めながら、「典子お姉ちゃんだったら、こんな時どうするか」って考えてみた。

 気が付いたら、中国にいる典子お姉ちゃんにメールを書いていた。

 今、あたしの会社で起こっていることを吐き出すように残らず書いた。そうすると、気分がすっきりした。

 すっきりすると、また睡魔が襲って来た。


 うとうとしてると、パソコンのアラームが鳴った。

 ディスプレイには典子お姉ちゃんの姿があった。ネット通信だ。

 典子お姉ちゃんはいつものように、にまにま笑っている。

 「お姉ちゃん、こんな夜中にどうしたのだ。」

 「今、ニュー・ヨークに出張中なのだ。こっちは昼間なりよ。」

 「アメリカにいるのか、すごいね。」

 お姉ちゃんの映ったディスプレイから、乾いたクラクションの音が聞こえた。

 遠い異国の町の息吹が、この暗い部屋の中に流れ込んでくるような気がした。

 京都、それも嵯峨野や太秦あたりをうろうろしているあたしには、世界を飛び回っている典子お姉ちゃんが別世界の住人に思えた。


 「メール、読んだなりよ。なんか面白いことになってるみたいなりね。」

 「面白くないのだ。もう、大変なのだ。このままだったら会社が潰れてしまうかもしれないのだ。」

 お姉ちゃんは、なんでもかんでも面白いとか言うけど、あたしは本気で悩んでいるのだ。

 「大丈夫なりよ。潰れたらあたしがいい就職先を世話するなり。」

 お姉ちゃんも、お兄ちゃんと同じことを言う。

 でも、あたしは会社を守りたいのだ。会社の仲間と、これからも一緒に働いていきたいのだ。


 「京子は、戦うつもりなりか?」

 お姉ちゃんの口から「戦い」という言葉が出た。お姉ちゃんの言う戦いは戦国武将のように命がけで戦うことを意味している。

 あたしも戦いたいのだ。けれど、どうやって戦えばいいのか分からないのだ。

 「ならば京子殿、拙者を軍師と仰ぐなら、策を授けてやるなり。」

 策? 策って何?

 「ナポレオンを知っているなりか?」

 ナポレオンは知っている。フランスの皇帝だ。

 そんなものがあたしの会社と関係があるのか?


 そして、いつものように、お姉ちゃんの歴史講釈が始まった。

 ナポレオンがロシアに侵攻し首都モスクワに迫った。ロシアはモスクワを焼き払ってしまい、ナポレオンが占領後あてにしていた物資や食料は灰になってしまった。ナポレオンに厳しいロシアの冬が襲い掛かかり、撤退するほかなかった。

 「これが焦土作戦なりよ。」

 会社を焼いてしまうのか?

 「違うなり。考えてみるなり。松永とかいう男の目的は三好水産の乗っ取りなり。欲しいなら、くれてやればいいのだ。重要なのは三好水産の収益性の高い事業なり。京都駅前店、あの店はいつもお客さんでいっぱいなりよ。京都駅前店さえあれば事業は継続できるし、むしろ優良な店舗を一軒だけ運営すれば健全な経営になるなり。」


 あたしはお姉ちゃんの言葉に生唾を飲み込んだ。

 「京子の会社から京都駅前店が無くなってしまうなり。後に残るのは何なりか?」

 「自社ビルが残るのだ。それと河原町店と銀閣寺店・・・」

 「河原町店はトントン、銀閣寺店は赤字、さっきのメールに書いてあったなり。会社全体は赤字なりよ。」

 「自社ビルのローンが払えなくなるのだ。」

 「ローンが払えなくなったら、銀行は自社ビルを差し押さえるなり。差し押さえでローンが帳消しになるくらいならおんの字なり。何が残るなりか?」

 「毎月の赤字と、借金が残るのだ。」

 「三好水産は焼け野原なり。」

 「それが焦土作戦なのか?」

 「焼き払うなり!」

 分かったのだ。あたしは会社を守ろうとしていたから、しなくていい苦労を抱え込んでいたのだ。

 ここは発想の転換なのだ。三好水産なんか捨ててしまえばいいのだ。

 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるなりよ。」

 なんか面白くなってきたのだ。

 お姉ちゃんのように、何でも面白がっている人にしかできない発想だ。


 つまりこういうことだ。

 新しい会社を作って、その会社に京都駅前店の事業を全部引っ越ししてしまうのだ。

 「さすが我が妹なり。理解が速いのだ。京都駅前店の事業そのものを新しい会社に移管してしまえば、三好水産は自社ビルこそ持って入るものの、赤字店舗を抱えたダメな会社なりよ。これこそが焦土なり。」

 そうなのだ。自社ビルなんか必要ないのだ。建築費用に滋賀第一銀行から借りたお金だって返済が半分終わったところだ。毎月の返済が無くなれば会社の純利益はもっと伸びるのだ。

 「けど京子。この策は簡単には出来ないなり。周到な用意と、大胆な戦略を以て成すべしなり。」

 「なすべしなり!」ってあたしは叫んだ。

 目の前に立ちふさがっていた重い扉が開いたような気がした。


 「それともう一つアドバイスがあるなり。これは守るための戦いなりよ。守るべきものを守り切ればいいのだ。敵がいくら憎くても、無用の殺生は避けるなり。」

 そうだね。お姉ちゃん。あたしは松永や浅野課長や下田主任への怒りで目が曇っていたかもしれない。守り切ることだけ考えるのだ。

 「なんかゾクゾクしないなりか? 松永とかいう奴が会社を乗っ取ったと思ったら、肝心の京都駅前店が無くなっているなりよ。奴らの吠え面を想像するだけで笑えるのだ!」

 お姉ちゃんはディスプレイの中で大笑いしている。

 あたしもつられて大笑いしてしまった。


 そうだ、こうしちゃいられない。明日、会社に行ってこのことを阿部部長に話すのだ。そして、焦土作戦を実行に移すのだ。

 「ちょっと待つなり。あんた、さっきのメールに病気だって書いてなかったなりか?」

 大丈夫なのだ。お姉ちゃんに策を授けてもらって元気百倍なのだ。

 「ダメなりよ。今は休むなり。時が満ちるのを待つなり。あんたの体に体力が戻って来た時、その時が攻め時なのだ。これからの戦いは激しいものになるなり。また倒れたらお終いなりよ。」

 わかったのだ。今は休むのだ。

 「京子、それから分かっているなりな。」

 まだ何かアドバイスがあるのか?

 「違うなり。成功したら、お寿司おごるなりよ。」

 その言葉を残して、お姉ちゃんのにまにま笑いはディスプレイから消えた。


 劉備玄徳は軍師・諸葛孔明を三顧の礼をもって迎えた。

 あたしは軍師・お姉ちゃんをお寿司の礼で迎えたのだ。


 守るために会社を焦土にしてしまう。

 新しい会社を立ち上げて、そこに守るべきものを移してしまう。

 とんでもない作戦なのだ。

 なんか興奮して眠れない。

 こんな時は、お酒だ!

 台所にはお兄ちゃんの一升瓶があるはずなのだ。

 これをちょいとくすねてきて、「くぴくぴ」飲むのだ。

 体が温まって、心が落ち着いてきて、また眠ってしまった。


 あたしは典子お姉ちゃんの言いつけを守って休養を取った。

 元気になるために、いっぱいご飯も食べた。

 「これでもか!」というほど眠ってやった。


 一週間の休養ののち、力を蓄えたあたしは、その朝、大映通りへと自転車を走らせた。

 軍師・お姉ちゃんより授かった策を胸に秘めて、泣き出しそうな梅雨空の下を会社へと向かった。

 大魔神君が通り過ぎるあたしを、励ますように見下ろしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る